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【4103052】今休戦中の朝鮮戦争を最初に仕掛けた国はどこですか?

投稿者: 教えて下さい   (ID:1ZpP1zarEQY) 投稿日時:2016年 05月 09日 15:39

六月二五日、三八度戦全線にわたって韓国軍が攻撃を開始し、先端が開かれた。二六日北朝鮮軍北朝鮮軍は、反撃に転じ、韓国軍はたちまち潰走しはじめた。アメリカは直ちに韓国援助を声明し、早くも二七日には在日空軍を朝鮮に出動させ、一方第七艦隊を台湾海峡に出動させて中国の台湾開放を妨げた。(中略)

 急遽赴援した米軍も、韓国軍同様潰走し、日本を空白にして在日米軍を根こそぎ投入したが、八月末には釜山橋頭堡を辛うじて維持する状態まで追いつめられた。しかし本国からの像援軍の到着によって、戦線の背後仁川に上陸、圧倒的な海軍、空軍の支援の下に北進して、北朝鮮を焦土としながら中国国境に迫った。一一月中国人民義勇軍が参加して戦局は再び逆転し、米軍は敗北して後退し、一九五一(昭和二六)年に入ると、おおむね三八度戦で、戦線が膠着状態となった。

『体系・日本歴史6 日本帝国主義』
藤原彰著 日本評論社刊



没藤原彰教授の書籍
一部抜粋

一橋大学の藤原ゼミにお勉強した皆さんは
朝鮮戦争は韓国が仕掛けたものと習っています。


北朝鮮好きなの?

共産好きなの?

それとも命と引き換えに
啓蒙活動依頼されちゃったの?


尊敬している大先生



・・・これは旬版の奥田愛基関連のスレから抜粋しました。



今北朝鮮は小型の核兵器開発に挑んでいます。
狙いは米国だと思います。
おそらくアメリカが朝鮮半島を混乱に陥れたと思い込んでいるのでは
ないでしょうか?

歴史をまっすぐ見つけたときアメリカが朝鮮半島を攪乱させているのでしょうか

だれか本当の事実を教えて下さい

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  1. 【4108541】 投稿者: 三光という言葉はどこからやってきた  (ID:izbBYwdbg6c) 投稿日時:2016年 05月 13日 12:43

    中国における日本軍の蛮行を記した有名な書物を
    皆様がご存知だろうか?
    戦後日本人自ら贖罪の気持ちで書物にしたのだろうか?

    日本軍戦犯の処置は新中国の重要な国家政策として周恩来が直接指揮をとった。
    公安部長の羅瑞卿は、延安で多数の日本兵捕虜を洗脳している。

    一方ハルピンでは尉官級以上の人たちも「学習」が続けられ「総括書」を書かされた。これは、学習して得た共産主義の認識に基づき、過去の自分を自己批判しろということである。
    罪は重くても完全に共産主義思想になったものは許す。
    逆に軽微な罪行でも思想を改造できないものは重く処罰する、
    としつこく繰り返された。

    中共側は共産主義思想に転向してこそ初めて過去の旧思想時代の犯罪を自供できる、と主張していた。
    つまり「思想改造」と「認罪」の同時工作であり、中共国内の反革命分子に行使した方法と同じであった。

    「認罪運動」
    そして本格的な取り調べが開始された。
    「坦白するものには軽く、逆らい拒むものには重く」という取り調べの方針が告知され、そのスローガンは所内の至る所に掲示された。これをきっかけに「認罪運動」というものも始まった。

    「私はこんな酷いことをした」と戦犯全員の前で自白する発表会がもたれた。

    この「坦白大会」には、中共党幹部も同席し、管理所の洗脳工作経過を視察するものであったが、戦犯達も自分が何を要求されているのかが判り、いよいよ追いつめられていった。


    認罪学習は、徹底して行われた。みんなでしつこく何回も何回も犯罪行為を確認し、自己批判・相互批判が繰り返された。


    「学習」とは言うものの、罪の自白とつるしあげ合戦である。
    「なんだ、それぐらい、俺なんかもっと凄いもんね」
    「お前、それぐらいじゃ足りんだろう」などとエスカレートしていったのだった。


    こういう経過で、日本語にはない罪行や、中共側のでっち上げや過剰な言い分まで認めざるを得なかった。

    とにかく、一日でも早く日本に帰りたい、そのことしか頭になかった。

    また、中共側は余計な自白を歓迎した。
    本人の罪状だけでなく、伝聞した日本軍の罪状まで採集していった。
    戦犯たちは総括書という形で、文章にして提出した。
    当然、文章の巧拙や想像力の大小によって、罪業に迫力の差がでてくる。

    文章の上手い戦犯はほめられ、他の戦犯の文章指導や代筆までやり、悪鬼そのものの日本軍が作成されていった。

    監禁されるとその苦痛や憤り、自己崩壊から逃れるため、加害者の立場に自分を置こうとする場合がある。
    相手側の一員になった気持ちになるのだ。

    撫順に収監された戦犯の中で、下士官・兵などは特に戦争犯罪など起こしていない人ばかりである。
    理由もなく6年も監禁されたのに、自ら戦争犯罪人を認める自白をし、そのうえ不起訴になったら中共の温情に感謝する、看守達と抱きあって泣いたりしたのだ。


    このように、撫順戦犯管理所に収容された日本軍将兵たちの6年間は「坦白大会」などの「認罪運動」による「洗脳」の日々だった。


    そして、何年も洗脳され続けた後にやっと釈放された無実の元日本軍将兵たちだが、驚くべきことに彼らの殆どが日本に帰っても洗脳が解けないまま余生を送った。


    同様のことは朝鮮戦争で人民解放軍に捕まったアメリカ兵にも行われた。

    朝鮮戦争の後半の昭和27年(1952年)、北朝鮮と共産中国は「米軍がコレラやペストなどの細菌に感染したハエ、ノミ、ダニを北朝鮮上空から多量に投下した」と非難した。
    その後、中国は細菌戦が満洲にまで拡大しているとの宣伝を始めた。
    当然、米軍は全面的に否定し、この問題の真相は謎となっていた。

    ところが、平成10年(1998年)になりロシアで、ソ連時代の秘密文書が公開され、共産支那と北朝鮮のでっち上げだったことが判明した。
    言い出しっぺは中国で、北朝鮮が追従したのだった。

    興味深いのは、中国が「細菌戦に従事した」という米空軍捕虜19名の供述書を公開していたことだ。

    序文で「アメリカは石井部隊から細菌戦を受け継いだ」とし、
    供述は微に入り細に入り、あたかも事実のように具体的に述べられていた。

    フランス人作家が北朝鮮で供述書に署名した米空軍兵士2名と面会した。
    米兵の一人は、大げさな決まり文句を並べ「供述書の内容は本当だ」と言い張った。
    だが、もう一人は「自分の供述はたわごとの寄せ集めで、署名したのは無事に帰国したいためである」と語った。

    撫順監獄の出来事を彷彿させる話だ。

    後日、米国に帰国した捕虜達は、供述書の取り消し書というのに署名したが、署名したのは四分の一だけだった。
    残りの4分の3は、米国に戻っても洗脳が解けることはなかったのだった。





    http://bewithgods.com/hope/japan/a10.html



    オウムはこれを参考にしたのかも?

  2. 【4152105】 投稿者: 洗脳  (ID:OlyEmxBUk.k) 投稿日時:2016年 06月 18日 05:16

    日本人はお人好しだから洗脳されやすいのかも

  3. 【4222156】 投稿者: いいかげん  (ID:MuUXqYFnT/Y) 投稿日時:2016年 08月 23日 13:25

    島根県議会は2月22日を「竹島の日」とする「竹島の日を定める条例」を制定しました。
    「竹島」という島自体が日本国内ではあまり知られていなかったと記憶しています。目先の交流や利益で事を荒立てなくないという政府やマスコミの影響もあったのでしょう。
     しかし、この「竹島の日」を知った韓国が猛反発。大々的な抗議活動を行うようになってかえって日本国民の多くが知ることになりました。
     毎度思うのですが、なぜ、わざわざことを大きくしてしまうのでしょうか。黙っていれば韓国の思惑通り、実効支配が続いていたのにと思います。日本政府も黙認に近い形でしたし。まあ、今までの政府がだらしなかったと思います。
     しかし、政府に任せきりにせず、自分たちの国土の歴史をちゃんと知らなかった無関心さも反省しなければなりません。声を上げてしっかりと国土を守るように伝えていきたいものです。
    竹島問題は、太平洋戦争の終戦直後のどさくさに端を発しています。
     戦後、竹島を日本の施政権から外していたマッカーサー・ラインは1952年4月のサンフランシスコ条約発効と共に廃止されることになりますが、その直前の1952年の1月18日、大韓民国大統領の李承晩が、竹島は自国の支配下にあると一方的に宣言し、同時にマッカーサーラインの替わりとなる李承晩ラインを設定しました。
      これは、建国されたばかりの韓国による海洋資源の独占、領土拡張が目的とされています。
     廃止が目前であったマッカーサー・ラインの代わりに独断で公海上に突如設定した排他的経済水域です。
     国際法の完全無視です。この時に一方的に日本の竹島を取り込み、この海域内での漁業は、韓国籍漁船以外では行えないようにして、これに違反したとされた漁船(主として日本国籍、ほか中華人民共和国国籍)は韓国側によって臨検、拿捕、接収、銃撃を受けるなどしました。
     銃撃により乗組員が殺害される事件も起きており、1965年の日韓基本条約締結の際の日韓漁業協定の成立でラインが廃止されるまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人をも数えることになります。
     李承晩ラインの問題を解決するにあたり、連合国による占領下にあった日本政府は韓国政府の要求に応じて、日本人抑留者の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人を放免し、在留特別許可を与えることになります。要は人質を取られ、韓国の要求に屈した訳ですね。
     一方、韓国政府は日本人抑留者の返還には同意しましたが、日本政府が摘発した韓国人密入国者、重大犯罪者、政治犯等の強制送還は拒絶し、日本国内に自由に解放するよう要求しました。ちょっと信じられません。これが現在の在日問題にもつながっていると思われます。
     この「李承晩ライン」に対し、日米両国は「国際法上の慣例を無視した措置」として強く抗議するのですが、当時はサンフランシスコ平和条約を署名はしていたものの、発効3ヶ月前で主権回復ができておらず、海上自衛隊の前身組織である海上警備隊も存在していませんでした。

  4. 【4222185】 投稿者: いいかげん  (ID:MuUXqYFnT/Y) 投稿日時:2016年 08月 23日 13:49

    朝鮮戦争直前「韓国の亡命政権、難民に備えよ」…国防意識高めた山口県 楽観する国とは別に情報収集
    http://www.sankei.com/west/news/150919/wst1509190081-n1.html
    朝鮮戦争勃発前、「そのとき」に備えて現実的な対応に取り組んだ地方自治体がある。半島と地理的に近い山口県だ。韓国の李承晩政権の日本亡命と難民流入対策として、独自に情報収集を進めていた。19日に成立した安全保障関連法をめぐる情緒的な反対論とは対極にある「今、目の前にある危機」に取り組んだ県の対応を、安保問題の専門家も注目する。
    山口県が、国とは別に独自の情報収集に乗り出した直接のきっかけは、さきの大戦終了後、朝鮮半島からの密入国者が増えていたためだ。むろん、戦後に建国した北朝鮮による、不穏な動きを探るのが最大の主眼であった。
    「山口県史」によると、朝鮮半島の緊張の高まりに危機感を持った知事の田中龍夫が昭和22年、まず手をつけたのが、知事直轄組織の「朝鮮情報室」の創設だった。36歳の若さで知事に就任した直後のことだった。
    朝鮮総督府の勤務経験者ら朝鮮語に長けた人材を集め、中波と短波をラジオで傍受し翻訳した。田中はこうして得た情報を分析し「朝鮮情報」という冊子にまとめ、首相の吉田茂ら閣僚に報告していた。25年6月、ソ連軍の庇護下にあった金日成国家主席率いる北朝鮮軍が38度線を越えて南進する直前、「米軍の旗色が良くない。このままでは、(韓国が負けて)いつ日本が北朝鮮から攻められるか分からない」との情報が入ってきた。
    田中は吉田のほか、外相、法相ら複数の閣僚に情報を伝え、「なんとかしてほしい」と要請した。だが吉田からは、「余計なことを言うな」と一蹴された。 その2日後、金日成軍が南に攻め入った。
    吉田は田中の報告を聞く3日前、朝鮮半島の視察を終えたばかりの米国務長官顧問のダレス(後に米国務長官)と会談していた。山口県史からは、この時の会談で、吉田が半島情勢を楽観視していた様子がうかがえる。吉田は田中の“ご注進”に対し、「ダレスは『進駐米軍の士気は旺盛で、装備も充実だ。心配ない』といっていた」と怒った口調で退けたという。
    北朝鮮軍の南進に懐疑的だった吉田は、国家の専権事項である軍事・外交について、地方自治体が余計な口出しをすることに苛立ちを示したとみられる。
    だが、歴史が証明したのは、ダレスの楽観論ではなく、田中の情報が正しかった、ということだ。
    戦局は悪化の一途をたどり、韓国の李承晩政権は北朝鮮軍に半島南端の釜山近郊まで追い詰められた。
    田中の悪い予測が的中した。外務省から山口県に至急電報が入ったのだ。
     「韓国政府が6万人の亡命政権を山口県に作ることを希望している」(山口県史)
    田中は、「わが県民にも半月以上、米の配給が滞っている。朝鮮の仮政府受け入れなんて、とんでもない話である」とし、李承晩大統領の亡命政権構想にNOを突き付けた。
    目の前の危機
     防衛研究所(東京都目黒区)の庄司潤一郎戦史研究センター長(57)によると、知事の田中に代表される山口県の危機意識は、県の置かれた地理的特殊性と欧米列強と砲火を交えた歴史的な背景にある。
     田中の時代より半世紀さかのぼる。
     長州藩出身の山県有朋首相は、明治23年(1890年)の第1回帝国議会で朝鮮半島について、わが国の独立自衛のための「利益線」として保護すると演説した。
     山県の演説にみられるように、朝鮮半島がわが国の安全保障上の要衝であり、「朝鮮戦争は対岸の火事ではなく、『今そこにある危機』との意識が、田中知事ら山口県人に脈々と引き継がれていた」と庄司氏は指摘する。
    幕末、長州藩を舞台に起きた下関戦争(注)で近代的な装備を持つ欧米の連合艦隊に打ちのめされ砲台を占拠された苦い経験も手伝い、対外情報には特に敏感になっていたようだ。
     日本政府に対し、李承晩亡命政権の受け入れを拒否した田中だが、実は具体的な受け入れ準備も同時に進めていた。地方自治体の首長の政治判断を超えたものだといえるが、難民流入と李承晩政権の亡命が現実に起こりうる可能性を否定できなかったからだ。
    当時の緊迫した様子は米文書からもうかがえる。
    「韓国首脳は絶望しており、大統領と内閣を亡命政府として日本に移す可能性について尋ねてきた」
     「米国の外交関係」(国務省編)の「1950 Korea」などによると、開戦2日後の25年6月27日、ムチオ在韓米大使が、アチソン国務長官にこう打電していた。亡命先には山口県のほか、米・ハワイも選択肢にあった。
    山口県が作成した極秘文書「非常事態計画」によると、韓国人5万人を受け入れた場合の避難キャンプを山口県阿(あ)武(ぶ)町などに作る計画を立てていたことが分かっている。
    韓国「屈辱的報道」
    米軍を中心とする国連軍の反攻で、韓国側は盛り返し、山口県への亡命が実現することはなかった。
    だが、日米双方の物証にもかかわらず、韓国側では李承晩政権の日本亡命要請について「屈辱的」との受け止めが広がっている。
    韓国テレビ「KBS(韓国放送公社)」が今年6月に李承晩政権の亡命構想を放送したところ、「屈辱的報道」との批判が起き、KBS幹部が降格させられる事態に発展した。
    韓国大手紙「ハンギョレ新聞」によると、韓国国内の保守系団体がKBS本社前で「李(承晩)大統領を卑怯な亡命企画者として人民裁判にかけた」と抗議活動を行うなど、事実関係とは違う次元で波紋を広げている。
    李承晩政権が山口県への亡命を検討した事実について庄司氏は、当時の戦況と国際情勢を総合的に判断すれば、「亡命することは恥ずべきことではなく、李承晩の権威を汚すものではない」と語った。
    下関戦争 幕末の文久3(1863)年同4(1864)年の前後2回にわたり、長州藩と英、仏、蘭、米の列強4国との間で起きた武力衝突。長州藩は大敗し、外国との通商に反対するのではなく、開国すべきだとの思想が広がり、後の明治維新につながった。

  5. 【4366847】 投稿者: できない  (ID:Qzsnnh7m2Kw) 投稿日時:2016年 12月 19日 00:15

    朝鮮進駐軍 戦後の日本で朝鮮人が土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃、強盗、暴力事件など非道の限りを尽くしましたが、GHQは何故『朝鮮進駐軍』を放置したんですか? ---------- 連合国総司令部(GHQ)の担当官として終戦直後の日本に駐留し、 後にハーバード大学教授となったエドワード・ワグナー(朝鮮史)は、 『日本における朝鮮少数民族』(原著1951年)という論文で次のように記している。 『戦後の日本においては、朝鮮人少数民族は、いつも刺戟的な勢力であった。 数においては大いに減ったものの、朝鮮人は、依然として実に口喧しい、感情的・徒党的集団である。 かれらは絶対に敗戦者の日本人には加担しようとせず、かえって戦勝国民の仲間入りをしようとした。 朝鮮人は、一般に、日本の法律はかれらに適用され得ないものとし、アメリカ占領軍の指令も同じようにほとんど意に介しなかった。そのため、国内に非常な混乱をおこした。』

  6. 【4367011】 投稿者: 本当の事実なんてわかるわけない  (ID:B1l0P9MJaPw) 投稿日時:2016年 12月 19日 08:32

    どちらが先に手をだしたかなんてわからないと思う。ただひとつ言えることは当時の米ソはイエローマイス扱いされていた朝鮮の人々がどうなろうと構わなかったことだけはわかる。古代より侵略されっぱなしだった朝鮮半島に、2つの国に分かれてしまったが朝鮮民族の主権国家ができた意義は大きいと思う。

  7. 【4370485】 投稿者: 源氏川  (ID:aUJRGCy5Cos) 投稿日時:2016年 12月 21日 23:38

    当時、米国は韓国にまともな重火器は与えていなかった。彼等を信用してなかったのかの。
    その韓国がソ連から重火器や戦車、ミグジェット戦闘機(最初はソ連のパイロットが操縦してたとか)まで与えられた北朝鮮と戦争状態になった。そんな状態で韓国から先に手を出したとしたらよほど愚かじゃな。
    結局北朝鮮は赤子の手をひねるように攻め下りあっという間に残すは釜山周辺だけになった。普通、戦争を仕掛ける方は、十分な準備をしてやるもんじゃ。

  8. 【4623882】 投稿者: 積分定数  (ID:H/831zHIs96) 投稿日時:2017年 06月 27日 00:08

    インチョン上陸作戦の時に日本は軍事力を行使しています。ご存知かな。戦後日本は憲法9条のため戦争をしていないというのは嘘なんですね。

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