こたつたま子の女子中高一貫校生活

幼児教育の選び方 (私の選び方)

 

幼児教育には、たま子が2歳の頃から熱心になりました。

はじめは たま子と二人でいて、遊びのネタ切れを感じたので、

何か習い事でも・・・ という感覚で気軽に探し始めました。

それと平行して、たま子は 「自分で(やりたい)」 「自分で(やりたい)」と言って、何でも自分でやりたがったので、どうすれば自分でやるように”教えられるか” いろいろ調べ始めました。

タイトルにピンとくる本があり、その本をきっかけにある幼児教育を学ぶようになりました。

それが今も勉強し続けている教育法で、たま子は幼児期を過ぎましたが、私は今でも勉強を続けています。

 

習い事の選択に迷う方は多いようで、たま子が通っていた幼児教室について よく質問されます。

先日 書いた、日記の指導がすばらしかった幼児教室にたどり着くまで、教室選びで何度か失敗しました。

一番初めは 習い事感覚でいたので、通いやすいよくある幼児教室に入りました。

“同じ年齢のお子さんとの交流ついでに、知育的なことができたらいいな”

そんな程度でした。

ところが、入った2歳児クラスでは、誰も聞いていないのに先生がビデオを見せながら、歌ったり踊ったりを続けていました。

入会金 〇万円  月4回 7000円弱

もったいない時間とお金の使い方です。

 

何も考えずに 幼児教室を決めてしまったことを後悔し、あらためて目的を考え直して、それにあった教室を探し始めました。

その間も、友人に誘われて右脳教育の教室に入るなど、熱心ではありましたが芯のない母親でした。

右脳教室は、それをすると必ずたま子が寝てしまうコトがあって、しばらく通いましたが合わないのだろうとやめました。

良い点はたくさんあったと思います。 でも、やめてしまえば何も残りません。

覚えたことは全てあっという間に忘れてしまいました。

幼児教育、やるならきちんと考えてはじめ、続けなければダメだと思いました。

 

幼稚園受験も考えていたので、受験用の教室もたくさん見学しました。

ここでは書けないくらいの教室を見学・体験しました。

いやな母親ですね。 『体験するだけブラックリスト』があったら載ったと思います。

でも、体験すればするほど、幼児教育の大切さと家庭の方針が大事であることがわかってきました。

 

幼児教育やスポーツ、その他の習い事に迷う方は、一度家庭の教育方針を考えてみるといいと思います。

なんとなく知育・・・ では、どこでも良い になってしまいます。

それぞれ特徴があり、良い点も悪い点もありますから、せめて優先順位はないと選べません。

家庭の教育方針、または母親の教育方針が決まっていれば、それほど迷うことも無く決まってくるはずです。

 

それでも入会してから思っていた教室と違ったことがわかり、結局やめることになる場合もあります。

それをさける方法は、見る目とかカンのようなものがないと無理だと思います。

私が何度か失敗した理由は、教室が言う方針(教育目標・効果)を鵜呑みにしたことと、自分の中では優先順位が低いのに、それでも「こんな力がついたらいいな」と欲張ってしまった ことだと思っています。

 

知育・語学・運動・音楽・絵画・・・

どの能力も幼児期からはじめれば、才能が開花しそうに見えます。

そのくらい幼児期は輝いています。

 今、母親の自分が手をかけることが、子どもの将来のためになる。

今でなければ逃してしまうと感じます。

たくさんの習い事をしている幼児と、そのために働いているお母様をみると

数年前の自分とたま子が重なります。

習い事がどんどん増えて、一日に二つの習い事がある曜日もありました。

でも、受験を決めてからは、受験に必要な習い事だけになりました。

そこで 家庭の教育方針が決まれば、習い事は決まってくるとわかりました。

 

「大人になってからできたらいい・・・」

なんて思う習い事は、もっと後でも機会はあります。

「中高生になってから苦労しないように・・・」

と思う習い事は、中高生になった姿がイメージできるようになってからでもなんとかなります。

「広くいろいろなことをやらせておきたい」

そう思うなら、苦手を作らないためなのか、得意を伸ばしておきたいのか

そのくらいのことは決めておかないと、広く浅くできるが、結局は何にも成し遂げられない人になってしまうかもしれません。

 

もう一度たま子を育てるとしたら、1歳半か2歳半から育てたいです。

あの幼児期の吸収力、集中力があればなんでもできそうです。

そうしたら あの習い事とこの習い事をさせて・・・

あれ? やはり、いろいろ習わせてしまうかな?

いや、もっと真剣にたま子の将来を考えて・・・

あれれ? 結局は同じかな?

それでも、あの幼児期がもう一度きたら良いのに

こたつから足がはみ出すほど大きくなった たま子を見ると

やりたかったことがたくさん浮かんできます。

後悔の無い子育てなんて、親の欲がなくならない限り難しいのかもしれません。

 

幼児教育の効果 (図形)

 

たま子はいろいろな形が大好きでした。

寄木細工に凝った時期があり、キットを買ってたくさんコースターやへんなものを作りました。

六角形のコースターをつくるのにも段階があって、

・決まりは無く適当に六角形を作る時期

・決まった模様になるように組み合わせて六角形を作る時期

・模様を決め、それを組み合わせてできる形を楽しむ時期

以前書いたように、今でも続けている幼児教育の勉強をしていなかったら、この段階を発見することはできませんでした。

発達段階の見方を勉強していたので、たま子がどんどん工夫していくのを見て、自分で自分を育てるという言葉の意味を実感したのを覚えています。

 

たま子は中学受験の段階で、算数少女ではありません。

成績的には ”フツウより少し良い” です。

大げさですが、どんなに頑張っても上がりませんが、どんなにサボっても下がりません。

算数が中学受験を決める と言われると、不安になります。

正直それほど頑張って勉強してこなかったので、もしかしたらもっと算数が伸びたかもしれないのですが、

頑張ってこなかった時点で、やはりそれほど算数好きではないのでしょう。

バンバンひらめくタイプでもありませんから才能も・・・

 

それでは、あの図形好きはどこに行ってしまったのでしょうか。

いまだにいろいろな形の組み合わせは好きです。

幾何学模様を見ると、指でなぞっています。

 

年長から3年生まで、近所のパズル教室に通っていました。

その頃のたま子は、立方体を転がす問題、投影図、展開図、積み木の数など、空間把握系が得意で、

 ナンバープレイスやビルディングのような仮説思考力系ができませんでした。

得意なプリントは数秒で答えるので、考えていると言うよりも感覚で、幼児のあのカンというか、ひらめきで答えていたと思います。

楽しくて時間を忘れると言っていました。

だから図形が得意なのだと決めつけてしまい、これがどこかに沈んでいってしまうとは考えてもいませんでした。

 

 4年生から中学受験用の塾に入りました。

飛びぬけて良い成績ではありませんでしたが、それほど悪くもなかったのでのんびりしていました。

5年生の終わり頃から、図形の感覚がおかしいと言い出しました。

ひらめかなくなったと言うのです。

また、ひらめいてもそこからどうしたらいいのかわからない。

転塾後の先生の話だと、解いてきた問題数が少なすぎ、経験が無さすぎだと言われました。

あたりまえですが、図形感覚だけでは受験算数の問題は解けないんです。

さらに、成長してたま子の頭の中も変わってきて、感覚的な解き方から論理的な考え方になったのだと思います。

そこをうまくつなげるには、ある程度問題数をこなせばよかったのでしょうけれど、やってこなかった。

 

もしかしたら、あのスピードでひらめく図形感覚が、何かの拍子に浮かび上がり、役立つときがくるかもしれませんが、

中学受験の段階では、沈んでしまって見えません。

 幼児期によくできて、本人がはまるものがあったら、その後にその力を使うときが来るまで応援してやるべきだったと、超教育ママの私は後悔しています。

ただ「勉強しなさい」と言ったのではダメだったかもしれませんが、

「図形が得意なんだから、たくさん問題解くともっとできるようになるよ!」とか、

うまく持ち上げれば、本当に算数が得意になり、さらには算数好きになったかもしれません。

大きなチャンスを逃しました。

得意を伸ばし、不得意の苦手意識をなくそうなんて、どこでも言われていることなのに、

不得意に目がいってしまい、得意を伸ばすことをおろそかにしてしまいました。

 

 

幼児教育の効果(文章)

 

中学受験の最終段階で、幼児教育の影響を感じることがありました。

幼児教育関係の回し者だと思われてもかまいません。

幼児教育やってよかった。

 

本当に効果があったかどうかは、やらなかったたま子と比べることができないのでわかりませんが、いろいろな選択をしなければならない場面で、「これは幼児期に得意だったからできるかも。それなら、この方向でいこう。」とか、「これは幼児期から興味がなかったから、力をいれないとすぐに抜け落ちる。」とか、親の具体的な判断材料ができたことは確かです。

 

たとえば、たま子は言語系に興味を持たず、

幼児教室の言語ゲームにはぼんやり参加していました。

けれども日記はよく書いていました。

通っていた幼児教室は、たまにエデュでお勧めしている方をみかける、チェーンではありますが小さな教室で、1時間以上子どもを飽きさせないほど授業のテンポが良く、「勉強って楽しい」と子どもに植え付けてくださる先生がそろっている教室でした。

 

その中のある先生が絶妙なコメントを書いてくださるので、たま子は日記を書くのが大好きでした。

言語系に興味の無い子どもでしたから、放っておけば文章を書く能力は育たなかったと思います。

その先生は、うまく引き出すようなコメントを書いてくださいました。

これは、家庭でも役に立ちました。

『きょうはおかあさんとスーパーへ買い物に行きました。たまねぎとにんじんを買いました。』

のような、内容の無い日記には

『たまねぎとにんじんで何を作ったのかな?おいしく食べられた?』

と書いてくださいます。するとたま子は、次の日記で返事をするように

『きょうはおかあさんとスーパーへ行ってじゃがいもとお肉を買いました。カレーを作って食べました。おいしくてたくさん食べました。』

と、書くようになります。さらに先生は

『おかあさんやおとうさんよりもたくさんたべたのかな?おいしかったんだね。』

と広げてくださいます。 そしてたま子の返事は

『今日はお母さんとおでんを作りました。おいしくできました。お父さんはおいしいと言ってたくさん食べました。

わたしもお母さんもうれしかったです。3人ともたくさん食べました。おなべがからっぽになりました。』

くらいになりました。 もちろん、一回のやり取りではなく、何十回かの日記でだんだんとそうなっていったのですが。

(実際の日記・先生のコメントは全てひらがなです)

 

気がついたのは、いつもその先生は”子どもの生活の背景”を引き出そうとしていることです。

場所ならその様子を表現することだけでなく、雰囲気、印象と周りの人の様子

物なら色や形や手触り感想、場面なら自分の気持ちと周りの人の気持ち

『えさをもらったヤギはよろこんだかな?』 『さわったらどんな感じだった?』

『おかあさんはなんて言っていた?』 『お友達も〇〇だったんだね』

こんな一言で、日記を書くときに周りの様子を考えるようになりました。

内容は子どもの内容でとんちんかんな周りの様子を書くことも多かったのですが、

それでもその日にあったことをズラズラ書く日記ではなくなっていきました。

 

たま子が目指す桜蔭の国語は、どーんと広い四角に解答を書く問題が多く、

文章が書けなければ解答用紙が真っ白になってしまいます。

また200字の記述もあります。

6年生までに、文章を書き慣れていてよかったと感じています。

たま子は全てにのんびりしていますので、じっくり時間をかけなければ、自分のものにできないタイプです。 

いままでできなかったことがちょっとしたコツでできたとか、

これをやればすぐに解決するなんてことがうまくいくタイプではありません。

 

中学受験の段階では、結局 カンがよかった図形よりも、コツコツ続けていた国語の方がアテになる教科になりました。

それで私は、たま子に自信をつけさせ、持ち上げる材料として、文章をほめることにしたのです。

もともとたま子には得意教科がありません。

だから、コツコツ続けてきたほうを持ち上げ、続けてきたことを材料に、自信をつけさせようと考えました。

本当はたま子の文章なんて、志望校対策クラスの中ではきっとひよこの文章です。

でも他の人の文章を読まない限り、どのくらい文章能力に違いがあるか、たま子にはわかりません。

自信が無く、本当に勝負できるものがないたま子には、幼児期にたくさん書いた日記が、少しは心の支えになりました。