最終更新:

923
Comment

【1699057】親の先回り

投稿者: 動機が大事だよね   (ID:65LS/7rI0DE) 投稿日時:2010年 04月 20日 08:18

昨日のNHKに益川さん出ていました。

大学進学時のエピソードが面白かったですね。
父親は「商売に学問は要らない」と大学進学に反対。母親が必死に懇願して一回だけ受験させるという了解を取り付け猛勉強。


益川氏のモチベーションは高校時代に科学雑誌で名古屋大の坂田教授の記事に触れた事。「あの先生の下で物理学を」となったそうです。



親に反対されても自らの意思で受験する生徒のやる気は本物でしょう。
そういう話は昔は良く聞いたものです。押さえられて反発して自分の道を切り開いていく。


親にレールを敷いてもらってその上を走ってくる事の多い現在の学生さんとは大違い。自分の道は自分で決めるという強い意志をはぐくむためには親は先回りしない方がいいんでしょうね・・・・・・・多分。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「中学受験情報に戻る」

現在のページ: 113 / 116

  1. 【1762781】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:8BoofOhtHI.) 投稿日時:2010年 06月 12日 08:08

    人材論、天才論になってきましたね。日本の停滞を打破するにはどういう人材を見出し育てるかという話になってきました。



    碁の話ですが20年ぐらい前までは日本が圧倒的に強く、日中名人戦などやるとこてんぱんに負かしていました。それが今はどうでしょう。韓国に抜かれ中国の若手にも勝てなくなりました。


    「ヒカルの碁」がはやって日本も有望な若手が現れるだろうと言われていたのに結局井山裕太のみで、それでも国際戦になると中韓に勝てない。富士通杯などベストエイトに日本人棋士が残れなくなりました。


    原因として韓国では収入が多いとか中国はそもそも人口が多く才能のある子供の数も多いとか挙げられていますが、私は日本の家元制度のような「定石にこだわる」「定石にとらわれる」教育法のようなものも関係しているのではないか?・・・・・・・・と考えています。


    自由に打つと「そんな手はない」とか「それは定石はずれ」とか言われ、過去の定石を打ち破る新手が生み出せない土壌があるのではないか?基礎教育のときに余りに型にはまったものを押し付けられるとプロのトップになっても発想に無意識に制約がかかってしまうのではないか?



    過去の成功(中韓を圧倒していた。日本の囲碁は世界最強)に胡坐をかいて教科書的な定石や定型から一歩も出られないとしたら・・・・日本の碁はこれからも駄目だろうと思う。



    日本の教育にも同じ事が言えるのではありませんか? 受験に有利という発想から「暗記数学」を提唱している和田さんの方法がある集団から支持されているとしたら・・・・・・「自分で考え抜く力」など一生つかないでしょうね。

  2. 【1762786】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:8BoofOhtHI.) 投稿日時:2010年 06月 12日 08:11

    あれ? やはりすぐにアップされませんね。
    「どこまで続く塾依存」と同じでここも書き込めなくなるかもしれません。


    管理人さん、見ていたら直してもらえませんか? ここは沢山の方が投稿していますのでよろしくお願いします。変な過熱はもうないと思いますから。

  3. 【1762837】 投稿者: 地域、時代  (ID:9hn/sa0y1qc) 投稿日時:2010年 06月 12日 09:23

    私は高学歴が必須の集団の職場ではなかったので、ただただ「夢を叶える」という事だけを体験しました。

    世界的に「天才」と呼ばれる人が、ある学校でその道を志す若者に話をしました。
    (日本語でなかったので、私が訳してます)
    「みなさん、自分の好きな事をとことん追求して下さい。そうすれば、おのずと結果はついてくる。僕が今ここに立ってるのは、ただただ自分の作りたい物、作りたい作品を、自分を信じて作り上げてきただけです。」
    と。

    「自分を信じろ。そうすればおのずと結果がついてくる。」と。

    もちろん、これは、全ての人に当てはまる言葉ではない。


    しかし、一方で「夢は必ず叶うっていう人達って偽善的だ。そういう人達は、叶えられたからそんな風に言えるんだ。結果が伴ったから言ってるだけだ。」という若者もいる。
    私はそういう若者に言いたい。
    「いいえ。夢は叶うんですよ。」と。

    私は「人は、叶わない夢はみない」と思っています。

    しかし、一方で、絶対に無理だろう、、と思う夢にしがみつくように執着し、ただただ夢追い人で終わってしまう人もいる。
    そういった人達、途中で脱落していく人達に私が感じた共通項は
    「知識のなさ」と、「自分に甘い」といった部分。

    この、知識のなさ、、というのは、私達親世代の公教育を真面目に受けていれば、ある程度の本を読んだり、また、勉強をしなくとも、テレビの中から情報を得て、「俺なら出来るかも」と思う「自己判定能力」というもの。
    情報収集能力とでもいえば良いでしょうか?
    この自己認識と情報収集能力がない者は、自分が叶えられる夢を持ちにくい。
    「俺はここが弱いけど、ここを伸ばせば良いんだな。そうすれば、俺の夢は叶う」と。
    そうすれば、おのずと自分の夢を手に入れるルートが見えてくる。
    そのルートを見つける能力が、私は「知識」だと思っています。

    漠然と夢だけ追って破れていく者たちは、正しい自己認識が出来ていない。
    正しい知識を伴った自己認識が出来ていれば、人は自分に適した夢をみる事が出来ると私は考えていますから。

    そして、もう一つの「自分に甘い」という部分。
    これは、一つの仕事に向かった時、「きつい。。」と思う状況は、人それぞれ。
    同じ仕事をしていても、自分の持てる10の力で、5で出来る者もいる、8出さないといけない者もいる。
    でも、8の努力を出し続ける事が出来る、常に10の努力が出来る者こそ、その分野の天才と呼ばれる人になっていくのかな。。と。
    そして、それが出来るのは「その事をやってる自分が好き」「その物事を追求している時が最高の幸せ」という個人の’気持ち’。

    そんな私が親として感じる事は
    「自分達が知らない世界に子供が飛び込もうとする時、親も勇気を持とう」と言う事です。

    親という者は、自分と同じ環境で、自分より子供が少し上出来、程度を望む人が多いと思います。
    親の知らない世界は「怖い世界」だから、子供には「自分の知ってる範疇の仕事に就いて欲しい」また「世間一般に優秀と言われる集団に属して欲しい」と思うのが親心。
    その「親心」で我が子の夢や才能、我が子がやりたい事を私達親がつぶさないようにしないと、、と、私は常に自分に言い聞かせています。
    私が常にうちの子に言ってるのは「自分のやりたい事をやり続ける環境を得る事。それこそが最高の幸せだとお母さんは思う。」と。

    そして、これは余談なのですが、私が関わりのあった天才と呼ばれる人たちは、全員が「可愛い人」でした。
    私よりもうんと年齢が高くとも、自分を支えてくれる人達を怒鳴り散らしていようが、彼らは、自分を支えてくれる人達から’愛されていた’。
    これは、おそらく彼らが’人を愛していたから’だと思います。

    ちょっとだけ、世間に名が出て消えていく人達も見てきました。
    彼らは簡単な言葉で言えば、自分の得をする事だけをやり続け、自分を支えてくれる人達から嫌われて、孤独な状況に追いやられた。
    自分と対峙して孤独になる事と、人から疎外される孤独は全く別のもの。
    これは、もう、単純な言葉の方が良い。
    ’人から好かれない’人になっていった。のです。
    成功や金銭的な部分で言えば、名声は自分の者だけ、後進者の使い捨て、みたいな行動。
    人を愛していれば、そんな仕事の仕方が出来るはずがない。

    仕事というものは、ある日突然降って湧いてくるものではない。
    天才、と呼ばれる自分達も、また、昔の天才と呼ばれる人達から引っ張り上げられて世に出てくる。
    なので、自分がその位置に来た時は、自分と同じ夢を持つ者に、’自分がそうしてもらったように’してやらないといけない。
    それが出来ない人達は、支えてくれる人達がついてきません。
    結果、継続して自分のやりたい仕事と、やりたい事をやり続けられない環境に追いやられてしまう。

    私は、前に「私達親世代の公教育で良いのに」と書きました。
    親が学歴がなかろうが、あろうが、本人が補助的に塾や予備校を利用して、自分で自分の立ち位置を確保する事が出来たと思います。
    ゆとり教育が生み出したものは「生まれ育ちが子供の一生を左右する」。
    戦前の日本の格差社会と似た環境だと思います。

    「個性」や「才能」を伸ばすというものは、私は西洋文化に染まっているが、身近に西洋文化のプラス面もマイナス面も実感できない、日本人に真似する事は難しいと感じます。
    しかし、他の方から「情報化社会、塾産業の発達した今、それは難しいと思う」と例をあげてもらい、私自身も「確かに、そうかも知れない、どうすれば良いんだろうな」と、この部分は私はわかりません。
    ただ、私はゆとり教育は日本人にはあってないんじゃないかな~と感じています。

  4. 【1762888】 投稿者: あ  (ID:DO9vtNEabmk) 投稿日時:2010年 06月 12日 10:20

    そう

  5. 【1763536】 投稿者: 量的  (ID:3SmSVtZ7emA) 投稿日時:2010年 06月 12日 22:25

    こんばんわ
    傍観者さん、一つ教えてください、天才って書かれていて、天才型児童って書かれているわけですけど、ちょっと定義がイメージわかないのですが、一体、全国の同学年120万人のだいだい何番の想定でしょうか。



    <傍観者さんWrote>
    >天才型児童が従来の教育システムでは順応できず、才能を開花せずに終わってしまうことがあるとしたら、国益として大損失ですので、彼らが開花できる方法を模索したい。

    天才は尻を叩いて競争させて作り上げるものではないと思いますので、彼らが楽しく学べる環境を考えてやりたい。

    天才は概して集団になじめないケースやひとつのことに秀でていても他は劣るケースが多く、彼らを育てる機関には教育と福祉の両面が求められるのであり、そこで例え才能が開花せずとも脱落者などという発想はそもそも存在しないものであってほしい。(福祉に脱落者とか切り捨ての考えはあってはならない)

    通常の教育システムの中で順応できる天才型児童はそのまま学べば良く、ただしできるだけ学校の拘束時間を減らしてやり(これは他の普通の生徒も同様に減らしてやりたいのですが)個別の拡充学習(人によっては塾学習)などで才能を伸ばして欲しい。

  6. 【4554504】 投稿者: 昔「視点」という名で書かれたコメント  (ID:F.3/rLWhah6) 投稿日時:2017年 04月 28日 15:14

    「最近出た「灘校」という本からの引用
    橘木俊詔 著  光文社新書

    京大医学部に免疫学で著名な本庶佑教授がいたが、私の京大時代に
    「灘などの受験校から多く京大医学部に来ることを避けたい」とある会合で述べておられた。
    「なぜですか」と私が尋ねると、「難関医学部に入学することだけが目的の学生がいて勉強しなくなるし
    同窓生だけでつるんでいることが多い」という回答であった。そのため、「私も灘OBです」と伝えにくくなった記憶がある。」

    本庶佑教授は、灘などの受験校からは京医にきてくれるなと言っていた。
    つまり、京医入学者のうち、①「灘などの受験校」出身者のグループと②それ以外の学校出身者のグループで、明らかに①のグループは医者や研究者としての適性がなかったわけです。(大学合格だけが目的の学生は適性欠如の最たるもの。)
    そして①グループと②グループの違いは中学受験の有無だから原因はそこにある。

    同じことを学ぶにしても、受験(点数)目的で学ぶのと、知的好奇心から学ぶのでは全く違います。(偏差値が高い中学の志望者ほど、受験勉強にどっぷりつかってしまう。)
    それに比べて、本庶佑教授は、受験勉強といった点数をとるためではなく、知的好奇心を伸ばしてきた。(中学で点がとれてうれしかったというのも、知的好奇心による学びの結果であって、点をとるために勉強してきたわけではない。)

    本庶佑教授は「研究は、好奇心を忘れず、勇気を持って困難な問題に挑戦し、必ずできるという確信を持って、諦めずに集中を継続することが大切です。その中でも「好きなことに挑戦し続けること(curiosity, challenge, continuation )」は基本だと思います。」と言われていますが、ここらあたりに、点数や受験のための受験勉強に長けた受験秀才が研究の場で頭角を現わせない理由があると思いますね。

    http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb/no37/index.html

    ここは中受のスレだから、中高一貫出身の生徒には医者や研究者としてのの適性がないという事実を認めたくないのはわかりますが。
    藤沢数希氏のブログには受験秀才が東大に入ってから使い物にならない例が書き込まれています。
    (「天才小学生たちはどこに消えた?」で検索してください。)
    これも私の考えと整合します。

    大学は、「志」を達成するための手段ですから、「大学までの人」は東大や京大に入ろうが無価値。
    東大や京大に入らなくても、社会で頭角を現す人はいくらでもいる。
    (最近はノーベル賞学者や話題になる学者の中で、東大卒や京大卒はほとんどいませんね。)

    もちろん、中高一貫私立だからといって、全員が全員、「大学までの人」で終わるわけでもない。
    中学受験をしていても、親がまともな考えをもっていたら、偏差値至上主義や受験至上主義に洗脳されることもないでしょう。(現実には、中学合格と同時に医学部目指して子供の塾に放り込むような親もいるらしいので、洗脳されている親も結構いるようです。)
    だからといって、中学受験の弊害がないということではないですね。
    「条件」などではなく「傾向」があるということです。

    誰でも1日24時間。
    受験勉強に比重を置きすぎれば、それ以外の経験ができなくなる。
    学生がすべきことは受検勉強以外にありませんか?
    そんなことないですよね。
    東大や京大や医学部合格のランキングを貼り付けて、勝ち組や負け組、どこの学校が上だの下だの、偏差値が低い学部は価値がないだの、エデュでの書込みをみたら、お受験にどっぷりつかってきたために、子供の頃から身につけておくべき人としての基本的なものが欠落していることがわかります。
    研究に限りませんが、受験で点をとる能力ではなく、「人としての基本的なもの」が大切なのですね。
    本庶佑教授が受験秀才は京大医学部に来てほしくないと思われたのは分かります。

  7. 【4554806】 投稿者: 公立一貫  (ID:musgCOCh7IE) 投稿日時:2017年 04月 28日 20:04

    誰が上げたのかわかりませんが、あまりにも懐かしい名前が多くつい書き込んでしまいました、シルバースプーンさん、量的さん、企業人さん、適性さん、地域時代さん、お元気ですか?動機さんと視点さんはまだご活躍中なのでまだまだ頑張ってください。
    このスレが出来たとき、大学1年だった息子も、7年かかりましたが何とか研究職として社会人になることが出来ました、いろいろなアドバイスもいただき本当にありがとうございました。
    みなさまどうかお元気で。

  8. 【4556458】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:u4uNzoUDNqg) 投稿日時:2017年 04月 30日 08:30

    公立一貫さん、お久しぶりです。

    優秀なお子さんですから先が楽しみですね。お孫さんも小学生になる頃ですね。うちの3番目も就職が内定しほっとしています。皆さんのお子さん達も卒業、就職と一段落ついた頃だと思います。

    過ぎてみると子育てはあっという間で親の役割ももう終わります。ニートや引きこもりになっていないだけで良しとしています。親の出来ることなど限られているけれど自主独立の精神と外向きの積極性だけは身についたようです。

    周りの田んぼは休耕田が増え、水路も手入れが行き届かず鴨たちも進みにくそうです。いつものカルガモも子育てをしなくなって久しいです。高齢化による田園環境の悪化は明らかに進んでいます。

    でもまだまだ自然はあります。月並みですが百名山を少しずつ登っていくつもりです。若い頃にやり残した勉強や読書をしこしこやっていきます。

    公立一貫さんもお元気で。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す