最終更新:

5
Comment

【2059215】木村尚三郎先生の名文

投稿者: 和魂和才のすすめ   (ID:LTfKG5XkNns) 投稿日時:2011年 03月 16日 04:38

自由への意志

日本は、自らを自由の国、自由主義経済の国、自由主義陣営に属する国と信じ、また内外にその旨をさまざまな形で宣言している。
たしかに思想・信教の自由や政治、経済活動の自由は、十分すぎるくらい保障されており、何を言っても書いても、またどう行動しても、公序良俗に反しない限り、言動を拘束されることはない。
しかしながら、自由の概念を生んだヨーロッパ諸国では、必ずしも日本を「自由の国」とは受け取っていない。そしてそれはそれで、たんに誤解や強弁によるとばかりは、いえないところがあるように思う。
 あるとき、若いフランス人法律家の卵が、ポツリと言った。
「日本はリベラリスム(自由主義)の国ではなく、コレクティヴィスム(集団主義)の国ではないか。もし自由な人々の集まりなら、どうしてヴェルサイユ宮殿に団体で押しかけたりするのか。貴方は別としても、彼らの一糸乱れぬ統制のとれた歩き方、行動の仕方は、中国人のそれとどこが違うのか。その姿に直面すると、私たちはやはりアンヴァイッスール(インヴェイダー=侵入者)に対する恐怖感を禁じえない」。
 このたびの「日欧貿易戦争」でも、日本側はわれわれ自由主義の旗手であり、その下で経済合理主義を貫いているとし、ヨーロッパ側の攻撃はこの自由主義経済の原則を踏みにじる、保護貿易主義的なものと受けとっている。
 しかし、当のヨーロッパ側は、日本の経済活動のあり方を必ずしもそうは見ていない。
 「日本の政府・経営者・組合のあいだに働いている愛国心、凝集力、あるいはコリュジオン(共謀・結託)は、まことにみごとであり、これによって数日のうちに日本の売り込みを緩和したり、その矛先を他国に向けたりすることが可能である。日本の産業ならびに商業機構は、実際にあたかも一国全体が一つの巨大な企業でしかないかのごとくに機能する。そしてそれはいま、ヨーロッパの保護貿易主義的な反作用をおそれて、EC諸国からの輸入拡大の方法を発見すべく、現実に作動しつつある」(フランス、「レクスプレス」)。
 「われわれヨーロッパ人にとって問題なのは、日本の産業・財政・金融から政治までが、形の上では開かれた、民主的なヨーロッパ先進国と同じシステムになっていながら、現実には非公式な命令一つによって動く、という特殊な性格そのものなのだ。これは、われわれとは違った計画経済下の(共産圏)諸国家と同じであり、こういう国と、ほんとうに自由な企業同士の競争は不可能である。日本の輸出入貿易のやり方は、自由世界の自由貿易諸国の仲間にとって、根本的に受け入れられぬ、特殊なものである」(イギリス、「ザ・タイムズ」)。
 

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【2059227】 投稿者: 和魂和才のすすめ  (ID:LTfKG5XkNns) 投稿日時:2011年 03月 16日 05:47

     ヨーロッパ人の物の言い様は、ときにきわめて一方的で、偏見と攻撃性に満ちているが、自由の観念、受け取り方については、彼我のあいだに誤解以上の何かがあることだけは確かのように思われる。
     欧米語には、「自由」を表現する言葉に二通りある。一つはラテン語のリベルタスからくるフランス語のリベルテであり、もう一つはドイツ語のフライハイトである。そして英語には、ゲルマン語系のフリーダムとラテン語系のリバティの、二つの言葉が共存している。
     

  2. 【2060384】 投稿者: 和魂和才のすすめ  (ID:MpHGxJ.dhdA) 投稿日時:2011年 03月 16日 23:07

    ところでフライハイト、フリーダムの fre が、「仲良し、友だち」の意で、家長と仲良くなり、その家子となることによって、存在と行動の自由を実現するという、「への自由」を表すのに対して、リベルタスないしリベルテは、「からの自由」を意味した。もともとは、奴隷主ないし奴隷身分からの解放のことである。
    奴隷が世界史上典型的に見られたのは、古代のギリシャ・ローマと南北戦争前のアメリカであり、私たち日本人には、実感としてピンとこないものがある。
    しかし奴隷は、古典古代のばあい、必ずしも過酷に扱われ、手かせ、足かせをはめられて、肉体的な苦痛のなかに、生死の境をさまよいつつ生きねばならなかったわけではなかった。
     すなわち鉱山奴隷のような場合は別として、彼らのなかには、家庭教師や医者として優雅な暮らしをした奴隷もあれば、菜園つきの家を与えられ、妻帯・育児のみならず蓄財能力をも認められた、家つき奴隷(セルヴス・カサトゥス)も存在した。
    奴隷は、物として乱暴に扱われたというより、物であり、市場で購入した家具であるからこそ、大切に扱われたというべきである。それは、私たち日本人が、高い代金を払って入手したマイカーを大切にするのと同じであり、奴隷と人間との違いはただ一点、奴隷自身の「意志」を認めないということだけであった。まさにマイカー同様、奴隷には自らの意志がなく、主人の「意志」に従って動かさるべき存在であった。
     一人一人がそれぞれ自らの「意志」を持ち、自ら危険を負担しながら、ときに浮世のしがらみ、親子の情愛、生まれ故郷の縁をも断ち、常識と常住の世界から離れることこそ、ヨーロッパ近代の自由であった。古代の奴隷状態よりも近代の自由のほうが、現実にはいかに過酷であったかは、1620年故国を離れ、メイフラワー号に乗って北アメリカに渡り、自由を実現した百二人のピルグリム・ファーザーズが、飢えと寒さから翌春には四十四人しか生き残らなかった史実に象徴的である。
     一人一人が意志を持ち、ときに浮世のしがらみを断ってまで自己に生きるというのが欧米流の自由であるとすれば、日本にはその自由はない。自由放縦、勝手気ままに束縛を離れて生きたいというのが、日本人の自由であるが、現実には一つの世論、一つの価値観がつねに支配的であり、これを離れて生きることは、事実上、多大の困難と障壁にぶつからざるをえない。
     世界のなかで日本は日本なりに自らの責任において「意志」を持ち、また日本のなかで企業それぞれ、人それぞれがそうであるとき、そしてさらに、諸外国それぞれの「意志」をも認めうるとき、日本ははじめて真の自由となり、世界のなかに生きる道を見いだすことができるというべきであろう。

  3. 【2842151】 投稿者: リベラリズム  (ID:Q5VaI07vk06) 投稿日時:2013年 02月 01日 14:21

    木村尚三郎先生のリベラリズム(自由主義的な物の考え方)も素晴らしいが、木村尚三郎先生の、比較的、長い文章をインターネットのサイトに書き込んだスレ主さんも、凄い!ですね。

  4. 【2842179】 投稿者: イラショナリスト  (ID:HvVry.3Z6rc) 投稿日時:2013年 02月 01日 14:38

    読ませていただきました。スレ主さんありがとう。

    それとこのスレを上げてくれたリベラリズムさんありがとう。

    本論からすれば瑣末なことですし、「ヴェルサイユ宮殿に団体で押しかけたり」するツアーがいまでも
    健在かどうかは知りませんが、
    そのあたりに昨今の円高への諸外国からの批判がそのまま書かれているではありませんか。驚きました。

    進歩がないのですなあ。

  5. 【3545156】 投稿者: 木村尚三郎先生のファン  (ID:OJnwSJtTfjc) 投稿日時:2014年 10月 09日 11:25

    私も、本当に、スレ主さんが木村先生の、比較的長い長文をインターネットに書き込まれた根性はすばらしい!

    と思います。

    それと、木村尚三郎先生の仰っているコトと同じ内容を最近、ノーベル賞を受賞された中村先生も

    仰っております。

    私も、木村尚三郎先生や中村先生が仰っている通り、私たちの国・ニッポンには、欧米諸国ほどの“自由”は

    無く、よって、わが国の物理・化学者の研究環境は欧米諸国に較べて、劣悪であると言わざるを得ないと

    私は思います。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す