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投稿者: リンネ (ID:1pPL6yT2Ybc) 投稿日時:2014年 09月 15日 14:46
昨夜NHKで臨死体験の番組してましたが
死後の世界って本当にあると思いますか?
仏教の開祖である釈迦は死後の世界について
どんなことを語ったのでしょうか?
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【3522575】 投稿者: 楽しみ (ID:RSdL9Yx9zPs) 投稿日時:2014年 09月 16日 00:39
自分の最期に、本当のことがわかるのかなあと少し楽しみにしています。でも、感じているものや事柄がリアルなのか脳が作り出した幻想なのかは、脳が処理することでしか認識したことがないから、自分ではわからないですね。結局、最期の時にも、これはどっちなんだろう?と悩んでそうです。それもまた面白いかも。
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【3522598】 投稿者: 臨死 (ID:UsTJyABYDvk) 投稿日時:2014年 09月 16日 02:23
臨死体験を我々に語れるのは、絶対に生者だけです。
ということは、その人は死ぬような思いをしたかもしれないけれど、生きている訳で、「死後」は見ていないのです。
だから、そういう人が「死後の世界を見た」と言っても、それが死後の世界である証拠はどこにもないでしょう。
あるとも、ないとも言えないのだと思いますよ。 -
【3522609】 投稿者: 希望 (ID:Dx55iS5GHb6) 投稿日時:2014年 09月 16日 05:52
先日、祖母がなくなりました。
世話をしていた親族の話ですが、亡くなる3日ほど前から、時折中空を見つめてブツブツと会話をしていることがあったようです。
祖母は『3人会いに来てる』『来い来い、って言ってきて嫌だ』と嫌がる様子を見せていたと。
そのあとは、自分が亡くなる事を自覚したようにあとの事を言い残したそうなので、もしかしたら、本当に『後の世』は有るのかもしれないなと
今は思えます。
そうしたら、大好きな祖母にいつか会えるかも。 -
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【3522765】 投稿者: 楽しみ (ID:RSdL9Yx9zPs) 投稿日時:2014年 09月 16日 09:20
希望さん、そういう体験があるということはわかっているのですが、それが、本当にそういう世界があるのか、脳の中に最期にそういうストーリーを作り出す機能がついているだけなのかが、意見がわかれるところみたいです。
うちの父も、死にかけた時にお花畑やご先祖がでてくる典型的な体験をして、「死ぬのは怖くないぞ」と言ってました。 -
【3522892】 投稿者: 無 (ID:idHe18wFvhc) 投稿日時:2014年 09月 16日 10:54
「人は亡くなったら無である」、というようなことを子どもの頃参加した法事の時のお坊さんのお話で聞きました。
仏もそれを悟ったのではなかったかな。
その、亡くなるまでの過程が怖いから、人はいろんな理由をつけて楽に逝けるようにするんじゃないでしょうか。
亡くなったら苦しみから解き放たれる、とよく言いますが、それはいいかえると幸せも楽しさも感じなくなる=無になる ということだと思います。私はそう思っています。
大好きだった実父がすでに鬼籍の人で、私は自分が亡くなるときには父が迎えに来てくれるだろうか、と楽しみに思ったりしますが、それは心の問題。現実はまったく無になるのだと思っています。怖いとは思いません。
先にあげたお坊さんの話は子どもだった私にもすとんと入ってくるお話でした。
大人たちは、「極楽のお話をして檀家を集めているお坊さんらしからぬすがすがしい話だったわねえ」と話していましたっけ。
私の親族は節目節目の先祖の法事はほぼ全員が集まって熱心に行っていましたが、宗教にすがるものはおりませんでした。 -
【3522917】 投稿者: 観ました (ID:CW.EQ4tXPGU) 投稿日時:2014年 09月 16日 11:14
番組の結論では「臨死体験はつまり死の間際に起こる脳の現象」だと言うことでしたね。
つまり何かがあるのではなく、脳死の直前に起こる一種のエクスタシーのようなもので、もしかしたら赤ちゃんが羊水の中から産道を苦しんで通る時にも同じような現象があるのかもしれません。
亡くなった人に会いたいけれど恐らく会えるのは自分で作り上げたイメージであり、他者ではないのでしょう。
とてもいい番組でした。 -
【3522949】 投稿者: 二宮損得 (ID:pEOnmZwoqUI) 投稿日時:2014年 09月 16日 11:40
お釈迦様は、死後の世界については
「考えるだけ無駄だから考えるな」
と言っています。