【後編】慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授 若新雄純先生 <慶応義塾大学SFC>

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慶應義塾大学特任准教授の若新雄純先生。ロックの精神で世の中の「当たり前」に一石を投じ続ける超個性派の研究者です。前回6月29日公開の「注目の大学研究室」では、若新先生が取り組まれているさまざまな研究についてお話しいただきました。後編となる今回は、そんな若新先生のパーソナリティを作ってきたこれまでの日々に迫りました。

ヴィジュアル系バンドにハマった中高時代

インターエデュ(以下、エデュ):生き方自体が非常にロックで、独自の世界観をもっていらっしゃる若新先生ですが、どんな少年時代を過ごされたのでしょうか。

若新雄純先生(以下、若新先生):僕は福井県の若狭町という田舎のまちに生まれ育ちました。高校は地元の進学校に進みましたが、自分の意志でというよりは、「この成績ならこの高校に行くのが当然」というような周囲の空気によるものでした。

田舎だったせいか、もの心ついたときから、「男子は理系」「大学に行くなら成績順に京大、名古屋大、名古屋工業大…」みたいな暗黙のレールがたくさん敷かれていて、僕はそれがものすごく嫌だったんです。「みんながそうする」とか「~するべき」といった、人と一緒の、誰かに決められた人生は歩みたくないと思っていました。

エデュ:そういった環境でご自分を貫くのは大変だったのではないですか?

若新先生:そうですね。中学の部活で周囲と一緒に声出しをしなかったら顧問の先生に「お前は人間のクズだ」と言われ、部活をやめたという経験もあります。僕としては、「声出し」すべき理由が見出せなかったからなのですが…。定期テストの順位でも、試験範囲の勉強をしっかりやって丸暗記してみたら1位をとれたのですが、自分の中で「勉強をすれば1位をとれる」ということがわかってからは、テスト勉強をしないで5位でも納得しているという状態で、親や教師からはうるさく言われましたね。いろいろと大変でした。

中高時代にヴィジュアル系のロックバンドにハマったのも、今思うとそういった周囲への反抗心からだったんでしょうね。

X JAPANにものすごく憧れて、中学の後半から高校2年生までは、本当に音楽に没頭していました。だから僕の精神の根底にはロックがあるんです。

高1の頃の若新先生
高1の頃の若新先生
高校の卒業アルバムの若新先生
高校の卒業アルバムの若新先生

エデュ:当時のお写真、ヴィジュアル系バンドの宣材写真と言われても納得してしまいそうです。そこから、どういった経緯で宮城大学へ進学なさったのでしょうか。

フリーターから県立宮城大学への進学

若新先生:宮城大学に行ったのは、端的に言えば、親との交渉条件ですね。「進学するなら、国公立大学以外は許さん」という…。逆に、「国公立」という枠組みから選択しておけば、あとは自由に大学生活をおくれるだろうなと。

僕の高校卒業時の偏差値は36しかなかったんです。

高校3年生の時は、勉強が嫌で、「どういう学部・学科があって、そこでどんなことが学べるんだろう?」なんてことを調べまくっていました。いわゆる「受験オタク」ですね。

でもそれも、「理系なら医学部か歯学部か、それが無理なら工学部…」という周囲のレールに納得がいかなかったからです。どんな学部に行けばどんなことを学べるのかを知らなかったので、僕にしてみればそこから調べるしかなかった。
先生には「勉強から逃げてるぞ」と言われましたが。

この受験オタクの時代に知ったことで、その後に役立ったことが2つあります。
ひとつは、学問の中に「学際的」な領域があるということ。分野が限定されない感じに心惹かれましたね。そしてもうひとつは、最終学歴を良くしたければ大学院でいくらでもリベンジできるということ。この両方とも、僕はのちに実現しています。

ただ、僕は結果的に現役時代には大学受験を放棄し、高校卒業後は福井市で一人暮らしをしていた祖母の家に移り住みました。

エデュ:お祖母さまの家に移られたのはどうしてですか?

若新先生:祖母の家は僕にとってすごく居心地の良い、第2の家みたいな場所だったんです。そして、地方都市ではありますが、街中にあった。そこで親元を離れ、人生を自分で設計してみたいと思ったのです。

福井市で僕は、テレアポのアルバイトを始めました。短い期間でしたが、結構よい経験になったと思います。このテレアポの会社の先輩たちを見て、学歴がなくてもお金を稼ぐことはできるみたいだけど、納得のいくような働き方ではないと痛感しました。高卒や高校中退でもビジネスはできる。でも一方で、それだけでは仕事で美学を貫けない。やはり僕自身は大学で学びたい!もっと納得のできる仕事ができるようになりたい!と強く思ったのです。

そこで、夏から大学受験に向けた勉強を始めました。

受験オタクだった僕が憧れたのは、例えば京都大学の総合人間学部や、大阪大の人間科学部みたいなところ。でも、二次試験に対応できるような勉強は全然間に合いませんでした。そこで見つけたのが、できてまだ間もない公立の宮城大学でした。センター試験の点数は良かったので、そこは何とかなりそう。そして二次試験は新しい公立大学がよく取り入れていた総合問題。「オレのためにある入試問題だ!」とさえ感じましたね。

入学したのは事業構想学部デザイン情報学科。行きたかった学際的な分野です。しかも100万人都市である仙台に行ける。国公立大学なので親の面子も保てる…。

そして僕は、大学に入学した後に「こんなはずでは…」とウダウダ考えるのも嫌だったのです。どんな大学でも、行ったらその場所を思いっきり活用して楽しもう!と考えていました。

学長まで巻き込んでの「ナルシスト狂宴」そして…

エデュ:そのお言葉通り、まさに、宮城大学では充実した日々を過ごされましたね。

若新先生:そうですね。宮城大学でのキャンパスライフは本当に充実していました。研究の面では、デザイン情報学科の認知心理学ゼミに所属していました。「ヒューマンインターフェースデザイン」といって、それこそ学際的に、情報化社会の新しいデザインや、デザインから人の使い心地を考えるというような分野です。ただ、研究内容よりも、その先生との対話が楽しかった。

自分の与えられた環境で、僕は精一杯納得のいくように過ごしたと思います。

仙台で、誰よりも充実した大学生活を送っていた若新先生
仙台で、誰よりも充実した大学生活を送っていた若新先生

エデュ:「ナルシスト狂宴」はどういった経緯から生まれたのでしょうか。

若新先生:最初は、「このサークルに入っている人はイケている学生でリア充」みたいな大学のサークルのヒエラルキーを壊したかったんです。サークルのヒエラルキーを越えた何かを作りたい、作られた価値観を越えたい。

真っ赤な薔薇の造花をくわえて登場し、観客にその薔薇を投げる。自らに酔いしれて歌って踊る…。何だか意味がわかりませんが、気にはなりますよね。

学園祭で、学長も巻き込んでステージに立っていました。

「ナルシスト狂宴」は、いつしか学園祭の目玉行事に!
「ナルシスト狂宴」は、いつしか学園祭の目玉行事に!
「ナルシスト狂宴」ステージ上の若新先生。
「ナルシスト狂宴」ステージ上の若新先生。

エデュ:与えられた環境で、ご自身が最高に輝ける場を切り開いていったのですね。

若新先生:「ナルシスト狂宴」では、価値観を越えるということをやりたかったのです。「価値観を越える」という考えで言えば、僕は大学で出会った先輩と2人で、在学中に起業をしました。障害者の就職支援を行う会社です。実は、この会社は今や、一部上場の大企業に成長しています。
ただ、僕は1年7か月でこの会社を去ることになりました。

エデュ:それはどうして…?

若新先生:「価値観を越える」というのを原動力にしてやってきたのに、「普通」の壁にぶつかってしまったんです。会社が大きくなって、社員も増えてきたら、社会人経験の豊富な転職者が、副社長の僕にも「いや〜。若新さん、会社っていうものは普通…」と言うんです。それにうまく疑問を投げかけることができず、人や組織のコミュニケーションについて研究するために、慶應義塾大学の大学院に入り直したのです。

エデュ:そこから研究を深め続けて、今の若新先生があるのですね。

「学問」は、最高の知的贅沢品

エデュ:ところで、先生の研究分野であるコミュニケーション論は、どんなタイプの学生に向いていると思われますか。

若新先生:コミュニケーションは、日常における「当たり前」のものなんだけど、絶対的なものではないんです。常に形を変え続けている。だから、世の中の「当たり前」とされている物事に対して、「ちょっと待って」「本当に?」と「?」を出せる人ですかね。

昔から僕は、みんなが使っている流行り言葉を使うのが嫌でした。今だったら「持続可能」とか「問題解決型」みたいな言葉がそれに当たるでしょうか。流行り言葉を使って、わかった気になっているだけなんじゃないかと思ってしまうんです。

そうではなくて、自分の言葉を使って物事を考えるタイプ、わかったふりをしてごまかさず「?」を出せるタイプの学生なら、この学問に向いていると思います。

エデュ:では最後に、これから進路を考える中高生へ向けてのメッセージをお願いします。

「受験勉強が苦手でも、『学問』は楽しめるはずなんです」
「受験勉強が苦手でも、『学問』は楽しめるはずなんです」

若新先生:「学問」という言葉は、「学ぶ」と「問う」からできていますよね。だから、知識を学ぶだけじゃなく、問いかける力も大事だと思っています。

ただ、これまでの受験勉強は、「問う」が抜けていました。すると、大学の研究や学問で必要な力との齟齬が生じてきます。

受験のための勉強が苦手でも、本来、学問自体はものすごく楽しめるものなのです。だって、自分が興味をもったことをとことん追求し、問うていくのですから。こんな知的贅沢はないですよね。僕はつねづね、「学問は贅沢品だ」と言っています。受験勉強は、その贅沢品を手に入れるための競争に過ぎない。

学問が就職につながるという発想自体、これからの時代は一部の学部・学科を除いてナンセンスなものになっていくでしょう。

何かに疑問をもてる、問いかけができるようになるということは、人生を豊かにしてくれます。僕にとって一番重要なのは、この「学ぶこと=面白い」となることなのです。

若新先生

フリースクール事業の計画も、「別に高卒資格さえあればいいや」「大学にはいかなくてもいいや」と思っているような子どもたちにも、「学ぶことって面白い!」という体験を味わってほしいからなのです。

僕は受験オタクでしたが、そこまでではなくとも、中高生の皆さんには、自分が本当に興味をもって、とことんまで追求できるような学問を見つけてほしいな、と思います。

エデュ:おっしゃる通りですね。本日は本当にありがとうございました!

終わりに…

今は各方面で大活躍の若新先生ですが、成功までの道のりには紆余曲折がありました。

「学ぶこと=面白いこと」という原点に立ち返る姿勢が大切なのですね。本当に夢中になれる何かを見つけることができれば、それは後悔のない進路選択、さらには将来の天職にもつながるのではないでしょうか。