みんなの中学受験満足度向上委員会

私が東大に行った理由(高三生活編)

さて高三となるといよいよ受験学年。この一年で決着をつけるぞという気合に満ちて
(なにしろ嫁き遅れないことが至上命題なんだから浪人はご法度だ)
駿台の「高三東大理系総合コース」(名称はよく覚えてないけれどそんな趣旨の)に通うことにした。

これは、月から金までびっしりと、なんだかもうひとつ高校に行くような勢いで授業があって、
東大の二次でテストがある科目はすべてカバーするようになっていた。
英数国物化
もちろん英語は英語でも、長文とか文法とかいろいろ分かれている。

確か300人1クラス、とかのマンモス授業で、だから双方向とか面倒見とかそんなものはなくて一方通行の授業だけど、
じゃあ今どきのビデオ授業と変わらないかというとそんなことはなくて、やはりCD買うのとコンサートを生で聞くくらいには違うと思う。

名物教師がいろいろいて、おもしろい授業が多かった。おもしろいというのは、受験に役立つということはもちろん(それがなくちゃ意味がない。予備校なんだから)、それにとどまらないという意味だ。幅広い意味での教養とか人生とか、そういうのに効く部分も多かったと思う。というか、それも含めて受験に効くということかもしれない(東大の二次は特に)。

高校でも授業があるし、高三になるとさすがにJGでも大学受験を意識した授業があったりするのだけど、気合というか教える力というか、もうそりゃ駿台の名物講師とは違いすぎる。それに高三の一年間、この「総合コース」の授業をペースメーカーにすれば試験範囲の全体をわかりやすくカバーできるわけで、これを軸にすれば楽ちんだ。

「軸にする」というのはつまり、授業を聞く、予習復習をするということだけど、要するに自学自習の時間が必要なので、その時間には学校の授業を充てることにした。内職できる時間は全部する。取らなくていい授業は取らずに図書室で勉強する。

そして学校→駿台→家ときて、一日の終わり、家では息抜き、ゆったり過ごして早く寝る。このリズムはかなり快適で、淡々と平和に一年間の受験生活を送ることができた。

なぜ駿台だったのかといえば、まぁ定番だったから(当時)というのと、近かったから。その頃は、リビングの正面に早稲田大学理工学部がそびえるマンションから、同じ新宿区内の別のマンションに引っ越していたのだが、家から学校まで地下鉄一駅(市ヶ谷)、その駅そばに駿台。まことに無駄がない。

地理的条件はかなり侮れない。しかも学校は放任で好きなように勉強し放題。こんな恵まれた楽な受験生活を送れる現役生は滅多にいないと思う。ダブルスクールの月謝を文句も言わずに払ってくれた親に感謝。

それともうひとつ。私の母は、駿台に行かせるほど教育熱心なようでありながら、実のところ中身にはほとんど関心なく、成績や勉強の仕方、勉強内容すべてノーチェック(音大卒なのでよくわからないというのもある)。不在の多い父はさらに何も口出しせず。

大学についても、より上を目指せというようなプレッシャーはまったくなく、なんか名の通った大学に行ってくれれば文句はない(結婚出来ればいいから-笑)。東大、東工大、一橋、東京外語大、お茶の水女子大、早稲田、慶応、上智、ICU、…(要するに、母でも名前を知っている大学)。そのへんの中での違いには特に強い意見はなかった模様。楽だ。

空飛ぶアンダンテ

三人の受験について書いていたブログ:
アンダンテのだんだんと中受日記
そのブログをまとめた本:
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと」ダイヤモンド社
2歳から高専受験まで、またろうのまったり成長の記録:
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社

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ママブロガー名:アンダンテ

中学受験で全落ちして公立中学に通うが、半年後の欠員募集によって女子学院に転入。大学受験では全勝し現役で東京大学理科二類に入学。同大学院修士卒。現在はメーカー勤務。
国語が苦手な次男、算数が苦手な長女の中学受験生活を綴ったブログ「アンダンテのだんだんと中受日記」は「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと」(ダイヤモンド社) として出版された。