教育方針・沿革

本校の教育は、創立者ドン・ボスコの教育理念に基づいています。

沿革

昭和 35年(1960)4月

東京都目黒区碑文谷に目黒サレジオ中学校創立

―― 初代校長 ニコロ・タッサン師

昭和 38年(1963)4月

サレジオ高等学校創立

―― 初代校長 ニコロ・タッサン師

昭和 38年(1963)9月
川崎市宮前区鷺沼に高校校舎落成
昭和 41年(1966)3月
第1回卒業式 卒業生87名
昭和 44年(1969)4月
体育館落成
昭和 50年(1975)4月
川崎サレジオ中学校創立
6ヵ年一貫教育を開始
昭和 51年(1976)7月
川崎サレジオ中学校新校舎落成
昭和 57年(1982)6月
野尻湖サレジオ山荘落成
平成 3年(1991)4月
サレジオ学院中学校、サレジオ学院高等学校と名称変更
平成 7年(1995)3月
横浜市都筑区に新校舎落成
平成 7年(1995)4月
横浜市都筑区の新校舎に移転
平成 10年(1998)4月
河合恒男氏 校長に就任
校舎増築落成
平成 11年(1999)10月
サブ・グラウンド落成
平成18年(2006)4月
田沢幸夫氏 校長に就任
平成22年(2010)4月
鳥越政晴氏 校長に就任
令和4年(2022)2月
人工芝グランド落成
令和4年(2022)7月
新聖堂落成

ヨハネ・ボスコの教育の基本 <生徒とともに歩んでいくアシステンツァ>

本校の教育法は、ヨハネ・ボスコが言う「アシステンツァ(assistenza(伊)/assistance(英))」に土台を置きます。それは教師がつねに生徒と「ともに居る」ことにより、生徒の考え、気持ちや行動を理解し、その発達段階に応じて適切な指導ができるのです。その際、教師は生徒の自主判断を尊重し、その積極性を育成するとともに誤った行動に陥らないように前もって防ぐことに心を配っています。

ヨハネ・ボスコの教育の3つの柱 < 信念・愛情・理性 >

サレジオ会創立者ヨハネ・ボスコは子供たちに教育する時、3つのことを心がけていました。サレジオ学院は彼に倣い、教育活動の中にこの3つの精神を盛り込んでいます。

< 信念 (faith) >

人間はひとつの人生観・信念をもつことによって、自分の生き方や具体的な姿勢が決まります。もしこの信念が神につながるものであるならば、それは信仰と呼ぶことができます。本校はただ勉強する場所であるだけでなく、信仰や信念を育てる場所としてさまざまな体験、よい出会いを提供しようとします。そしてそのような出会いを通して、一人一人の生徒が神から与えられている使命(ミッション)に気づき、その実現に向けて努力するよう導きます。

< 愛情 (loving-kindness) >

ヨハネ・ボスコは「愛するだけでは足りません。愛されていることが分かるように愛しなさい」と先生たちに教えました。教育は施設や規則以前に、人間関係を根底に置きます。つまり親、教師、生徒は互いに相手の人格を尊重し、愛に基づいた信頼関係をつくるよう努めなければなりません。相互の率直な話しあいがあれば、日常生活で起こる問題は解決しやすくなります。

< 理性 (reason) >

更に人格形成のためには、道理にかなった規律正しい生活が必要です。集団生活の規則を活かすことによって、その中に生きる自分と他人を活かすことになります。すべての規則の根底にはひとつの「わけ」=「理」があります。この「理」は、人間生活の道であり、それを生徒が理解することによって規律をよりよく実践できるようになります。

そしてこの3つを根底においた教育法をヨハネ・ボスコは「予防教育法」と呼びました。

サレジオ学院の教育の3つの柱 < 勉学・問題解決・奉仕 >

サレジオ学院はヨハネ・ボスコの教育法に基づき、「25歳の男づくり」を目指して中高の6年間の教育プログラムを組み立てていきます。本校において教育とは単に知識を増やすことを意味するのではありません。彼らの全人的な成長を目指すためにサレジオ学院では3つの分野の成長を促していきます。

< 勉学 (Study) >

社会をよりよいものにするためには知識が必要です。サレジオ学院では中高時代に必要であり、また一人一人の夢の実現のために必要な知識・教養を養成します。

< 問題解決 (Solution) >

複雑な社会の中では問題に対して、チームで解決にあたらなければなりません。現実を観察し、問題点を発見し、それに向けてチームとして解決に当たる資質を養成するためにさまざまな機会を生徒に対して提供します。

< 奉仕 (Service) >

サレジオ学院が生徒に求めることは、助けを必要とする人への「奉仕の心」です。

なぜ学ぶのか、なぜ問題解決をしないといけないのか。 彼らの学びと問題解決能力が、社会の中で苦しんでいる人々を助けることができる奉仕の手段だからです。