みんなの中学受験満足度向上委員会

私が東大に行った理由(過去問編)

私が中学受験で全落ちしたのは
過去問をちゃんとやらなかったからじゃないか(爆)というのもあったので、
今回はちゃんとやりましょう!! ってことで、

東大(理系)と、早稲田大学理工学部の、いずれも青本を買いました。六年分が掲載されてたと思います。

取り組んだ時期はよく覚えてないけどたぶん秋ごろからとか…

それで、やってみると、東大のほうはなにしろ、模試(東大実戦)とかでやるからもうだいたい様子はわかってて
意外なことはないんだけど

数学やばい(^^;;

数学がゼロ点でも合格するように計算しないと(←理系w)ってやってました。

そういえば、過去問をやるといっても、記述だから自分で採点するのも難しいと思うんだけど、
青本の解説を見るだけで、別に誰かに添削してもらったりとかそういう発想はなかったです。今から思えばけっこうアッサリですね。

一方、早稲田のほうは、
数学も解ける!! スムーズ

英語は、東大の問題とかと違ってなんかパズルみたい。トリッキーな穴埋めとか。こまかーいとこ聞いてくる。
駿台の英語で、英文法の授業が気に入って、これだけはノートを見返すようなことをしていましたが、それがめっちゃ役に立って、
それがベースにあればあとは問題のにおいかいで当たるという感じでした。
すごく性に合ってて、これは高得点いける

物理、化学も、問題の難易度がなんか私のために作ってくれたみたいな、ちょうど自信持って解ける感じで

記述が少ないのでほぼ正確に自己採点できるんだけど、計算してみてデータを見ると、これが!!
計算間違いを疑うレベルの出来(高得点)で、
模試偏差値とかから考える予想得点をはるかに上回っていました。六年分とも。

早稲田には「呼ばれてる」と思った。

東大には…「ふつう」(笑)

過去問やったのはこの二つだけ。あとは入手もしなかった。
今から思えば、いや、とりあえず一回は見ておこうよ、とは思います。

空飛ぶアンダンテ

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私が東大に行った理由(人間関係編)

女子校からいきなり東大とか早慶理系(男子ばっかり)に行ったらギャップが大きかったと思うので、
駿台はよい移行期間になりました(当時はそんなこと思ってもいませんでしたが)。

クラス300人、理系なのでだいぶ男子のほうが多く(比率は忘れました)、
ただしあまり男子に関心がなかったのでこちらから声をかけたりすることはなかったのですが、
仲良くなった女子が筑附だったため、そこつながりでなんとなく男子とも話をすることがあるようになりました。

また、どういう状況か忘れましたが授業中いきなりポケコン(ポケットコンピュータ、電卓を少しでかくしたようなサイズでBASICのプログラムが動く。今の子は知らないよね)を見せてきた男子がいて、なんだかそれからときどきプログラミングを教えてもらうようになりました。

この、空気読まない感じ、何か教えてくれることにかけては親切な感じが、東大キャンパスに溢れる男子あるあるで、
キャンパスライフの、予習!?
たいへんよかったと思います。ポケコンの活用方法自体、大学に入ってからとても役立ちましたし。

そのポケコン見せてくれた子は(私立)武蔵で、その友だちともたまに話をするようになりました。

そんなふうに、ここでできた友人知人はほとんどが東大に合格したので、ほんと「予習」って感じになりました。

このクラスの東大合格率はどのくらいだったんでしょうか。
数としては知らないのですが、四月当初300人いたクラス、ほぼ全員が出席すると教室が狭いこと狭いこと、もう机も狭くてぎゅうぎゅうなんですが、
欠席者が増えて急速にスカスカになり快適になります(^^;;

スカスカになったあといるような子(知り合いになる子)はだいたい受かるという感じだったんでしょうか。

クラス内での成績というのは、日能研のようにテストのたびに席順が入れ替わるでもなく、ふだんはお互いわからないのですが、
ただ、学期の終わりにはトータル成績順で席順が決まっていました。

つまり、夏休み前までのトータル成績で、秋の席順が決まるんです。
このとき、私の席順は「1」でした。これはほんとうにびっくりで、物理単独とかで一位になったことはあっても、全科目の合計では数十位くらいが相場だったような?? 確か、一桁順位はとったことないと思うんですけど、みんな受けてないテストがあったり、手を抜いた回があったり、もっとムラがあったんでしょうか。

この席順(トータル成績)は内申だけいい女子みたいな感じですね。(私は実際の内申よかったことないけど)

形式上、この席順のまま二学期を過ごすことになってるのですが、「スカスカ」になるとあっという間に誰も指定席を守らなくなるので、誰がどのへんにいるのかは目立ちません。ほんの最初だけです。

ちなみに二学期のトータル成績による席順は「2」でした。「1」は筑附の男子で、東大理一に合格していました。

一番仲良くなった女子は、なんと入学後のクラス(50人くらいの)でいっしょになりました。私と違って世知にたけた人で、保護者みたいな感じでサポートしてくれて(^^;; スムーズに大学生活のスタートを切ることができました。

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私が東大に行った理由(併願編)

受験する大学を決めるにあたって…

まず、考えたのは絶対に浪人しない、ということと
東大か早稲田に行きたい、ということでした。

慶應は違うのかというと、別に(お婿さん探しなら)いいところだとは思うけど
家からちょっと遠くて通うのが面倒なのと、
一度は私のことを落とした学校だし(中学受験で)
学校カラー的にも慶應より早稲田かなと(注: 個人的な趣味です)

それで、東大か早稲田に行ける可能性を最大化するために、
とにかく模試の判定で「A」以外が出たことあるところは受けない、という方針で、
理一でなく理二
早稲田の理工は学科たくさんあるけどその中で比較的難しくなさそうなところ

それと、
念のため、苦手な数学のいらない第一文学部を受ける(英語、国語、小論文)。

というわけで、
東大理二、早稲田理工(電気工学)、早稲田第一文学部、慶応理工、上智理工
と、五つ受けることにしました。これが多いのか少ないのかよくわからないけど、女子校は浪人回避したい人が多くて五つはそんなに多いほうでもなかったようです。

今から考えると、大学入って何がしたいのか(←お婿さん探し以外に)不明なラインナップで、特に電気工学に行っちゃってほんとに卒業できたんかな、という懸念もあります。

私としてもさすがにどこでもよかったわけではなく、指定校推薦で早稲田理工の応用化学の話をいただいたときはものすごく迷ったけど(早稲田理工ならいきたい!! ここで決まったらうれしい!!)さすがに化学じゃ卒業できないだろうと思って諦めました。化学さっぱりピンとこないし実験実験なのはもっと嫌

そもそも、数学苦手なうえ、実験ばっかりなのは嫌ってそれ、理系で行くところあるのか不思議ですが、あったんです、東大には…

教養学部基礎科学科第二(システム科学) …今では違う名称になってると思う

(願書書くとき、いちおう志望学部学科を書くようになってて、だからといって別になんの縛りも優遇もないので入ってから変わる人が大半だけど、私は願書に書いたとおりのところに進学しました)

子どもがこんなアホな併願を組んでいたら、ふつう「ちょっと入ってからのことを考えて」と止めると思いますが、私の母はまったくわかってなかった(ピアノ科出身)ので何も言われず、学校は実質的な進路指導が何もなく、そのままになりました。

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私が東大に行った理由(英語編)

今どきの英語教育の流行りは「習うより慣れよ」的なので、あれだったら私は英語嫌いになっていたかも…

駿台の英語はきっちり読む、きっちり訳すだからとても性に合っていました。

特に英文法の授業がよかったです。よいといっても万人ウケするのかはわからないですけど…
英語って、自然言語だから別にいつも理屈どおりにいくようなものじゃないんですが、
なんでも丸暗記するのは効率が悪くて、
法則っぽくまとめられるところはそうやって「束ねて」おいて、例外についてはまぁそんなこともあるよなと(しかたなく暗記する)。

そのバランスが取れる人が英語学習向きかなと。

やたら理屈にこだわる派(私の夫とか)は英語ダメですね…

一方、すべてなんとなくのタイプ、暗記は頑張りますという人は(少なくとも当時の)東大英語には向かないと思う。

「束ねる」ときに力になるのが文法ですよね。

私は、「美しいノート」どころか、保存用のノートを作ることも滅多にないんですが、駿台の英文法のノートだけはちょくちょく見返していました。これが核になって効率よく勉強できたと思います。

その他、長文の授業とかもあるんですけど、考えてみれば当時の駿台英語テキストって英文あんまり長くなかったですね。予習で全部訳して、授業で確認して、そのあと何度か読み返して

頭の中を英日対応させて流す
(バッハのインベンションを弾く要領で)

というのが勉強の中心でした。

ほかに多読をすることもなく、単語集で暗記をすることもなく、基本英文700選はやったけど(主に英作文のため)、かなりシンプルな勉強法だったと思います。時間的に英語の比重は高くなく、あまり手をかけなくても英語の成績は安定していました。

それもこれも、もとは私が「対訳」好きで中学のころから趣味の英語をやっていたから。

考えてみると、ここまで書いたように
・古文(文法)
・物理
・英語
についてはどこかの段階で幸せな「出会い」があって、いわゆる「受験勉強」として取り組む前にベースというか「構え」のようなところはできていたから楽だったんだなと。楽というか、楽しむためのベースですね。そういうのって大事だと思うんですが、なかなか狙ってできることでもないかもしれません。何が心に響くかは人によりますから。

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私が東大に行った理由(数学編)

数学はねぇ…最後まで得意にならなかった。

というか、東大二次数学は完答ゼロの想定もしてたくらい。ご存知のとおりだいたいトータル半分とれればいいので、数学ナシでも(^^;; 足りるように計算していました。

数学苦手といっても、早稲田理工と慶應理工はふつうに解けました。そこと、東大二次数学の間に私の限界線があったみたいです。

高三になっての勉強方法としては、あまり手を広げず、駿台テキストの予習と復習丁寧に、
授業は名物教師が揃ってて(秋山仁とか)おもしろかったし、聞いてわからないということはなかったと思うんですが。
自力では解けなかった(じゃぁしょうがないんだけどね…)。

元々あまり理系頭じゃないから?

そういってしまうと身も蓋もないですが、勉強方法でひとつ、よくなかったのかなと思うことは「トレーニング不足」です。

焦って教材あれもこれもと手を広げるのはもちろんよくありません。でも駿台テキストだけ、ってのは絞りすぎで、そこに思い切って基本的な計算演習をプラスすべきだったかもしれません。中学受験でいうと、毎日まいにち「計算と一行題」ってやつ。子どもにはやらせたのにね(笑)

要するに、当時でも問題なく解けたはずの、計算や、基礎的な問題を、
より速く正確に、
瞬殺できるようにする練習。

それをしないから、結局、自分ひとりで問題に向かうときに、いつまでたっても見通しが悪かったんじゃないかなと思うわけです。

ま、めんどくさいこと嫌いなので…
気づいててもやれたかどうかわかりませんが。
(今、趣味のピアノでもハノンとかツェルニーとかやらないし。)

受験の合格ということなら、早慶の数学なら解けて、東大の数学は解けないけど他科目で稼ぐというのでもなんとかなるのでいいといえばいいんですが、なにしろ理系でしょ? 数学に食らいついておかないと大学に入ってから困るので、放置はね…よいこは真似してはいけません。

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私が東大に行った理由(物理編)

高二までの模試は「英数国」だけだったが、高三になったら物理・化学も入ってきた。

初めてのテスト(たぶん駿台校内模試)では、物理の範囲は力学のみ。
100点満点の97点取って、平均点はものすごく低かったから、偏差値は100ちょっと(笑)
(某所に偏差値97だったと書いたことがありますが、点数が97の間違い)

駿台で物理の授業をしていたのは山本義隆先生という名物教師。研究者としても優れた人らしいけど全共闘の議長やってたせいで正業(?)に就けなかったかなんかで駿台の先生になった。私はこの先生から数式で表す物理世界の面白さを教わりました。

それはとてもよかったけれど、私が物理(特に力学)好きになったのにはその「前」があるんです。

小学校三年生くらいのころ、うちに遊びに来るたびに私に物理の初歩…てこ、ばね、天秤、滑車、物の浮き沈みなんかを、図描いて丁寧に教えてくれた人がいて、それがものすごく心にヒットしたので、私が結局理系に行こうとしたのはこの人のおかげですね。お婿さん探しが動機といってもそれだけで理系科目が軒並み苦手じゃさすがに無理がありますから。

この人は、うちの子どもたちのピアノの先生の旦那さん…といっても、それじゃ意味わかんないからもう少し詳しくいうと、
うちの子どもたちのピアノの先生、というのは子どものころ私の母にピアノを習っていた人なんですが、
大きくなって音高・音大行ったあともよくうちに来てて、
私が赤ん坊だったころはその元教え子にお小遣い渡してベビーシッターしてもらってたらしい。
つまり私のオムツも替えたことある人ね。
で、その人が大学卒業して数年経ったころに私の母が紹介した関係で結婚して、
結婚相手が阪大の物理出身の人だったわけです。(説明長かった)

ま、ともかく、その人が描く図というのがたいへんわかりやすくて、それでいろんな事象を説明してもらったら、高校の力学で扱うような、質点(質量を持ってるのに大きさがない)とか、伸び縮みしない重さのない糸とか、たわまないてことか、摩擦のない滑車とか(笑)そういった、実在しない理想化した物理世界が頭の中で自由に動くようになったんですね。なんとなく。

それで高校生になったあと、今度はそれを数式で表したりそれを解いたり、という扱いを教わったわけでこれはたいへん面白いと思って物理(力学)好きになったんです。二回目以降の模試はほかの人ももうちょっと物理の勉強間に合ってくるので、そんな飛び抜けた偏差値には二度とお目にかからなかったですが、受験本番まで物理は一番得意な科目でした。

私の元々の適性みたいなものは語学(文系)側にあると思うのですが、そういった成り行きから科目の得意順が:
物理>英語>国語>化学>>数学
ということになりました。数学がねぇ…

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私が東大に行った理由(高三生活編)

さて高三となるといよいよ受験学年。この一年で決着をつけるぞという気合に満ちて
(なにしろ嫁き遅れないことが至上命題なんだから浪人はご法度だ)
駿台の「高三東大理系総合コース」(名称はよく覚えてないけれどそんな趣旨の)に通うことにした。

これは、月から金までびっしりと、なんだかもうひとつ高校に行くような勢いで授業があって、
東大の二次でテストがある科目はすべてカバーするようになっていた。
英数国物化
もちろん英語は英語でも、長文とか文法とかいろいろ分かれている。

確か300人1クラス、とかのマンモス授業で、だから双方向とか面倒見とかそんなものはなくて一方通行の授業だけど、
じゃあ今どきのビデオ授業と変わらないかというとそんなことはなくて、やはりCD買うのとコンサートを生で聞くくらいには違うと思う。

名物教師がいろいろいて、おもしろい授業が多かった。おもしろいというのは、受験に役立つということはもちろん(それがなくちゃ意味がない。予備校なんだから)、それにとどまらないという意味だ。幅広い意味での教養とか人生とか、そういうのに効く部分も多かったと思う。というか、それも含めて受験に効くということかもしれない(東大の二次は特に)。

高校でも授業があるし、高三になるとさすがにJGでも大学受験を意識した授業があったりするのだけど、気合というか教える力というか、もうそりゃ駿台の名物講師とは違いすぎる。それに高三の一年間、この「総合コース」の授業をペースメーカーにすれば試験範囲の全体をわかりやすくカバーできるわけで、これを軸にすれば楽ちんだ。

「軸にする」というのはつまり、授業を聞く、予習復習をするということだけど、要するに自学自習の時間が必要なので、その時間には学校の授業を充てることにした。内職できる時間は全部する。取らなくていい授業は取らずに図書室で勉強する。

そして学校→駿台→家ときて、一日の終わり、家では息抜き、ゆったり過ごして早く寝る。このリズムはかなり快適で、淡々と平和に一年間の受験生活を送ることができた。

なぜ駿台だったのかといえば、まぁ定番だったから(当時)というのと、近かったから。その頃は、リビングの正面に早稲田大学理工学部がそびえるマンションから、同じ新宿区内の別のマンションに引っ越していたのだが、家から学校まで地下鉄一駅(市ヶ谷)、その駅そばに駿台。まことに無駄がない。

地理的条件はかなり侮れない。しかも学校は放任で好きなように勉強し放題。こんな恵まれた楽な受験生活を送れる現役生は滅多にいないと思う。ダブルスクールの月謝を文句も言わずに払ってくれた親に感謝。

それともうひとつ。私の母は、駿台に行かせるほど教育熱心なようでありながら、実のところ中身にはほとんど関心なく、成績や勉強の仕方、勉強内容すべてノーチェック(音大卒なのでよくわからないというのもある)。不在の多い父はさらに何も口出しせず。

大学についても、より上を目指せというようなプレッシャーはまったくなく、なんか名の通った大学に行ってくれれば文句はない(結婚出来ればいいから-笑)。東大、東工大、一橋、東京外語大、お茶の水女子大、早稲田、慶応、上智、ICU、…(要するに、母でも名前を知っている大学)。そのへんの中での違いには特に強い意見はなかった模様。楽だ。

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私が東大に行った理由(志望校編)

中学の間は、勉強らしい勉強をすることなく過ぎたけれど(それで済むのが中高一貫の利点だと思っていたのでこれは予定の行動)、
高校に入ったら、そろそろ大学受験のことを考えようということで、駿台に通って英数の授業を受けるようになった。

そうすると、模試もあるので…

さて志望校は??

ふつうは、将来何々になりたい、とかいって、その勉強ができる(あるいは資格がとれる)というようなところを目指すのだと思うけれど、
私は専業主婦になりたいと思っていたので、
どこか結婚相手が見つけやすいところ…

私の母は、娘のそんなふわふわした考えを咎めるどころか、
母にとっての至上命題は
「娘を24歳までに嫁にやること」
だったので、母と娘で一致した方向で考えることになった。

なぜ24かといえば、当時は「クリスマスケーキ」という言葉が生きていて、つまり24までに売れないと超安売りか廃棄処分(o_o)という(笑)

今思えば「??」って感じだけど、そのころでいえば別に珍しい考え方ではなくて、そう思っていた(母)親はたくさんいたと思う。

ただ、その場合多くは「聞こえのよい女子大にでも行かせて…」という発想になるところ、私の母が変わっていたのは「じゃあ理系に行ったら男子率が高くてお婿さんを見つけやすいでしょう」と考えたところだ。

その趣旨からいって、当初からの漠然とした進学先イメージである早稲田大学理工学部はばっちりだったのだけど、それに加えて、東京大学というのもありかと。そう思い至るためには、やはり家庭教師の先生(早稲田からわざわざ東京大学に変わった)の存在は大きかったような気がする。

そのころ受けた模試の結果からも、東大と早稲田どちらも問題なさそうにみえた。まぁ高2の模試なんてあてになるものではないけど、英数国そこそこ大穴なくやってたということだと思う。先取りしている進学校に通う、超デキル高2はそのころ、高三/浪人生用の模試に混ざって受けてたのかもしれないけど(当時そんなことは知らなかった)

ところで、駿台の授業の中身はそこそこおもしろかったので淡々と通ってそれなりに予習復習などもしていたが、周囲とはほとんど付き合いがないままだった。男子の多い環境といえば、まさに塾がそうだったはずだけど、現状、話しかけようともしないわけで、ちゃんと頭の中で(男子率の高い大学に行くというのはどういうことなのか)つながっていたのだろうか?? と危うい感じがする。

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私が東大に行った理由(中学校古典文法編)

滅多に学校授業を聞いていない私だったが、中三のときは運命の出会いがあった。

古典文法の導入である。その国語の先生はふだん、寝ている人は寝ているままに、内職している人は内職しているままに、放置な人だったが
「高校になって赤点を取る危険が一番高いのが古文なの。古文の文法のときだけは起きて聞いてほしい」
といっていた(^^;;

その授業は、百人一首を題材に、品詞分解と訳読を教えるものだった。

品詞というのは、名詞とか動詞とかそういうものだけど、
まぁ名詞というのは変化しないしそこにあるだけなのでどうってことないけど、
助動詞とか動詞とか…変化するものは見た目が変わるのでやっかいだ。

やっかいというのは、違う顔して出てこられたときにアレッてなったりするってことだけど、

こうやってくるくる変化する言葉というのはつまり、使用頻度が高いものオンパレードなわけで、こういう言葉の
意味、活用、接続
をきっかり押さえておくと、文のうちかなりの構造部分がわかってしまうわけで、誤解なく読む基礎ができる。

コスパがよい。

ただ、コスパがよいといっても、その文法部分を「くーからくーかり…(形容詞の場合)」とか歌うようにいちいち覚えていくというのも、うんざりするというか、つまらないものなんだけど。

百人一首を、ひとつひとつ、品詞分解してそれに出てきた言葉を学んでいき、またその分解した言葉を漏れなくつないでいく形で現代語訳を作る。この場合、作られる現代語訳というのは、文学的な訳ではなくて、理解のための置き換え(訳読)だ。原文が透けて見える、対応がハッキリした訳をつけていく。

もちろんその場合も活用や意味を暗記する部分というのはあるのだけど、この先生はまた、たとえば形容詞の場合も「くくしきけれ」+ラ変というように、暗記を最小限にする効率のいい形にまとめて教えてくれて、私でもうんざりせずついていくことができた。

そうやって、中三の国語の授業の中で、じっくりと百人一首を文法解説つき鑑賞していくことで、古文の文法はまるっとわかってしまった。

この先、古文はあまり勉強しなかったけれど、東大二次試験まで(文系だとまた違うレベルが求められただろうが理系なので)まったく困ることはなかった。

そのように、大学受験の古文をクリアするのに役立っただけではなく、文法の力とおもしろさがわかったので、英語の勉強にもものすごく役に立ったし、そして会社員になったあとの仕事にもつながった。JGの恩師といえばこの方。

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私が東大に行った理由(中学校英語編)

語学についてはもともと(数学より)適性があったんだと思う。適性があるというのはつまり、おもしろく感じられるということだけど。

きっかけはよく覚えていないのだけど、小学校六年生になるときにNHKラジオ「基礎英語」を聞き始めた。おもしろくてハマってしまい、「エアチェック(←死語)」してリピ聞きしてた。英語の歌のコーナーとかはそこだけつないで編集したテープを別に作ってたくらいでかなり好きだったようだ。

…しかし小六といえば中学受験の追い込みなのでは??

この時期、なぜかフルートも習い始めているし…

ま、それで結局中学は全落ちしたんだけれど。

公立中(半年)の英語の授業がつまらなかったのはもちろん、
JGの英語の授業もやっぱりつまらなかった。

中一のときは「続基礎英語」を聞いていたが、「基礎英語」のときほど熱心ではなかった。何が違うのかわからない。さらに中二では「ラジオ英会話」を聞こうとしたが挫折した。

代わりというか、中二のころ始めた「趣味」がある。それは、「ドリトル先生~」とか「メアリーポピンズ」とか「不思議の国のアリス」とか、日本語版と英語版の両方を入手して、並べて置いてひたすら見比べるというものだ。

日本語と英語、この言語はかなり離れているもので、訳すときはずいぶんカタチを変えないといけない。それをどう、なんとかうまく落とし込んでいるかというのがおもしろくて、はー…英語ではこんなふうになってるのか…と

カタチだけではない。語彙も、英語と日本語はまったく一対一対応するようなものじゃなくて、動詞はもちろん、名詞だってカバー範囲がいろいろ違う。

このズレがいいんだよね(^^)

というわけで、私は「対訳」が大好物だったのである。誤解のないようにいっておくと、私がこの時点で「不思議の国のアリス」などの英文が素で読めるような力を持っていたわけでは全然ない。ないけれども、日本語訳の力を借りて「鑑賞」するのが好きだったということ。しばらく比べて眺めた個所の、英語と日本語の対応があらかた頭に入ったあと、その個所の英文を読み返して、英文の流れと絶妙な距離感で対応する日本語が頭の中で流れていくのがとてもおもしろく、いわば二重唱でソプラノの声を聴きながらアルトを歌っているような(小学校では合唱クラブに入ってました)

そんな感じで趣味の英語。学校の英語の授業は相変わらずほとんど聞いてなくて、ほぼ読書の時間(日本語の)に充てていたのだが、気が付いたら授業の英語もずいぶん進んで難しくなってた(笑)

でも英語の授業はやっぱり私の興味をそそるようなものじゃなくて、なんか大量の英文を読ませて習うより慣れろみたいのが気に入らなかった。私はもっと少量の英文をじっくり鑑賞したい。

宿題というか課題はいろいろ出ていたらしいが、提出とかしなくても特に問題はなかったので助かった。邪魔されたくなかった。

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ママブロガー名:アンダンテ

中学受験で全落ちして公立中学に通うが、半年後の欠員募集によって女子学院に転入。大学受験では全勝し現役で東京大学理科二類に入学。同大学院修士卒。現在はメーカー勤務。
国語が苦手な次男、算数が苦手な長女の中学受験生活を綴ったブログ「アンダンテのだんだんと中受日記」は「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと」(ダイヤモンド社) として出版された。