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先生コラム |
【第5回】広尾学園中学校
国語という教科の不確かさを何となく感じているのは、何も子供達だけではありません。我々プロフェッショナルである教師も、「主人公の気持ちなんて作者じゃないのにわかるわけない」とか「国語の答えは一つだけじゃないんでしょ」とかいう子供達の無邪気な発言と同じことを数十年前の一時期、考えたり先生に言って困らせたりした体験を持っているのではないでしょうか。 当時の先生がどのように答えて下さったのかは既に忘却の彼方ですが、私自身はその不確かさと折り合いをつけるために、諸条件を組み合わせて浮かび上がってくる「推理パズル」のような性質に近いものをイメージしています。読みを導く「方向性」と言ってもいいかもしれません。 例えば、授業中に先生に指名された生徒が顔を真っ赤にしてうつむいたという描写があったとしましょう。答えがわからなくて恥ずかしかったのか、他所に気をとられていて聞いておらず驚いたのか、それとも何か発言できない深い事情があったのか、うつむいている描写の部分だけでは読み取ることはできません。私たちはそんなとき、そこよりも前の描写を頼りにうつむいた心理を理解しようとします。 この例を入試問題の傍線部分とその設問と考えれば、同じように前後から情報を読み取ることで答えを見つけることができます。試験の対象年齢が上がるに従って問題が難しくなるのは、推理するための情報がずっと遠くに隠すように描かれているか(そんなところを正解の根拠にするなんて随分意地悪ですよね)本文中にはっきりと明示されていない(なお意地悪かな)ためです。 情報が「ずっと遠くに」隠されている場合は、まだ努力でなんとかなるような気もしますが、「本文中にはっきりと明示されていない」場合に至っては、そんなことを問題にしていいのか、と驚かれるかもしれません。でも現在の入試問題は「明示されていない」事柄でもそれを暗黙の了解事項として出題したりします。国語では、その暗黙の了解事項を教科書や授業から読み取ることのできる生徒が「できる生徒」として評価される仕組みになっています。 小説の場合は、その暗黙の了解事項は「道徳性」であり、論説文の場合はその時代の「常識」です。こう書いてしまうと身も蓋もない話のような気がしてしまいますが、読解力があるはずなのになかなか点数に結びつかない生徒は昔から星の数ほどいて、そういった生徒達が連綿と発してきた「主人公の気持ちなんて作者じゃないのにわかるわけない」とか「国語の答えは一つだけじゃないんでしょ」という問いへの一つの答えになりうると考えています。 この話は種を明かせば、早稲田大学教育学部教授の石原千秋先生の著書「小説入門のための高校入試国語」「評論入門のための高校入試国語」(ともにNHKブックス)で分かりやすく説明されていることのいわば受け売りです。 この2冊の本を読んで、胸の奥で長いことつっかえていたものがストンと落ちたような気がしたものです。 同じような体験を沢山の受験生やその親御さんにしていただきたくて紹介がてらコラムにしてみました。小学生にはやはり難しいかもしれませんので、親御さんと一緒に読むことをお勧めします。 おすすめの本
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