東大、京大、医学部進学!押すのではなく“引く”教育とは?

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今回は、長女が国立大学医学部、次女が京都大学農学部、長男が東京大学理科I類、そしてご自身も司法書士として活躍されるお母さまにインタビュー。好きなことを好きなようにやらせる教育内容や、お子さまとの関わり方、教育観についてうかがってきました。

失敗はない、あるのは経験だけ!【幼少時~中学受験編】

現役東大生の息子さんってどんな人?
智辯学園和歌山中学・高等学校出身。現在は理科I類1年生。常に新しいものに挑戦する好奇心旺盛な性格。

超のつくポジティブタイプな息子

お母さま正面
【西田千鶴さん プロフィール】
・和歌山県在住
・現在は司法書士、一般社団法人Mam
MakingLab代表として活躍中。

エデュ:息子さんの幼少期についておうかがいしたいのですが、まずは好きだった遊びを教えてください。

お母さま:工作とテレビゲームです。工作はティッシュケースをローラースケートに見立てて作ったり、段ボールで車を作ったりしていました。テレビゲームは幼稚園の年中の時にはまっていたのですが、実は家にはなくて…。親ながら面白いと思うのですが、友達のスケジュールを全部聞いて、「この子は今日家にいるから行ってゲームで遊べるな」という風にスケジュール管理して、友達の家を渡り歩いていました。

エデュ:それは面白いですね。息子さんとはどのように関わっていたのでしょうか?

お母さま:「息子の選択肢を狭めないようにしよう」という思いがあり、とにかく色々やらせていました。習い事ではピアノやサッカー。家では図鑑やパズル、息子が気になるかなというものを置いていました。当時、司法書士の勉強を始めたばかりだったので、つきっきりで何かを教えたり遊んだりということはありませんでしたが、幸い娘たちが息子と遊んでくれていたので非常に助かりました。

エデュ:ここを伸ばしてあげたいなと思ったものはありますか?

お母さま:「ここを伸ばしてあげたいから、これをやらせる」ではなく、息子が色々なものに触れ、その中で伸びるものがあれば自分で伸ばせばいいという考えでした。ただ唯一、本好きにはしたいなと思って、図書館には連れていったのですが、娘たちは読むのに、息子は全然読まなかったですね。ただ今では読書が好きなので、嫌いというわけではなく、当時はあまり興味がなかったんだと思っています。

エデュ:次は小学校に上がってからのことについてうかがいたいのですが、息子さんはどういうタイプでしたか?

お母さま:世話焼きタイプでした。例えば勉強で先に自分ができたら、友達に教えてあげたり、分からない子に教えるのが好きだったみたいです。あとはなぜか超のつくポジティブでした。何か失敗しても落ち込むということがなく、「失敗はない、あるのは経験だけ」と言っていました。これには親ながら本当にびっくりしました。

エデュ:それは名言ですね!

中学受験のサポートは送り迎えだけ

お母さま2

エデュ:息子さんは和歌山県でトップクラスの進学校、智辯学園和歌山中学・高等学校のご出身ですが、受験させようと思ったきっかけは何でしょうか?

お母さま:長女と次女も智辯学園和歌山中学・高等学校に通っていたのですが、その影響です。私としては中学受験させるつもりはなかったのですが、息子がするというので、「じゃあしてもいいよ」という感じでした。

エデュ:塾はどちらに通わせていたのでしょうか?

お母さま:4年生から浜学園に通わせていました。能開センターという選択肢もあったのですが、算数がとても好きだったことと、1つ上の次女が能開センターに通っていたので同じ塾は嫌かなと思いました。でも実際に入ってみると苦手科目の国語が偏差値30からまったく動かなくなってしまって…。先生との相性もあるのかと思い、知っている先生がいる能開センターに変えました。ただ変えても国語は波があったままでした。

エデュ:中学受験期、お子さまとどのように関わってきましたか?

お母さま:勉強に関しては本当にノータッチで、送り迎えだけしていました。私自身が目標をもって勉強をしている姿を見せることで 「お母さんも頑張っているから、僕も頑張ろう」という一種の仲間のような存在ではあったかもしれませんね。

エデュ:確かに身近にそういった方がいるのは心強いかもしれませんね。併願は何校ぐらい受けられましたか?

お母さま:西大和学園中学校、洛星中学校、東大寺学園中学校です。東大寺学園中学校は国語が原因で不合格でしたが、それ以外は合格でした。

エデュ:難関中学校ばかりですごいですね。今だから言える失敗エピソードはありますか?

お母さま:失敗とは少し違うかもしれませんが、国語は伸ばしたいなと思った時期がありましたが、息子に言っても響かないので諦めました。先ほどもお話ししましたが、超ポジティブなので人に何かを言われても心が折れたりすることがなくて…。世間の常識的には変わり者と思われるかもしれませんが、そういった部分も含めて、「全部息子」だと私は思っています。

お母さまから見た中学受験成功のカギ
息子は勉強することが好きというより、新しいことを身につけることが好きなタイプなので、それがうまく中学受験にはまったことだと思います。

ゲーム好きが高じて情報オリンピックに出場【中学入学後~東大受験編】

国語は偏差値8を出したことも

お母さま3

エデュ:息子さんが東大受験をしようと思ったきっかけは何でしょうか?

お母さま:中学3年生で出場した情報オリンピックでの出会いがきっかけです。当時息子はゲーム好きが高じてプログラミングにはまり、勉強せずにそればかりやっていました。でもその甲斐あってか情報オリンピックの全国大会に出場することができたのですが、周りは開成、灘、筑駒と優秀な子ばかり。そこで東大の名前が出てきて、「こんなすごい人たちが目指す大学ってどんな大学なんだろう」と興味を持ち始めたのがきっかけです。

エデュ:最終的に受験を決意したのはいつですか?

お母さま:高校2年生の3月です。それまでは別の大学を視野に入れていたようですが、次女が京都大学に合格したのを知って、「自分も頑張らなくちゃ」と思ったみたいです。

エデュ:勉強はどのようにやっていたのでしょうか?

お母さま:分析が得意だったので、今の自分の実力を把握して、合格するためには何点取ればいいのか考えて、それを埋めるためには自分は何をどのぐらいやればいいのか計算してやっていました。最初の頃は、あまりにも勉強をやってこなかったので、基礎中の基礎の英単語をひたすら覚えたりすることに時間を使っていたようです。

エデュ:得意科目と苦手科目は何だったのでしょうか?

お母さま:得意は物理と数学。苦手はやっぱり国語です。私から見ても独特だなと思うのは、息子は記憶が嫌いなので、公式は一番もとになるものだけ覚えるんです。そこから色々考えながら解いていくようなのですが、正直なかなか理解できない世界です。いま振り返ると息子は考えるのがとにかく好きな子でしたね。プログラミングも我流で分からない時は自分で調べて、「こういう時はこうすればこうなる」という柔軟性が身についたのかなと思っています。

エデュ:苦手科目の国語はどのように克服したのでしょうか?

お母さま:おそらく完全には克服できなかったと思います。普通は苦手科目もある程度はできるように努力すると思うのですが、息子はやりたいことだけやるタイプなので…。

3人の子育てで学んだこと

エデュ:西田さんはお子さまが3人いて、長女が国立大学医学部、次女が京都大学農学部、そして長男が東京大学理科I類。非常に優秀ですが何か子育てに秘密があるのでしょうか?

お母さま:子どもにあれをしなさい、これをしなさいではなく、できるだけ選ばせてやりたいものを自分で見つけさせることです。あくまで持論ですが、押すばかりの教育だとお互いに疲れてしまう気がして…。私の場合は”引く”教育を心がけていましたね。でも最初から万事うまくいっていたわけではなく、長女の時は関わりすぎたせいで、大学受験を自分事として落とし込めず、一浪。その反省を活かして次女の時は何も言わず放置していたら、「もっと私に関心を持ってよ!」と泣かれてしまったこともあって…。当たり前ですが。教育にこれをやればうまくいくという答えはないなと実感しています。

エデュ:確かにお子さま自身が選んだ道であれば、頑張れるような気がします。ただそれが親御さんの意向と違った場合、ついつい口を出したくなってしまうような時もあると思います。そういった時はどうすればいいでしょうか?

お母さま:お母さま自身の価値感を広げることです。高学歴の方は高学歴しか見ていないし、そこから外れるのが怖いと思います。だけど世の中に出たら高学歴がいいかどうかはその人の価値観であって、例えそうではなくても幸せな人やお金を稼いでいる人はたくさんいます。私も司法書士になるまでは、会社員で自分の価値観に固執していましたが、司法書士になって色々な人にお会いする中で、「こういう生き方や価値観もあるのか」ということを知ることができ、子どもにもそういう風に接するようになりました。ですので、なるべく自分とは合わないかなという新しい人や世界に飛び込んで価値観を広げることが私は重要だと思っています。

普段なかなか伝えられない息子さんへのメッセージ

好きなことを一生懸命やっているあなたの姿を見るのが大好きです。これからも自分の好きなことを好きなだけ楽しんでください。

編集部から見たポイント

今回取材した西田さんの息子さんは好きなことを好きなようにやっている、その生き方は西田さんご自身の生き方に似ていると感じました。まさに「親は子の鑑」であると感じた取材でした。