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やはり不公平な内申点

【2287792】
スレッド作成者: ㊥3 (ID:TxCz1eFn0iw)
2011年 10月 07日 17:24

3年前期内申42
満点とっても・・・
学年末は無視して後期受験に絞ることにします。

【2525931】 投稿者: バカジャネーノ   (ID:kgumUgA1ncg)
投稿日時:2012年 05月 01日 03:37

義務教育の本分は、文科省が規定した範囲の学力に達することです。
公立中学校だからと言って学力が達している生徒が獲得したテストの点数を蔑ろにする行いは犯罪行為です。
内申は参考にするべき内容です。
それを、成績に加算すること自体が間違っています。

一番公平なのは、学力進捗を測るペーパーテストです。

くだらない御託を並べる必要はありません。

詐欺師が行う手口と同じなのが「神奈川方式」と呼ばれるものです。

高校受験の受験日を全県同日じゃなくて、レベルに合わせて複数日にすればいいんじゃないの。

今は無き神田高校のような底辺校も存在価値がある。
テストで振り分けられるのだから、自分の学力にあった高校に進学できる。

簡単な事を難しくするのは、騙していますと同義語です。

【2528484】 投稿者: クラブ活動   (ID:KbKnU6WpWAY)
投稿日時:2012年 05月 03日 10:06

クラブ活動での記録が、高校入試に考慮される制度がありましたが、
それは、中体連に加入している種目だけに限られています。
そして、びっくりすることですが、
テニスや野球は、希望していても中体連への加入が認められていないのです。
それは、
ソフトテニス、軟式野球が、中体連で勢力があり、
これらの競技の中体連加入が認められると、自分たちの競技人口が減るので、
中体連加入に反対しているのです。
いびつな高校入試制度は、中学生の競技選択の自由も奪う結果となっています。

【2528564】 投稿者: バカジャネー ノ2   (ID:PCHPPOWzLDY)
投稿日時:2012年 05月 03日 11:17

高校入試の為にスポーツやってるんじゃ無いでしょ。くだらん
例え認められても2ポイント程度。
気にする必要無し

【2528578】 投稿者: 教育の限界   (ID:zl/FcAnHQH.)
投稿日時:2012年 05月 03日 11:29

試験の一発勝負で合格者を決めるシステムも、内申的なものを利用して合格者を決めるシステムも、古来から存在し、状況に合わせて取捨選択されて現在に至っています。
しかし、結局のところ、どちらの方法も決め手に欠くのです。
一発勝負を理想的と考える人もいますが、本当によいものであれば、それ以外の選抜方法は必要ありませんし、存在しないはずなのです。

選抜システムが話題になるのはそこに最も興味が集まるからです。
しかし、実際に大事なのは、選抜システムを経て上位の学校に行ってからの教育の内容です。
ところが、ここに問題があります。

試験だけで選抜しようと、内申をからめて選抜しようと、1つのクラスの中に、どうしてもレベル差が生じます。
そのレベル差こそが、教育を行う上で大きな問題になります。
上位に合わせる訳にも、下位に合わせる訳にもいかず、平均的な教育を行うしかないのです。

一発勝負の入試がいい、と主張する方は、だから入試の結果だけで選抜すればレベルが一定する、と考えるかもしれません。
でも、私自身、試験の点数だけで合否が決まる進学高に行っていましたが、その中でのレベル差はやはり大きかった経験があります。
上位校になるほど、上位合格者の能力が青天井になるため下位合格者の間には、大きな差が生まれます。

なぜ、試験のみで選んでいるのに、そういう状況が起こるのかというと、2つの理由があります。
・クラスの人数が多すぎる
・科目別入試ではない

仮にクラス定員が20人であっても、レベル差は出ます。理想的な教育をしたければ、4、5人のクラスを多数作るしかありません。
そうした理想的な教育を行えているのは、芸術学校である、東京芸大のような一部の教育機関に限られていると言えます(芸大生徒一人あたりにかかる経費は日本中で最高クラスです)。
従って、30人以上1クラスであることがほとんどの高校では、この問題は解決できない問題でしょう。

もう一つの「科目別の入試ではない」というのは、解りやすいと思います。
試験のみの選抜をしたとしても、合否判定は全科目の合計で行われますので、入試で同じ得点を取った2人の生徒でも、片方が数学が非常に得意、片方が英語が非常に得意、というパターンだった場合、全部の科目を同じクラスで教育をすると、どうしてもレベル差の問題が出ます。

この2つの問題を少しでも解決するためには、クラスの人数を可能な限り少なすると同時に、科目ごとにクラス編成を変えるようにする必要があります。私立高校などでは、それに近い形を取っているところもあります。
しかし、公立高校では定員の問題、教職員数の問題、教職員の質の問題があって、これを実現することはまず不可能でしょう。
その実現が不可能である以上、一発入試でも内申併用でも、結局は同じ問題が残ってしまうのです。

古来から理想的な教育はマンツーマンでした。一人一人のレベルに合わせて、個別指導する仕組みです。
しかし、それは学校教育ではありません。
学校教育と名がつく以上、どこかで教育には妥協しなければならないのです。

そして、そこに妥協が必要である以上、どんな選抜方式を取ったとしても、大きな違いはないのです。

【2529182】 投稿者: 東大OB   (ID:ddUmuEt6vXc)
投稿日時:2012年 05月 03日 22:38

成績上位者の立場からお話します。
 
私は有名高校(?)から東大に進みました。
>上位合格者の能力が青天井になるため下位合格者の間には、大きな差が生まれます。
これはまったくその通りです。
特に、東大では、トップとビリの差は、東大生と事実上の無試験大学の方以上の開きが
あると思います。
しかし、それは問題になりません。
私は、高校でも東大でも、トップではありませんが、トップグループにいましたが、
どちらの教育にもまったく不満はありませんでしたので。
 
そもそも成績上位者は、先生の教え方が良いとか悪いとか、わかりやすいとか
わかりにくいとか、そんなことはほとんど気にしません。
(絶対ないわけでもありませんが、ごくわずかです。)
勉強と言うものは、基本、自分でやるものという意識があるからです。 
ちなみに、私の高校はマンモス校で、授業は高度でしたが、基本、放任主義でした。
有名進学校はたいていそうです。
 
高校で重要なことは、授業ではなく、自分と同程度(かそれ以上の)学力をもった
大勢の人と同級生に、そして、何人かと友達になることだと考えます。
そのような仕組みを作り出すには、「一発入試」とは言いませんが、学力重視が
最適であると思います。
少なくとも、私の出身高校と東大は、その方式で成功しているように思います。
 
付け加えるならば、マンツーマンが教育の理想とも思えません。
理由は上記の通りです。
 
以上は「成績上位者」の話でしたが、成績上位の高校でなくとも、同様の
メカニズムが働くものと思います。

【2529222】 投稿者: なんだかな   (ID:Gxaol7a0CSE)
投稿日時:2012年 05月 03日 23:15

試験で選別しようが、内申で選別しようがクラス内にレベル差が生じるのは同じだから、どちらでも構わないなんて、あまりにも乱暴な議論すぎて言葉になりません


大事なのはそのレベル差をいかに小さくするかでしょう?もちろんそれだけが全てじゃないですけどね


大体、神奈川に限らず内申比重が高い地域のトップ校のことを全くご存じないようです
なんでこの人がトップ校にいるの?なんでこの人が入学できたの?実力的には2番手どころか3番手でも全然おかしくない生徒が平気でトップ校にいるという不思議
本人にとってもえらく不幸ですよ


本当にトップの上澄みの人たちは、東大OBさんがおっしゃるように、学校に「教育」なんて求めてません、刺激を受けたり、互いに高めあう「仲間」を求めてるんです
ですから、1割の内申無視枠があるから、実力的に入れる高校であっても、大多数が内申美人という高校には本当は行きたくないんです
実力のある生徒は真に実力のある生徒を好むんです


すべてを内申で決める高校があってもいいから、すべてを当日の試験で決める高校を作ってほしい、その試験も独自入試程度の難易度にしてほしい、と思います

【2529262】 投稿者: 教育の限界   (ID:Si.2tGKlcg.)
投稿日時:2012年 05月 04日 00:00

私が言いたかったのは、どんな選抜法を取ったところで、高校の教育には期待できないということです。
3年後にはまた大学受験があり、そこでは学力勝負で大学進学が決まっていきます。

東大OBさんの言うように上位の方は故人の力が基本で、どこの高校からでも最難関へも受かっていきます。
だから、高校は青春時代を過ごす、友人との語らいの場であったり、同志を探す環境でしかありません。

そのような状況なのですから、高校や高校の教育に多くを求める必要はないだろうと思います。
多くを求めても、決して与えられません。それは先のレスで書いた通りです。システム的に無理があるのです。
そして、次の目標になる大学受験では、塾がかりであろうと、完全自学であろうと、自分から動いて高見を目指した者だけに、大学は門戸を開きますので。

学力重視の試験を求める方の多くが、自分の子供の利益を考えた発想のように見えて仕方ありません。
仮に、自分の子供が一発勝負に弱く、内申ならば取りやすい子供だった場合にも同じように発言するとは思えないのです。

うちの場合は内申がまったく取れず、県立であれば後期二次にかけるしかない状況でした。
そのため、本人はかなり頑張って、内申の関係のない東京の難関校を目指しまし、最後の最後に後期二次も受けるという併願パターンでした。
幸い、後期二次に最後の望みをかける状況にはなりませんでしたが、高いハードルを乗り越えられたのは、神奈川の県立の選抜システムが合っていないことを受験生本人が自覚して、自分を追い込んで頑張ったからだと思っています。

そのような状況でしたので、うちでは県立高校受験を学力重視だけにして欲しいなどと、考えませんでした。
一方で、中学校でとても頑張って内申を取っていた友人たちが、その成績によって県立トップ校に受かって行くのは好ましいことだと思っていました。

前期や、高い内申点を背景に合格していった方々が本当に不幸なのかはわかりません。
学力重視の試験で全員合格させたとしても、トップと最下位の差は非常に大きく、最下位の場合には開き直りでもしない限り、成績面では楽しい高校生生活が送れないのは、一緒ですから。

【2529359】 投稿者: なんだかな   (ID:Gxaol7a0CSE)
投稿日時:2012年 05月 04日 02:34

すべての県立高校が試験のみの選抜法を取るべきだなんて主張した人がここに何人いたのでしょうか?少なくとも私は先に書いたように、内申のみ選抜の高校があってもいいから、入試のみの高校があってもいいと多様性を主張しています


それに自分の子供の利益?利益ってなんですか?
実力を伴わない内申美人が、ノートを綺麗に書いたり、挙手の回数を多くしたり、などの「努力」でトップ校と言われる高校に入ることが本当に子供の利益ですか?
県立校がそのまま大学へエスカレーターでつながっているならまだしも、大学入試はほぼ実力勝負、高校で中学並の内申が取れるわけもないから指定校推薦も取れず、ごく限られたAO入試で運よく受からない限り、その子たちの未来は明るいとは言えないでしょう
内申美人の末路をご存知ないんですね、上位が青天井のトップ私立の最下位でいることとは本質的に別の問題なんですよ


それでも、「県立トップ校に入れた」とプライドを満足させたいがために、我が子を背伸びさせてでもトップ校に押し込むのが本当に子供の利益なんですか?


努力が報われることは良いことだと思いますが、その努力は綺麗なノートなどに費やされるべきなのでしょうか?少しでも実力を上げるために費やされるべきではないでしょうか?


一度、中学受験は一部の公立を除いてほとんどの中学が内申をまったく重視していないのはなぜか?という事実を考えてみてはいかがでしょう

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