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【1760632】PTAスリム化又は廃止を具体的に考える

投稿者: pi2pi2   (ID:wKF9LXZrXVs) 投稿日時:2010年 06月 10日 12:41

PTAスリム化又は廃止する為の具体的な方法を提案します。
「現在入会している人は退会する」又は「子供が入学した時に非入会を選ぶ」です。

みなさんPTAに色々と不満があるようですが、なんだかんだ言っても
PTAに入会し活動している=PTAに賛同している。という事になります。
嫌だ嫌だと言っている人もPTAを支えて現状維持させているのです。

主旨に賛同出来ない、活動内容に不満、活動が不可能だったりする人達は
団体の内部からそれを変える事が出来ないのなら、
「団体の一員にならない」のが当然出てくる選択肢だと思います。
そこで「現在入会している人は退会する」又は「子供が入学した時に非入会を選ぶ」です。

PTAは入退会自由のボランティア団体です。
活動は義務だと思い込むのをやめましょう。また、思い込まされるのを拒否しましょう。

好きでやっている人が「私の義務だ」と考えて活動するのは個人の自由なので良いと思いますが、
無理してそれに合わせる必要はありません。

「PTAをやめるなんて!」と恐怖を感じる人は、他の例に置き換えてちょっと考えてみて下さい。

例えば、~ある宗教団体の教義に惹かれて入信したが、
活動してみるとやっぱり自分には合わないと感じたので
その宗教をやめ団体からぬける~
これは、信仰の自由が保障されている日本では当たり前に認められる事です。
この例、普通の事だと思いませんか?
PTAはなんとなく雰囲気が宗教団体に近いのでこの例えにしてみました。

非加入者が増え会員が減れば、不必要な活動は淘汰されるでしょう。
まずはスリム化が実現出来ます。
廃止はその後に検討されるでしょう。

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  1. 【1771134】 投稿者: 直前会長  (ID:GYI.OUq6BrA) 投稿日時:2010年 06月 18日 18:00

    まぼろしのPTA会長さま

    ご丁寧にお答え頂きありがとうございました。
    わたしも会長を引き受ける時は、これでも理想を持って臨みましたが、
    びっくりするような抵抗勢力や圧力があって、初めはなかなか上手くいきませんでした。
    3年間会長をやって、PTAは日本の縮図の様な気がしてなりません。

  2. 【1771595】 投稿者: 剣 桃太郎  (ID:bIyjHRRm69o) 投稿日時:2010年 06月 18日 23:20

    少しの間に、どんどん話が進んでいますね。

    現行のPTAとは別の組織を作るという話ですが、組織を作らないまでも、脱退もしくは非加入の人が団結することは非常に重要です。
    と言うのは単独でいると、色々な手で(校長・教頭、地域の有力者などを使って)再加入の依頼、非加入であることを隠してほしい旨の依頼、心無い誹謗中傷などさまざまないやなことが起こります。
    単独で、大勢の人と話をするだけでも相当な労力で、こちらが団結していることである程度は対等な関係でいられます。
    あまり組織を作るということに、こだわらないほうが良いかもしれません、きちんとした組織にしようとすると、現行のPTA同様やりたくないことを押し付けあうことにもなりかねないですから。

  3. 【1772156】 投稿者: まぼろしのPTA会長  (ID:dxsHkH5TpRk) 投稿日時:2010年 06月 19日 14:33

    改善するなら様。
    ちょっと前の投稿にあくまで子供達が主役です。 とありましたが、PTAにおける主役は保護者や先生なのだと思います。
    子供達のために保護者として先生としてどうあるべきか、それを勉強し、実践して行くためにその機会を提供する場がPTAであると考えてます。
    その効果は学校内外を問わず、もちろん家庭でも、他の社会でも、今だけでなく将来においても必ず子供達に良い影響を与えるはずです。

    なにも学校で学校や生徒のお世話をすること自体が第一義ではないですね。
    先生や保護者が勉強し、その結果具体的活動としてお世話をすることはあるにすぎません。
    お世話をするための組織を維持するために本人の意志に反して入会を迫るなど本末転倒だと思います。
    PTAの意義は人それぞれで構いませんがその意義は個人の範囲の中だけにして頂きたいわけです。
    学校や子供のお世話のためにやっている方の発想はそれが個人の領域を越えないうちは構わないのですが、やがて他人の領域まで勝手に踏み込み始末の悪いことにそのこと自体に気付いていないか、知ってても良しとしています。 人の考えはそれぞれですが、組織として多数の保護者が集まる以上、゙侵攻゙は許されません。




  4. 【1772385】 投稿者: 改善するなら・・  (ID:kBaelfg7YYE) 投稿日時:2010年 06月 19日 18:29

    まるお様;
    以下引用
    「「できない」と「やりたくない」は違う、と。
    やはり、あなたには、「PTA活動はみんながすべきもの」という大前提に立っているようですね。

    私は、そういう認識がPTA問題の「諸悪の根源」だと思っています。

    あなたのロジックでは、PTA活動をしない人は、「やるべきことをできない人」となりますよね。 」
     
    と直近のあなた様の投稿ですが、
    私の考えは全く違います。
    私のロジックでは
    PTA活動をしない人は「できない」か「やりたくない」かだと言っているだけです。
    PTA活動が「やるべきこと」であるかの価値判断はどこにもありません。
    PTA活動がその人にとってやるべきことになるのは、自分で「できる」と引き受けた場合ですが、
    いくら強要されようと、断ることはできるのです。
    本当に「できない」なら「ことわる」権利をもっと認めることの方が重要だと思いますよ。
    それが非現実的だと思っているから、「非加入」の勇気を持ちなさいという事になるのでしょう。

     
    「できない」というのはたとえば、「やりたくても、あるいはやった方がいいと思っていても事情により無理」ということです。
    「やりたくない」というのは、事情のいかんにかかわらず自分の意志の問題です。

    非加入の原則がある組織でしたら、どちらの理由であっても「非加入」を申し出られることは同じことです。
    また、他人が他人の非加入の理由をどちらか判断することはできません。
    同じ状況でもある人にとっては「できる」けれどある人にとっては本当に「できない」という事はあるのです。
    そこの部分はお分かりでしょうか。

    私は本人が(勇気をもって)「できる」ということも「できない」ということも同じように尊重されるべきだと思い、
    それを皆に徹底できれば
    基本的に活動の役割決めは嫌な思いをしないで済むと信じています。
    そのやり方で当時ずっと上手くやってこれたと自負もしています。
    まるおさんはきっと嫌な思いをしたり、そういう話を腐るほど聞いてこられたりして、
    そういう状況が現実にあることが信じられないのでしょう。
    人間不信を解消せず、たかがPTAと思うように心がけないことには
    加入しようが、非加入で結束しようが同じことです。

     
    たとえば同窓会など順番で幹事が回ってくるものに、
    当分の間、幹事を引き受けられない状況だから心苦しいから脱退するというひとがいたら、幹事なんて、できるときでいいんだから
    同窓会費をはらっているだけでも権利があるんだから参加してよ、と私は思います。
    わたし自身もできないときには参加だけして、「幹事さん、ありがとう」と思って会費だけ払うでしょう。
    誰もできないようなときは同窓会自体がお休みになるでしょう。
     
    PTA活動もそれぐらいのものだと思えばいいと思っています。
    人数が多いと組織は複雑になり、色々な考えの人がいるのは当然。
    でも原則はシンプルなものだと思います。
    それを整理して伝える人は必要かもしれません。
    そのいみで「非加入自由」原則の徹底化はいいとおもいますよ。

     
    同窓会に全く来ない人もいますよね。
    それは別に悪いことでもないし、非難もされない。
    毎回参加していて、一回も幹事を引き受けない人を非難する人は多分出るでしょう。
    そのときに信頼関係があり、周りの何人かにでも分かってくれる人に理解されれば
    問題はないでしょう。
    どちらを煩わしいと思うかは本人と状況次第だと思います。
    PTA参加の問題も「他人との関係の煩わしさ」をどうかんがえるかの問題だと思います。

  5. 【1772466】 投稿者: まるお  (ID:VxdRNPrAkXo) 投稿日時:2010年 06月 19日 20:05

    改善するなら…さん
    >そのやり方で当時ずっと上手くやってこれたと自負もしています。

    あなたの過去レスを読むと、「一人一役」的な運営をされているように読めますが、違います?

    **
    10年 05月 04日 18:33【1715357】 投稿者: 元改革派副会長(ID:6U35t2YjmwM)

    そして役員をふくめ、委員のすべては立候補制です。
    事前に選択肢があたえられ、不可能な人は表明できますし、したいわけではなくても、誰もする人がいなければしてもいい、という選択肢もあります。
    一回役員をすれば6年間はしなくてもいい権利を得ます。
    自分が出来るとおもえばまた立候補すればできます。
    そうなると「やります」と言った人はそれだけで感謝されます。
    内容をどうのこうのと非難する資格は誰にもないし、お互い様ですから。
    **

    質問1
    「一回役員をすれば6年間はしなくてもいい権利を得ます。」
    これは、どういう意味ですか?
    これは、いわゆる「一人一役制」ですね。
    「一回も役員をやらない権利は『ない』」のですよね?

    質問2
    「不可能な人は表明できます」とありますが、そのとき、具体的な説明は一切求められませんか?
    ↑の文言を素直に読めば、一回もやらない人は、事情を聴取されるのだと思われますが。

    質問3
    クラスや学年や地域等に対する、「この枠から何人選出してください」といった割り当てはなかったのでしょうか?

    ちなみに、役職の強要が一切ないPTAなら、退会する必要はないと私も思いますよ。

  6. 【1772507】 投稿者: まるお  (ID:VxdRNPrAkXo) 投稿日時:2010年 06月 19日 20:50

    連投、失礼します。
    改善するなら…さん
    **
    PTA活動をしない人は「できない」か「やりたくない」かだと言っているだけです。
    PTA活動が「やるべきこと」であるかの価値判断はどこにもありません。
    **

    とのことですが、じゃあ、つい先日の↓の発言はなんなのですか??

    **
    【1770422】 投稿者: 改善するなら・・(ID:cH3qT/7008k)
    まぼろしのPTA会長様;

    私は「やりたくない人がやらなくて済むようなPTA」とは書いていません。
    「できない人ができないといえるPTA」と書いています。
    (中略)
    「できない」のと「やりたくない」のとは全く次元が違います。
    また、「やらないで済む」という状況と「できないといえる」という状況も大いに違う事がお分かりいただけるでしょうか。
    **

    あなたが、「できない」ことと「やりたくない」ことを区別し、
    【「できない」は認め、「やりたくない」は認めていない】
    というスタンスであることは明らかだと思いますが。

    わたしは、これらの発言から、あなたは、「できない理由の説明をきっと求めているのでは」と推測し、(その推測が当たっていればですが)それはおかしい!と言いたいのです。

    議論に参加されるのならば、
    ご自身の直近の発言には責任を持ってください。

  7. 【1772519】 投稿者: 改善するなら・・  (ID:kBaelfg7YYE) 投稿日時:2010年 06月 19日 21:03

    まるお様;
    ご質問にお答えいたします。
     
    質問1
    「一回役員をすれば6年間はしなくてもいい権利を得ます。」
    これは、どういう意味ですか?
    これは、いわゆる「一人一役制」ですね。
    「一回も役員をやらない権利は『ない』」のですよね?
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    「しなくてもいい権利を得る」というのは、「できるときにする」そしてそれが、その後「役を強要されるプレッシャーをうけないようになる」という多少のご褒美になるということです。
    こういう特典があれば、できる人が手を挙げるモチベーションが高まります。
    ただ、これは「しなくてもいい」だけであり、できる人がいなければ自発的に「します」という事は当然できます。
    人からとやかく言われないようになるだけです。
    役員とは本部役員のことで、そう何人も必要なわけではありません。
    一人一役もいりません…。
    そして本部役員以外の「委員」はそれほど大きな問題にならず決まりますので特典の必要はありませんでした。
    実際何年も委員を引き受ける人もいましたし、
    それはそれでありがたいことだと思っていました。
     

    質問2
    「不可能な人は表明できます」とありますが、そのとき、具体的な説明は一切求められませんか?
    ↑の文言を素直に読めば、一回もやらない人は、事情を聴取されるのだと思われますが。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    用紙を提出する方式なので、
    そこに書きたい人は書き、書きたくない人は書かないでいいのです。
    また、それを読む人は取りまとめ役の前年のクラス委員とかなのでその人にだけ理由を言って理解してもらう人もいました。
    言いたくない理由がある人は結構いるものですし、
    いわなくてもみんな察しているという事情の方もありました。


    質問3
    クラスや学年や地域等に対する、「この枠から何人選出してください」といった割り当てはなかったのでしょうか?
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    クラスごとの選出委員はいくつかありました。
    広報委員1名、学級代表委員1名、とか2名、などなど・・・・
    運動会委員とか、講演会委員とか、細かい役があった時もありました。
    役が重そうなものから軽いものまである方が、出来るものを何かしら選べていいという場合もあれば、
    役の数を少なくして、必要な人数を少なくしよう、という場合もありましたので。
    (主に2校でかかわっています)
    その年度のその時のメンバーで決めていったのです。 

     
    また、地域の「世話人」というのは別にありました。
    それは夏休みのラジオ体操や地域奉仕活動をどうするかなど、子供たちと一緒に考える世話人です。
    校外委員とは別です。
    学年順にみんなが持ち回りでやるような決め方でした。
     
    この活動に関しては、うちのところではラジオ体操の義務の回数をどんどん減らし、
    自主的にいきたいこは行き、行き帰りの安全は各家庭で、という事に最終的になりました。
    それまでは当番を母親で決め、朝早く引率したりしていたのです。
    自主的であっても、毎日行く子供たちはそのまま行き続けていました。義務や強制ではなく自分の達成感のために行くようになったのです。
    ラジオ体操への親のエネルギーを、いざという時のための連絡網を見直し、地域の子供たちや保護者同士の顔を覚える試みの方に費やしました。これも一つのささやかな改善でしたね。
     
    自分がその役に着いたとき、
    できること、したいこと、苦にならないことに変えていけばいいのだと思っています。
    ちなみに朝早くのラジオ体操の引率はやりたくなかったので
    変えていったという経緯があります。
    提案すると、意外に皆もその方がいいと思っていた、変えられないと思っていた、というようなことはよくあるのです。
    自分の苦になることが、苦ではなくむしろ得意な人がいれば、その人にそれをやってもらえばいいと思います。
    誰も得意な人がいず、誰もが「苦」だというようなことは廃止すべきことなのだと思います。
    適材適所。
    結構うまくいくものです。

  8. 【1772550】 投稿者: 改善するなら2・・  (ID:kBaelfg7YYE) 投稿日時:2010年 06月 19日 21:29

    まるお様;
    私も連投のお答えを連投いたします・
     
    まるおさまは、私の書き込みに対し、(以下引用) 
    「あなたが、「できない」ことと「やりたくない」ことを区別し、
    【「できない」は認め、「やりたくない」は認めていない】
    というスタンスであることは明らかだと思いますが。

    わたしは、これらの発言から、あなたは、「できない理由の説明をきっと求めているのでは」と推測し、(その推測が当たっていればですが)それはおかしい!と言いたいのです。」
     

    と書かれているのですが、
    「非加入」の理由に「できない」と「やりたくない」の両方があるだろうと私は思っているのです。
     
    さて、「加入」している場合、
    「できない」人も「やりたくない」人も問題を抱えますね。
    ただ、「できない」ひとはできるときにやればいいと励ませますが、
    「やりたくない」ひとを励ます言葉を私は持ちません。
    「やりたくない」ひとを「やったら面白いよ」などと励ますことは「強要」ととる人もいるでしょうし、面白いかどうか実際本人じゃなければわかりません。
     
    しかし「できない」ひとに「みんなやってるんだよ!」ということのほうが比べ物にならない重要問題だとは思っています。
    確かにその意味で「PTA活動をしない」と決める行為である「非加入」をする人について、
    「できない」人の方により同情する価値観を私は持っていますね。
    それが何か問題があるでしょうか。
    「やりたくない」というひとに同情する必要はないと思います。

    仮にやりたくない理由がPTA活動のあり方にある、という事だとしても、
    「やりたくない」から「抜ける」というひとには「良く決断しましたね」というぐらいしかできません・
    誤解してほしくないのは、同情できないというのは決して非難ではありません。
    「分かりました」という了解しかできないという事です。

    ただ、実際のはなし、「やりたくない」というものを理由にする人はいないのでは?
    「精神的にできない」という理由も私はそのまま受け止めるべきだと思っています。
    堂々と「やりたくないから非加入」というよりも「自分にはできない」という理由になるのではありませんか。
    それでいいのです。
    できないと本人が言うのならそれを信じましょうという事です。
    「できない」と「やりたくない」はその人自身のなかの問題なのです。
    自分がどうするか決めるときにどう考えるかの問題です。

    わたし自身も子供の学校のPTAが理不尽さ極まりないもので一人の力ではどうしようもないものであったら、
    加入しないと思います。
    でもその場合、「ここでは参加したくない」というのが自分自身の理由であり、「ここで参加したら絶対にストレスから病気になるからできない」というのも理由になるでしょう。
    その時、
    「あなたはできないのではなく、やりたくないだけだ」などと言う人がいたらそれは「あなたに何が分かる」
    というでしょう。
    ですから人にもそんなことは言いませんよ。

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