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投稿者: あらためて実感 (ID:m2HtMAk9DWU) 投稿日時:2005年 06月 05日 15:41
本間勇人氏(前職:日能研の重鎮、現職:NTS教育研究所所長)がHonma Note という
サイトで鴎友について下記のようにコメントされておられます。【私学Brackeing】の
「学校探し(54)〜進化し続ける鴎友学園女子」(2005年5月31日付)。
おそらくそういう評価や実態を反映して今後も入試難易度はますます上がり、偏差値60を
下限にどこまで上昇するか読み切れないポテンシャルを持った学校だと思います。
2月2日や4日の偏差値は比較的短期間で63位まで行くでしょうね。
◆ 東大を受験したある県立高校の男子生徒は、まわりの生徒たちの目より自分の方が輝いているじゃないかと驚いた。
しかしその中で自分と同じ目の輝きを持っている女子生徒を見つけたそうだ。その輝きにひかれて、ついつい出身校はどこなのか尋ねてみた。
すると鴎友学園女子ですよと回答したそうだ。男子生徒は受験後母校に立ち寄り、校長先生に鴎友学園女子という学校を知っていますかと聞いてみた。
校長先生はよく知っている、すばらしい東京の女子校だと答えたという。
◆ これは、ある県立高校の校長先生が鴎友学園女子の校長清水先生宛てに送られたメールの内容である。今年の3月の出来事である。
1986年校長に就任した伊藤進先生は、教育の理想を掲げるのが難しい時代にあって、決して理念を捨てずに、教育改革を断行した方だと聞く。
そして就任当時、このようなことを語っておられたようだ。「学習の効率化ということから言えば、創造的立場に立たせるとか、
表出・表現を重視するとかいう方針は、大学受験と矛盾するではないかという実際的心配が当然出てくるはずです。しかし、その点については、
生き生きとした創造的なものが学校に流れていれば、全体としては学習へプラスにはね返ってくるはずだという楽観論に立とうと思います。
少なくとも中学校ではかなりの程度にこの方針が実現可能ではないか。 ではその選択も可能であるのです。」
◆ そして86年以降その選択判断をして今日まで進んできた。
その結果見事に理念にこだわり生き生きとした創造にこだわり、結果として大学実績も向上し、学校の評判も高まった。
この選択を考えていた86年当初から現在の清水校長先生と吉野教頭先生は、当時の伊藤校長先生と教育改革の実行に携わっていたと思われるが、
鴎友学園女子の生徒が、東京大学を受験するならば、後期試験でも合格できるような知性と感性の両方を備えた人材を育成したいと考えてきた。
だから同学園から目の輝きを忘れない東大受験生が誕生しているのであろう。
◆鴎友学園女子の現状は、もはや様々な点で御三家に追いつく勢いであるのは周知の事実であるが、この勢いというか進化は今もとどまるところを知らない。
まるで86年の教育改革は の教育理念のビッグバンであるかのごとくである。この理念は教職員1人ひとりに染み渡り、学園生活、授業の1つひとつに息吹を与えている。
◆ホームルームノートという自分を見つめる空間と時間。
創造的な立場の基本は自己実現への意志がなければ成り立たないが、そのベースがこのホームルームノートに書くという日々の行為にある。
これは高2から高3の間で、慶応大学SFCのAO入試の書類を全員が書くという進路の選択決定行為につながっている。
別に全員がSFCのAOを受験するわけではないのであるが、この書類は自分というものを多角的な面からとらえ表現する膨大なプロフィール作成作業なのである。
AO入試においてSFCは先駆者であり、またそのシステムは生徒の人間像全体を把握するうえで最も信頼性があるといわれている。
このシステムを進路選択決定行為として導入している。
◆ ただ、何の準備もなくこの書類を作成しようとすると、実は何も書けないのである。社会の問題、自分の問題、社会と個人のつながり、時事問題、科学的な視野、
自分の目的などについて常に考え巡らし、問題解決策の企画をし、他者との交流というような生活を日ごろから送っていないと書くこと、表現することができないのである。
◆ しかし、鴎友学園女子では全員が表現できる。ホームルームノートに象徴されるように日ごろから考えを巡らす経験をしているからだが、
この経験こそ創造的立場に立つことであろう。
◆ そしてこの創造的立場に立つのは、ホームルームノートでだけではない。部活やイベント、授業すべてにおいて生徒たちは創造的立場に立つのである。
もちろん、生徒ばかりではない。教師も同様だ。その現れが、授業の進化である。創造的立場に教師が立てば、授業の仕掛けも常に新たに生まれ変わる。
たとえば、社会科は生徒1人ひとりが自己理解と社会認識というジレンマを統合できる仕掛けを常に考案している。
なんと言っても現代社会を正解のない科目というまさに創造的立場にセットしているのだから。日々新たなりという授業の仕掛けになっているはずだ。
◆ 数学科も論理的構成力を身につけたり、文化としての数学や生活の中で有用な数学というものを考えたりする仕掛けづくりにチャレンジしている。
しかも東京私学教育研究所と協働しながら視野の広い研究を通してである。英語科も来年発表できる秘策を用意しているようである。
画期的な英語教育の改革になるだろう。今から楽しみである。
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【115733】 投稿者: またか、、本間さん。d (ID:oIaKXFQkebc) 投稿日時:2005年 06月 21日 00:18
何か、矛盾を感じますが。
どうして一人の女子受験生の目の輝き?の源が、実際にあったとしても
果たして彼女の属する高校に由来するものなのでしょうか?
しかも、高校出身者全員が云々‥と一くくりにしてしまう辺り
かなり話の展開に無理を感じます。浅はかな論理です。
(新興宗教のチラシを読んだかの様な読後感…)
ただの鴎友宣伝でしょう。受験生の親を馬鹿にしすぎですね。
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【115746】 投稿者: 同感 (ID:eAoBdm77SUU) 投稿日時:2005年 06月 21日 00:35
> どうして一人の女子受験生の目の輝き?の源が、実際にあったとしても
> 果たして彼女の属する高校に由来するものなのでしょうか?
> しかも、高校出身者全員が云々‥と一くくりにしてしまう辺り
> かなり話の展開に無理を感じます。浅はかな論理です。
> (新興宗教のチラシを読んだかの様な読後感…)
大変同感。
書き出しの「まわりの生徒たちの目より自分の方が輝いているじゃないかと驚いた」県立高校の男子生徒からして不気味。
ちなみにその県立の生徒も全員目が輝いているんでしょうね?
中高一貫校の宣伝になぜ県立高校生をだすのですかね?
支離滅裂な印象です。
> ただの宣伝でしょう。受験生の親を馬鹿にしすぎですね。
宣伝どころか怪しげな印象を与えていますよね。
新興宗教のチラシに同感です。
健康食品にもこんなのよくありますね。
鴎友学園が気の毒だ・・
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【116740】 投稿者: ホンマノコト? (ID:eVFX2371QuQ) 投稿日時:2005年 06月 22日 09:21
中2保護者です。
私も入試前から入学直後は、鴎友は他とは違う・光るものがある、と思い込むような
ところがありました。 以降の偏差値等もチェックし、一喜一憂していました。
そういう意味では、これまでも本間さんの鴎友への視線は嬉しくもありました。
でも最近では、あたりまえのことをあたりまえに行う良さ、といったものに思いを巡
らせ始めています。 特に声高に言って戴くものでもないですよ、と。
効率から言うと無駄も多いかも知れませんが、良いも悪いもこの年代にしっかりと踏
んでおくべきツボどころを、しっかりと確実に経験させるところが、この学校の素晴
らしさ、鴎友生の強さ、のように思い始めています。
本間さんの言うような眼の輝きというものは、御三家などといった特別な冠を持つ学
校(男子校をイメージしています)の生徒さんには、あたりまえに存在しているのも
ではないでしょうか?
鴎友学園がそこまでの精神的な支柱−単に進学実績や偏差値といった定量的なものの
みではなく、自負やプライド・責任感など−を獲得したかといえば、まだまだこれか
らでしょう。
それに至るプロセスや葛藤が、今現在でのこの学校の魅力だと感じています。 -
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【120478】 投稿者: 鴎友の魅力? (ID:drfYHji0IlM) 投稿日時:2005年 06月 27日 18:46
鴎友学園について、この掲示板での話しなどから想像して、
とってもすばらしい学校だと思っていました。
最近の進学実績や偏差値の上昇はすばらしいと思いますし、
偏差値は単に進学実績だけではここまで上がらないと思いますので
進学実績意外でも何か魅力のある学校だから、みなさんが入学したいと
思うのでしょう。
ただ、去年の文化際に行ったときに正直な話もっと期待して
いたのに今一つだなという印象を持ちました。
文化祭だけを比較してみると頌栄のほうが内容的にも
生徒がイキイキしていたところも好感が持てました。
(これはあくまでも私の主観ですので逆の意見もあるかと
思いますが)
私は最近、鴎友の魅力とは一体何だろう?とちょっと考える
ようになりました。
聖書の勉強をするということもミッション系の学校の説明会などに
いくと本当に聖書の教え、心などを毎日の礼拝、あるいはキリスト教の
行事などを通して、きちんと生徒たちに学ばせています。
ただ、聖書だけ学ばせるというのはどうでしょうか?
なぜ、仏教の教えではないのでしょうか?
(別に仏教を教えろという意味ではありません)
いろいろなことを考える娘の志望校として考えるべきなんだろうかと
迷っています。
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【120586】 投稿者: 元都立 (ID:gJZWQO.UR0s) 投稿日時:2005年 06月 27日 22:09
鴎友の魅力? さんへ:
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> ただ、去年の文化際に行ったときに正直な話もっと期待して
> いたのに今一つだなという印象を持ちました。
鴎友って言うと何とな〜く自由な感じ・・・って思ってたんですが、案外ゴチャゴチャ厳しいんですよ・・・だからと言って、『これはダメ!』と頭ごなしに禁止するわけではないようですが、娘の話ではコレコレシカジカの理由によりここの部分がダメ!とダメ出しが出たりしていたようです。
文化祭での出し物一つとってもとっても相当審査が厳しいみたいです。
まずクラスで話し合い、その段階で担任の先生によっては相当細かくチェックされたりするみたいです。
次に生徒会だかの審査があって、そこでも生徒会から色々チェックが入るようですし。
(印象としては案外厳しく自己規制してるような・・・)
もし学校にお立ち寄りの機会があるようでしたら、一度、生徒が使う多目的室?(お部屋の名前違ってるかもしれません・・・)ご覧になってみて下さい。缶ジュースの自販機の所にある張り紙を読んで頂ければ、なんとなく雰囲気がわかると思います・・・たしか、『この自販機を入れる為に相当先輩方が苦労された、みんながマナーを守らずに使い続けるならば廃止になり、そのせっかくの苦労が水の泡ですよ・・・』みたいな生徒会の注意書きみたいな物がはってあったと思います。
> ただ、聖書だけ学ばせるというのはどうでしょうか?
> なぜ、仏教の教えではないのでしょうか?
> (別に仏教を教えろという意味ではありません)
聖書の扱いは宗教の教えを・・・というよりは、人生についてちょっと考えてみる一つのきっかけを与える(キリスト教をどうこうと言うよりは小学校の『道徳』みたいな・・・)印象です。学校の創始者が云々でたまたま聖書を通してって事なのかしら・・・
> いろいろなことを考える娘の志望校として考えるべきなんだろうかと
> 迷っています。
お母様が『・・・何か違う・・・』と思われるようでしたら、違うのかもしれません。
もうこればっかりは其々の家庭、其々の感じ方、本当に何千、何万・・・とあるでしょうから。
『やっぱり、ここ!!』という所に一日も早く出会えると良いですね。 -
【120638】 投稿者: バラード (ID:wnP6TkJ7SWs) 投稿日時:2005年 06月 27日 22:55
鴎友の魅力? さんへ:
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>
> 私は最近、鴎友の魅力とは一体何だろう?とちょっと考える
> ようになりました。
>
> 聖書の勉強をするということもミッション系の学校の説明会などに
> いくと本当に聖書の教え、心などを毎日の礼拝、あるいはキリスト教の
> 行事などを通して、きちんと生徒たちに学ばせています。
>
> ただ、聖書だけ学ばせるというのはどうでしょうか?
> なぜ、仏教の教えではないのでしょうか?
> (別に仏教を教えろという意味ではありません)
>
> いろいろなことを考える娘の志望校として考えるべきなんだろうかと
> 迷っています。
私も この辺はよくわかりませんでした。
内村鑑三は、新島襄とならんで、近代日本のキリスト教普及の思想家。一高の
教師をしていたのですが教育勅語に反対したため退職。
くらいしか知りませんでしたが、府立一女(白鴎)の校長と この内村鑑三の
直接指導を受けた石川志づによって設立された学校だったこと。
内村鑑三はキリスト教に傾倒していながら、近代化されてきた教会とか形式
にも反発し、この辺はプロテスタントよりもさらに進んだ?プロテスタント
なのでしょうか?。 反教会主義だったともきいています。
また、聖書の教えと神への信仰−マルチンルターやカルビンのみならず、
仏教やカントなどの哲学にも造詣の深い教育者であったこと。
著作をあまり読んだわけではないですが、「後世への最大の遺物」には
おもしろいことと、鴎友の保護者なら なるほどと思うようなことも
書いてあります。
掲示板で皆様が書いているようなことです。
「回り道をしても行け」とか「人の嫌がるところへ行け」「人の嫌がる仕事を為せ」
「悪魔ではなく神が支配する世の中」
「失望ではなく希望」
「悲嘆ではなくよろこび」のようなこと。
慈愛と誠実と創造とを教師が実践せよというようなことも 言っているようです。
私も保護者として数十回は学校に行って先生方のお話などきいてきましたが
内村鑑三の名前を一度も聞いたことはありませんでした。
しかし、鴎友の先生方は、どうもプロパーといいましょうか、ずっと長く
おられる先生が多いようで、名前は出さずともその建学の精神や理念が
脈々と生きているようです。
富貴や名誉や学力ではない − 善き心である。 しかし善人が必ずしも
理想ではなく、間違った権力と戦う勇気が必要である
と ここまでくると ほんとに反骨精神というか、かなり哲学的で難解です。
こうきますと、私なんかなるほどプロテスタントの学校だなと思ってしまいます。
一言ではなかなか表せませんが、創立者や内村鑑三の名前こそ出さずとも
この70年という短いようで長い年月の間、変わらず受け継がれた精神と
時代と共に改革していく精神とがバランスして、要請には対応しつつも
決してすぐには迎合することのない(たとえば偏差値とか大学進学とか そのための
教育だという手のものに) 先生方の理想に対する自信のようなものは
すみずみで感じることはできました。
すみません。詳しい方がいらしたら 私も教えていただきたいです。
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【120708】 投稿者: さいとう製菓 (ID:eh.3Th77Tno) 投稿日時:2005年 06月 28日 00:19
内村鑑三はキリスト教の精神を持ちつつも、日露戦争で日本が勝利すると万歳!と喜んだそうで、この部分がキリスト教の精神に真っ向から反する矛盾した考えももっていたそうです。プロテスタントの信者は教会をとても大切にしますし、その点でも、多少、プロテスタントに純粋に統帥しているとは思えなかったと分析されています。その弟子の斉藤〜(名前忘れごめんなさい)(たしか、宮沢賢治の詩の雨にも負けずのモデルとなった人です。)は、この部分においても、矛盾なく、キリスト教を信じ、また、かの宮沢賢治などはその作品のなかにも、キリスト教の影響を受けているものは多々ありますが、だんだん仏教のほうに思い入れが強まり、真のキリスト教信者にはならなかった模様。この時代も今の時代も同じように思うのですが、キリスト教は勉強すればするほど、おやっと思えるところが確かにあります。それは、この日本に比較的新しく伝来してきた宗教であるためいろいろ矛盾も生じ、宗教を根本から考えると、この日本ではやはり仏教(とくに禅宗、浄土真宗)などが受け入れやすいのではないでしょうか。私も少し、宗教をかじり、キリスト教の矛盾点を見つけることも少なからず、ありました。
我が家の場合、このようなところからも、プロテスタント校とは決していえないが、キリスト教の良い部分をじょうずに取り入れている学校として、鴎友がベストでした。真のプロテスタントの方は鴎友を選択されないと思います。逆に宗教色の濃さを重荷に感じる方には最高であると思います。宗教に限らず、鴎友という学校はいいところを取り入れ、改革を重ね、自由をはき違えることなく、生徒を上手に指導しているとても良い学校だと思います。あまり褒めてもいけませんね。