最終更新:

22
Comment

【4425024】在日な方たちの心に寄り添うこと

投稿者: 未来像   (ID:YMnVwJnzrs6) 投稿日時:2017年 01月 31日 17:18

十三ベース事件というのを検索してほしい。
その中にのりこえねっとの 辛淑玉からの手紙というのが公開されている。




Mさんリンチ事件に関わった友人達へ 2015年1月27日
                    辛淑玉
長文になりますが、読んでください。

昨年12月17日未明のMさんリンチ事件を、私は今年の1月10日に広島で知りました。
講演会の会場で、「関西のカウンター内でテロがあったんですか?」というような軽い質問からでした。

そういう状況なので、私は、今回の経緯に関して、知っていることは大変少ないです。
それを踏まえた上で、私の思いを手紙に書くことにしました。

私の手元には、被害者Mさんの写真と、そのときに録音されたテープがあります。
このテープを聞いて、私は泣きました。鳴き続けました。
これはリンチです。
まごうことなき犯罪です。


酒を飲んだ流れで、深夜に彼を呼び出し、一時間もの間殴り続け、鼻を骨折させ、顔面を損傷し、血だらけになったMさんを放置したまま宴会を続けている。その音声は、狂気のようでした。
泣きながら殴り続けたであろうエル金さんの声、そして、止めに入ってはいるが、止めきれない凡ちゃん。
その間に信恵の声がこだまして、悪夢ではないかと思うほどでした。

その後、多くの方が、告訴するのをやめさせようと、
Mさんにさまざまな働きかけをし、また、被害者であるMさんを愚弄する不適切な噂が流れたことを知りました。
少なくとも、私の耳にまで入ったということは、
多くのかたがすでに知っているということだと思います。

かつて私は、朝鮮学校に在学していたとき、教師から暴行を受けました。
お金がなくて夏の革命キャンプに参加できなかったことが、
思想が悪いからだとされて、個人談話室に呼ばれ、
教師たちは、音が漏れないように窓を布団でふさいで、
そして、代わる代わる私を殴りました。

私は、背骨が2本ずれて、歩くのも不自由になり、
そして、家出をしました。
三歳下の私の弟は、もっとすごい目にあわされた。
夏の革命キャンプで、夜、牛乳を貰いにいったことをとがめられ、複数の教師から暴行を受け、そのまま放置されて、
その血が隣の私の部屋まで流れ出たことで騒ぎになり、
病院に担ぎ込まれました。 弟の頬は破け、外から歯が見えていました。
医者は、あと牛乳瓶一本分の血が出ていたら死んでいたと言い、母と父に、警察に届けるようようにと言いました。
家に戻されたとき、弟は、意識はなく、包帯でぐるぐる巻でした。
説明に来た教師は、「ころんだのです」と言いました。
その後、事情が明らかになっても、弟が悪いの一点張りでした。
殴った教師の中には、当時の副校長もいました。
私は、「お父さん、学校を燃やしに行こう」と言いました。
しかし父は、学校と話し合いをすることも、
警察に届けることもしませんでした。
できなかったのです。

朝鮮人への弾圧は凄まじいものがありました。
差別の嵐の中、もしこの事件が警察沙汰になったら
朝鮮人全体がやられる、という思いからでした。
実の子どもの命より、「民族」を選んだのです。
私は泣きました。そして、うちの父親はなんと無力な、
許しがたい存在かと思いました。

その後、弟は、皆さんも知っての通りヤクザとなり、
3年前交通事故にあった結果、20代以降の記憶
をほぼ喪失して、日々の記憶も積み重さらないまま、今日に至っています。

先だって、弟と二人でテレビを見ていたら、
「日本人拉致事件を口実に朝鮮学校の生徒が嫌がらせを受けている」
という会見の映像が流れ、
そこで生徒たちの人権を訴えていた教師の顔を見て、驚愕としました。
それは、紛れもなく、弟を殴り続けた教師その人だったからです。
弟も、「こいつだぁ!」と言いました。
「ねえちゃん、こいつだ、こいつだ!」と。


私は、総聯も民団も、在日を食い物にした組織として、
生きている間は決して許さないと心かに決めています。
かつて、総聯の関係者は、祖国に送る資金調達のために
京都の朝鮮学校を売ろうとし、
何度も私に仲介をするように働きかけてきました。
私は、もう終わったなと思ったものです。
いったい、彼らが守りたかったものとは何だったのかと。

話が長くなりましたが。

私にとって、今回のMさんの件は、
朝鮮人を守るために弟のリンチをもみ消そうとした、
あの教師たちの姿とダブります。
だからこそ、この手紙を書こうと決心しました。







私がMさんのことを知ったのがロディさんが撮影した写真からでした。
ヘイトの恐怖に震える私たちにとって、カウンターの、
とりわけしばき隊や男組、関西カウンターの姿は。
本当に、言葉にならないほど嬉しかったのです。
いくつかのカウンターのビデオの中で、何度もMさんの姿を見ました。
しかし、それ以上のことは、
この事件が起きるまでまったく知りませんでした。
直接あった記憶もありません。
その上で、これほどのむごい仕打ちを受けた彼が、
なぜ警察にすぐ被害届を出さなかったのだろうと考えました。
そこを抜きにして話を進めてはいけないと私は思います。

そこに、私にとっては、当時の父の姿と弟の姿が同時にだぶるのです。
Mさんが第三者としての弁護士をたてたということは、
告訴の準備もあったのでしょうが、
これが違う形で伝わったときの在日社会への影響を、
肌で感じたからだと思えてならないのです。
そして、何とかして解決しなくては、という思いが根幹にあったのだろうと私は思います。


そこには、国籍や民族を超えて共に生きてきた在日との時間があり、
カウンターに出ていった時の、沈黙を強いられる「在日」への思いがあり、
もし、彼が生野で生活してきたのなら、生活の場であった生野が脳裏をかすめたのではないかと。

深夜に呼び出しされたとき、行けばどういうことになるか、
彼には分かっていたはずです。
しかし、それでもMさんは行きました。
それは、謝りたかったというだけでなく、仲間として出向いたのではないでしょうか。
その彼を罵倒し、殴ったのは、仲間として再びうけいれるための儀式だったのではないでしょうか。エル金さんには、
仲直りしたいという思いがあったのでないですか?

しかし、殴る側は暴走しました。ある意味で言うと、
そこには観客もいたからです。
振り上げた拳は、哀しみのために、止めることができなかった。
その哀しみは、Mさんがやった行為に対するもの
ではなく、在日が何世代にもわたって受けてきた心の傷であり、
あなたたちが必死に守ってきた子どもたちへの思い、
親から守ってもらえなかった私たちの、あなたの、
子ども時代の哀しみだったのではないですか?
 

それが、目の前のMさんに向かったのではないですか?


しかしその姿は、まさにヘイトスピーチをする彼らの構造と同じなのです。

自分たちの問題を、抵抗できない相手にぶつけ続けるという。

凡ちゃんは、なぜ止めきれなかったのでしょうか。
それは、在日としての共通する痛みに、傷に、触れたからではないでしょうか。

録音テープを聞いていて私が一番苦しかったのは、凡ちゃんの言葉でした。
「これで関係は終わりだ」という言葉は、
彼が謝りに来て、殴られ続けたすべてのことを無にする
ものに聞こえました。

そして、そこで宴会を続けたカウンターは、
その状況の意味を理解していなかったとしても、
ザイトク以上にリンチを楽しんでいるようにも感じられました。

事件後も凡どどラジオが放送されていることを知り、本当か?と耳を疑いました。

ひと一人を一時間もリンチしておいて、
そのあと日常生活に戻れるというのは、関東大震災の時に朝鮮人虐殺をした人たちが、何事もなかったかのように日常に戻った構造と、何も変わりがないのではないでしょうか。

南京で、東南アジアで、虐殺をし続けて来た皇軍兵士が、
戦後は口をつぐんで良き父、良き夫に戻ったのと同じです。

それでもMさんは、警察に届けませんでした。
行こうと思えば、すぐ行けたはずです。



行かなかったのは、もし自分以外でまた同じことが起きたら、カウンターの中で、少しでも自分たちと異なる考えの者、あるいは下手を打った者に対して、見せしめのようなリンチをしてもいいという流れができてしまったら、次は「人が死ぬ」ということを、彼は肌で感じたのだろうと思えてならないのです。


そうなったら、もうカウンターなど存在すら許されない、と。

その一線だけは超えさせてはいけないという心の声と、
あそこまで踏みにじられた自分の気持ちとの
折り合いを付けるのは、どれほど辛い作業だったのでしょうか。
それでも平静を装わなければならないのは、ある意味、
それが「強いカウンター」という男社会の暗黙の
ルールだからだと、私は感じました。

だから、「大丈夫です」というMさんからのメールが届くたびに、
切なくあります。
Mさんには、思いっきり泣ける場所があるのだろうか、と。

この一ヶ月以上、どれほどの心の揺れの中で、
Mさんは踏ん張って立ち続けていたのでしょうか。
それを、三人は、そこにいた人たちは、どれほど理解していたのでしょうか。
そんな鈍感さを抱えたまま、反ヘイトを叫んではいけないのです。

カウンターの周辺で、事情がよくわからないまま様々な憶測が流れていることを、
私は危惧します。
それは、三人がどのように回答するかを待つと言った
Mさんの人間性に対する、最大の侮辱だからです。
カウンターとして体を張って闘ってきた彼のすべてを否定する行為だからです。

通常なら、一ヶ月たってもきちんとした謝罪がないというのは、
あり得ないことでしょう。
当事者にすれば、感情の整理も必要だったとは思います。
しかし、自分が何をしたのかもわからない、
いや、この期に及んでまだ相手が悪いんだというのでは、
この国の政府が在日に対してやってきた態度そのままです。

いま、私の周りのメディアは、おぼろげながらも事件の概要をつかみ始めています。
「週刊金曜日」の信恵の記事がキャンセルになったのは、その流れからです。
そして、体制側のマスコミも動き始めました。
これが表に出れば、真っ先に社会的生命を奪われるのは信恵です。
そして、信恵の裁判は、その時点で終わりとなるでしょう。
マスコミは、この事件を第二の「あさま山荘事件」として取り上げるつもりでいます。
いま話題になっている人質事件の次の、国家の敵、
内なる敵を作り出して叩くための、格好の材料を提供したことになります。


もちろん、キャンペーンは、これだけでは終われません。

次は、日本全国の朝鮮学校が、おおっぴらに大衆からの袋叩きにあうでしょう。

守れるのは関西だけです。
しかし、自分がいる関西の集住地域だけで在日社会を考えるのは、あまりにもリアリティがありません。
14歳でなぶり殺しにされた日系ブラジル人エルクラノ君のように、ひっそり生きている在日が殺される引き金を、あなたたちは引いたのです。

そして、それを、歯をくいしばって止めているのはMさんなのです。
その彼の、切ないほのの不器用な思いに、
正面から向き合って、応えてください。

私がなぜそう思うのかというと、エル金さんの痛みは私の痛みであり、在日の痛みであり、
植民地から続く収奪で、国家を、地域を、民族を、文化を奪われた結果、
家庭まで崩壊した者たちの、重い歴史から来る痛みだと思うからです。

エル金さんがトラメガでレイシストに抗議する姿からは、
俺は絶対にお前たち(在日の子ども)を裏切らない、
という決意を感じていました。在日の多くが逃げ続ける中で、体を張って最前線に出たあなたの姿に、何度涙したかわかりません。

あなたのスレンダーな体型も、顔も、声も、私にとってはすべてが懐かしく、在日の歴史そのものでした。
あなたがカウンターとして朝鮮学校の子どもたちの前に立ったことは、子どもたちにとってどれほどの喜びだったことでしょうか。

しかし同時に、あなたは、あなたの哀しみも伝えなくてはならないのです。
その哀しみを多くのマジョリティに伝ない限り、
この暴力は、単なる「キレた朝鮮人の暴走」で終わってしまうのです。
哀しみを知ることこそが、生きる力を育むものなのです。
あなたなら、それができるはず。

信恵もまた、不器用を絵に描いたような、私の妹分です。
私は、信恵がいとおしい。

彼女の頑張りは、多くの沈黙を強いられいる者たちにとって光であり、
希望であり、そして、この社会で生きていこうと
思えるための酸素そのもなのです。
その生き方は、アルコールの量、ツイッターの量、
どれをとっても、依存症そのものです。
それでもなお裁判に打って出た信恵の姿は、
壊れながらもがいて生きてきた在日の女の歴史そのものです。
そして、Mさんは多分、そのことを感じているはずです。
いま、この時点で、信恵の裁判を日本社会から守っているのは、
支援者でも、弁護団でもなく、Mさんです。
彼が、自分に投げられた侮辱の言葉に耐えてこの問題を解決しようとしている、
その良心が、裁判を支えているのです。

そのことを、信恵を支えている人たちは理解すべきです。
もしこれが、信恵はもはや彼らが理想とする「美しい被害者」ではなくなるからです。
それはまさに、Mさんを叩いた人たちがやった行為と同じ。
自分たちのルールから外れたじゃないか、と。

Mさんへの謝罪もないまま「李信恵裁判」を続けることは、
人間として、あってはならないこと
なのです。反差別の「象徴」になればなるほど、その反動も大きいのです。
メディアの中で30年以上も生きてきた私は、事件を利用しようとする人たちによる、
これからくるであろう
信恵への社会的リンチを想像するだけで、息が止まりそうになります。

私が凡ちゃんに寄せる思いは大きいです。
この数年の間に、私の周りで在日四世が四人死にました。
自死しなければ、彼らはヘイトの方に行っていたでしょう。
組織も学校も機能しなくなった在日社会で、
凡ちゃんが創る空間は、安全で、安心して
いられる空間だからです。「在日全員集合」は、本当にあなたならではのものですよね。
それは、私たち世代にはできなかったことです。

そして、Mさんのことを思います。
いま、彼が、どんな思いでいることか。どれほどの屈辱と孤独にたえているか。
そして、それでもなお、カウンターをし続けようとしていること。
そして、このような問題が二度と起きないように、
苦悩の中にいながらその答えを探そうとしていること。
それを、関係者は知らなければなりません。

この状況の中、平気な顔で信恵の裁判報告会をする感性は、
私からしたら許しがたい。ダブルスタンダードです。

まさに、「絆」の後ろにある排除の姿そのものです。

そして、両方の弁護士にお願いしたい。
彼に告訴を取り下げろと言う人たちが、どれほど彼を侮辱し、
貶めているかを認識してください。

告訴をしないで、今日まで回答をまっている彼の心の底にある葛藤、悲しさ、
そして在日への思い、カウンターへの思いに、敬意を払うべきです。
少なくとも彼は、私へのメールでは、「この問題を解決したい」、
そして「再発防止をしたい」という言葉を届けてくれています。
それが彼の偽らざる思い出あり、彼の持ち前の正義感の現れであり、
不器用な優しさなのだと思うのです。

彼が告訴をするというのは、今の状態では、そうしなければ問題が隠蔽されて、
再発防止にならないからです。

私の話に戻ります。
私も、弟も、朝鮮学校を、あの教師たちを、忘れようとしてきました。
そしてその結果、いまさら十数年前、学校内の教師による暴行事件で、
朝鮮学校に通う男子学生が飛び降り自殺をしました。
親は学校を訴えましたが、在日はこのときも沈黙を守ったのです。


日本の学校の先生をしていた人から相談を受けたとき、私は言葉を失いました。
殺したのは私かもしれない、と思ったのです。暴力の構造を温存させてきた結果だ、と。

12月17日未明、Mさんにやったことはリンチです。
仲間はずれです。
そして、心ない噂によって、さらにMさんを傷つけました。

守るべきものは何なのか、手を取り合うべき相手とは誰なのか。
闘うべき相手とは誰なのか。
再発防止とは何をすることなのか。

お願いです。
もう一度考えて、Mさんと向き合ってください。


最後まで読んでくださって、ありがとうございます。











在日という言葉は差別用語でもなくこの日本社会に存在するれっきとした事実だ。在日が誇り高き民族とするならそして郷土を思う心があるなら、未来に向けて何をすべきなのか?
それが無関係な沖縄でのデモだという考えに行き着く思考回路が理解できない。民団や朝鮮総連が如何に自分たちを利用し私腹を増やし利用し続けていることに怒りを覚えるなら、それに加担する日本人をなぜ追及しないのか

民団や朝鮮総連の支持母体がどこなのか
身内を罰することができない民族性に未来はあるのか

隣国として同じ故郷を持つ隣人として
在日の方たちに問いたい

どんな未来を描いているのか を
暴力のない正義な未来を夢見るなら自分を戒め
自分を守るすべを身に着けることを躊躇しない心が
なぜ沖縄でデモを起こすことなのか

のりこえねっとは北朝鮮の影響力のある慰安婦を支援している韓国の団体挺対協に協力しているのはなぜ?

朝鮮学校でつらい思いをしているにもかかわらず
なぜ総連が関係している団体に加担するのか

まったく理解できない
隣人として

親や祖国を恨んでも仕方がない
未来は自分の足で見つけ、
日々温和な日常を取り戻してほしい

人間みんな少なからず多様な差別と対峙しながら生きています。恨んでも仕方がない。世界全員に理解されようとは思わない。自分の身近な数少ない人間だけに理解されればいいじゃないですか

みんな違って当たり前な社会
同じようには生きることはできないのです。

平等な社会が一番だというのは、違いを認め合い
許容しあう社会です。

無理矢理平等というきれいごとで解決できる問題ではないのですから

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「ニュースに戻る」

現在のページ: 1 / 3

  1. 【4425048】 投稿者: ダラダラ文なのでよくわからないが  (ID:hCWuHV/obT6) 投稿日時:2017年 01月 31日 17:44

    過去と現在を恨という糊で混同するひととは面倒そうであまり関わりたくない。
    日本は水の文化、血と膿の文化は理解できない。
    せっかく日本に生まれて日本で育ったなら己を縛るものを一時的にでも脱ぎ捨てるのはどうかな。
    日本では氏より育ちという言葉もあるよ。

  2. 【4425080】 投稿者: 訳すと  (ID:DyRtb/x9IHs) 投稿日時:2017年 01月 31日 18:05

    朝鮮ヤクザ同士の殺し合いも、全部日本のせいという事です?

  3. 【4425666】 投稿者: 人それぞれ  (ID:bDn6IfLOKmg) 投稿日時:2017年 02月 01日 00:42

    http://ameblo.jp/yuriyasui/

    こんなに裕福で幸せそうな人もいますよ。

  4. 【4425869】 投稿者: そうなのよね~  (ID:ohvuAtsMk.w) 投稿日時:2017年 02月 01日 08:33

    朝鮮人同士の内ゲバの怨みだよね?

  5. 【4426262】 投稿者: らしい  (ID:5xl2LxZoPlY) 投稿日時:2017年 02月 01日 12:38

    呉善花さんは帰化する前 
    韓国から入国禁止を受けていた   

    韓国に入国すると命の保証がないから
    入国禁止なのか それとも 
    韓国民に悪い影響があると思って
    入国禁止にするのか 

    犯罪者でもなくただ単に親日的な発言をしたら入国禁止する国もあるのだから、トランプが入国禁止にすることを騒ぐ資格はないと思う。

  6. 【4426720】 投稿者: 針小棒大  (ID:X9e3oXtJVEQ) 投稿日時:2017年 02月 01日 19:12

    辛さんとやらは一件を詳しく書かれてますが、反対の事もたくさんあるのをご存知ですか?

    私が高校時代、朝鮮高校の子が名門公立や私立校の生徒を待ち伏せしてカツアゲなんてよくありました。
    8年位前も、関西のある名門私立中学男子生徒は朝鮮中学生に何度かお金をとられてましたよ。
    表沙汰にすればまた返り討ちに合いそうなので届け出しなかったようです。

    朝鮮人の子供が日本人の子供をあちこちで襲うのは良いとでも?

    うちの祖母も祖父と息子たちが戦争でいない戦後直後に、在日の方々に一等地の土地をたくさんだましとられましたよ。
    今は恨んでません。可哀想な人たちにあげたのだと叔父や伯母は言ってます。

  7. 【4426833】 投稿者: そうですね  (ID:JCw1Mak6CIo) 投稿日時:2017年 02月 01日 20:23

    1910年から1928年にかけて朝鮮半島の土地調査事業が行われ、これにより土地所有が確定しましたが、それまでは土地所有制度が整備されておらず、誰の土地であるかが不明瞭で暴力による土地収奪や所有にめぐる抗争が絶えない人間が島国の日本が敗戦後、米国の爆弾によって台帳などはすべて燃やされてしまった状況でしたから、帰国するつもりがなかった朝鮮人が自分の土地だと半島にいた時代のようにしてもそれは民族性だったのです。戦争に負けた日本のいう事を聞く必要性もないと勘違いしたのでしょう。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す