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【4265548】恵泉と跡見

投稿者: ひつじ   (ID:drzTzdKBdH.) 投稿日時:2016年 09月 29日 09:06

偏差値Y40~45の娘です。
自宅は山手線東京北東側にあります。
上のどちらを選ぶか悩んでいます。
塾からは恵泉は十分狙えると言われました。
恵泉まで60分、跡見まで30分です。
本人はどちらも自由な雰囲気が気に入っているようです。
皆さんだったら、どちらを選びますか?
中学受験初めてなので、参考までに教えてください。
よろしくお願いします!

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  1. 【4267733】 投稿者: ついでに実践女子学園  (ID:8oqBstnIUxw) 投稿日時:2016年 10月 01日 05:57

    学祖が歩んだ道をみれば、実践が堅いというのも良くわかる。


    1872(明治5)年、鉐は八田知紀その他多くの人々からの推挙を受け、宮中に出仕して明治天皇の皇后(昭憲皇太后)にお仕えします。出仕の栄えの日に詠んだのが、次の歌です。

    敷島の 道をそれとも わかぬ身に
    かしこく渡る 雲のかけはし

    また、皇后の歌会で「春月」という題を頂いた折りには

    手枕は 花のふぶきに 埋もれて
    うたたねさむし 春の夜の月

    と詠い、そのすぐれた歌才を皇后に愛でられます。これにより、皇后より「歌子」という名を賜ると共に、その評判は世に喧伝されることになりました。その後、皇后の学事には常に陪席を許されるなど、宮中で活躍すると共に、税所敦子、柳原愛子といった人々とも親交を深めました。

    1879(明治12)年、歌子は周囲から惜しまれつつ宮中を辞し、旧丸亀藩士の下田猛雄と結婚します。猛雄は旧幕時代には剣客として知られていましたが、まもなく胃病を患い、長く病床の人となってしまいました。
    病夫を抱えた生活の中で、歌子には一つの新しい道が開かれます。明治政府高官たちの間で、自身の子女教育をすぐれた女性教師に托したいという要望が高まり、当時名声も高く宮中を辞したばかりの下田歌子に、希望の目が向けられました。

    1882(明治15)年、歌子はこうした要望と援助によって、麹町区壱番町(現在の千代田区九段南2丁目)に「桃夭学校」を開設します。下田歌子による、女子教育の始まりです。「桃夭」とは桃の若木の瑞々しさを若い女性に喩えたもので、学校には上流の子女たちが集まりました。
    1884(明治17)年、下田猛雄が逝去。夫を看取ったとき、歌子は31歳になっていました。この頃、鳥尾小弥太に禅学を学ぶなどの記録が残されています。

    1885(明治18)年、近代日本にふさわしい、質実剛健で徳育に基本を置いた上流女子教育を、という皇后の令旨により、華族女学校(後の学習院女学部)が開設されました。下田歌子は、学校開設と同時に教授に任ぜられ、翌年には学監として、以後退官まで歴代校長を補佐し、学校運営と教育に従事しています。
    1893(明治26)年、下田歌子は明治天皇の皇女ご教育係の内命を受け、そのために欧米諸国における先進的な女子教育の状況を視察するため、欧州7カ国(イギリス、フランスドイツ、イタリア、オーストリア、ベルギー、スウェーデン)とアメリカに留学します。2年間にわたって、各国の上流階級のみならず、諸階級の女子学校教育、家庭教育のありかたをつぶさに見学しました。中でもイギリスでは、E.A.ゴルドン夫人の協力のもと、皇女教育の実際と、より広範な女子教育制度、学校のあり方を学びました。

    また、イギリスではバッキンガム宮殿にて、ヴィクトリア女王への謁見を果たしました。このとき、歌子が日本古来の礼装である袿袴を着用したことは、女王のみならず当時の英国社会の人々に賞賛されました。

    この欧米女子教育視察によって、歌子は自身の女子教育理念の基礎となる、多くの知見を得ます。日本の国家・社会を豊かにするためには上流階級のみならず一般階級・下層階級の女子に対する教育も必要であること。先進諸国の学校教育では、幅広い教養教育と併せて、例えば自然科学や家政学など最新の実践的学問も重視されていること。女子教育における体育の重要性。女子と男子が同じ内容の教育を受けることなど。

    こうした知識と経験により、歌子は日本における一般女子教育の必要性と、それを実現するための民間女学校創設への想いを強く抱くに到り、これこそが実践女子学園を創設するにあたっての建学の精神となったのです。
    1896(明治29)年、帰国した歌子は両内親王御用掛を拝命し、その教育にあたります。教育の方針は、体育・徳育・知育の3つの柱によるものでした。教育を受けた両内親王は、華族女学校(学習院女学部)の卒業生らと同様、歌子を敬慕し、長く晩年まで師と仰いだと言われています。

    晩年には「香雪叢書」5巻(1932年)を完成し、「源氏物語講義」首巻・第1巻(1934~1936年)を刊行しています。

    こうした数多くの功績が認められ、歌子は1908(明治41)年に従三位を贈られ、また1927(昭和2)年には勲3等に叙せられ、瑞宝章を賜わりました。

    1936(昭和11)年10月8日、肺水症のため逝去。
    晩年、病気が重くなってからも車椅子で講堂に出て講話をし、それもできなくなると校長室の前に生徒を集めて訓話をしたといいます。

    くれたけの ふしどのうちに 学び得し
    道を伝ヘむ 待てや教ヘ子

    まよひなき 正しき道は 見ず聞かず
    言わずむなしき 空にみちたり

    生涯を日本女性の教育に捧げた下田歌子が教え子に残した、最後の和歌です。



    ここの学祖の和歌は心に染み入る。

    時代かわれど、引き継がれているものって各校あると思う。
    私学を選ぶってそこを大切にしたいと思うわ。

  2. 【4267771】 投稿者: ひつじ  (ID:drzTzdKBdH.) 投稿日時:2016年 10月 01日 07:43

    皆様ありがとうございます。
    自分にはない視点で考えられ助かります。
    昔の?ほろ苦い思い出のお話も楽しかったです。
    三輪田の情報もありがとうございました。

    再度ちょっと整理してみます。
    これにもうちょっとほかの学校も加えてみます。
    なにかあればご指摘ください。

    管理=実践、昭和女子、東京女学館、山脇
    中間=跡見、三輪田 
    自由=恵泉、桐朋

    こんな感じの理解でよろしいでしょうか?

    学校の成りたちもきっと何か引き継がれているはずで、
    そこも調べて理解して入学したほうが深く学べそうですね。
    偏差値より校風重視で考えたいと思います。

  3. 【4267976】 投稿者: 部外者ですが  (ID:/03DypEtw5g) 投稿日時:2016年 10月 01日 10:58

    すみません。お邪魔します。

    娘はここに挙げられている学校の他の女子校に通っています。

    ただ、女子校希望でしたので基本的には女子校を中心に、持ち偏差値等に縛られないように小学校低学年から通えそう(通学時間は1時間以内ぐらい)な学校を偏差値30台から70台までだいたい30校以上、学校見学に伺いました。

    感想でしかないのですが、管理型、自由型、中間等と分類するのは間違って(失礼)いると思います。
    娘の学校は自由ですが、子どもたちを守るための規則はあり(子どもたちを外部の悪意、精神的な嫌がらせ、性的嫌がらせから守る)、徹底しているために管理型の雰囲気もあります。

    逆に宗教色の強い共学校の学校説明会では、何者にも縛られない自由を連呼していらっしゃいましたが、内容は指定の靴下を作って欲しいと在校生や保護者から要望が多いですが、我が校は自由なので作りません!ということで、私ははてな?と思いました。

    服装規定があれば自由ではないという考え方は一方的すぎるように思います。短いスカートは女の子たちを悪意にさらしたり、無防備にさせたりします。

    本当の自由とは何か。

    まずはたくさん学校を見られて、親御さんが娘さんに合うなと思う学校を選び、実際に娘さんに数校行ってもらい、第一志望校は娘さんに決めていただき、併願校(全落ちを避け、また、娘さんが笑顔で通える学校を日程と娘さんの体力を考慮して)を選ぶといいと思います。

    おすすめは通っているお嬢さんたちの通学風景を見て、娘さんがその中にいる姿を想像して違和感がない学校です。

    我が家は伝統女子校のみで併願スケジュールを組みました。

    中に入ってからも親と子の勘(合いそうか)は外れていませんでした。

    ご参考までに。

  4. 【4267993】 投稿者: 部外者ですが  (ID:/03DypEtw5g) 投稿日時:2016年 10月 01日 11:08

    すみません。

    どちらを選ぶかでしたね。

    我が家は娘の受験時なら制服も昔のものでコース分けしていなかったため跡見だと思います。

    今なら近い方を選びます。
    若しくは娘が両方気に入ったなら併願して受かったほうに、両方受かったら娘に選ばせます。

  5. 【4268063】 投稿者: チャーハン  (ID:Xuoaod/mKbo) 投稿日時:2016年 10月 01日 12:00

    部外者ですがさまの言っている事、よく分かります。
    本当の自由とは何か?
    尾崎豊みたいですね(笑)でも、彼は確か自由な校風で有名な学校でしたね。

    私自身も都立校出身ですから、自由でした。
    その経験上、多少の規則はあった方がいいと考えていました。ただ、どこの私立も当時の都立校に比べたら自由ではないですね。

    娘もスレ主さんとこと同じような偏差値でしたので、ここら辺の学校は皆、検討しました。
    結局、スレ主さんが管理型だと挙げている学校を娘が選びました。
    入学してみて、実際にはそれほど管理されている感じはしませんけどね。
    管理というより多少、過保護。
    でも、女子校はどこも話を聞くと過保護ですね。
    先生のお話の中で生徒を「お嬢さん」と呼ばれて驚きましたし、休んだりすればすぐに確認してくれたりします。
    公立小学校では無かった感覚ですね。

    具体的に恵泉と跡見、y40~45なら跡見です。

  6. 【4268613】 投稿者: 中華丼  (ID:5zbSVPh.C96) 投稿日時:2016年 10月 01日 20:40

    跡見は、30年前は、高偏差値のお嬢様学校だったよ。
    その頃の印象が、残っている。

  7. 【4268760】 投稿者: 両校とも  (ID:1OwBTQADIrA) 投稿日時:2016年 10月 01日 22:16

    40歳後半の中受経験者です。
    私たちの時は、両校とも御三家の次のグループ(広いくくりで)だったと
    思います。両校とも凋落傾向かもしれませんが、このような
    伝統校が好きな方も、まだ一定数いらっしゃると思います。
    恵泉は自由で少し派手なイメージ(青学、成城に近い?)、
    土曜日も休みでしたでしょうか?
    跡見は少し堅めのお嬢さん(学習院に近い?)ようなイメージです。
    やや格式ばっている方が好みの方は良いかもしれません。
    学校見学をされて、お子様のご印象を確認されれば良いかと思います。
    あと本当に迷った場合は、近いほうがいいです。
    30分で通えたら、すごく楽ですよ。毎日のことですから。

  8. 【4269183】 投稿者: 図書館  (ID:GsmgPzHNvGY) 投稿日時:2016年 10月 02日 10:46

    スレ主さんの娘さん本が好きそうですね。
    恵泉のメディアセンターはそれはそれは素敵で居心地の良い設備です。
    あと名前が出ている実践の図書館も円形のクッションソファーが良いです。

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