|
|
|
|
| インターエデュ掲示板 > 教育 > 教育論・教師論 | ![]() |
|
先日、市の、読書感想文コンクールで、入賞した、小学生の我が子の表彰式に参加しました。
|
読書感想文の推薦図書は、文科省でも自治体でも新刊本ばかりですから、
どうしても今時の本になってしまうと思います。
ちなみに、うちの方では、低学年はルルとララ、ゾロリの最新刊でした。
言い方がわかりづらく、すみません。
そうですよね。
推薦図書自体が、新刊本が多いですよね。
どうしても、そちらを読みますよね。
古典は、芥川とか、川端、下村湖人、夏目漱石など、私たちが、中・高校生時代に読んだものです。
感想文は、書きづらいですかね。
次郎物語だとかならまぁ、家族関係とか学校生活で多少辛いシーンは登場しますが、書けないことはないでしょう。
海と毒薬とかひかりごけ辺りになってくると、テーマが重いので、読むにしてもたじろぐことはあるだろうし、書くのも難しくなってくるでしょうね。場合によっては、解説を参考にしたり解説を都合よく写したりする子もいるかもしれません。
太宰とか三島由紀夫、時代が下って80年代ごろの村上龍・村上春樹とかだと、早熟な子じゃないとなかなか・・
中学校ではいろいろなジャンルの本をたくさん読もうと、ことあるごとにアドバイスしてくれているようです。我が子の通う公立中学では、司書の先生が入学当初から手厚い指導をして下さっており、本が苦手な子も卒業時にはかなりの本を読むようになっているとか。
子どもの傾向を見ていますと、読書感想文に応募する際はやはり課題図書を読んでということになるようで。
一人一人に読後ノートなるものが渡されていて、一冊読むたびに先生に提出する仕組みになっています。それをご覧になった先生が「これは」と思うものを図書ニュースなどで紹介。それを見ると、子どもたちは結構いろんな本を読んでいますよ。古典が少ないとかジュニア小説ばかりというわけでもないように思います。
我が子の本棚(自分で買いためている文庫本)にも、いつのまにかそういう本が増えました。夫が、物置に自分の学生のときに読んだのがあるのにと、真新しい文庫版を見て笑っています。
うちの娘も本をよく読むほうだと思いますが、本棚に並んでいるのはいまどきの小説が多いです。
わたしたちの中学生のころと違って、中学生をターゲットにしたジュニア小説がたくさん出版されていますし、
それがやはり読みやすいのでしょうね。
易きに流れている感じは否めませんが。
芥川とか、川端、夏目漱石、彼女たちから見ると、古典も古典、源氏物語と同じぐらいのイメージを持っているかもしれません。
本をよく読む子でも、現在ご活躍中の作家さん中心に読んでいると思います。
それにしても、課題図書ってどうして新刊本ばかりなのでしょうね。
本を売らなくてはいけないからでしょうか。
中学生が読んでおくべき本、のほうが良いと思うのですけれど。
ありがとうございます。
うちの校区は、公立が主で、図書館の司書さんをおけるほどお金がなく、読書にも力が入っていません。
読書感想文を出すお子さんも、年々、激減しています。
子どもたちの、本離れは、確実に進んでいるなぁ、というのが実感です。
新刊も、いいと思うのです。
いい本がありますし。
でも、古今東西の優れた図書の中から、子どもたちに読んでほしい本を、読む経験をすることも、大事かなと思います。
スレ主さんの思い、理解できます。
私は、子どもの頃は「本の虫」といわれ、
今では活字中毒といわれます。
でも、中学生頃まで、「名作」はあんまり読みませんでした。
(今でもちょっと変わった本ばかりを読みますが…)
いわゆる名作や古典を読みまくったのは、中高生の頃ですね。
小学生の頃では、「分からなかった」んです。
言葉の理解もうまくできないし、(名作系は難しかったりする)
時代背景が読み切れない…で、
その「良さ」が分からなかったんです。
自分自身が成長して、言葉の世界が広がり、
歴史やその他の知識が増えるにつれ、
名作の「世界」を想像することが出来るようになった、のかもしれません。
うちの娘も本は好きですが、小学生の頃は
流行の本…ハリポタとかファンタジー系の…ばかりを読んでいました。
今って、昔に比べて圧倒的に「新しい本」が多いんですよね。
それを追って読んでいたら、古い作品を読む暇がないんですよ。
中学生になって、流行の携帯小説やライトノベルズなんかも読みましたが、(ああいうのは読むのに時間がかからない…)
逆に「こころ」とか「人間失格」「伊豆の踊子」などの
名作100選みたいな作品も読むようになりました。
そして、「文章の力強さ」を感じ取っているようです。
「やっぱり深いわ~」と言いますから。
ただ、作品中の人物というか、時代のニオイみたいなものには
「ついていけないこともある」と言います。
「本を読む」ということから離れないでいれば、
自分が成長するにつれて「読むべき本」を選択するようになるということもあると思います。
大人になって、子どもの頃読んでも分からなかった作品の「素顔」に出会って、自分の成長を実感するってことも、
また読書の楽しみの1つだと、人生50年を越えた今、思えるようになりました。
若い人たちの「古典・名作への回帰」を期待して、
そういう書籍が無くなってしまわないよう、
ずっと読者でいようではありませんか。
もう30年も前の記憶ですが、夏目漱石はつまらなかったです。
古典・名作だからと言って、いいものだとは限らないのだな、と思いました。
個人的には、夏目漱石の文学は、古典・名作ではなく、歴史的な成果物だと思います。
明治という特殊な時代にあの文学が生まれたこと自体に、歴史学的な意味があるとは考えています。しかし、文学的な意味は、それほど見出すことはできませんでした。
文学的な意味では、江戸記の近松などの方がずっとすぐれていると思うんですが。
まあ、そうした思いは個人的なものなので、置いておくにしても、新しい作品にも名作はあります。決して古いからよい、ということはないのだと思いますよ。
御本自体を読まなくなった為、本の面白さを分からせる為に
内容の薄い簡単な分かりやすい物を導入に使います。
それで本の面白さが分かったら少し深いものに移っていくように指導する様ですが
実はそこから先が中々進まずに難しく、その時点で止まってしまい、本離れはますます広がっているようです。
はたして分かり易いけれど内容の薄いものばかりにならされた子供たちが将来もっと深いものを読むでしょうか。
文体が少し硬くなるともう子供たちがついてこれなくなります。文章を読む力が衰えています。
本来なら文章を読む力をもっと小さい時につけておくべきところを
内容の面白さばかりを求めてしまいそれを疎かにしてしまったからだと思います。
どなたかもおっしゃるように文章の力や内容の深い本当の中身のある本は素敵です。
いいものは理屈ではなく読み手側が理解する能力さえあれば本来感じるものです。
しかし日本はこの事だけでなくすべてが一事が万事衰えてきています。
衰えととらえずに変化ととらえるべきかもしれません。
我が家の子供のクラスも古典を読んでいるお子様は皆無です。
お箸をきちんと持てないのがお子さんだけでなくその親御さん方にも増えている事をみると、残念ですが時代の流れかもしれません。
|
|