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【4389734】侵略と自衛

投稿者: 競争力がない意味   (ID:XCjWrMFQ6rQ) 投稿日時:2017年 01月 08日 19:37

15世紀から17世紀
大航海時代
スペインとポルトガルが世界を2分する侵略
アメリカ大陸の侵略(当初流刑地)だったという。
スペインは南米を侵略
 マヤ文明
 アステカ文明
 インカ文明
 古代の文明の崩壊
南米の古代文明人は疫病により大量死亡
ブラジルはポルトガル人が侵略
アフリカも侵略
原住民を拉致(奴隷売買=人身売買)
フィリピンはスペイン人が侵略
フィリッペ2世の名にちなんでフィリピンという。
元の意味は「フィリッペの島々」
フランスはインドシナ半島を侵略
ガレオン航路
太平洋を結ぶ植民地政策の重要航路
(南沙諸島から太平洋、大西洋へ繋がる航路)
イギリスの国策
「東インド会社」貿易会社を設立
(貿易をするという名目で侵略)
東インド会社のアヘンを清国に焼かれる
東インド会社の後継
「ジャーディン・マセソン商会」
幕末の日本に来たのがトーマス・グラバーはジャーディン・マセソン商会の人間
アメリカの南北戦争終結で余った銃器を日本人に売買
明治政府はグラバーに勲二等旭日重光章を与えている。
「ジャーディン・マセソン商会」
ユダヤ系イギリス人
セブンイレブン
スターバックス
イケヤなどの大株主はジャーディン・マセソン商会の子孫
上海のデビッド・サッスーン一族
上海にある巨大なビル群の一部はこの一族が建てる。
ソ連(ロシア)は不凍港を狙い南下政策をたてる
明治政府は大陸からの侵略の防波堤として
李氏朝鮮の独立を希望していた。

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  1. 【4389761】 投稿者: 1866年の出来事  (ID:Ft76Elx2L.c) 投稿日時:2017年 01月 08日 19:59

    1月12日
    英国で王立航空協会設立
    2月13日
    ジェシー・ジェイムズが最初の銀行強盗に成功
    (銀行強盗の日)
    3月7日(慶応2年1月21日)
      薩長同盟成立
    3月8日
     丙寅教獄: 李氏朝鮮で
     フランス人宣教師他カトリック教徒の虐殺が始る
    3月9日(慶応2年1月23日)
      寺田屋事件
    4月4日
      アレクサンドル2世暗殺未遂
    6月25日(慶応2年5月13日)
     江戸条約に調印(7月1日実施)
    6月28日
     スタンリー第3次内閣成立
    7月
    ジェネラル・シャーマン号事件
    8月20日
     南北戦争
     ジョンソン大統領が終結を公式に宣言
    9月20日
     ジェネラル・シャーマン号事件
    10月14日
     丙寅洋擾: フランスが丙寅教獄の報復として
     朝鮮を攻撃し江華島を占拠
    10月31日(慶応2年9月23日)
      徳川家茂葬儀(増上寺)
    アルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明し
    福澤諭吉「西洋事情(巻之一)」刊行した年

  2. 【4389885】 投稿者: 差別と宗教  (ID:SPE4WOEo/qo) 投稿日時:2017年 01月 08日 21:27

    儒学は政治経済道徳の思想として発揮してきた歴史がある。
    政界から疎外されている人たちにとっては民衆を支配していた儒学よりも中国に広まる西欧の学問、西学を研究するものがでてきた。 17世紀初天主教書が導入されるようになる。
    朝鮮に伝来した初期の天主教は宣教師の布教よりも朝鮮の学者らが 自らが持ち込んだものだった。
    従来の朱子学に不満をもつ者が18世紀末になると天主教の教会が設立されるようになる。

    天主教の拡散は社会の矛盾、階級の両班による不平等、隷属的地位からの脱出の試みだったのだ。

    1791年
    珍山事件
    支配階級の人々にとっては儒学の伝統的な思想体系を脅かす
    反儒学の思想と見なされるようになる。

    1786(正 祖10)年
    朝鮮王朝は天主教を邪教とし禁止する。

    1801年
    辛酉迫害
    5月31日 、周神父 は、約300名 の信徒とともに処刑

    1815年
    乙亥迫害
    地方官僚による迫害(3年間)


    そして 1866年
    フラ ンス人の神父をも巻き込んだ迫害に
    発展していく

    1866年 か ら71年 まで継続 された大迫害
    公式殉教者の数2,000名
    非公式では8,000名
    地下組織として宗教の活動を行う形で
    信仰を守り続け
    追害直前に発刊された大部分の経典は
    ハングル本であった

  3. 【4389902】 投稿者: 明るみにされない証拠  (ID:CVWMmwQM9/M) 投稿日時:2017年 01月 08日 21:43

    フェリックス クレール リデル の運命

    1857年に司祭の叙品を受け、1859年にパリ外国宣教会に入会後、朝鮮宣教師として配属されて1861年3月に朝鮮に潜入した。宣教活動を始めて5年目なった1866年に「丙寅教獄」が起こると、これを避けて中国で身を守っていたが、1869年6月25日に朝鮮教区の第6代教区長に任命されると、1877年に再び朝鮮宣教師として潜入して宣教活動を広げていたが、4か月で潜入事実が発覚し、ソウル捕盗庁に投獄されて5か月後に釈放と共に中国に追放された。
    彼は満州に留まって、初の韓国語文法書である『韓語文典』と『韓仏字典』を完成させて出版した。宣教師や朝鮮教区長として公式書簡や私書をはじめとする膨大な量の記録を残した。そのうち「丙寅洋擾」関連の書簡などは、朝鮮中・後期史の重要な資料的価値を持っている。(機械翻訳 若干修正)
    「私のソウル監獄生活1878」
    http://ameblo.jp/campanera/theme-10002861284.html

    丙寅教獄(へいいんきょうごく) Wikipediaより
    1866年3月に朝鮮で起こったキリスト教弾圧事件。天主教大弾圧、丙寅邪獄、丙寅教難ともいう。

    パリ外国宣教会から派遣され、朝鮮に潜入して布教に当たっていたシメオン=フランソワ・ベルヌー司教 ほか9名のフランス宣教師、高宗の乳母(朴マルタ)を含んで8000名におよぶ信者が処刑された。


    丙寅洋擾(へいいんようじょう) Wikipediaより
    1866年(慶応2年)10月にフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅教獄)の報復として朝鮮を攻撃した事件。

    http://hinode.8718.jp/book_felix_clair_ridel.html

  4. 【4389927】 投稿者: アメリカ人の怒りを誘発した事件  (ID:epXAbEJQCxw) 投稿日時:2017年 01月 08日 22:04

    『Avenging The General Sherman: The 1871 Battle of Kang Hwa Do』
    http://fch.ju.edu/…/Bechtol-Avenging%20The%20General%20Sher…



    1866年、
    交易を求めて米国国旗を掲げた商船ジェネラル・シャーマン号は、大同江を経て平壌の羊角島に来航します。ところが、シャーマン号は、朝鮮に無法にも焼き討ちされ、船員全員が虐殺されます。米国は、当初この事件を知りませんでした。
    1867年、
    フランス海軍から情報を得た米海軍は商船シャーマン号に何が起こったか調べるために司令官ロバートW.シューフェルトを朝鮮に派遣します。しかし朝鮮の隠蔽工作で、なかなか事実は明るみにでませんでした。
    1868年4月、
    さらに司令官ジョン・C Feibergerは、シャーマン号の消息を調査しますが、事件の実体はハッキリつかめません。
    しかし、しびれをきらした米国は遠征艦隊を派遣し、朝鮮に圧力をかける砲艦外交を決意します。
    1871年
    コロラドを旗艦とし、アラスカ・ベニシア・カシー・パロスの計5隻の艦隊を編成し、1200名の上陸部隊を搭乗させ、江華島を攻撃します。
    朝鮮軍の攻撃は、ほとんど米艦隊に損害を与えられませんでした。
    米軍の攻撃により朝鮮軍は240名以上の戦死者を出し、多数の負傷者を出すという多大な損害を被ります。
    米軍は、朝鮮軍の多数の武器・軍旗を戦利品にして、帰投します。
    結局は、米海軍の圧勝でした。
    なお、戦利品で特に有名なのは、米海軍士官学校博物館所有の「帥字旗」です。

  5. 【4389948】 投稿者: ロシア人の覇権力  (ID:nKey/43TyII) 投稿日時:2017年 01月 08日 22:23

    19世紀のロシア
    http://www.yukilove.net/rus.html


    ロシア帝国は1721年から1917年のロシア革命まで存在した国であった
    それはロシア・ツァーリ国の後継者であり、短命のロシア共和国の前任者であった
    それは、今度はソヴィエト連邦に引き継がれた
    世界史において最も大きな帝国の一つであり、ロシア帝国は大陸において
    イギリスとモンゴル帝国にのみ凌駕された


    1866年の時点で、それは東ヨーロッパからアジアを横切り北アメリカにまで達した




    19世紀初め、ロシア帝国は、北は北極海から、南は黒海
    西はバルト海から東は太平洋、北アメリカに及んだ
    1897年の国勢調査によって1億2560万人の国民を登録し
    その時、世界で中国、イギリスにつぐ第3位の人口を持った
    すべての帝国と同じように、それは経済、民族性、宗教に関して大きな格差を表した
    その政府、皇帝の統治は1905年の革命まで、絶対君主制であった
    後にそれは立憲君主制度となったが、皇帝は、1917年の2月革命の間の皇帝の
    最終的な終焉(第一次世界大戦の参加によってもたらされる重大な結果)までに
    かなりの力を行使し続けた

  6. 【4389994】 投稿者: ↑  (ID:0lZ33d0J/tE) 投稿日時:2017年 01月 08日 22:55

    過疎っている地域に勝手に旗立てただけと思うけど。
    人種民族的にはあのあたりは中国かもしれない。虎視眈々と狙う中国、ロシアと仲いいわけないでしょ。

  7. 【4390036】 投稿者: 深追いしないフランス人  (ID:nJCH1c9LxTs) 投稿日時:2017年 01月 08日 23:42

    丙寅洋擾(へいいんようじょう)
    1866年(慶応2年)10月にフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅教獄)の報復として朝鮮を攻撃した事件。



    江華島を占拠したフランスは、王朝と数週間に及ぶ協議が開かれたが朝鮮より誠意ある返答を得られず。物別れで終わるフランス側は江華島を拠点に漢陽都市部に進行後、市内を焼き落とし“朝鮮王室儀軌”等の文化財を賠償金代わりに持ち去った。
    フランスのローズは、朝鮮に与えた損害は十分であり次回進行時に必要な情報(地理)は得たとして撤収したとしている。

    徹底抗戦を当初より考えて居らず彼らに与えた損害は仕返しに十分として引き返した様だ。

    朝鮮側が主張する勝利が事実には
    疑念がある

    フランスが持ち帰った“朝鮮王室儀軌”を奪還出来なかった。
    しかし100年以上も経った現在でもフランスは“朝鮮王室儀軌”を持ち続け所有権を誇示している。

    よってフランスの勝利と見て間違い無い。

    近年、韓国はフランスが所有する“朝鮮王室儀軌”の一部を永久貸出として借り受けて居る。


    当然有料で…仮に韓国が主張する勝利が正しければ永久貸出とは矛盾する行為



    なお日本の宮内庁が保有する朝鮮王室儀軌は、写本(原本の写し)であった。

    明治時代に朝鮮王朝より天皇家へ贈与される

    それを現韓国では奪い取ったと主張していた


    管直人は返還を決め韓国側の言い分を認める
    形となった

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