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【4294431】【べっぴんさん】につっこみ、ドラマの展開に好感の持てない方

投稿者: 坂西さん   (ID:47hAzoqfvx6) 投稿日時:2016年 10月 21日 14:28

べっぴんさんを見ていて あまりのご都合主義にもやっとしたとか
本スレでは、好感を持って見てらっしゃる方に失礼かしらと
書き込みを控えてらっしゃる方、自由に語りませんか?
くれぐれも荒らしさんはこないでくださいね。

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  1. 【4512598】 投稿者: ↑ 批判好き?  (ID:1EnLnppWJWQ) 投稿日時:2017年 03月 26日 21:24

    まだ ヒロイン以外のキャストも発表されていない段階ですし、
    もちろん制作スタッフ、脚本家も変わるのですから
    始まる半年も前から そんなに否定的にならなくても良いのでは?

  2. 【4513225】 投稿者: 時代考証  (ID:V2407lwQOlw) 投稿日時:2017年 03月 27日 12:11

    今日観て再びがっかり。
    時代考証が滅茶苦茶、昭和59年なのにあのファッション、髪型。
    まださくらは60代ですよね。神戸のマダムたち昭和59年にあの
    ファッションはないです。
    レナウンではノーマ カマリが売れまくっている年代位ではないですか?
    昭和59年を舐めている!酷すぎます。

  3. 【4513370】 投稿者: ファミかばん  (ID:wN9z17ZKraw) 投稿日時:2017年 03月 27日 14:40

    それにいつまでタイル張りのシンクを使っているのでしょう…。
    昭和59年だったらシステムキッチンが出回り始めていました。
    冷蔵庫は先週までと違い、赤い2ドア冷蔵庫が置かれていましたが、既に3ドア冷蔵庫が主流の時代でした。
    炊飯器も昭和40年代の物?のようなレトロな機種が置かれていましたが、これも既に今と同じ様に炊飯ジャーが使われていました。
    田舎ではなく神戸の山手の上流家庭で、これはないわ…。
    脚本・演出だけでなく、全てがいい加減で残念な作品でした。

  4. 【4513452】 投稿者: ゆり  (ID:i/gyTWr5zes) 投稿日時:2017年 03月 27日 16:23

    「笑ろてんか」のヒロイン決まってたんですね。

    個人的には「あさが来た」「カルテット」の吉岡里帆さんがなればいいのになあと思ってたんですけど。

    ヨコですみません。

  5. 【4513631】 投稿者: アイドル時代  (ID:s48SrtqBpxI) 投稿日時:2017年 03月 27日 20:14

    藍は受験だ塾だ!ファミリアの令嬢なら私立小学校でしょ!
    あの服は靴は靴下はない
    公立小学校であの服ならイジメに会うでしょ
    すみれが昔同じことした場所はあの時代に開発されないのか?
    二世帯住宅もある時代だし朝からぜんざいは藍の年齢で?か?

  6. 【4513779】 投稿者: おうち  (ID:oZ/UqEf4jWM) 投稿日時:2017年 03月 27日 22:34

    先週で最終回でよかった。
    20歳の子に60代を、16の子に40代を1週間もやらせるなんてなんだかひどい。
    演技力云々の話ではなく。
    本当の最終回の一日だけ特殊メイクなりしてやればいいのに、脚本家は俳優さんのことを何にも考えてないんですね。

  7. 【4513814】 投稿者: 受け継がれる  (ID:R2JSTVsUCtg) 投稿日時:2017年 03月 27日 23:09

    一人っ子政策(笑)

  8. 【4513965】 投稿者: ファミかばん  (ID:.znG/SJYgQs) 投稿日時:2017年 03月 28日 02:41

    史実では…

    坂野惇子さんのお孫さんの岡崎ミサさん(ドラマでは藍)は、お母様の光子さんと同じ小林聖心に小学校から通われていました。


    昭和52(1977)年、満70歳を迎えた田村光子さんが専務職を離れて名誉顧問になり、ファミリアの一時代が、終わりを告げました。
    光子の息子・田村友彦さんが取締役に選任され、光子さんの代わりに生産部門の責任をもつことになりました。
    また、岡崎晴彦さんも常務取締役に就任しました。
    この年、3月期のファミリアの売上は103億円に達しました。


    昭和53(1978)年4月7日、小学3年生になられた紀宮さまが銀座ファミリアに侍従と女官長のお供でおでましになり、社会の実地教育のため、買い物のお稽古をされました。
    開店30分前の午前10時半に来店され、小遣いの中から予算どおりの買い物を楽しまれました。


    昭和55(1980)年、ファミリア30周年。
    30周年記念事業として惇子さんを総合ディレクターに以下の多様な企画が実現しました。

    ・映画 『世界のこどもたちと供に』
    昭和53(1978)年から海外ロケを敢行
    取引のある各国の企業が制作に協力
    スヌーピーの作者チャールズ・シュルツも
    その1人

    ・情景でつづる"フランス子供服装展"
    フランス大使館協力 東京・大阪で開催
    来場者4万人

    ・思い出のコレクション
    創立当初から昭和40年までのファミリア 製品を一堂に集めた催し
    古い顧客や社員の知人などに呼びかけて 出品を求め、550点もの商品が集まった
    ファミ・ファンであった佐田啓二が、息 子・中井貴一に与えたべビー服もあった
    有楽町阪急で開催された


    昭和56(1981)年、「神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)」が開催され、ファミリアも博覧会の企画に協力しました。
    ポートピア博の国際広場で、「ファミリア・インターナショナル・チルドレンズ・フェスティバル(FICF)」を開催して人気を博しました。
    さらに博覧会期間中、坂野通夫さんがベルギー国王からレオポルド勲章オフィシェ章を受章しました。
    デュジャルダン社の商品を日本に輸入して以来、ベルギーの経済や貿易に貢献したことが受章の理由です。
    同じ年、惇子さんが、社団法人ザ・ファッショングループの会長に就任。その後理事を務めました。


    昭和59(1984)年、経済誌『経済界』が贈呈する「経済界大賞」で、優れた女性経営者に贈られる「経済界大賞フラワー賞」に坂野惇子さんが選ばれました。
    受賞理由は、「働く女性の地位向上に多大な貢献をした」というものでした。
    惇子さんが受賞した翌年の昭和60(1985年)に、ようやく男女雇用機会均等法が成立しましたが、そのような時期の受賞でした。
    同時受賞者は、大賞にトヨタ自動車会長・豊田英二。特別賞が日本信販会長・山田光成、三井不動産社長・坪井東、さらに寿賞にキッコーマン相談役・茂木啓三郎、立石電機会長・立石一真と、大企業の著名経営者が並び、その中の紅一点が惇子さんでした。


    このように坂野さん夫妻は、多忙な日々を送り、ドラマのようなのんびりとした隠居生活は送っていなかったのです。

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