みんなの中学受験満足度向上委員会

共働きと中学受験

発行されてからだいぶ日が経ってしまいましたが、進学レーダー「共働きパパとママの中学受験ブック!!」(2014年5月号)を読みました。

うちの受験はとっくに終わったのになぜ改めてこれを買ったかというと、日経DUALで「共働きファミリーの中学受験」という連載を持っていたので、「共働き」という切り口で日能研さんはどんなことを書いているかなぁと興味を持ちまして。

おもしろい、というか進学レーダーらしいページとしては、親子の一週間のスケジュールを
・フルタイム共働き家庭
・ややゆったり共働き家庭
・専業主婦家庭
の3パターンで対比して載せていたのがありました。

共働きだと何が悩みどころかといえば、たとえば、勉強をみてやる時間がないとかいうことになると思いますが、ここで掲載されている三例はいずれもたいしてべったり見てません。

むしろ、専業主婦家庭の例だと、「娘は4年の時から自分でやるタイプでした」とのことで、親は課題の優先順位(これはやらなくても)を提案するくらい。では何が共働きと違うかといえば、朝でなく塾に行く直前にお弁当を作れることと、習い事(バイオリン)の送迎をしていることでしょうか。

両親共が忙しい共働きの例では、親が家にいる時間でも、特に勉強を見ているというわけではなく、子どもが自習をして、「質問があれば答える」というスタンスを取っていました。

一番関わっていたのは「ややゆったり共働き家庭」の例で、声かけや学習の確認をするほか、テスト直しは付き添ってやっていた模様です。

わが家のパターンはいちばん、この「ややゆったり共働き家庭」に似ているかな? 私はフルタイムなんですけど(^^;; 勉強の効率を考えたらこうなってしまったというか。

ま、結局のところ、中学受験では、子どものタイプによって学習に親がどれだけ関わるかはだいたい決まり、それはフル共働きでもなんとかなる程度である、と。いうことで、共働きかどうかは中学受験にとってたいした問題ではないということになるかと思います。

じゃあわざわざ「共働きファミリーの…」なんて連載を書くまでもなかったかというと、まぁ、ないんですけど(笑) 共働きであることに不安を持っている人が(もし)いたら安心してほしいし、あと、細かいことではいろいろ困りごとも出てくるので、その解決のヒントになればいいかなという気持ちで書きました。

ところで、この特集の「フルタイム共働き家庭」例を見ていて新鮮だったのは、六年生の姉も学童に通っているところです。自治体がやっている学童保育は3年までで終わりになってしまうことが多いですからこれは私立の学童かな? 学童について、ちょっと後日書いてみたいと思います。

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めっちゃバイアスかかってます

体験談もずいぶん集まりまして、今「21」まで来ています。まとめて読み返してみるとなかなか壮観。

いろんな親子がいろんな観点から学校選びをして、その結果納得のいく進学先に巡り合って、のびのび生き生き過ごしている様子から、何か一般的に「よい」学校というのがあるのではなくて、学校のあり方や魅力も様々で「カラフル」私学ということを感じていただけるのではないかと思います。

ところで、こうして寄せられた体験談では、おしなべて非常に満足度が高くなっていますが、このことから

中学受験をしさえすればみんな幸せになれる

なんてことを主張する気は一切ありません。

エデュ内にもよく、嘆きや怨嗟の声が溢れていますよね…

「ここに体験談を書いてくれた人」というのは、一般の中学受験家庭から比べて、バイアスがめっさかかっているのです。

この体験談は、別にインターエデュが一般募集かけたわけではなくて、私のリアル友人、ブログ友だち、これまでご相談いただいた人などに個人的に声をかけてお願いしています。そうすると、「中学受験で幸せになるタイプ」に著しく偏るんです。

たとえば、私が娘の中学受験を終えてから、受験相談を受けた方(のうち、今年中一)が二十数人いらっしゃいますが、第一志望の合格率は9割近くです。よく言われる「中学受験でめでたく本命校に行ける人は1/3くらい」のような言説からは、かなりかけはなれています。

これは別に私の受験相談が魔法のように合格を引き寄せたからではないでしょう(^^;;

私のブログを読んで気に入ったような人は、「偏差値表で少しでも上の学校に押し込みたい」というような意向はあまり持っておらず、お子さんが充実した学校生活を送れるようにということを真剣に考えていることが多いです。

また、学習を効果的に積み重ねるには、子どものキャパを越えて詰め込んだり根性論で無理をさせたりせず、消化不良を起こさないペースを守る必要があることを理解しています。

つまり、ある学校の合格者の中でお子さんがほぼ「ど真ん中」(学力面だけでなく、カラーその他の意味でも)に位置することを目指して学校を選び、空回りせず地道に学習を積み重ねて入試に臨むわけですから、そりゃ合格率も高くなります。

そして望み望まれて入学した暁には、学校で起こるもろもろのことに前向きに取り組んでいくうちに、学校への愛着も深まっていきます。

こんなふうに、中学受験の満足度が高くなりやすい体質? 気質? というか考え方というものがあります。これは後天的に身につくものですから、せっかくなので、中学受験に成功しやすい考え方のクセを身につけてから臨まれるとなにかとお得だと思います。

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勉強法はそれ単独で成り立つものではない

ここまで英語の勉強法についてつらつら語ってきましたが、まぁそのように私の「勉強法」についての好みというものは、自分の体験や、上二人の子どもたちの英語との格闘やらの中から培われてきたわけです。

それで、今、娘(中二)が通っている学校の英語ですけど、それは入学前に知った特徴だけでいうと、あんまりいいと思いませんでした。つまり、私の嫌いなタイプの、「習うより慣れろ」的な?? というふうに見えたので。

もっとも、学校を選ぶうえで、英語の勉強法というのは、相対的に小さいことだったので、そんなに気にしてはいなかったのですが…

そして、実際に娘が入学してから一年経って、わかったことがあります。

その英語の勉強法が、娘の学校では、生き生きと機能して、良さを十分に出しているということです。

たとえば、
・生徒の資質
・先生の資質
・生徒同士の影響力による、意欲の高まり
・教材
・小テスト、定期テスト
・うまくのれていない子へのフォロー
などなど、勉強法が生きるも死ぬも、環境と運用にかかっているので、勉強法単独でいいとか悪いとかという判断はしにくい、というか、してもしょうがないのです。

娘の中学校生活一年間を見てきてつくづく思うのですが、学校がどういうポリシーを持ってどういう教育を行うかということと、どういう先生がそろっているかということ、それとどういう生徒が集まっているかということ。それと、学校の置かれた立地・環境。それらすべてが統合して、十分な機能を発揮します。特に、「どういう生徒が集まっているか」ということはキーポイントなので、入試のあり方というのは、学校の教育の良し悪しの根幹をなすものであるともいえます。

私学であればどこでも、入試の制度にも、問題にも、工夫をこらしているはずです。その入試で選抜できる子の資質が、中で行われている教育と噛み合っているというのが、力のある学校のひとつの(重要な)特徴です。

子ども二人の中学受験を通して、さまざまな学校の入試問題に触れましたが、いちばんすばらしいと思ったのが、娘の学校の問題でした。それは、単に塾でそれなりの訓練を積んできたということに留まらず、読み、データを整理し、あるいは考え、表現するということについて、さまざまな角度から、またかなり深く問うものであると感じたからです。その時点ではただ、「できる」子を取りこぼさず取る(合格させる)ために工夫がこらされているのだなというふうに思ったのですが…

「できる」といっても、その「軸」はひととおりではありません。どういう子を合格させたいかの明確なイメージがあり、それに沿って入試問題を作成し、そうして集まった生徒に効果的な教育(勉強法含む)を練り上げていく。私学の「お仕事」はそういうものなのだなと今は考えています。そういう意味で、入試がしっかりしているということはそのままその学校に対する信頼の元でもあります。

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実り多い英語多読にする工夫あれこれ

学習意欲もない、基本の英語力もない子に英語を漠然と多読させても(=またろうを、公文英語に通わせても)、得るところは非常に少なかったです。というか、多読したとはいえないですね。読んだふりして飛ばしてただけ。

こういう場合は、読む、慣れるとかいってるより、薄っぺらい基本的な文法問題集をしつこく、すり込むように繰り返すことのほうがずっと効果があります。数ヶ月で、当時通っていた市進の英語偏差値が45→55くらいまで上がりました。しかし、監視はほんとに疲れますorz 母はここでほぼリタイアし、英語成績も頭打ち。

やる気のない子に多読させるなら、音読させて聞いてるくらいのことは必要でしょうね。公文では、先生が音読を聞いてくれるようですけど、週に二回そこで音読させられて、家でもちゃんと音読するように「なったら」、まぁ役に立つでしょう。

音読というのは、読み飛ばしや、いい加減読みを防ぐ効果があります。音読をすることで、しっかり頭を通過させられればいいですよね。

どうも私自身は、音読をしても目と口が直結してすらーっと流れていくだけで、頭を通っていかない感触があります。音読で目と口を慣らすのも悪くはないですが、多読から何を得るかという話でいえば、全力で推測しつつ意味を取っていくところが大事なはずですけど。

私か好きだったのは、英日の比較読みでした。基礎英語や続基礎英語は親切に対訳がついていますが、「くまのプーさん」の場合だったら、英語版と日本語版を並べて読んでいました。

並べてますから、英語で知らない単語や、意味がわからないところがあっても、日本語を見ればわかるわけです。しかし翻訳というのはどこまでいっても「近似」であって、まったく同じニュアンスを伝えているとは限りません。読み比べて、そのズレを味わうとか、英語と日本語の表現の発想の違いを楽しむとか、そんなことが大好きでした。「対訳」が大好物なんです。ちょっとだいぶ変な人かも。

(もし同好の士がいらっしゃいましたら、今、NHKラジオ講座でやっている「英語で読む村上春樹」はとってもお奨めです)

うまくマッチする訳本が手に入らないこともありますが、そしたら英語を何度か繰り返して読んでいました。

一回読んだとき、だいたいは意味がつかめたとしても、なんか腑に落ちていないというか、存分に味わえた気がしないんです。二度目、三度目に読んでみて、英文を目で追いながら、きれいにその文章の意味が自分の中で寄り添って流れていくような感触が好きでした。これまただいぶ変な人かも。

とにかく、何かを読んでいるときの頭の働き方というのは、おそらくふだん想像している以上に、人によってそれぞれかけ離れているものなのです。だから、どういうやり方がいいとはいえませんが、なんらかの読み方の工夫で、多読で得られるものを格段に増やすことができると思います。

指導法としては、設問を設けるとか、感想を書かせるとか、音読をさせるとか、印をつけさせるとか、いろいろありますよね。そのどれが自分的にヒットするかわかりませんけど、自分の頭の働きをよく観察しながら、お得な読み方、スタイルを確立していくといいでしょう。

それと、そうやって自分をもうひとつの視点で観察しながら、勉強法の工夫をしてみるということ、そのことそのものがものすごく勉強になります。たぶん、そういうことができるかどうかが、その後の人生における「学び」の大きな分岐点になるんです。

(お奨め記事Akira先生の「日能研の歩き方」自分なりに工夫をしてみる)

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この一年の成長

新中学一年生の皆様、ご入学おめでとうございます(^^)

去年の今頃のことを思い出すと→「制服美人」(入学式についての記事)
…ほんと一年、あっという間に感じましたけど、中身のぎゅっと詰まった、楽しい一年間でした。

いや私が楽しんでもしょうがないんですけど(^^;;
子どもが毎日楽しそうならそりゃ親だって気分いいです。

去年の今頃。不安がなかったといえば、嘘になります。
なにしろ、惚れすぎちゃってたので…娘の学校に。

入ってみたらそれほどじゃなかった、がっかり、
ということがあったら、それを子どもに悟られないようにできるかしらん。
なにしろ、受験のときもそうでしたが、女優になれない、演技力のない、いつもそのまんまの母です。

でも、今ほんとにリラックスした気持ちです。
元々、学校選びのときに、一番重視したのは、「空気がしっとり」合う、心地いいということでした。
感覚的にすぎると思われるかもしれませんが、中高一貫校の教育力の一番根っこのところは「ピア」(生徒同士)の教育力にあり、それがどれだけ力を発揮するかは、「空気」にかかっている、と信じているからです。

もうちょっと具体的にいうなら、生徒同士の「均質性の中の多様性」が生きて「化学反応」が起きるということです。いやあんまり具体的になってませんけど。前にもう少し詳しく書きました→「私学の価値1: 均質性の中の多様性」

この一年間で、期待どおりだったことは、娘がどのくらいこの学校に「似合っているか」ということ。

期待以上だったことは、周囲の人材(クラスメイト・部活仲間・先輩など)が多方面に優れていること。

そして、この学校がすばらしかったことは、そういう生徒同士の「化学反応」がうまく起きるようにものすごく周到な配慮があるということです。これは、入る前にはあまりよくわかっていなかったことです。

それらが合わさった結果として、この一年間の充実と成長(部活・遊び・勉強・生活)ぶりにはほんとうに感動しました。

学校の価値は、学校・本人それぞれのポテンシャル+相性だけで静的に決まるわけではありません。入学後に、実際に本人が周囲の環境や人間関係に働きかけて、何を得るかで大きく左右されるものです。惚れすぎて危険、ということよりは、惚れることで学校の価値が上がることのほうが多いように思います。

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英語多読で得るものは人それぞれ

私自身は、「習うより慣れろ方式」の英語教育が好きではなく、文法・訳読・精読派だと思っていましたが、よく考えると、そういうふうに英語を勉強するようになったのは、高校生になってから。具体的にいうと、駿台に通うようになってからです。

中学生時代にどうやって英語を勉強していたかというと、基礎英語、続基礎英語や、自分で買った英語の本。くまのプーさんとか、ドリトル先生とか、メリーポピンズとか、いろいろ読んで、一部は今でも本棚に残っています。これはまさに「習うより慣れろ方式」でしたね。

文法で整理して見えてくるものが、感動を持って受け入れられるためにも、まずは「材料」が必要ですから、まぁ当然のことかもしれません。要するに、比較的最近(いや、高校生時代のことを最近といい張るにはさすがに無理がありますが)のことは印象に残っていて、中学生時代のことはおぼろげなので、自分の中の印象では、「慣れる」部分を軽く見ていました。実際は、「文法・訳読・精読」に入る前の段階もけっこう長かったんですよね。

でも、今よく行われている(たぶん)いわゆる「多読」とはちょっと趣きが違っていたように思います。よく言われる心得は、

・おもしろいと思えるものを読む
・わからないところをいちいち気にしない
・辞書は(あまり)引かない

という感じでしょうか。おもしろいと思わなくちゃ話になりません。これは当然なので共通です。そして、気軽に読み流すような感じで大意を汲みつつ、細かいところがわからなくても気にしない。そうやってどんどん量を読んでいった場合…

英語多読から得られるものは、人によってピンキリです。

「さら~っと」読んでいったときに、わかる単語を拾っているくらいで、残るもの(蓄積するもの)がほとんどない人から、

多面的に推測しながらすいすい読み進めていって、その推測がけっこう当たったり(たまには外れていたり)しながら、その推測の体験の中から、法則や知識、もしくはそこまではっきりしたものでなくても「新たな推測のカン」をどんどん吸収していく人まで、

いろいろいると思います。

もちろん日本人が日本語の本を娯楽として読んでいたって、得られるものは人によって違うでしょうけど、もっと大きく違うと思っていいと思います。わからないにもほどがある、つるつる、するする目が滑るという場合(^^;; さらには、読めといわれたからしかたなく、いやいやページをめくっているとか。

ひどい場合は、学校から長期休みの宿題として英語の本が配布され、読むのが嫌だから訳本を入手してきてそっちだけ読んだとか(←誰かさんの実話)。これでは「英語」多読とすらいえませんが(笑)

同じく訳本頼みとしても、最初は英語の本で読もうとしたらどうもとっつきが悪かったところ、訳本を読んでから英語を読んでみたらすんなり入れた、楽しめたというなら断然いいですけどね(これも実話)。

公文の英語も、かなりよくできた教材です。音声付きで、徐々に難しくなる英文が並んでいますから、きちんと読んで音読練習なんかまじめにやる子だったら、たくさんのことを吸収できます。これで、英語得意になった子を何人も知っています。何もわからないまま読んだふり、ができないように、設問が設けられています。

よいと思ったのですが、我が家の男子二人(またろう、こじろう)にはあまり効きませんでした。読むのをめんどくさがって、設問のところだけ本文中から探してお終いにしてしまってたんです。これじゃ本末転倒です。

多読は、自主性を持ってやらない場合はあまり効果がない学習法です。自主的にやる場合も、吸収できるものが多くなる読み方をしているかどうかで、得るものに大きな差がでてきます。(つづく)

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英語は習うより慣れろなのか!?

今の英語教育というのは、昔の「使えない英語(?)」の反省に立って、「習うより慣れろ」流行りのようにみえます。

たとえば多読とか、会話とかね。文法きっちり、訳読みっちり、昔の英語教育では結局しゃべれるようにならなかったじゃないか、というわけです。

英語が「使える」かどうかって、そこは確かに「慣れ」ですよ。慣れてなきゃできませんが、文法きっちり、訳読みっちり、やってあるんであれば、慣れて「使える英語」になるまでの距離は、そんなに大きくありません。土台さえあればあとは「ほんのちょっと」です。

逆はとても大きいんです。日常会話で不自由なくペラペラ会話していて、TOEICは満点近く、それでいて翻訳させると誤訳だらけの(自称)翻訳者さんはいくらでもいます。アナタなんとなく読めるらしいけど、なんとなく大誤読してるじゃないの、って感じです。そこはそこにかかってないじゃない、とか、それは話が逆、とか。そこらにある単語をテキトーにつながれても、困ります。これを直すのはちょっとやそっとじゃすみません。

もちろん、我々が日本語を身につけるときにやったことは、理屈から入ったわけじゃなくて「習うより慣れろ」ですし、英語圏の人が英語を覚えるのも同様です。しかし、赤ん坊から言語環境に浸っているのと、十歳越えて外国語として学ぶのと、条件が違いすぎますからね。浸る時間はどうしたって大差ですが、悪い条件ばかりではありません。なにしろすでにひとつの言語(と、それに伴う論理的思考)をかなりのところまで身につけているのですから、それを利用すればあちこちの近道が使えるんです。

その「近道」が、文法であり、訳読です。

しかしこれが数学でなく語学の難しいところで、理屈じゃどうにもならなくて、慣れる、なんとなく、でどうにかしなきゃいけないところもたくさんあります。

私はかなり理屈っぽい性質だと思うんですが、もっとさらに理屈っぽい夫は英語ではたいそう苦労しました。本人が主張するところによればそれなりに時間はかけたそうなのですが、どうしようもどうもならなかったといってます。これはこうなのにどうしてあれはああなの。どうしてといってみても、なんかそうなってるということがいっぱいあります。そういうところは上手にスルーしつつ、でも、膨大な丸暗記は避けて上手にくくったりまとめたりするところがコツだと思うんですけどね。

英語は、「慣れる」系の勉強と、「理屈」系の勉強がうまく噛み合うと、習得効率がぐぐっとアップします。最適バランスも、方法も、人によってたぶんけっこう違います。

私立中高一貫校では、英語どうでもいいなんて学校はどこもなくて、みんな力を入れていると思いますが、やり方に「合う」「合わない」というのがどうしても出てきます。こればかりは、入学前に「合う」のかどうか、調べにくいです。英語の勉強をしてみるのが、これからですから。

私はJGのやり方が気に入らず、中学のころは自分で勝手に勉強していて(勉強というより趣味。ラジオ講座とか英語の本とか)、高校に入るとあとは駿台どっぷりになりました。

こじろうは、わやくちゃ→わかんないから放棄、になりかけたところを中三のときの塾(英語単科)で救われました。

なかなか英語の塾ナシを貫くのは難しいです。本人次第ではありますけど。しかし、私自身を振り返ってみてその反省に立ちぜひ言いたいことは、
「ぜひ、まずは学校のやり方を信じてしっかりやってみて。
でも、ダメだったら早めに手を打ったほうがいいよ」

です(^^;; ミもフタもないけれど。私もこじろうも「まずは」のところが弱くて余計な出費と時間をかけたと思います。

新入学の方、「しっかりやってみる」のチャンスですよ!!

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英語は大きな逆転要素

大学合格実績を稼ぎたい進学校が、入試の方法に工夫を凝らし、少しでも高偏差値の中学受験生をたくさん集めようとするのは、中学入試時の偏差値と、大学受験の結果に高い相関があるからですね。

それでは、(ちょっと言い方を変えて)「大学受験の結果は、結局のところ、中学受験の偏差値なり」になってしまうのかというと、それは違います。

ざっくり「団体」でいえば、中学入試の高偏差値集団が、難関大に行くということでおおかた間違いありませんが、「個人」がどうなるかはまた別の話です。

中学受験と大学受験で似ているところはたくさんあります。国語と国語はとりあえず科目として同じですし、理科や社会はいくつかに分かれますが、分野としては引き継がれます。そのへん、得点できる資質というのか、関心があって勉強が積み重ねられるかどうか、あるいはそれ以前の、日本語を読んで考えて書くということがしっかりできるのかどうか。そういったことが、中学入試である程度占えてしまうのは当然のことですね。

算数と数学は、科目名が違うものの、なんというか、共通した考え方を引き継ぎます。例外はあるにしても、算数がすごくできた子は数学もできるようになることが多いでしょう。

しかし英語だけは違います。そんなに明確に「引き継ぐもの」がありません。国語の資質と、外国語として学ぶ英語の資質はそんなに被っていません。これから中学に入学する時点で、未来の英語の出来不出来は「未知数」といってよいでしょう。

英語の先取りをしている子もいるでしょうけど、小さいころに、多少、英会話教室に通ってたかどうかなんてその程度は「誤差」です。もちろん帰国子女でペラペラだというならぜんぜん違う話ですが、とにかく大きな鍵は、

これからやるか、やらないか

です。次に大きな鍵は、

どうやるか

です。どんなデキル人でも英語ができるようになるには積み重ねが必要です。みんなが嫌でも受験のことを考える「残り一年」くらいになったときに、英語がしっかりしてるのかどうか、この違いはでかいです。

私が中学受験全滅のあと大学受験は比較的スムーズに終えられたのは、「英語」の功績が大きかったと感じます。英語が磐石なら理系でも文系でも有利です。六年間、長丁場ですから、「やるか、やらないか」というのは、結局のところ「好きになるか、ならないか」ということに似ているともいえます。

(つづく)

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塾いらずの学校?

昔の話だけど、私が通っていたのは、面倒見の悪いことでは定評のある学校だったので、大学受験の準備としてはどこかの予備校に通う人が多かったです。

私も、高一から英数の単科に、そして高三ではびっちり長時間の総合コースに通いました。月曜日から金曜日まで、学校と駿台のダブルで通う生活。といってもそんなにハードではなく、学校と駿台は徒歩圏、そこから家までは地下鉄ひと駅ですし、駿台の予習復習はほとんど学校で済ませていたので時間的にはゆとりがありました。

要するに、学校には大学受験のノウハウも情報もなく、というかそんな俗な価値観には組せず独自の授業展開をしているのですが、立地がよいためどの大手予備校もよりどりみどり、宿題も少なく変な進路指導もなく内職にも寛容ですから、ほんとうに自分がやりたいように勉強できたのです。これはこれで「あり」かなと子どもの立場からは思いますが。

親の立場になってみると、
私立の月謝を払って、駿台にフルで払って、
かつ、
「ここまでやってあげてるんだから国公立に行きなさいよ」とも言わず、早慶上智どこでも受かったところに支払う気満々だった親はどんなに太っ腹なのかと。

感謝しています。ほんとに。
でも私は一人っ子だったので…今(子ども三人)はとてもそこまで無理です。

うちの次男は、大学受験がないため通塾率が低い学校に通っています。お金がかかるコース(私大進学)確定ですが、浪人とか、予備校代を考えなくて済む「ヨミやすさ」はいいかなと思います。

面倒見がいいという評判は聞いたことがありませんでしたが、入ってみるとけっこう丁寧に小テスト・補習・追試などやっています。考えてみれば、一部のデキル子をひっぱっていって難関大に入れればいいのではなく、全員をなんとか底上げして、こぼれなく系列大に進学させたいわけですから、学校としても真剣なのです。

それなら完璧塾いらずかというと、それがそうでもなくて、英数のうち不得意科目をどこかの塾でお世話になってる人は結構いるようです。うちも、中学受験終了の二月から、部活が本格化する前の五月くらいまで公文に通わせたり、中三のときは英語のテコ入れのために単科に通わせたりしたので、まぁそんな感じです。

学校がある程度ちゃんと授業していても、万人に合う勉強法というのもありませんから、結局、うまくいかないところをちょっと補うようなことは必要になってくることがあります。もちろん本人次第ですけど。

娘の通う学校は、非常に面倒見がよい学校です。授業、教材、小テスト、課題、いずれも行き届いていて十分な内容ですし、こぼれたときのフォローも手厚いです。今のところ、塾に通っているという話はついぞ聞きません。というか、部活に課題に忙しくてなかなかそんな余裕ないと思います。

そういう面倒見のいい学校も、高校になると全員共通の課題などが減って、自由度が増えてくると聞きます。結局、学校のやり方に合わない場合は予備校に頼ることもあるようです。面倒見がよく大学受験がある学校の高校生活、どんな具合になるのかちょっと楽しみです。

なかなか、塾いらずのはずの私立に通わせるときも、完全というわけにいかないようです。「なんかのときに」補えるくらいの予算はあったほうがよいかと思います。そのうえで…せっかく私立に入ったんだから、まずはどっぷり学校に漬かるところから考えてほしいですね。

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「そこまでして」と思うことはしない

満足度を向上させる重要なポイントのひとつは「大きな犠牲を払わない」ということだったりします。

多大な犠牲をものともせず突き進んでしまうと、途中では引き返せないし、結果として大きな成果が得られなかったら、ほんと納得できない気持ちになってしまいますよね。

第一志望に合格する可能性をどこまで上げたとしても、結局「試験は水物」という部分は残ります。親にとっても子にとっても、第一志望に合格する以外はモトが取れた気がしないってところまで犠牲を払っちゃうと、それはやっぱり危険でしょう。

それに、どこまでいっても受験は子どものことであって、親のことじゃないので、特に親は「極力」、犠牲心を抑えて進むべきです。自分ががんばれば完結することでなく、お子さん次第の物事に、ありったけつぎ込んでしまったら、そりゃ期待するなっていうほうが無理です。そして、そんだけの期待をかけられたらお子さんだって迷惑ですからね。

だから、「そこまでして」中学受験したくないわ、と思うようなことは、やっぱりしないのが得策です。

たとえばですが、
・金銭的に、そこまでかけたくないわ、とか
・こんなにがんばってる習い事をやめさせたくないわ、とか
・遊べる日が週一日もないのは嫌、とか
・夜ごはんを家で食べられないのは許せない、とか
人によって、いろいろあると思うのですが、そういうところをずるずると崩していくと後悔します。

私の場合、基本的に、ほかの習い事を全部整理して日能研に通う生活(夜ごはんはしばしば塾弁)ということについてはあまり抵抗がありませんでした。勉強にかかる時間は当然長くかかりますが、この時期にこの形で勉強をすることの価値が大きいと思いました。子どもが塾にはわりと喜んで通っていたということも大きいです。

ただ、睡眠時間を削って、とか、勉強以外のすべてを封印して、とかいうのは「そこまで」させたくないと思ったので、やるべきとされている課題(時には塾授業も)のかなりを削りました。

どこまでが「許せる線」なのかは、人によって大きく違うと思います。

「ここまで」と思うエリアが私よりずっと狭くて、たとえば、夜ごはんは家族揃って食べる、とか、時間のかかる習い事を最後までやる、という範囲で考える場合、当然ですが、中学受験準備としてできることは少なくなります。少なくてもやれるのかどうかは、お子さんのポテンシャルや熱意と、行きたい学校によってまったく違いますが、これでは中学受験をする意味がないという結論も、当然ありうると思います。

その場合、中学受験をした場合のメリットの大きさをよく調べて(考えて)、納得のうえで線引きをずらし、あらためて「ここまではやる」といって仕切り直すというならそれはそれでありです。

でも、「そこまで」させたくないと思いながらずるずると中学受験も続けるのだけはナシです。

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ママブロガー募集

ママブロガー名:アンダンテ

中学受験で全落ちして公立中学に通うが、半年後の欠員募集によって女子学院に転入。大学受験では全勝し現役で東京大学理科二類に入学。同大学院修士卒。現在はメーカー勤務。
国語が苦手な次男、算数が苦手な長女の中学受験生活を綴ったブログ「アンダンテのだんだんと中受日記」は「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと」(ダイヤモンド社) として出版された。