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【1397636】なぜ、第二次世界大戦は起きてしまったのか?

投稿者: 歴史の真実   (ID:vpBXOEDXf3.) 投稿日時:2009年 08月 15日 13:58

今日は、8・15の終戦記念日ですが、私の家も私事で恐縮ですが、私の祖父が中国戦線に赴いておりました。 毎年、終戦記念日のお盆の時期を迎えるとTV局も戦争に関する番組をどこかの局が企画されますが、先の太平洋戦争でも私たちの国・日本は、失っても余りある優秀な人材をかなりの数、失いました。
当時の野球界でもベーブ・ルースを切り切り舞いさせた天才投手沢村栄治、その沢村のライバルで東京湾に弾丸ライナーを放った伝説を持つ景浦将選手etc。
今の時代は、イチロー、松井選手といったスーパー・スターがアメリカ大リーグで活躍している時代ですが、イチロー、松井選手も確かに凄いのだろうけど、沢村、景浦といった往年のスーパー・スターも彼らイチロー、松井選手に負けず劣らず凄い選手だった筈です。
ちょっとスレッドのタイトルから話が脱線していますが、第一次世界大戦の後、当然の事ながら平和を希求する国際的な動きが出ていました。
現に今の国連のモデル国際連盟もスイスのジュネーブに設立されていましたし、平和的な国際条約もロカルノ条約etc色々ございました。
それなのに、なぜ、平和的な条約・国際連盟を設立したにも関わらず、人類は2度も世界大戦をくり返してしまったのか?
歴史学に詳しい方、この原因をお教え下さい。

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  1. 【1397666】 投稿者: 歴史はくり返す  (ID:MVMmxaRkI/E) 投稿日時:2009年 08月 15日 14:56

    別に歴史学に詳しい訳ではありませんが・・・

    「美しい国ニッポン」とか「下々の皆さ~ん}とか
    平気で言っちゃう人の先祖が居たからではないですか~?

    敵に突っ込んで死ぬことと、ワーキングプアで
    将来に望みを持てずに自殺するのと
    どっちの方が、より不幸せなのか・・・

  2. 【1397674】 投稿者: 二度目の世界帝国主義戦争  (ID:iUFH8GRvqRs) 投稿日時:2009年 08月 15日 15:04

    日本が敗戦を認めた日、時宜にかなったスレッドですね。お答えします。


    1.世界大戦の定義について。
     人類は、これまで2度の世界戦争を経験しています。これはいずれも、自国の覇権領域を、武力を用いてより空間的に拡張しようとする帝国主義列強がぶつかりあって、世界再分割を狙った戦争でした。「新大陸発見」などといって、弱い未開の民族をねじ伏せてすんでいた間は世界戦争はなかったのですが、地球の陸地は有限ですから、やがてすべての土地が植民地やら属国やらになってしまい、拡張の余地がなくなります。こうなれば、他国の覇権下にある土地を、武力で奪うしかなくなります。このことが可能な武力を持っているのが帝国主義国で、これらが争うのが、世界戦争です。
     しかし、常に戦争ばかりでは、経済が疲弊し、財政負担が増し、社会不安も高まりますから、「平和を希求する国際的な動き」が、戦争のあとには出てきます。また、世界戦争の結果として引きなおされた国境線というあたらしい権益を「平和」の大義名分の下で長く確保するために、国際機関が必要です。こうして、数多くの条約やら国際連盟やらが作られました。


    2.第2次大戦の性格について。
    第2次大戦の前には、米・英・仏・独・伊・蘭・露・日本 などが、主要植民地列強となっていました。これらの諸国間で、領土再分割が争われた。特にドイツやその衛星国は、第1次大戦で領土を喪失、失地回復への欲望がつよく、ヒットラーの野望に多くの人々が支持を与えました。日本やソ連など他の帝国主義国も、周辺地域への覇権拡張を目指しました。米国は、大英帝国との抗争に決着をつけ、世界の唯一の帝国としての座を狙いました。これが第2次世界大戦です。より具体的にいいますと、ドイツは、ユーラシア大陸からアングロサクソンの米英を放逐しようとして日本と組み、さらにスターリンのソ連と同盟し、イタリアとあわせて四国同盟の成立を図りました。しかし、当時唯一の社会主義国だったソ連のスターリンは、四国同盟を結成して米英と全面戦争するのではなく、むしろ米英と同盟し、日独と戦う路線を選択。こうして、米英ソの連合国3カ国と、日独伊の枢軸国との争いとして、第2次世界大戦が展開しました。その結果、枢軸国が敗北。ドイツは、既に植民地を第1次大戦ですべて失っていたので、今度は東部の固有の領土をソ連に奪われ、かつてのドイツの覇権領域だった中欧はソ連圏となりました。日本は、米英ソがヤルタで合意したとおり、中国大陸・朝鮮半島・千島樺太での覇権をすべて失い、かわりにソ連が旧満州・朝鮮半島北部・千島樺太を覇権下におきました。日本本土は、米国の軍事占領下に置かれました。米ソの帝国主義的企図は、敗れた枢軸国の覇権領域を「山分け」することで満たされたのです。こうして戦勝国が獲得した権益は、国連やいくつもの国際機関によって、60年を経過した今日に至るまで保障されています(日独が、いくら多額の分担金を払っても、戦勝5カ国から構成される国連安保理の常任理事国に永遠になれないのは、このためです)。

  3. 【1397791】 投稿者: きつね  (ID:LO3NHoO9pkY) 投稿日時:2009年 08月 15日 18:39

    スレタイは、「なぜ、第二次世界大戦は起きてしまったのか?」ですが
    敗戦前、日本での呼称は「大東亜戦争」でした。
    日本にとっては、白人国家による有色人支配の打破という大目標があったので
    アジアの為の戦争という意味でそう呼ばれたのでしょう。
     
    二度目の世界帝国主義戦争 さんが、
    >弱い未開の民族をねじ伏せてすんでいた間は世界戦争はなかったのですが、
    >地球の陸地は有限ですから、やがてすべての土地が
    >植民地やら属国やらになってしまい、拡張の余地がなくなります。
    と書いていらっしゃいましたが、
    「弱い未開の民族」とはすなわち有色人種でした。
     
    開戦に至った理由を日本に関して言えば、もちろん帝国主義的野心もあったでしょうが
    大航海時代以来続いてきた白人国家による有色人種支配を打ち破る目的があったと思います。
     
    1933年発行のアフリカ地図
    http://keropero888.hp.infoseek.co.jp/map/1933africa.html
    1933年発行のアジア地図
    http://www.g●eocities.jp/keropero2000/china/1933asia.html
    ●を取ってコピペして下さい。 
     
     
    歴史はくり返す さんへ
    歴史に詳しくないなら仕方がありませんが
    戦争は一方の行動だけで起こる訳ではないのですよ。
    先ず「ハルノート」についてお調べになったら。
     
    >敵に突っ込んで死ぬことと、ワーキングプアで
    >将来に望みを持てずに自殺するのと
    >どっちの方が、より不幸せなのか・・・
     先の大戦で亡くなった方々は、自分たちが祖国に残してきた家族や
     彼等を支える社会の為に死ぬのだと理解していたと思いますよ。
     勝手に絶望して他人に迷惑をかけて死ぬ人と比べようが無いと思いますが。
     

  4. 【1397806】 投稿者: 歴史の真実  (ID:vpBXOEDXf3.) 投稿日時:2009年 08月 15日 19:21

    そういう長い文章も良いのですが、短刀直入に話す(書く)のであれば、第一次世界大戦後に第一次世界大戦の戦勝国(主に米・英・仏・伊・日etc)と敗戦国(主に独・墺etc)はフランス・パリのヴェルサイユ宮殿でヴェルサイユ条約を結びました。その第一次世界大戦の戦後世界の体制をヴェルサイユ体制と言うと思いますが、このヴェルサイユ体制自体に色々な問題と矛盾を抱えていて、特に敗戦国・ドイツは賠償金の支払いで苦しめられ国内の経済を目茶目茶にされる事態に及び、アメリカがその事態を憂慮して、ヤング案・ドーズ案という支払い緩和策を打ち出したりしたのですが、1929年の世界大恐慌という空前絶後の経済危機が、ヒトラー率いるナチスの台頭を招いてしまった。のではなかったでしょうか?
    (専ら、ヴェルサイユ条約の時に第一次世界大戦の戦争責任を敗戦国・ドイツに一方的に戦争責任を負わせた当時の英仏といった戦勝国の姿勢、その態度も如何なものかと私は思いますが・・・。第一次世界大戦の戦争の原因は、ロシアにもその原因があったのです。)

  5. 【1397999】 投稿者: 歴史のもしも  (ID:rFAzZMm.bxc) 投稿日時:2009年 08月 16日 00:04

    第2次世界大戦では、欧州側と太平洋側では、戦端の開かれ方は違うのですが、日本の立場に立てば欧州の対戦への対処と太平洋側の対処のそれぞれが大事。


    日本が自国の産業を含む国力評価を正確にし、欧米のの政治情報をきちんととり、日独伊3国同盟を結ばず、しかも一国だけで孤立の道をとらず、最後まで日本と敵対していなかった米国と同盟を結び、満州のビジネス権益、あるいは政治的アイニシアティブを半分は米国と共有し(これらは大事!)、満州国権益を維持し、中国戦線不拡大で行き、日本は1941年の段階で参戦しない。


    欧州大戦の終結後には、景気の急激な縮小と確実に存在する冷戦構造の中で、自らが変革(*)できればよい。それを断行する。(それに耐えることが出来なければ、今度は、米ソ、米中の世界大戦の矢面の先頭に立って第3次世界大戦を主導してより多くの犠牲を払ったかも知れない。)


    歴史に”もしも”はないが、現実的には、一方の柱の米国と組むこと以外に、安定的に存在できないように思われるのは、2009年でも1930年でも全く同じ。


    (*)自ら軍人支配の政治と、強大な軍隊を持っていかに変革できるかは、才能とカリスマのある人材の登場がおそらく内部変革には必要だったろうと思います。でも、明治維新を達成した日本には出来たかも知れません。わかりませんが。

  6. 【1398001】 投稿者: 歴史のもしも  (ID:rFAzZMm.bxc) 投稿日時:2009年 08月 16日 00:10

    ・・・要は、ヒトラーのドイツが前提である限り第2次世界大戦そのものは起こるが、アジア・太平洋側の日中戦争・太平洋戦争をなんとか回避できるたのかどうかが、日本にとっては鍵だったと思われます。

  7. 【1398093】 投稿者: ありえない「もしも」  (ID:aFN81FDq/wQ) 投稿日時:2009年 08月 16日 08:38

    歴史に「もし」はない、というのは、大英帝国支配の現実を肯定的にとらえさせようとしたイギリス人歴史学者の殺し文句で、歴史の「もし」を考えることは、今後の教訓を導くためにも大変重要です。

    >日本が自国の産業を含む国力評価を正確にし、欧米のの政治情報をきちんととり、
    この点は正しいでしょう。日本がこの正確な評価をやっていれば、全く勝ち目のない対米戦争などという愚は、犯さなかったはずです。

    >日独伊3国同盟を結ばず、
    >しかも一国だけで孤立の道をとらず、最後まで日本と敵対していなかった米国と同盟を結び、
    しかし、これは非現実的すぎますね。当時、世界はブロック経済でした。各列強が、自分たちの領域を確保し、相互乗り入れはできるだけさせないというのが基本だったのです。その意味で、どの国も「孤立」していました。
    その中で、米国は、歴史的に香港と上海を拠点とする英国が勢力を浸透させ、その後日本が軍事的に覇権を強めていた巨大市場、中国への乗り込みを考えた。だから、ハルノートで、中国からの全面撤退などという恫喝をしたし、日本はまんまとそれに乗ってしまったわけです。中国の利権をめぐって米国とは正面から対立しており、「最後まで敵対していなかった」などということはありません。日米間で、日独間のような「同盟」の余地は全くありませんでした。


    >満州のビジネス権益、あるいは政治的アイニシアティブを半分は米国と共有し(これらは大事!)、満州国権益を維持し
    しかし、米国との戦争に勝ち目が無いと悟っていれば、ソフトパワー路線で、満洲や中国本土の権益の一部を上手く米国にゆだねるという選択肢は、なかったわけではないでしょう。欧米諸外国は、実は満洲への投資機会を狙っていたのです。具体的に言うと、日本は、石油探索技術が乏しく、結局、満洲の大慶油田を発見できなかった。ここに米国に投資させて、石油を発見させ、その石油は日本がしっかりいただく(もちろん米国にも応分の分け前も渡す)という政策オプションは、当然ありました。これによって、日本は貴重な自前の石油を手に入れることができ、世界のほとんどから承認されなかった満州国の国際的地位も、飛躍的に向上したことは間違いありません。この路線をとれば、もちろん、日本は1941年の段階で対米開戦の必要はありませんでした。
    日本が投資の門戸開放で米国を懐柔して対米戦争を回避し、同時に英国、オランダ、フランスに対しては、そのアジア植民地への攻撃を行う(したがって、米領フィリピンは攻撃しない)、という策をとれば、よかったのです。


    >欧州大戦の終結後には、景気の急激な縮小と確実に存在する冷戦構造の中で、自らが変革(*)できればよい。
    冷戦構造は、連合国対枢軸国の対立の帰結でした。それゆえ、日米の戦争がなく、戦争がより局地的になっていれば、冷戦構造もなかったでしょう。そもそも、満州国が存続していれば、中華人民共和国という社会主義国も成立せず、共産主義陣営は、より小規模なものにとどまっていたはずだからです。日米開戦がない「もし」を考えているのに、冷戦構造を現状のままとするのは、第2次大戦と冷戦との関係を十分理解していないからでしょう。


    >一方の柱の米国と組むこと以外に、安定的に存在できないように思われるのは、2009年でも1930年でも全く同じ
    ・・・ではありません。2009年の日本は、日本敗戦の帰結としてもたらされた日米関係がつづき、日本は米国の属国状態です。対等に「組んで」いるわけでは全然ありません。このような日米関係の存在が、「アジアはアジア人の手で」を力説する中国に、アジアのリーダーの地位を奪われるという皮肉な結果を生んでいます。もちろん、対米開戦の必要などありませんが、 日本はもっと自立し、米国との関係をより対等なものにしなければ、アジアでは信頼されない孤児にますますなってゆくでしょう。そのような日本には、暗い将来しかありません。

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