みんなの中学受験満足度向上委員会

偏差値爆上げメソッド!?

…ここまでいろいろ読んできた方はおわかりでしょうが、偏差値を爆上げできるメソッド的なものはほぼ眉唾だと私は思っています。

偏差値を爆上げできることは実際にあるんです。でもそれはその人がしっかり「勉強」することができる人だっただけのことでね。

それまでに蓄積したもの、
読む力、書く力、論理的思考能力、集中力、発想力、時間を有効活用する力、努力する力など…
それらを生かして、上手に「勉強」することができる。つまり、自分なりに有効な方法を自分で見つける、少なくともアレンジすることができる人。

かつ、それまでは「勉強」しなかった人です(笑) 爆上げってことならば。

ホリエモンの「高三夏のE判定から東大現役合格」だって結局そういうことで、ほかの人に適用できる「メソッド」なるものは何もありませんでした。

こうしたらこうなった、そういう個人的なものは、別に嘘ではありませんが、メソッドではなくて体験談ですね。

体験談が悪いってことはありません。参考にはなります。

私が前に書いた中学受験本も、ただの体験談です。
こういう子がこういう状態のときこうしたらこうなった。

体験談の中から、合いそうなものをピックアップしたりアレンジしたりして試してみれば、
何もなくて試してみるよりずっと効率よく自分の「勉強」スタイルにたどり着くことができるでしょう。あるいは精神面、安心材料やモチベーションアップとしても効きます。

塾の先生などが語る内容であれば、個人の体験談よりも、大勢の体験の集積に基づくものになります。そうすると「メソッド」に近いもの(塾「カリキュラム」はそういうもの)になりますが、今度は逆に、個別の事情への合わせ方が見えにくくなり、そんなわけで一長一短。

たとえば、塾のカリキュラムを軸に勉強しながら、個人の体験談(で、わりと自分の事情と似たところがあるもの)を参考にアレンジしつつ、独自の「勉強」方法を組み立てるとかいうのが一般的な考え方でしょうね。

さらに、公文のようなシステム化されたものになるとこれはほぼ「メソッド」といっていいでしょう。たとえば、幅広い子どもたちの計算力を段階的につけさせることができる、というようなメソッドになるわけです。もちろんそのメソッドに合わない子というのもいますが。

しかし、「幅広い子どもたちの計算力を段階的につけさせることができる」メソッドというのは存在しますが
(つまり、メソッドというのは誰でもやればできることを、できるように、やりやすいようにまとめたものなのです)
「幅広い子どもたちの偏差値を40から70に爆上げすることができる」メソッドというのは存在しないわけです。

もちろん、偏差値の定義からいってそれは原理的に不可能ですが、そうではなくて、「現在偏差値70を取っている子」と同じだけの読解力、処理能力、知識、表現力などを、偏差値40以上の子、誰にでも短期間で身につけさせるということだと読み替えてもかまいませんが。

そんなことを主張しても「できるわけない」「眉唾だ」と思われるのがオチ、だと思うでしょ?

だってそんな優れたメソッドがもし存在して、それが一般的に流布してたら、世の中が今の状態であるわけないんで。

だから、眉唾メソッドの場合は必ず、値段を高く設定するとか、限られた人だけに云々という設定にして、そのメソッドを知る人の数が少ないように演出するんです。そうするとなぜか、騙される人が出てくる。人間って不思議ですよね。

空飛ぶアンダンテ

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そのブログをまとめた本:
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社

「壁」を動かす

超難関校に、ピアノうまい子や囲碁の強い子が多いことから、ピアノ(や囲碁)を習わせると頭がよくなる! なんてことがいわれたりしますが、これは一部当たっていて一部当たっていないというか…

ピアノがうまくなる素質と、勉強ができるという素質はかなり重なっているものです。
・日々、課題に取り組み、それを続けることができる
・自分の頭で考えてやり方を工夫することができる
・先生の言うことをきちんと受け止めることができる
・楽譜(記号)から音楽(内容)を読み取り、表現することができる

その、共通の資質を持っている子は、ピアノもうまくなるし、勉強もできるようになるというわけです。

もちろん、それだけではなくて、実際にピアノを習い続けることで、ピアノがうまくなるほかに、そういった(元々ある程度持っていた)資質をさらに伸ばすことができて、それがのちの勉強にも生きるでしょう。ある意味、「ピアノを習わせると頭がよくなる」というのは、間違いではありません。

ピアノや囲碁に限ったことではなく、スポーツでもいいし、あるいは何か興味を持って調べる、覚える…

対象が何であれ、本人がその活動を楽しみ、熱心に追究していたら、おそらく勉強と共通の資質を育てることになります。

鍵はそこにあります。「本人がその活動を楽しみ、熱心に追究していたら」。合わないものを、親が無理やりやらせてもあんまり効果はないでしょう。好きじゃないのにスイミングに通わされたら、まぁしばらくしたらいちおう泳げるようにはなるかもしれませんが、たとえば自律の力とか、頑張った/積み重ねたことでの達成感とかそういう、勉強(だけではなく今後の人生)につながるような力は育ちにくいと思います。

親としては、本人が生き生きと好きなことに取り組めるような環境づくりをサポートするくらいができることのすべてですね。あんまり、ピアノがいいとか囲碁がいいとか決めつけないほうがいいと思います。その子に何が効くかわかりませんから。

子どもが小さいうちからそういうサポートをする場合はたいてい、お金がかかるだけではなくて、送迎が必要だったり、親子で取り組むことが重要だったり…ということで、共働きのうえ、子ども三人の我が家はそのへん手薄だったかもしれません。保育園でも家でも、わりとのびのび好きなことに打ち込んでいたとは思いますけど、そんなにまとまった活動の機会はありませんでした。

中学受験の準備のときに初めて、まとまって親が「環境づくり」をサポートすることができました。まぁこの場合、ピアノなどのお楽しみの習い事ではなかったですけど、中学受験という勉強そのものを通して、勉強の仕方、生活時間の組み立て方をサポートしつつ「勉強」をすることの楽しみがわかるところまでつながったかなと思います。この経験は、当然ですが(ピアノなどよりもっと直接の形で)高校生くらいになったとき、本人が「勉強」を組み立てるのに効きます。

さらに、中学に入ってからは、そこが本人に合った場であるならば、本人の興味に沿う何かにじっくり取り組める環境(高校受験に邪魔されない六年間、充実した設備、人材、授業、部活など)があるわけですから、そこでの活動や楽しみは混然一体となってのちの「勉強」力を培ってくれるわけです。

学校での勉強(授業、テスト)に熱心でなくて長らく深海魚をしていたような子であっても、いざ本人が「勉強」する気になったときには(それが高三であるか、浪人してからであるかを問わず)、実は広くいって学校の教育が培ってきた「勉強」力がものをいったりします。このへん、おもしろいものだなと思います。子どもの受験と、友人の子どもたちの大学受験を通して実感しました。

中高の六年間のうち、本人が大学受験に真剣に取り組み始めるまでの期間、何にどう取り組んでいたかは、いざ「勉強」を始めたときの「壁」の位置に大きく影響すると思います。鍵はやはり、「本人がその活動を楽しみ、熱心に追究していたら」であることに違いはなく、そのためには本人が快適に生き生きと過ごせる「合う」学校であることが何より重要です。活動の内容自体は勉強に関することでなくてもなんでも、部活でも委員会活動でも、その他の趣味でもいいのです。むしろ、勉強から離れているほうがおもしろいかもしれません。

空飛ぶアンダンテ

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「壁」の位置は何で決まる?

「偏差値60の壁?」という記事で書いたように、あるときから「勉強」を始めていくと、最初のうちは順調に成績が伸び、どこかで頭打ちになる(=「壁」)というパターンは多いです。

「壁」にぶつかるのが悪いわけではなくて、そこからしばらくまた「勉強」を積み重ねるとようやく安定した実力が発揮できるようになるので、「壁」から半年~一年くらいあるとわりと納得いく受験ができるのではないかと思います。「壁」に到達する前に本番来ちゃうのはもったいないし、到達してすぐはちょっと運も味方につけないとなかなか合格できないイメージです。

その「壁」がどこにあるかは、別に偏差値60に限りません。人によります。では、その「壁」の位置は何で決まるのでしょうか?

身も蓋もないですが、無視できないけっこう大きな部分が「生まれつき」で決まります。いわゆる「遺伝」です。しかし遺伝といっても両親の平均か何かで推測できるように思うのは誤解です。父と母から来た遺伝子が、どのように組み合わされて生まれてくるかということです。

たとえばですが私には三人の子ども(またろう・こじろう・はなひめ)がいますが、こじろうをまたろうのように育てるとかあるいはその逆とか、どうやったってできません。そもそも生まれつきが違うんです。同じ親から生まれていますが。

生まれつきで何かが違うことは、誰でも納得していると思います。トップアスリートが超人的な努力をしていることはもちろんですが、仮に同じだけ努力をしたとして(同じだけ努力するにも、それほど努力できる才能というのがそもそもかなりレアでしょうけど)、誰もが100m10秒を切れるわけがありません。あるいはいくら早期からスパルタで育てたって、誰もが世界の五嶋みどりになれるわけがありません。

しかしそんな世界レベルの話ではなく、たとえば…子どもを開成に入れるとか、東大に入れるとかだったらどうでしょう。

「それくらいだったら」環境や親の導き方でなんとかなりそうな気がしますか?

元々、五嶋みどりになるより東大に合格するほうが比べ物にならないくらい易しいので、なんとかなると信じて育ててたらなんとかなったわ、ってケースもあるでしょうけど、それは同じ育て方をしたらどの子でもそうなるって話ではありません。やっぱり向き不向きってのがあります。良い悪いではありません。またろうはすごくいい子で、頭も(ある意味)とてもいいんですけど、たぶん佐藤ママ(子どもを四人全員東大理三に入れた人)に幼少のころから預けたからって理三どころか東大にかすりもしないでしょう。そういうキャラではないんです。

「なんとかなるかどうか」のほかに「それで幸せになれるか」という問題もありますが、それはとりあえず脇においたとしても、「生まれつき」の限界…限界というとよくないイメージなので言葉を変えれば、方向性の違いといってもいいんですが、その時期(年齢)の、その測り方(いわゆるペーパーテストで測る学力の偏差値)とその子の相性というのがあるので、早期教育から始めて万全の教育をしても開成なり東大に届かないということはあります。

そのことを理解しないと、不幸が起こります。
まだ足りない、まだ足りない、と無理を押し付けて子どもが潰れるか、
自分のやり方がうまくないのだ、と親が自らを責めて潰れるか。

合わないことはできません。

「生まれつき」、その子が持っている性質や能力を無視して一方向に無理やり引っ張っても、結局伸びないうえ、親も子も幸せになれません。

何をしても無駄だということではもちろんないのです。
生まれつきが同じでも、受験学年までに何をしてきたかで、当然、「壁」の位置は変わりますし、
「勉強」を積み重ねることを軌道に乗せなかったら、「壁」まで到達することすらできませんから。

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勉強の楽しみ

勉強してて楽しいですか?

私は、決して長時間勉強派ではなかったし、行動だけ見れば「勉強好き」には見えなかったかもしれないけれど、勉強それ自体は楽しかったです。

ただ勉強以外にも楽しいことはいろいろあるし、集中して勉強すれば楽しくてもやっぱり疲れますからね。なかなか勉強ばっかりしてられませんが…

勉強よりもっと楽しいことがあるのは、別にいいんです。ふつうです。
勉強になかなか取り掛かれなくて、「せーの」「やるぞ」…最初のハードルが高い、というのも、ふつうです。
でも、勉強それ自体「も」楽しい、ということはとてもだいじです。

楽しくないことはなかなか続けられない、というだけではありません。
楽しくないと結局勉強がなかなか身につかないのです。

「楽しい」と感じるのは、どんなことでしょうか?

前にわからなかったことが今日はわかるようになった、
知らなかったことを今知った、
できなかったことができるようになった。

そういうことは基本的に喜びです。「楽しい」のモトです。

勉強が「楽しい」のモトに満ちていることは理の当然です。

しかしそれだけでは弱い(小さい)です。

モトとモトは、つながることで飛躍的に楽しさが増えるのです。

例えばですが、英単語を覚えようってんで、コレコレが、日本語でこういう意味。って、まぁ知らなかったことを知るのはいいんですが、それ単独ではそれだけのことです。でももし、そういえばあの話で出てきた、とか、あぁアレと語源が共通だからこうなのね、とか、あの動詞と使い方が同じ(意味は違うけど)とか、何かとつながりがあればがぜん生きてきます。面白味が出てきます。

単語集で単語を暗記するとき、もちろん覚えないより覚えたほうがいいんですが、そのときぼーっと覚えてる場合じゃありません…ぼーっと覚えるというのも変ですが(^^;; いろいろ発想を広げてつなげつつ覚えたら、定着も応用もぜんぜん違います。

単語集で同じだけのページを暗記した、といっても、つながってるのとバラバラなのとは、別物です。

「つながりを見つける」発想の基本は、比較。「似てる」「違う」を見つけていくと思えばだいたい足ります。
「似てる」「違う」のレベルは浅いものから深いものまでいろいろあって、その重層的なところがまたおもしろいんです。

勉強は、楽しいだけではなくて、これからの人生いろんなシーンで役立ちます。

というか、勉強の場で、つながりを見つける練習をたくさんした人は、勉強したことを、これからの人生でいろいろに役立てることができます。一見、まったく関係ないようにみえる出来事の中でも。数学なんて勉強して、生活するうえでなんの役に立つの? といってる大人がいたらそれは、たぶんちゃんと楽しく勉強しなかった人です。

空飛ぶアンダンテ

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努力するのも才能だ

ドラゴン堀江で、タワシさんという芸人さん(早稲田中退)が、一日12時間勉強を期間中(半年弱)毎日まいにち続けていました。

そして勉強をしていくと、勉強が楽しい、もっと勉強したくなる、と。タワシさんは、「勉強をすることができる」ということについて高い才能を持った人だなと思いました。

受験業界に広く根強く流布している誤解として「やればできる」というのがあります。誰だって勉強しないよりしたほうがそりゃ成績が伸びるでしょうけど、じゃあもっとすればもっと伸びるかというと、ものには限度があります。その人それぞれ、どのくらいの時間を勉強に割けるかという「器」のようなものがあり、それ以上盛ると溢れます。

溢れるとどうなるかというと、勉強が実は役に立っていないとか(上滑り、集中できていない)、さらにひどくなればいわゆる受験ウツの状態になって、成績がうなぎ下がりになります。

中学受験の場合、親が生活スケジュールを段取りしたりしますから、親のコントロール力が強い(この、「強い」というのは相対的なもので、子どもとの相性によっても出方が異なります)と「器」を溢れさせることができてしまいます。

大学受験の場合、年齢が違いますので親とか先生とかの他人がいくら「やれ」といっても自分の器を超えてやってしまうということはふつうありません。しかし今度は「自律」の力が育っていますから、意志の力が強くて真面目に自分を追い込むタイプの性格だと、自分で自分の器を溢れさせてしまうこともあります。

「器」の限度がどこにあるかは、そんなに固定的なものではなくて状況によっても変わってきますし、どこにあるかはっきり見えるものではないですけど、要するに勉強をした内容が身になっているか、勉強の楽しさが感じられているか、気持ちが前向きであるかといったことに注意を払っていれば自分である程度わかると思います。

私が高三だったときは、学校で(内職して)駿台の予習復習、駿台で授業をきき、家ではほぼくつろいで過ごす(そして十分寝る)というリズムでずっと過ごしていました(よいこはまねしてはいけません)。規則正しく、無理がなく、精神的に安定して過ごすことができて、勉強の効率としてはたいへんよかったと思います。自分の限界がどこにあるかを試さなかったという面はありますが…

限界を試してみるというのもそれはそれで人生というか青春ですが、
限界よりだいぶ手前でもいいので、たんたんと勉強して精神的に安定している生活のほうが成績アップには効きます。

その「たんたんと勉強し」の範囲で一日12時間できちゃうという人もいて、それはそれで才能です。

勉強しないのはダメです、そりゃ成績上がりません…上がるわけないですね…

でも、勉強するときは、自分の「器(勉強する才能)」の範囲内で。そのほうが成績上がります。
範囲内かどうかを見分けるポイントは、
勉強をした内容が身になっているか、勉強の楽しさが感じられているか、気持ちが前向きであるか
です。だいじなことなので二度言いました(^^)

空飛ぶアンダンテ

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東大合格者数の高校ランキングに何故浪人を含めるの?

【4079405】東大合格者数の高校ランキングに何故浪人を含めるの?
を見ての感想です。

それぞれの学校がいろいろなカラーを持っていて、様々な特徴を持っているので、それを一本のものさしに乗せちゃうとかそんな(^^;;
無理なことに決まってるのですが、それでもやっぱり目安として何か指標がほしいってときに、
まぁいろんな考え方がありますが、指標として使いやすいものになるための条件って何でしょう?

・幅広い学校についてデータを得やすいこと
・直接比較しやすいこと
・知りたい「何か」になるべく近いこと

「東大」がランキングに使われやすいわけは、
東大が一番すばらしい大学だからではなく、
指標として優れているからです。

入るのが難しいといったって、東京芸大とか、東京医科歯科大とか、そういう一部の人しか目指さないものじゃ指標として使いにくいですね。東大ならいちおう理系文系揃ってる総合大学ですし…

早慶とかじゃ一人の人がいくつも合格稼いでわけわからんことになります。合格ではなく進学先についてのデータを出してくれる学校も限られていますので、重複を除くのはやっかいです。

現浪含めて東大合格者というのは、それやこれやで、安直に比較しやすい、使いやすい指標なのですね。

ところで今、あえて話を前後させて、「何を知るための指標なのか」を言わずに使いやすい指標といってしまいましたが(本来意味ない)
、こういうのって、何を知るための指標なんでしょうね…

このスレ主さんの疑問点は、このへんに起因しているものだと思います。この方が知りたいのはおそらく「高校が生徒たちを合格させる能力」みたいなもので、そしたら浪人入れたらわからなくなるということですね。

現浪含めて東大合格者数という指標が何を表しているかということを強いていえば、
そういう(ある程度勉強すれば東大に行けるという)素質のある生徒が何人いる学校か
を比べているという感じでしょうか。

別に学校の教育が優れているかどうかではなく、そういう子をどれだけ集めたかという話。
中高で伸びたのかということも問わないし、
学校で勉強したのか塾で勉強したのかも問わない。

もちろん、この指標も固有の歪みを持っています。

そういう素質をもった生徒のうち、実際には東大を目指さない生徒の率が高いと、この指標では低く出ます。

具体的にいえば、東京が遠い場合、浪人をしたがらない場合、価値観が多様な場合(笑)

まぁ指標なんてそんなもんです。

どういう指標を作っても、集計しにくいとか、わかりにくいとか、歪みがあるとか、なんだかんだあるものです。
限界をわかって見ないとえらく意味不明なことになります。

空飛ぶアンダンテ

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注目校の素顔(開成・麻布・武蔵・女子学院・豊島岡・鴎友・海城)

おおたとしまささんの著書で、「注目校の素顔」というシリーズがあります。

その紹介記事を書いたのが溜まっているのでインデックスを作りました。

私の手元にある本については全部書きましたが…
まぁたぶんお読みいただくとわかるように、好きな学校とそうでもない学校がありますので、熱の入り方は違います(笑)

01: 開成流の「自由」と、結果として東大合格する教育

02: 麻布の自由、JGの自由

03: 武蔵の「ゆとり教育」

04: 女子学院今昔: コンテンツの充実
女子学院今昔: 変わらないこと、その先へ

06: 「運針」と「礼拝」(豊島岡)

07: 伝統校のような新興校のような(鴎友)

08: 管理教育からの大転換(海城)

ともかく、シリーズ中、一定のフォーマットで多様な学校をスパッと切り、非常にわかりやすく比べやすいというか、
それぞれの学校の良いところが出ています。

基本的に悪いことは書いてませんが(取材させてもらう以上そうなる)でも、魅力として書かれていることでも、読む人によって、お好みのことと、そうでないことってのがどうしてもあると思うんですね。

人によって、ひかれる学校というのはけっこう違うものじゃないかなと思います。

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女子校の早慶指定校推薦枠数について

【4003995】女子校の早慶指定校推薦枠数について
というスレを見ての感想です。

指定校推薦は、数も少ないし、それを考えて中学を選ぶ発想には驚きました。
というか、早慶の推薦をもらうことが狙いで桜蔭に行く人もいませんよね…
早慶を確定させたいなら早実とか慶應中等部やSFCに行けばいいし、
まぁふつうに勉強していけば一般受験で受かるでしょう(少なくとも推薦狙うよりはずっと確実)。

それはともかく。

推薦をもらえると、そこから先(高三冬)は大学受験勉強をする必要がありませんし、いくつもの大学に願書を出したり(お金もかかる)浪人のリスクがあったりということをまるっと避けられるわけですから魅力的ではありますが、

一番の問題点は学部学科が決まっているということです。

さすがに、興味のないところ、苦手なところに行くわけにもいきませんね。

大昔の話ですが、私が女子学院高三だったとき、先生が突然「早稲田の理工学部を受験するって言ってましたよね? 推薦できますけどどうしますか?」って打診してくれたのです。推薦のことはまったく考えてなかったのですが、早稲田理工は私の中で熱望の第二志望…というとおかしいですが、第一志望と気分的にほぼ差がなかったので、ものすごく揺れました。

でも、学科が志望と異なり「応用化学」。私は実験が好きではなく(ありていにいってめんどくさがりや)、かつ、化学にはほとんど興味がなかったので、これはいくらなんでも卒業が危ないと思って、後ろ髪を引かれつつ(^^;; 辞退しました。正解だったと思います…

結局、その推薦に決まった人は、(私と違って)まじめな人で、かつ、化学にも適性があったようで、推薦決まってからは「入ってから困らないように」ますます数学や物理・化学などしっかり勉強して、大学でもきちんと学び、今でもちゃんとその関係で仕事をしています。推薦というのは、そう使われるべきです。

ところで、大学受験のつもりで勉強するのではなく、推薦を「狙う」というと、学校の成績を第一に考えて定期テストや提出物をまんべんなく頑張ることになるのでしょうか。そのこと自体はもちろん高校生として正しい態度ですから、自然にそうできるならば結構ですが、「大学に行くために」内申をがんばり、推薦をもらえなかったときのためには受験勉強もがんばるとすればつらくないでしょうか。

ちなみに私の場合はちっとも内申揃ってなかったので、先生がどうやって書類上つじつまを合わせるつもりだったのかは謎です。

おそらく、女子学院のようなところだと、推薦を狙っている人が少ないので、内申をたいして持ってない人(私)にもお声がかかったのでしょうけど、狙っている人が多いというか、たまたま「その枠」をほしいと思っている、自分より成績がいい人がいたらアウトですからね?? あてにはできない話です。

指定校推薦でいけたら「楽」だ、という発想から見ると、8ページ目の
【4005549】 投稿者: ファストパス
にあるような
—–
実は、姪がそのルートで早慶に行きました。
公立中で真面目に勉強→校長推薦で公立高→公立高で真面目に勉強→指定校推薦で早慶入学。

何が凄いかというと、彼女は一度も受験勉強をしたことがないのです。
中間期末のテストのみ。
これらは、学習指導要領で範囲が決まっていますし、今は絶対評価なので、しっかりやれば誰でも取れます。
姪の場合は、副教科がとても得意だったのもよかったようです。
—–
はひとつの理想の形ということになるでしょうか。しかし、続いて書かれているように

—–
ただし、一つだけ弊害が。
姪は真面目に大学の授業に出席しているのですが、教授が何を言っているのか、よく分からないということ。
日本語のようには思うけれど、一度も聞いた事がない単語ばかりで、授業がちんぷんかんぷんだったそうです。
—–
結局、大学の授業や周囲の会話にはついていけないということだったら、あまりその大学に行く意味はないのでは(この事例では、その真面目さでカバーして順調な人生を歩んでいる雰囲気ではありますが)。

こじろうは早慶(のいずれか)へ内部進学したので大学受験勉強はしていません。これまた、「裏口」とか揶揄されることもありますが、まぁ親の目から見ると、外部受験の人はもっと英語がちゃんとできるのではないかと思いますけど、数学、物理その他、専門の理解に必要な部分は特に困らないようです。

ちなみに、指定校推薦などは「勝手口」というそうです。

こじろうから聞いたところによれば、「裏口」である自分達の基礎学力についてもあまり大きなことはいえないが、それにしても「勝手口」の人はすごく優秀な人もいるけど、シンジラレナイくらい何もわかってない人もまた「勝手口」だと言います。

あまりそういうところを「狙って」もしかたがないので、大学受験のつもりで勉強していて、「たまたま」条件が合えば利用する。一般で受験してもまぁ受かるだろうという人が推薦制度で入学する分には、余分な出費も心労も回避できて、とてもよいと思います。

空飛ぶアンダンテ

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中学受験って損なのでは?

【4018254】中学受験って損なのでは?
というスレを見ての感想です。

なぜかこういうスレは繰り返し立つのですが、ほんと不思議ですよね。中学受験なんて、しないおうちのほうがふつうなんですし、そういう人の大半はインターエデュは見ないと思いますし、あるいはいろいろ情報収集したうえでうちは公立中にしようと思うならそれはそれで…他人の同意求めてもしょうがないし…いったいどういう方が立てているのでしょうか?

ま、それはともかく。

非常~に大雑把なことをいえば、損とか得とかいう観点で検討する人はおおむね中学受験はしないのかなと思います。

つまり、損とか得とかいう言い方をする場合ってだいたい、「大学」を基準に考えているんですよね(このスレ主も)。結局同じ大学に行くとしたらどっちが
・金銭的に安いか
・入りやすいか
というような。

私も、またろう(第一子)を公立中に入れ、こじろう(第二子)を私立中に入れたあたりではまだ、この
・入りやすいか
に似た視点で比較をしていたような気がします。なんとなく。その子の性質から考えて、中学受験と高校受験とどちらが向いているか(難しいところへ受かりやすいか)。それで、こじろうがあまりにもばっちり「中学受験向き」なのでそっちになったのです。

けれど、こじろうの中学校生活がしばらく過ぎていくころには、もうはなひめ(第三子)を公立中に入れる気はまったく失せてしまい、あぁもう頑張って稼ぎますから私立行ってくださいってことで揺らがなくなりました。

平たくいって、毎日まいにち子どもが楽しそうに過ごしているってのはほんとうに!! 親も楽です。

気の合う、話の合うお友だちがたくさんできて
部活は充実
授業もしっかりしてて(公立中の授業も私立中の授業もいろいろですが、全体としてみればそりゃ比べ物になりません)
いじめがなくて(どこかにはあったのかもしれないけど密度があまりに違うので出くわさない)
親同士の付き合いも快適

もう別世界です。これを体験しちゃうと公立中には戻れない…

ということではなひめも私立に行きましたが。
はなひめがどこの大学に行くのかまだ全然わかりませんが(現在高一)そんなこととは全然関係なく、中学生活、高校生活の幸せ。私立に行かせてよかったと思ってます。

はなひめを中学受験させたころというのはまさに、公立中生活と私立中生活の快適性を比べて、私立一択と思っていたのですが、こじろうが大学生になった今、またさらに多少、気持ちが変わっています。

もちろん中学三年間、中高六年間いる間の幸せ度ってのも重要ではありますが、
子どもが「合う」環境にいてこの六年間過ごしたときに得るもの(成長、人間関係)の大きさを振り返るに、
ほんとにもう、「カラーを選んで入ることができる私学」の有難味を実感します。

上記スレの中、10ページ目に
【4019480】 投稿者: 損得では言えない
というのがありますが、この方の投稿内容はかなり私の気持ちに近いです。

…ところで。

このように、手放しの私学賛歌を書き連ねました(こっぱずかしいくらいぶっとんでますが、本音です)が、このように「中学受験させてよかった」「私学に行かせてよかった」と感じる人ばかりでないことはもちろん知っています。そうなってしまう理由はいろいろあると思いますが

・経済的にぎりぎりである場合
・中学受験勉強がうまく積み重ねられず、本人のポテンシャルに見合う合格が得られなかった場合
・本人や家庭のカラーに合わない学校に入れてしまった場合
・親が、どこの大学に合格できるかのみに価値を感じる場合
などなど(ほかにもあるかも)

だから、中学受験が損か得かという問い立てをするならば、本人の性質、家庭の事情、親の価値観などを考え合わせて、そのような「失敗」要因をどのくらい持っているかを推し量るということになると思います。

そのような事情なしに、一般的な問い立てをしても全く意味はありません。

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通塾1年で受験は難しい?

【4124279】通塾1年で受験は難しい?
というスレを読んでの感想です。

まず、スレトップにあるご質問内容を見ると、
—–
通塾1年ほどでの中受は難しいでしょうか。
事情で通塾は6年からになります。
めざしているのは偏差値55~58ほどのところです。
よろしくお願いします。
—–
となっています。

通塾1年ほどで…とありますが、そもそも、仮に標準的な進行として、大手塾に四年生から三年間通っても「偏差値55~58ほどのところ」に合格しない場合もありますし(というかかなりふつうに起こることですし)、より条件が厳しくなって簡単になるわけはありません。

もちろん、このスレに書きこまれた中にもあるように、一年の通塾で難関校に合格する子もいないわけではないのですから、

まさに子どもによる(家庭による部分もあるかも)としかいいようがありません。

けれど、質問をこのように変えたら多少意味のあるものになります。
—–
通塾1年ほどでの中受は難しいでしょうか。
事情で通塾は6年からになります。
4年生から3年通塾したときと、結果はどのくらい異なるものでしょうか。
—–

それだって人によるっちゃよるわけですが(^^;;

とりあえずある程度の「感触」はあります。

私は最初の中学受験(こじろう)のときに「5年生から2年通塾」でやってみて、
「結果は同じになるような気がするけど塾生活が軌道に乗るまでバタバタで大変だった」
と感じて、

次の中学受験(はなひめ)のときには、基本線同じにするけどその前にぬるく準備はしておこう…
というふうにしました。これは結構ちょうどよかったです。

バタバタにもならず、
勉強が足りなかったということもなく、
本人のポテンシャルどおりの結果を出せた

と思います。

これが「1年」になるとどうかということですが、まず大手塾カリキュラムとの馴染みが悪くなりますので、かなり親が知恵(あるいはお金?)を使って工夫することが必要だと思いますが、どう工夫しても忙しいには違いありません。

「4年生から3年通塾したとき」の結果と比べるというのは想像でしかありませんが、
運がすごくよければ同等の結果が出せるかもしれない…
そうでなければちょっと下か、
運が悪ければだいぶ下になるかも。

そう思うのはなぜかというと、通塾半年~一年くらいすると、だいたい本人のポテンシャルあたりまでの偏差値にはお目にかかれるようになるけれど、安定性は劣るかなと感じたからです。

なので、可能ならば二年くらいほしいかなと思うのですが、
人それぞれ事情もあり、
通塾しないならほかのことができるわけですから、
あとはどうしたいかで考えればよいですね。

空飛ぶアンダンテ

三人の受験について書いていたブログ:
アンダンテのだんだんと中受日記
そのブログをまとめた本:
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと」ダイヤモンド社
2歳から高専受験まで、またろうのまったり成長の記録:
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社

ママブロガー名:アンダンテ

中学受験で全落ちして公立中学に通うが、半年後の欠員募集によって女子学院に転入。大学受験では全勝し現役で東京大学理科二類に入学。同大学院修士卒。現在はメーカー勤務。
国語が苦手な次男、算数が苦手な長女の中学受験生活を綴ったブログ「アンダンテのだんだんと中受日記」は「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと」(ダイヤモンド社) として出版された。