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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4382669】 投稿者: お教え下さい  (ID:FAYvoUWAjV2) 投稿日時:2017年 01月 02日 18:44

    数年前の冬季TVを見ていた時の出来事です。

    あるチャネルで日本全国の「インフルエンザ流行地域」を赤色と青色の色分けを府県単位でした日本地図画面がありました。

    何かの理由でチャネルを変えました。そこでは日本全国の「豚肉好きな地域と牛肉好き」の全国府県を赤色と青色で色分けでしていました。

    ビックリ!!!!!その色分けが、ほぼ同一でした。TV画面の時間は短かったので詳細に比較はできませんでしたが‥

    何か日本の成り立ちを垣間見たような気がしました。

  2. 【4384258】 投稿者: ちはやふる  (ID:m1sY2K0wF2Y) 投稿日時:2017年 01月 04日 08:58

    お教え下さい様

    インフルエンザ流行の都道府県別分布図と、豚肉・牛肉の消費量のそれとの色分けが同じと言うことですよね?
    なにか定量的なサンプルでもあればよいのですが。
    北海道とか東北地方ではスキヤキにも豚肉を用いることは、聞いたことがあります。関西の方は牛肉ですね。
    ですから色分けも消費量の面から何となく想像できますが、インフルエンザ流行はどうなのかしら? 年度によって流行地域は偏るように思います。関東・関西だったり、東北地方だったり。
    やはり単年度のサンプルから、某の法則性、普遍性を汲み取るのは、少し難しいように思います。
    日本の成り立ちとの関連となると、ちょっと首を傾げてしまうのが正直なところです。

  3. 【4385100】 投稿者: 暇なおじさん  (ID:CxG03Q4CCH2) 投稿日時:2017年 01月 04日 23:12

    天皇の退位問題は措置法で(1代限り)決着がつきそうですね。
    これは最初に措置法ありきではなく政府内の意見もいろいろあり、一致した
    結論を出すことが出来ないからのようです。専門家の意見も特に措置法を支持
    するものが主流でもなかったようですが、予想通りというか有識者会議の結論
    は皇室典範には触れず措置法での対処となりましたね。

    ここで当局では憲法研究に苦労しているようです。憲法の1~8条は過去専門家
    の研究や、議論もなく資料や判断材料がほとんどないそうです。
    仕方なく明治憲法まで遡って研究しているそうですがなかなか大変らしいですね。

  4. 【4389317】 投稿者: イワサキ  (ID:oD1SY.eFo/s) 投稿日時:2017年 01月 08日 13:27

    冷静にかんがえるとさん、皆様方
    ご挨拶が遅れましたが、本年もよろしくお願いします。

    >西行法師は伊勢参宮の折り、「何ごとの存(おわ)しますかは知らぬども かたじけなさに涙こぼるゝ」(異本山家集)と詠み

    武士道だけでなく、仏の道、人の道、それぞれの道を究める事は現代社会にも通じることですね。伊勢神宮にお参りするだけでただただ涙があふれてしまう、
    いたるところに神様があふれている、、1000年の時空を超えて私たちにこの情感を伝えてくれる言霊は、日本語ならではと言えるでしょう。

    年末から年始にかけて、大晦日の大祓い、元日の四方拝、同日の歳旦祭、3日の
    元始祭と多くの宮中祭祀が行われている。中には夜明け前より行われる祭祀もあり、御身体の負担は相当なものであると思われる。
    宮中祭祀は国家、国民の安寧を願う祭祀です。
    天皇陛下の御譲位に関する、有識者会議、16人の識者が意見を聴取されているが、宮中祭祀について語った識者は二人だけ、摂政を推した識者もいたそうだが、摂政は宮中祭祀の代行不可であり、識者とは何の識者なのかなと思った次第である。(あえて触れないシナリオと考えたいが・・・・)

    本年度は我国では、天皇陛下の御譲位関係、アメリカのトランプ大統領就任、
    フランス大統領選挙、ドイツ総選挙と、昨年の英国のEU離脱国民投票から続く激動の一年が想像されます。

    激動の渦に巻き込まれないために
    あらかじめ感じ(予感)
    あらかじめ想い(予想)
    あらかじめ測り(予測)
    あらかじめ防ぎ(予防)
    あらかじめ約す(予約)
    五感を研ぎ澄まし、時代の荒波を乗り切って行きたいと思います。

    それでは

  5. 【4394319】 投稿者: イワサキ  (ID:DvQHHZ4qdKI) 投稿日時:2017年 01月 12日 06:47

    元号が話題になってるので以前の書き込みを再掲載しときます。

    【4277315】 投稿者: イワサキ (ID:uNjokJq98Es) 投稿日時:16年 10月 08日 09:06

    天皇陛下の御譲位に関する有識者会議についてだが、
    現在の有識者会議ではなく、昭和から平成にかわるドタバタの中でどのように
    元号が平成に決まったか、平成記 青山繁晴著 幻冬舎文庫 これを読んでみたらどうでしょうか?
    昨日新幹線の中で読み終えました。2、3時間で読めるでしょう。

    昭和天皇崩御の際の世間の息遣い、参議院議員になった青山繁晴氏の記者時代の取材をもとにして書かれ、日本国政府は用意周到に昭和天皇崩御のはるか10年前より、元号法を改訂し水面下で用意していたことが読み取れます。
    有識者8人と、衆参両院の正副議長合計12人で有識者会議開き、電光石火で元号、平成を誕生させてます。
    修文、生化、はローマ字の頭文字が昭和とおなじSになるので不都合だという意見をだしてもらい、平成に決定です。全部で7つあったらしい元号案、京都の学者が出した、文思、天章、光昭など、政府は用意周到に、昭和天皇崩御10年前より、数人の学者から案を募っていたと思われる。

    御譲位の運びは当然として、元号も水面下では、決まっていることでしょう。
    いずれにしても興味のあるところです。

    【4277684】 投稿者: イワサキ (ID:uNjokJq98Es) 投稿日時:16年 10月 08日 15:24
    元号につき興味がわき調べてみました。
    慶応、明治、大正、昭和、平成と続いているが、江戸時代は徳川幕府が全て奏上してきたが、幕末に幕府が孝明天皇に従う意見書をだし、江戸幕府創設以来の改元制度の終焉した、孝明天皇がいくつかの候補から慶応を選んだ。(いくつかの候補の中に平成があった)

    明治は江戸時代だけで8回、計10回候補にあがり、11回目で初採用、明治天皇がみずから抽選した。
    大正も過去4回候補にあがり、5回目で採用
    昭和は64年続いたが、歴史上60年以続いた元号は清の康煕(61年)乾隆(60年)、昭和は最長で、戦前、戦後と激動の時代であった。

    天皇陛下の諡号のに直接関係する年号、ローマ字表記のK、M、T、S、H
    を除いたもので、過去に候補になった元号案を調べてみるのも面白いかもしれない。
    平成が幕末に候補になり、二度目候補となり採用されるまでに124年を経た。
    今上天皇陛下が即位し125代目の天皇になったのも、歴史にまつわる何かの因縁かもしれない。

  6. 【4395145】 投稿者: イワサキ  (ID:oD1SY.eFo/s) 投稿日時:2017年 01月 12日 20:03

    今朝の朝刊より
    天皇陛下の譲位後の称号、太政天皇、上皇は使用せず前天皇や元天皇(毎日)
    称号は太政天皇(上皇)で検討(日経新聞)
    午後
    政府首脳、毎日新聞の称号報道を否定(産経新聞)

    トランプ次期大統領が、CNNをフェイクニュース揶揄していたが、
    上記のニュースではどのニュースがフェイクなのか?笑
    政権中枢に太いパイプがないマスコミが飛ばし記事を書いたのは一目瞭然。
    また、ガセネタを意図的につかまされ、社の方針と合致したため飛びついた可能性もあるかな、
    元号や天皇陛下譲位後の称号は無形文化遺産だと考えます。
    日本の伝統、文化を少しでも破壊したい勢力が白昼にさらされるのは、国民にとっても非常に恩恵があるのではないかな。

    歴史は繰り返すので、90年前に起きた世紀の大誤報、大号外について記しときます。大正天皇崩御直後に、東京日日新聞(元毎日新聞)が号外で新元号は光文と報道した。しかし宮内庁が同日に発表した元号は昭和であった。
    これがいわゆる光文事件。数社も後追い記事を出した。
    誤報と言われているが、正式発表の前に、号外がうたれたため昭和に差し替えた可能性もあるそうだ。(誤報を打つDNAがあるのかな)

    元号は天皇陛下の崩御後の諡号になるためまさに国家の機微情報でありセンシティブなもの。
    天皇陛下の譲位後の呼び名、元号はまさに無形文化遺産
    軽々しく、前天皇とか元天皇とかの呼び名で済ませようとする社の方針があらわにされてしまったことになる。

    元号を予想するのも楽しいが、言い当ててしまった瞬間に差し替える可能性も当然あるだろう。よくよく考えて報道してほしいものである。

  7. 【4407192】 投稿者: イワサキ  (ID:JyZOT1jmeXI) 投稿日時:2017年 01月 21日 11:59

    >「道」といえば新渡戸稲造が「武士道」を著すきっかけとなったのが、留学先のベルギーで某法学部教授に、「日本には宗教教育がないのに、どう道徳教育を授けるのか」と問われたことらしい(「武士道」矢内原忠雄訳編、1938年、岩波文庫)。

    国際連盟事務次長を語学に堪能であった新渡戸稲造、彼の著した武士道は欧米人にも広く知られているが、対局にあるのが

    (武士道といふは、死ぬ事と見付けたり)の一句で名高い葉隠
    新渡戸の武士道が陽ならば、葉隠は陰。この葉隠は江戸時代には禁書扱いになっていた。上記の一文だけ抜き出され、特攻隊で詠まれた悲しき時代もあったが
    武士道といふは、死ぬ事と見付けたりは主君(君子)のために死ぬとの明記がないため禁書扱いになった模様。
    (恋の至極は忍恋と見付けたり)
    究極の恋は相手に告白せず相手を徹底的に守る、大切な人を守りその人のために死ぬ、これが武士道であると言っている。
    なお、あくびの隠れた出し方や、翌日の事は前の晩から考えろ、仕事に関しては死にもの狂いであるべしと現代のビジネスマンにも十分通用する内容である。

    この葉隠れを20年以上もバイブルとして片隅に置いていたのがかの
    (葉隠入門、三島由紀夫)この本は私の座右の書であると記している。

    くしくも半世紀前の三島由紀夫の肉声がTBSから出てきた。(三島事件自決、9か月前のインタビュー)
    死が肉体の中に入ってきたきがする。
    憲法9条が全部いけないのではなく、憲法9条二項がいけない。日本人はごまかしごまかし生きてきた、僕は20年間ごまかしごまかし生きてきたことが大嫌いと述べている。
    50年前に現代の日本の置かれた状況を予言したような内容でまさに慧眼である

    1965年から毎年、ノーベル文学賞の候補には、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫が入っていたが、推薦状を書いたドナルドキーンは、日本の社会的慣習を考え年長者から順番に受賞させるように書いている(年功序列、縦社会の人間関係)を踏まえたのだろう。谷崎潤一郎が没し、年長者の川端康成がノーベル文学賞を受賞したのは衆知のとおり。
    川端康成は受賞記者会見で、三島由紀夫の年齢が若すぎたことも受賞要因となべている。
    歴史にもしはないが、この時三島由紀夫がノーベル文学賞を受賞していたら、
    三島事件での自決はなく、二年後、川端康成も自ら命を絶つことはなかったかもしれない。

    最後に、彼は天皇は歴史的連続性の象徴であると述べている。
    まさに
    天皇(元号)は、我が日本国の歴史的連続性の象徴である。

    三島由紀夫の慧眼にはただ驚くばかりである。

  8. 【4420819】 投稿者: イワサキ  (ID:HxDh1Mr9j9s) 投稿日時:2017年 01月 29日 12:13

    25日に兵庫県教育委員会、淡路市教育委員会から
    淡路島舟木遺跡において、鉄器生産工房、手工業品工房跡が発見されたと発表あり
    工房は2世紀後半、舟木遺跡は(1世紀~3世紀初頭)に存在した。

    このスレッドで昨年10月淡路島で発見された松帆銅鐸が島根(出雲)で発見された銅鐸と同じ工房で制作された可能性が高いことを記載した。出雲加茂岩倉遺跡(銅鐸39個)荒神谷遺跡(銅剣銅矛374本銅鐸6個)が発見されているが銅鐸圏に銅鐸を配り同じ祭祀を行わせ支配権に組み入れた、銅鐸圏は近畿中心に三河、北陸まで。

    淡路島には、銅鐸だけでなく鉄器の材料を融通した。(鉄は出雲、但馬に古来の工房が集中)流通経路は、但馬豊岡から、日本一低い分水嶺、播磨を川で遡り、加古川で淡路島へ、桂川(保津川)を下り山城(京都)に入った。

    同じ時代に滋賀県彦根に存在した稲部遺跡の日本最大級の鉄工房(2世紀~4世紀)
    、淡路島と近江の遺跡は同一勢力圏のものか?私の推論では否である。
    この淡路島の舟木遺跡、銅鐸、近江伊勢遺跡、そして出雲の加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡はすべて同一時期(2世紀後半に姿を消している。)
    銅鐸はこの時代に、三河北陸まで分布していたが、忽然と姿を消し粉々に砕かれ地中深く埋められた。そして240年前後に突如として大和纏向遺跡に中央集権体制の大型都市が現れた。出土した土器は尾張、三河、伊勢、美濃北陸で50%以上、生活習慣と一緒に人は移動すると考えれば纏向遺跡は上記の人々が作った政権になる。

    滋賀県近江稲部遺跡は、纏向遺跡が出現したのちも稼働し存在していることを考えると、後年、継体天皇を推した勢力(尾張、美濃、近江、北陸勢)と同じ勢力が、纏向遺跡を立ち上げた勢力と思われる。

    新しい遺跡が発掘された際に、いつまで稼働していたか、纏向遺跡出現の前か、またはその後も稼働したかでどちらの勢力あ想像することは可能となる。
    忽然と姿を消した銅鐸(祭祀)なぜなのか?
    歴史研究家はここを論点にして真摯に、議論していただきたいものである。

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