【後編】東京大学大学院理学系研究科教授 三河内 岳先生

「地球も含む太陽系の惑星の起源を解明する」という壮大なテーマの研究に取り組んでいる三河内研究室。前編では、その研究内容についてお話をうかがいました。後編では、見学させていただいた分析装置や、貴重な試料などについて、その一部をご紹介。また、三河内先生と学生の皆さんが地球惑星科学という学問にたどり着くまでの経緯とあわせて、これから大学進学を考える皆さんへのメッセージをいただきました。

東大キャンパス内で、研究室と実験室を行き交う毎日

インターエデュ(以下、エデュ):普段の皆さんの研究活動は、それぞれに割り当てられた研究室で分析や実験の結果のまとめや考察、そのための実験を実験室の装置で行っているということなのでしょうか。

三河内岳先生(以下、三河内):そうですね。例えばこの電気炉では、先端に隕石をくくりつけ、1,000℃以上の高熱を加えて組成を調べるような実験を行います。

共同研究を行っているNASAのポスターなどが貼られた三河内研究室(鉱物研究室)の入り口。
共同研究を行っているNASAのポスターなどが貼られた三河内研究室(鉱物研究室)の入り口。

研究室の電気炉。
研究室の電気炉。

先端にあるのは隕石。
先端にあるのは隕石。
実験のようす。
実験のようす。

加熱ステージ付偏光顕微鏡
加熱ステージ付偏光顕微鏡

識名さん(以下、識名):こちらは加熱ステージ付偏光顕微鏡です。隕石や岩石の薄片を拡大して観察することができます。

エデュ:「はくへん」とは何ですか?

阿部さん(以下、阿部):このように、切断した岩石や隕石のカケラを、スライドガラスに貼りつけて、紙1枚ほどの厚みまで薄くしたものです。

阿部さんが見せてくださった薄片(はくへん)。
阿部さんが見せてくださった薄片(はくへん)。

スライドガラスに貼りつけられています。
スライドガラスに貼りつけられています。

識名:下のステージを回転させて、少しずつ角度を変えながら組織を観察します。これは探査機アポロによって月面から持ち帰られた石なのですが、観察するといろいろなことがわかります。見てみてください。

観察できるように調整してくださいました。
観察できるように調整してくださいました。

 顕微鏡を覗くと想像を超えたものが!
顕微鏡を覗くと想像を超えたものが!

エデュ:すごく綺麗ですね!

大野さん(以下、大野):実験装置はこの建物にもありますし、理学部の実験室も使っています。ときにはここにある隕石などを空気に触れないように密閉して、歩いて7分の理学部の実験室に持っていくというようなこともあります。

1gあたり5,000円くらいの価値がある貴重なもの。
1gあたり5,000円くらいの価値がある貴重なもの。
大気圏突入の名残を見ることができます。
大気圏突入の名残を見ることができます。

三河内:この隕石は、1969年にメキシコに落下した「Allende(アエンデ)」という隕石です。普段は真空状態にして保存しています。およそ45億6,700万年前、太陽系が生まれた頃にできたものだということがわかっています。

林さん(以下、林):小惑星帯のどこかから飛来した隕石です。表面が沸騰したような凹凸状になっていますよね。これが隕石の特徴のひとつで、大気圏への突入時に融けた名残です。

三河内:本学総合研究博物館には、他にも膨大な研究資料があります。耐震工事と臨時休館が終了したら、ぜひ多くの皆さんに足を運んでもらいたいです。(2019年3月7日取材)

エデュ:こんな貴重なものを自分の目で見ることができたら、本当に知的好奇心が刺激されますね。そこから興味を深め、自分がやりたい学問分野を見つけていけたら最高だと思います。

東大教授への原点は小学校時代に

論文指導中の三河内先生。
論文指導中の三河内先生。

エデュ:さて、三河内先生が、地球惑星科学の研究職に就かれるまでの経緯を教えてください。

三河内:もともと星を見るのは大好きでしたが、その最初のきっかけは何だったろう?と考えると、小学生のときの体験が大きいと思います。

実は僕の父は医師なのですが、僕が小3の時に半年間、仕事でアメリカに行くことがあったのです。その最後の2か月間だけ、家族でアメリカに渡って父と合流したんですね。滞在期間中に、NASAのあるヒューストンにも行きました。ちょうど、初めてスペースシャトルが宇宙に打ち上がるというタイミングでした。

その当時、初の日系人宇宙飛行士のエリソン・オニヅカという人がいたのですが、この人の奥さんと僕の母が知り合いだったらしく、オニヅカさんがNASAの中を案内してくださるという、本当に貴重な体験ができたんです。月の石も、展示の裏側から、見せてもらいました。

その時の僕は9歳か10歳だったと思うんですが、子ども心に「NASA、スッゲー!」「大きくなったら僕もNASAで研究する人になってやる!」と、ものすごく憧れましたね。

それ以来、星を見るのはずっと好きでした。でも他にも興味のあることはあって、石も好きだし、化石を掘るのも好きだし……と、何か一つに絞り切れてはいませんでした。

そんな僕のもう一つの転機は高校1年生のときに訪れました。伊豆大島の三原山が大噴火したのです。テレビに映る火山の噴火。自然の脅威と、地球という惑星のものすごい力に圧倒されました。そして、ニュース映像には、噴煙をあげる危険な噴火の現場に向かっていく研究者たちの姿。そのヘルメットには「東大地震研究所」という文字が。「この人たちはすごい!」と。

それで東大に入ったのですが、1、2年生の頃は天文部にどっぷりでしたね。「学部は?」と尋ねられて「天文部〜」と答えるくらい。

ご存知のように、東大では3年進級時に進む学部を決めます。宇宙のことも火山のことも化石のこともできるということで、僕は迷わず理学部地学科を選びました。今の地球惑星環境学科に当たります。

このとき、隕石の研究者に、たまたま同じ岡山県出身の武田弘先生(現・東京大学名誉教授)という方がいらっしゃって、NASAと月の石についての共同研究をしていたのです! その方に師事し、大学院時代には僕自身も研究でNASAへ行けました。また、それ以来今でもずっと研究や仕事でNASAとは関わりがあります。

少年時代の夢を叶えることができたことになりますね。

エデュ:原体験となるような出来事をずっと追いかけて来られたのですね。