息子は私にとって夫か父親のような“かけがえのない存在”

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今回は一男一女のお母さまでもあり、料理家としても活躍される中尾明美さんにインタビュー。東大理科Ⅱ類に合格した息子さんの子育て方法や、子どもとの関わり方、教育観についてうかがってきました。

周りの子に遅れをとりたくなくて…【幼少時~中学受験編】

東大卒業の息子さんってどんな人?
駒場東邦中学校・高等学校から東大理科Ⅱ類に合格。現在はITコンサルタントして活躍中。

幼児教室通いから小学校受験を経験

お母さま正面
【中尾明美さん プロフィール】
・東京都在住
・現在は料理家として多方面で活躍中。

エデュ:息子さんの幼少期についておうかがいしたいのですが、まずは好きだった遊びを教えてください。

お母さま:パズルと将棋です。パズルは、まだ言葉が喋れない頃に夫の実家にあったパズルで黙々と遊んでいたので、2ピースの簡単なものを買い与えてみたのです。そして、完成するとおおげさに褒めて徐々に難しいものを買ってあげました。「できたらご褒美」的な教育法は、中学校受験まで続きました。子どもは褒められると頑張りますからね。将棋は、夫方の祖父が教えてくれ、よく対戦していました。後に「将棋をやっていたおかげで、先を読む力が身についたから、やっていて良かった」と言っていました。

エデュ:どちらも頭を使う遊びですね。小学校に上がるまでで伸ばしてあげたいと思った力はありますか?

お母さま:息子は3月の早生まれ。私の母から「早生まれの子は同級生と差がつくから大変よ」と言われ、幼稚園に上がる前から幼児教室に通わせていました。実際に、幼稚園では他のお子さまより幼く感じました。お友達にいじめられるのが心配で、引き続き、幼児教室に通わせました。何かを伸ばしたいというよりは周りの子と比べて遅れをとりたくないという思いでした。

幼児教室に通わせていたことから、小学校受験を意識するようになりましたが、「中学校受験からでよい」という夫の意向もあり、我が家はそれほど「お受験」には熱を入れていませんでした。結果、不合格。そんな経験から、娘のときは教育にかなり熱を入れました。複数の有名幼児教室に通わせ、朝からペーパーテストをさせ、絵を描かせました。精一杯やったつもりでしたが、それでも、補欠合格の通知しか手にすることはできませんでした。小学校受験は、何をどうすればいいのか、いまだに分かりません。余談ですが、娘に幼少期に絵をたくさん描かせたせいか、イラストを描く才能はあります。

中学受験当日に感じる父親の温かさとは?

お母さま2

エデュ:息子さん、娘さんともに小学校受験を経験されているのですね。小学校では何か習い事はされていたのでしょうか?

お母さま:1年生から水泳、体操、絵画教室、ピアノ、塾に通わせていました。塾以外は4年生までは続けさせていましたね。

エデュ:1年生から塾に通わせていたのですね。早くから中学受験を意識されていたのでしょうか?

お母さま:いえ、勉強で遅れをとらせたくなかったからです。早くから通わせていたことが自信につながったのか、5年生のときに、塾の先生が独立開講した小さな塾に自ら移ると言い出しました。家から遠かったし規模も小さくなるので夫と私は不安でしたが、彼が決めたことに反対しませんでした。受験を通して、息子の成長を感じたときでした。お酒のにおい漂う深夜の電車で塾から帰宅する息子を見て、「この子の頑張りは絶対に夢を叶える!」と確信しました。

エデュ:ところで、中学校受験を意識したのは何がきっかけだったのでしょうか?

お母さま:私自身が中学校受験を経験しており、「中学校から私立」というのが、夫と私の暗黙の了解でした。公立小学校に通う息子は、放課後は毎日お友達と思いっきり遊びたいはずでした。それなので、1年生からの塾通いを嫌がるかと思っていたのですが、喜んで通い、かつ成績がグングン伸びてきたのです。

エデュ:駒場東邦を選ばれたのはなぜでしょうか?

お母さま:自宅から近い有名校だったからです。息子の成績では合格が難しい難関校だったので、受験させる気はなかったのですが、近いという理由で4年生のときに文化祭に連れて行ったところ、学校の雰囲気や生徒さんの対応に感動しまして。実験系の教室が充実していたのがよかったみたいです。算数が得意だった息子にはとても好印象だったようで、「僕この学校がいい!」と言ったのです。その時点の成績では、高嶺の花だったのですが、息子が志望校を決められたことに感動した夫と私は、「あの制服を着せてここに通わせたい!」という思いでいっぱいになりました。

エデュ:中学受験期、意識されていたサポートを教えてください。

お母さま:夫は、就寝時間、食事時間、勉強時間、余暇の時間など、生活時間にメリハリを持たせるよう、うるさく言っていました。なんでもだらだらやらせない方針でしたね。私は、食事、とくに塾に持たせるお弁当にこだわっていました。消化が良く、体が温まるスープを必ず持たせていました。あとは、親も一緒に受験に取り組んでいる、というのを分かってほしくて、本命の駒場東邦の出願日には、夫がコーヒーを淹れたポットを持って電車の始発前の時間帯に並びました。「自分にできることはこれくらいだから」と夫は言っていました。「早い番号をとっておいたから、頑張っておいで」と言えば息子が喜ぶと思ったのでしょうね。早い番号が良いわけではありませんが、親が自分のために何かしてくれるのは、子どもにとってうれしいことだと思います。

お母さまから見た中学受験成功のカギ
息子の頑張りが一番ですが、あとは、息子を信じきれたことだと思います。駒場東邦の受験を志したときは本当に成績的に厳しくて…。でも、息子なら頑張れると信じて応援してきてよかったと思います。

ほぼ学校の勉強だけで東大合格【中学入学後~東大受験編】

信念を突き通す子を応援する親

お母さま3

エデュ:息子さんが東大受験をしようと思ったきっかけは何でしょうか?

お母さま:周りの友達に東大を目指す人が多かったのがきっかけだと思います。でも、夫と私は「あこがれの駒場東邦に入れたのだから、高卒でいいんだよ」と言っていました。ところが、実は紆余曲折あって…。

エデュ:何でしょうか?

お母さま:最初息子は北海道大学に行きたいと言っていたんです。高校2年生の修学旅行で大自然に魅せられ、「僕は農業の株式化をしたいから、北海道大学で勉強して農林水産省に入る!」と言い出して…。今まで彼の意思を尊重してきましたが、あのときは、親のエゴだったのでしょうか。離れて暮らすのがとても悲しくて、「あなたの学生生活を見ていたいから、どこの大学でもいいから東京の大学にしてほしい」と言ったのです。そうしたら、なぜだかあっさり了承してくれました。

あと、進路選択の件では、駒場東邦の先生との進路面談で「息子さんは人の話をしっかり聞ける。今そういうお医者さんが減ってきているので、お医者さんになってほしい」と言われました。私の実家が医者であることから、私も彼が医者になったらいいな、と思っていたのでうれしかったです。それに、小学校低学年のときに、「授業中にうるさい」と、担任の先生に注意されたことがあるのに、自分の知らない息子の良い面を知り、たいへんうれしく思いました。でも、息子は「医学部には行かない」と言い、最終的に東大受験を志すことになりました。

エデュ:勉強はどのようにしていたのでしょうか?

お母さま:受験前の8か月間、苦手科目の英語だけ塾に通っていましたが、あとは学校の先生を信じて勉強していましたね。朝9時に登校して授業を受けて、放課後は学校の図書館で自習して、分からない所は先生に質問。帰宅後に食事と入浴をして夜9時から11時まで家で勉強するのが息子のやり方でした。

エデュ:お母さまはどのように関わっていたのでしょうか?

お母さま:勉強面ではとてもサポートできないので、息子に合いそうな英語の塾を探したり、食事面でサポートしました。

エデュ:お母さまから見た、息子さんが東大に合格できたカギを教えてください。

お母さま:もちろん学校の先生の存在が大きかったと思いますが、息子の「信念の強さ」だと思います。駒場東邦ともなると周りは有名塾に通っている子が多くて、とても難しい問題を解いていたそうです。「それを見ると焦ったけれど、そこはグッとこらえ先生がすすめてくれる問題集や参考書を何回も何回も解いていた」と言っていました。息子は成績が良いときもあれば悪いときもありましたが、不安にならず最後まで先生のやり方を信じて貫き通せたことが合格のカギだと思っています。

心の底から相談できる人の不在で悩む進路【東大入学後~社会人編】

子どもの「今」を大事にする

エデュ:息子さんは現在ITコンサルタントとしてご活躍されているとうかがっています。進路選択でどのように関わってきたのでしょうか?

お母さま:東大入学後、2年生のときでしたが、農林水産省に行く夢を諦められず、私に内緒で公務員育成専門学校に通うための費用を捻出していたのです。それに伴い、農林水産省で公務員をされていた私の知人のもとにインタビューに行きました。そして、自分のやりたいことを熱く語ったそうなのですが、「君のやりたいことはここではできないよ」と言われ、がっかりして帰ってきまして…。その後、学部の進路選択でも色々あり、大学に通う意味も見いだせなくなったのでしょうか。「大学辞めて働きたい」と言い出したのです。

実は息子が大学1年生のとき、夫が亡くなっていたので…。どうしたらいいかこのときは本当に悩みました。

エデュ:そこからどうしたのでしょうか?

お母さま:息子の意思を尊重させたかったのですが、辞めることは反対でした。そのとき、私にできることは、大学で学ぶ意味、仕事では実際にどんなことをするのか理解してもらうこと。それなので、私の社長友達に相談して、インターンシップで社長室に入れていただいたり、外資金融系の会社にも行かせました。その後、社会人の中に入って仕事をするのが面白くなってきたようで、さらに、私の友人のコンサルタント会社にアルバイトとして入れてもらったら、コンサルタントを目指すようになりました。すると、大学を辞めたいと言わなくなり、卒業後、ITコンサルタントの仕事に就きました。大学を辞めたい、と言い出したとき、私は必死でしたので、結果にほっとしました。

エデュ:最後に子育てで悩むお母さまに何かメッセージをお願いします。

お母さま:子どもは、親の所有ではありません。親の理想通りにならないのは当たり前です。理想を追うよりも「三つ子の魂百まで」を意識した方がいいと思います。私は、3歳までは非常に重要な時期だと思っています。その時期に、大人が子どもにしてあげたことが、その子の成長につながるのではないか、と思うのです。愛情をたっぷり注がれた子どもなら、一旦離れてしまっても戻ってくると信じています。私の娘は、中学1年生のとき、父親を亡くしました。片親になったことがきっかけで、精神状態が荒れ始めました。そして、「お嬢様学校」と言われる私立校から「前代未聞の悪い生徒」とレッテルを貼られ、ついに退学を迫られました。私は、そんな彼女に怒ってばかりいたのですが、ある日、ふと母親である自分の方針がいけないことに気づいたんです。彼女は、母親がどれだけ自分を見てくれているかを知ることが必要だったのです。親の理想から離れていく子を頭ごなしに怒ってばかりでは、心が通じ合うわけがありません。私は「分かった、もう学校辞めよう。自由にやってごらん。でも、自由にするなら、自分で責任を負うのよ。だけど、私が側にいるから大丈夫」と言いました。私は、子どもへの夢や理想を手放したのです。その代わりに、彼女の信頼を取り戻したのです。そのときから彼女は変わりました。

中学卒業後、通信制の高校に通い始めたのですが、また事件。彼女は、引きこもりになりました。私は、我慢して放っておきました。娘の意思にまかせて、私は側にいてあげようと決めていたので。あるとき、娘は「私、一生、実家にいるかも…」と言いました。私は笑顔で「あら、うれしい。私の側にずっといてくれるってことね」と答えました。でも、息子からは「そんな親じゃダメじゃないか。僕はあの子(妹)にはお嫁にいってほしいし、子も産んでほしいよ」と少々のお小言。確かにそうなのですが、未来よりも今。私は娘の自立を信じていたのです。それなので、自分から「私、大学に行きたい!」と言ったときはうれしかったです。「勉強が間に合わないね。でも、それならどうすればいいと思う?」と聞いたら、「受験の方法は調べた」と、当時東京大学に通っていた息子に簿記を習って、AO入試で大学に合格することができたのです。正直言って、レベルが高い大学ではなかったのですが、そんなことより、家にこもっていた娘が自分の意志で、こうしたい!と決められたことに感動しました。娘の幼少期には、たっぷり愛情を注いできましたし、二人目ということで、息子より厳しく躾けました。学歴コンプレックスを持たないよう「高学歴のお兄ちゃんよりあなたの方が優秀なのよ」と、彼女が成人した今でも言っていますし、本当にそう思っています。息子も小学校低学年のときはおしゃべりで先生から注意されていたのに、人の話をしっかり聞ける人となり、ついには、コンサルタントになりました。

とくにお母さまって、その子の今を見て批評しがちですが、子どもは親が知らないところで成長しています。「うちの子はどうしてこうなんだろう、どうしてできないのだろう」と悲観するときもあるでしょうが、未来の成長のために、お子さまを信じて、「今」のお子さまを大事にして差し上げてください。「子どもの今」を大事にすることが、未来につながります。

普段なかなか伝えられない息子さんへのメッセージ

頼りにしています。妹の父親代わりになってくれたり、私が迷っているとき、悩んでいるときに、アドバイスをくれたり。私にとって、夫のような、父のような、兄のような、友人のような、言葉に表せないかけがえのない存在です。あなたがいてよかった。ありがとう。

編集部から見たポイント

ご主人が亡くなり、悩んでいたときに心身ともに成長した息子さんが妹をサポートしたエピソードは思わず涙してしまいました。人はどこで成長するか分かりません。今できなくても、「どこかでできるようになる」という意識を持つと子育ての苦労も和らぐかもしれません。