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【4371871】鴎友と豊島の併願

投稿者: 小和田恒 = 道鏡  (ID:pmce0FwgBfY) 投稿日時:16年 12月 23日 08:09

鴎友の入試日程が変わりました。
1日 鴎友
2日 豊島
2日午後 普蓮土
3日 鴎友
4日 豊島
5日 渋渋 頌栄

危険でしょうか?長女の時もサンデーショックで鴎友偏差値上がり大変でしたが、無事ご縁をいただきました。今回は日程変更でやはり厳しい戦いになってしまいそうです。
良きアドバイスありましたらお願いいたします。

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  1. 【4389988】 投稿者: 桜並木  (ID:bmUR8WBqeIc) 投稿日時:17年 01月 08日 22:51

    高等女学校及び技芸女学校を引き継いだとありますので、もともとというのとはちょっと違いそうですね。
    創設者の理念のもと、学校を創立するにあたって、手っ取り早く今一つだった学校を引き取ったという形でしょうか。

    時代が時代ですから、女子が裁縫もせず勉強するというのも難しかったのでしょう。豊島岡も裁縫しながらそれ以外のことを学ばせていたという点とても立派だと思います。

    これは想像なのですが、中高だけの敷地面積を考えれば、都内の女子校はもともと現代の教育を想定していないと思います。どこの学校へ行ったところで五十歩百歩、花嫁修業の場だったのではないでしょうか。
    今の女子の一番トップの学校でも、水道橋に生まれ育った母がいうには、自分の頃はたいした学校ではなかったそうです。
    そういった意味では、女子は時代と共に本当に頑張ってきましたね。それに比べて、男子の成長の無いこと。マクロでみれば今の時代を反映していますね。

  2. 【4390104】 投稿者: グーチョコランタン  (ID:4H1XbwoayRc) 投稿日時:17年 01月 09日 01:14

    双葉とかフェリスとか、キリスト教はどうでしょう?

  3. 【4390268】 投稿者: バラード  (ID:v52RfeGEnxQ) 投稿日時:17年 01月 09日 08:27

    桜並木様が書かれていることですが、戦前の女子教育は特に私立の高女についてはいろいろな建学の理念があって、もともと設立の発想が違ってるほうが多いと思います。

    華族や高官の子女が人力車で通うような学習院とか、女学館のような学校から、豊島岡や共立など職業婦人を育成する趣旨、ミッションのキリスト教教育とともに海外事情、民主主義を学び社会人としての女性の自立をという学校。

    ミッションでも高官の子女が将来海外でも立派におもてなしが出来るようなキリスト教から、マナー、語学を学ぶところもありましたし。

    桜蔭は、当時女子の最高学府だった高等師範(お茶の水)のOGたちが、男女の学び制限の違いに「好きなだけ学びなさい、、」の主旨で設立。
    鴎友も白鷗のOGが、第一高女のよさを内村鑑三のプロテスタント教育をベースとして設立された学校。

    都内の戦前からの女子校は、それなりにOGもそれぞれの主旨にのっとって活躍された方がいらっしゃいます。
    今、かなりシャッフルされた感じもありますが、設立の理念や理念は、校風に生きているところも多く、根幹のところを学校選択の際は見ていくべきと思います。

  4. 【4390695】 投稿者: そうですね  (ID:6Kjgo6OjdnY) 投稿日時:17年 01月 09日 13:46

    そうですね、官学の整備に先行する形で、宣教師等が作った女子向けの学校が日本の女子教育の始祖だと考えて差し支えないと思います。

    JG(1870)、フェリス(1870)、横浜共立(1871)、神戸女学院(1873)、平安女学院(1875)。いずれもプロテスタントで、特に、横浜共立・フェリス・平安女学院は校舎の一部がヴォーリズの設計だったりと共通性があります。以降、白百合は元々修道会(函館)で、神田に移って来たのが1881年、雙葉は1875年からの様です。

    これとほぼ同時に、官学の整備が始まり、女子高等師範(お茶の水、1874)が開設(母体?となる、中等教育機関である東京女学校は1872)。すこし遅れて学習院(華族女学校、1885)が開設されている様です。工部学校等、東大の前進となる学校はありましたが、正式に帝国大学に改組されるのが、1886年(欧米と同じディプロマが授与された札幌農学校は1876年、農学校は当初宗教色が強く、バラードさんの書かれていた内村鑑三は2期生ですね。在学中に洗礼を受けたそうです)ですから、女子教育って早かったんですね。

    こうして、ある程度中等・高等教育の制度が形成された段階に、それらのOGがスピンオフして日本女子大学等の女子向けの私立学校が開学されています(日本女子大学は1901年)、津田塾等もこの時期です。官立の第一高女等も同時期で、上に挙げた学校群の卒業生がこうした教育期間での教育に従事していた、、、つまり、地方にまで開明的な女子教育が広がるには、1世代程度のタイムラグを擁したということなのだろうと思います。

    職業学校・家政学校はこうした流れとほぼパラになっていますね(跡見学校(1875)、豊島岡(1892)、実践女学校(1899))。士族や家族だけでなく、商人の子の門戸として実学を学ぶということだったのでしょう。学校とはやや趣向が異なりますが、官営工場等は単に富国強兵の為の製造手段というだけではなく、職業訓練校の様な様相も呈しています。富岡製紙所等では、士族出身の女工が多く、読み書きの基本的な能力に優れ一定期間の実習の後、各地の工場での指導者として転出していた様です。これは大なり小なり様々な官営工場でも見られることです。

  5. 【4390715】 投稿者: そうですね  (ID:6Kjgo6OjdnY) 投稿日時:17年 01月 09日 13:58

    あ、誤字が多くて済みません。桜並木さんの書き込みに触発されてしまいました。100歳になる祖母が女学校出だったものですから、ちょっと熱くなってしまいました。和装が似合う古風な人でしたが、考え方は極めてカラっとしていて、大正時代の空気ってあると思います。好奇心旺盛で良いところは良い、改めるべきところは改めるべし、という考え方が一貫していると思います。祖母に導かれ、ごく自然に、母も私も職業人としての人生を歩んだ・歩んでいるのだなとも思います。

  6. 【4391334】 投稿者: 基本的には  (ID:xminH0G47BQ) 投稿日時:17年 01月 09日 21:27

    リベラル・アーツでしょうね。

  7. 【4393595】 投稿者: え?  (ID:1cNqqzsQcWY) 投稿日時:17年 01月 11日 16:15

    リベラルアーツって高等教育における一般教養のことでしょ。
    左とか右とか関係ないから。極左というのは、左翼が左翼内で原理主義批判をするときの典型的レッテル貼りであって、現実思想にそんなものはない。

  8. 【4394712】 投稿者: だから  (ID:q5Xx9gBIV8Y) 投稿日時:17年 01月 12日 12:43

    だから、対極の考えの人はキリスト教学校は選ばないんですよ。偏差値での学校比較がナンセンスというのはそういう意味も込められているんです。

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