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【1066693】青雲学園非公式ガイド「青雲学園物語」

投稿者: 31TH   (ID:ivAUD.LgBSE) 投稿日時:2008年 10月 23日 13:29

以下の青雲学園に関する文章は皆様に青雲学園の一面を知って頂く一助になると考え、著作者本人(31回生)の了承を得てここに転載させていただきます。なお、この文章は一青雲生の眼を通して描かれたものであり、一部誤りもありうるということをご留意の上お読みください。

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  1. 【1066718】 投稿者: 31th  (ID:ivAUD.LgBSE) 投稿日時:2008年 10月 23日 13:52

    ずばり、青雲学園は良いか
    これは人次第です。青雲に入れば必ず一流大学や医学部に行って人生安泰、なんていう訳ではもちろんありません。他の学校でもそう。東大生でもピンからキリまであるのと同じ。青雲にいるよりも、公立の進学校に行った方がいいのではないかという人は結構いますし、青雲より上の学校に行って埋もれたという話も結構耳にします。
    もっとも、人格の優れた人間ならば、どのような学校に行ったとしても必ず成功します。大切なのは人格です。青雲にご子息を入学させようか、とお考えの皆様、ご子息には人間教育を十分にしてください。人間として大きな器があれば、青雲の教育を十二分に吸収できます。人間性に優れているならば、入試を突破して青雲に入学できるほどの学力さえあれば、後は青雲に任せていただければ学力はもちろんのこと、体力や人間力もしっかりと身につけさせます。東大現役合格者の私が青雲の教育を保証いたします(私は過去に色々と不祥事をやらかしまして、人格の優れた人間では決してありませんが、人格の優れていないことを自覚していたという点では、大して器が大きくないのに自分を優れた人格の持ち主だと自惚れている凡人よりも一枚上手だったらしい)。逆に、器が小さい人間はろくに青雲の教育方針に従わないため、青雲に進学させてもはっきり言って金の無駄です。
    最近の研究では、社会において成功するためには、IQ(知能指数)よりもEQ(心の知能指数)の方が重要であると報告されています。
    EQの五大要素として定義されているのは以下の能力です
    ・自分の感情を正確に知る
    ・ 自分の感情をコントロールできる
    ・ 自己を動機づけることができる
    ・ 相手の感情を知る
    ・ 社交能力
    私の感覚からしても、難関大学合格者のほとんど(もちろん私を除く)は人間的に尊敬に値する人物です。EQがないと大抵の場合IQもろくにつかないのです。

    アメリカゆとり教育の失敗
    1960年代、勉強やその他諸々のことに関する規律で子供を縛ると、子供の自然な好奇心や勉強意欲をそいでしまう、という訳で、現在の日本でいうゆとり教育がアメリカで行われた。校則を緩くし、宿題や試験を減らし、思春期の少年少女を自由にした。学力低下はもちろん起こった。これは想定の範囲内である。だが、問題だったのは、少年少女の精神に悪影響をきたしたことだ。少年犯罪や麻薬、更には自殺が急増したのだった。アメリカの10代の10万人あたりの自殺者数は、ゆとり教育開始前の1960年は3.6人であったが、ゆとり教育が浸透した1990年は11.3人である。教育政策は転換され、反ゆとり教育が行われるようになり現在に至る。逆に、1960年代に受験競争が激化していた日本では少年少女の自殺率が減っていった。しかし、現在ではこの有様。
    ある程度の負荷や課題を与えた方が、少年少女の精神衛生上好ましいのである。
    勉強は精神衛生上好ましくない、というのは全くの間違いなのである。ただし、勉強だけさせて、他の教育は全くしない、というのは問題がある。

    寮の屋上
    A・B・C棟の屋上は洗濯物干し場となっており、普段は開放されないが天気のいい日は開放される。だいぶ前は屋上は常に開放されており、逆に非常階段は立ち入り禁止だったそうだ。さらに、当時非常階段には手すりがなかったらしい。その名の通り、非常に危険な階段だ。

    かもめさんが転んだ
    2003年の夏休みの数日前、長崎発博多行きの白いかもめが佐賀県内で大雨により線路上に転げ落ちた石に激突、前3両が脱線し、先頭車両はひっくり返って田んぼに突っ込んだ。突っ込んだのがマンションではなく田んぼだったから幸い死者はいなかったが、外泊を前にJRで帰る人は驚いていた。

    真夏の体育
    青雲にはプールがない。なので7月でも普通に体操服で体育をする。高校になると7月定期明けの体育はクラスマッチの練習になるので楽だが、中学は普通に灼熱のグラウンドでトレーニング。背筋なんかをしている時は鹿児島県の指宿温泉名物である砂蒸し風呂を疑似体験できる。

    時津町
    時津町は近年、長崎市のベッドタウンとして発展し続けている。電機量販店でいえば、ベスト電器の外に、コジマやヤマダ電機が進出してきている。お隣の長与町も同様だ。

    天網恢恢疎にして漏らさず(悪事は必ずばれる)
    和敬寮は自室自習である。なので、自習監督が見回りに来る時間を除けばいくらでもサボれる(サボったら大学受からんけど)。ある生徒が、監督が来ない時間帯にパソコンでエロゲーをしていたところ、監督当番ではなかったがたまたま寮にいらっしゃった先生に発見され、没収。

    私だけでしょうか
    映画「ET」で警察に追われ、少年とともに自転車で逃げるETが途中で魔法らしきものを使い、自転車ごと飛んで逃げるシーンをみて、「飛べるんだったら最初から飛んで逃げろよ」と思う。
    ほのぼのレイクの看板を見るたびに、ほのぼのレイクの「ク」を「プ」に書き換える奴がいたら危ないことになる、と危機感を抱いている。

    第二グラウンド
    第二グラウンドの芝生は生徒が一本一本植えたものだ。昔は砂のグラウンドで、砂が体育館に侵入し床が傷んでいた。そこで、芝生化することにしたわけだが、業者の芝生マットを敷き詰めるわけではなく、あえて生徒が手植えした。これは美談として語り継がれている。

    燃えた豪華客船
    2002年のこと。長崎造船所で建造中の豪華客船ダイヤモンドプリンセス内で発火、かなり燃えた。

    戦艦武蔵
    長崎造船所は昔戦艦武蔵も造っている。といっても武蔵をご存知の方も少ないかもしれない。武蔵は戦艦大和の同型艦である。大和と一緒に沖縄へ出陣する際に途中で連合軍に襲われ、武蔵がおとりとなって沈んだ。その後大和も沈んでしまうわけだが。

    夜遊び
    寮生は、消灯後は静かに寝ることになっているが、血気盛んな寮生の中には夜遊びをする者もいる。特に、休日前夜や、何かの行事の前日は、他の部屋に遊びに行ってゲームをしたり、語りあったり、奇声を発したり等々盛り上がる。勿論、発覚すれば始末書やご指導がまっている。学校の担任の先生に通達が行く場合もある。
    夜に寝ている奴を起こすほど騒ぐ奴は夜遊び人として二流だ。一流の夜遊び人たる者、人様には全く迷惑をかけずに遊ぶものだ。

    クワガタ
    夏になると、たまに寮の壁にくっついていたりする。ほとんど小さいやつだけど。樹液を仕掛けておけば、結構捕獲できるのではないか、と思う(実際にやったことはないけど)。
    私が和敬寮の自室で夜に自習をしていた時のこと。窓に何かがガンガンあたってくる。音からして明らかに蛾ではない。うぜえ、とにらみつけたところ、カブトムシであった。
    寮内では他にも、めったにでないがカエルやホタルがでることもある。また、ムカデやカメムシなんかの害虫も勿論でる。
    特に、B棟とC棟は虫の王国である。

    寮内ブーム
    寮内は一種の独立共同体であり、世間とは連動せずにブームがおこる。31回生では、ある人が坊主にしたことから坊主ブームが起こり、学年の寮生の3分の1ぐらい一時期坊主になった。

    高総体開会式
    2006年6月の高総体開会式は県南であったため、県南地区の参加校の生徒が開会式の観客として動員された。青雲の生徒も高校生はほぼ全員が動員された。
    貸切バスで行った。といってもチャーターされたのは長崎バスの普通の一般道路用路線バス。それにすし詰めにされて会場に向かった。他校はほとんどが観光バスタイプの貸切バスで来ていた。もうお分かりでしょう。青雲学園は資金が潤沢にあるわけではないんですよ。先生方の給料も公立学校と変わらないらしいし。
    高総体開会式が始まり、選手の入場行進が始まった。大会旗と県旗をもって先頭を行進したのは青雲の生徒だ。行進にかけては最強だもんね。
    私が一人でトイレにいったところ、他校生が「青雲だってよ」とか言っていた。他校からの青雲生への印象は一般的に良くないね。
    開会式が終わるとまたすし詰めのバスで帰還したのだった。

    安全神話崩壊
    和敬寮は持ち物検査がない(というか部屋が多すぎてできない)というのが鉄則だった。しかし、去年の冬、当時の高三で持ち物検査が行われ、結構没収されたらしい。ちなみに31回生はなぜか中学入学以来高校卒業まで、一度も寮で公式の持ち物検査はあっていない。

    指定校推薦
    高三の夏になると指定校推薦の希望者の募集がある。早稲田などの有名な大学では推薦枠をめぐり熾烈な争いが繰り広げられるとか繰り広げられないとか。
    さて、31回生では、指定校推薦で早稲田の政治経済学部に行ったのが2007年の体育大会実行委員長、同じく早稲田の商学部に行ったのが体育大会の紅組の応援団長なのだ。
    体育大会実行委員会の管理職は推薦に強いらしい。
    まあ、先のお二人方は、失礼ながら成績は非常に良い、とは言えないが、人間的には非常に優れており、勤勉なお方である。そのような、学力試験だけでは測れないすばらしさを持った学生を取るために指定校推薦があるので、学校側が先のお二人を推薦したのは賢明な判断である。

    防衛大学校、防衛医科大学校
    ご存知の通り、防衛大学校は横須賀にある自衛隊幹部候補生養成校、防衛医科大学校は埼玉県所沢市にある自衛隊医官養成校である。
    青雲では、夏に両学校が合同で大教室Aで入試説明会を行う。受験者が多いからだろう。両学校に入学すると特殊公務員扱いになり、給料がもらえる。ただし、キツイことは覚悟しておかなければならない。というわけで、両学校の入試は11月にあるが、公務員採用試験としての意味合いが強く、受験料は無料である。1次試験が学力試験で2次試験が面接や身体検査。そういうわけで、腕試しで受ける受験生が多い。青雲からも、防衛医大の方は結構受ける。長崎での受験会場は、北九州予備校の長崎校などだ。
    2007年の防衛大の1次試験の実質倍率は、人文科学で7倍、理工で2倍。こちらの受験者は結構受かっていた。
    防衛医大は超難しく、数名しか受からない。というか、ここに受かるなら国公立大学の医学部に受かる。
    31回生の中で、自衛隊をこよなく愛している男がいたんだけど、その人は防衛大第一志望で、そこの推薦で受かって進学した。彼が日本を守ってくれるなら心強いな。


    年に数回、雪が積もることがある。程度によっては青雲も休校する。寮生は自習となるわけだが、休み時間なんかにダンボールをソリにして青雲坂を滑る人もいた(危険だからしないほうが良い)。後輩たちがつくった雪だるまを後輩がいなくなったあとで破壊する同級生。後輩の努力を破壊するな。

    蛍見物
    校舎から、青雲の坂道(青雲坂という)を下ったところには青雲橋という、青雲と外界を結ぶ橋がある。この橋が架かっている川(左底川という)に5月から6月にかけて蛍がでるのだ。夜の開いている時間に寮生が見物に行っていたりする。ただし、青雲橋前の校門から一歩でも出たら無許可外出&夜間外出で厳しい処分が待っているので注意。あそこには外部からの侵入を監視するための赤外線監視カメラがついている。

    月見団子
    毎年、秋のある日の夕食で寮生に配られる団子。市販のみたらし団子である。結構いける。

    節分豆
    毎年、2月の節分の日の前後に寮生に配られる豆。投げるな、と言われているのに投げる奴が毎年いる。

    サマーキャンプ。宿泊地敷地内の池で泳いだ勇者がいた。勿論、ひどくしかられた。

    ある日の寮内放送「C棟ホールで寝ている者、起きなさい!」・・・監視カメラは本物のようだ。

    青雲校舎のピロティ入り口のガラスは一枚20万円するとです。

    自宅通学生と長崎バスの運転手は一般的に仲が悪い。

    ある生徒が教室に持ち込んだもの:鶏頭水煮(犬のえさ)の缶詰 
    開封→授業中に異臭→廃棄処分

    数年前の金額だが、父母の会の関係筋によると青雲が公的機関からもらっている補助金は3億円/年。公立に比べたら安いそうだ。

    数学の課題テスト 
    問題:「次の文を英訳しなさい 幾何学に王道なし」

    寮生のほとんどが持っている入浴タオル。他者の目を気にすることなく風呂で寛げるスグレモノ。ちなみに一枚1500円(高っ!)。一見すると熱帯の原住民の民族衣装。

    猛暑なのに冷房がつかなかったとき、暑さに耐えかねた寮生は洗面所の洗面台に水をためて小さなプールを作り上げた。必要は発明の母である。

    英検3級2次面接。
    面接官「Question 5.Where do you want to go next Sunday?」
      (質問5や。来週の日曜どこ行きたいんやゴルァ(゚Д゚)!!)
    生徒「I want to go to the sea.」
    (海行きたいんやこの野郎( ´,_ゝ`)。)
    面接官「Question 6.Why?」 *注:通常、質問5までしかない
      (質問6や。なぜやゴルァ(゚Д゚)!!)
    生徒「はぁ?I do not know.」
    ((゚Д゚)ハァ?知らねえよボケ。)
    彼は合格した。 
    警告:面接官への反抗は控えましょう

    スキー合宿後の春休み。親父に滑れるようになったかと聞かれたので「ああ。受験ではもっと滑ってやるよ。」と言ったらアンパンチをくらった。

    少し髪が薄くなってきている教師がプリントを配ったら、ある生徒の分が足りなかった。
    生徒は言った。「先生!カミがありません!」

    教師「両生類ってどんな動物がいるかな?」
    生徒「○○先生!」
    教師「固有名詞は言わない。」
     ・・・否定しないのか?

    ある生徒の日記「今日は△△先生にひどく叱られた。クソッ!あの○○○野郎め!明日の太陽拝めると思うなよ!」

    捨ててあった外出証。
    行き先:ホテル 目的:デート 同行者:乙女

    寮の朝飯にポケモンパンがでた。

    起床音楽ではなわの「佐賀県」が流れた。佐賀県出身者はキレた。

    バーベキュー大会
    2006年まで、毎年10月に行われていた、寮のバーベキュー。夕食時に食堂の方々が第二グラウンドで肉や野菜や焼きそばなんかを焼いて、それを受け取って第二グラウンドで食べる。ほかにもおにぎりやジュース等がある。肉はおかわりできるので、毎年同級生同士で何杯食べられるか競ったものだ。私は2杯で腹いっぱいだが、強者になると5杯以上食べる者もいた。
    2007年は寮秋祭という新形式のものになった。今後どうなるか注目される。

    応援合戦
    近年の体育大会の応援合戦は熱血系だが、第29回大会(運営主体は27回生)の白組の応援は笑った。
    応援団が入場し、応援を始めようとしたら、「ははははは!お前らに応援はさせないぞ!」と言いながらスーパー戦隊のコスプレをした5人組が登場。
    戦隊が踊り、団員数名が倒れる。
    残った団員が武富士ダンスを踊ったところ、戦隊のうち4人が倒れる。
    残ったレッドが、「クソー!このままやられてたまるか!必殺、プロテイン!!」と言ってビン牛乳らしきものを飲みだす。
    レッドがパワーアップし、いつの間にか簡素なリングが設置され、団長とチャンバラで一騎打ち。団長がレッドを倒す。
    そして女子のチアリーディング。女子チアが始まったのはこの回からだ。
    以後、女子チアは無い回もあったが、今年は大会全体の応援として参加。

    応援合戦、応援看板は、ともに投票(生徒はできない)でちゃっかり点数になる。

    棒体操が一番最後にあるのは人気があるかららしい。

    体育大会の帰りは交通整理に警察が参加するほど混む。

    図書室、和敬寮にパソコンが5台ずつ設置され、インターネット利用可能に。しかし、制限が厳しく公的機関のホームページしか見れないため、評判はあまり良くない。

    寮内に給湯器5台設置。

    A棟風呂にようやくシャワールーム設置。

    寮売店が改装。大型液晶テレビもあり、C棟の異次元空間。

    寮食が近年大幅改善。平日の昼にデザートがつくなど5年前では信じられない程。

    社会科教室等に大型液晶テレビ投入。文明開化。

    中1,2で家庭科を実施。高2の保健体育と同様に定期試験科目。

    対外模擬試験
    青雲独自にやる試験ではなく、専門の業者が広域に受験者を集めて行っている模擬試験。青雲が主に受けるのは、駿台予備学校、河合塾、代々木ゼミナール、ベネッセコーポレーション、学習研究社、Z会の模試である。青雲は特にラサール、久留米附設、愛光の同学年と模試の結果を比較している。
    失礼ながら、佐賀の某中高一貫校はあまり相手にしていないようだ。昔、その学校ができた時に、青雲から優秀な教師がヘッドハンティングされていったそうで、その影響かどうかは知らないが青雲はその学校と仲が悪く、相手にもしたくないらしい。
    個人的に一番難しい模試は駿台予備学校の駿台全国模試である。
    模試の結果は大体、実施日から1ヶ月ほどして戻ってくる。
    Z会は戻ってきた解答用紙に丁寧に採点者の手書きのコメントが書いてある。添削指導のノウハウを生かしているのだろう。同業他社の模試でも、採点者によってはコメントを手書きでつけてくれる。そういう時は嬉しい。
    大学の志望校判定が最初に出るのは、高1の8月に行われる河合塾の全統高1模試からである。高1で他に判定がでるのは2月の代々木トップレベル模試であったと思う。高2以降は、全ての模試で判定が出たと思う。判定はあくまで参考であり、実際ではないけどね。

    持ち物検査
    略称持ち検。寮生対象。教師と寮監が協同で行う家宅捜索。各学年、抜き打ちで独自に実施される。本格的な持ち物検査になると、学校が終わった後に、寮生が全員体育館等に集められる。寮の部屋は勿論鍵がかかっており入れない。一部屋一部屋、その部屋の生徒立会いの下に検査していく。
    過去には、机の引き出しに酒の一升瓶を満載していたのが見つかったりしたらしい。
    ちなみに、31回生は中学入学以来高校卒業まで、一度も本格的な持ち物検査は行われていない。





    第六部
    不祥事の数々
    ● 青雲生も人間である。だから不祥事も起こす。ここでは、私が聞いた不祥事について述べる。ちなみに各事件の名称は私が独断と偏見によりつけたものである。


    ミッドナイトドライブ事件
    かなり前の話。数名の寮生が消灯後に寮を抜け出して、近くの民家にあったバイクを勝手に乗り回していた(鍵が差しっぱなしだったのだろう)。しかし、何回もやっているうちに発覚してしまった。バイクにはかなり傷がついており、持ち主から全額弁償を求められ、全額弁償したそうだ。バイクは傷ものになると価値が急激になくなるらしい。

    青雲ラリー飲酒事件
    2002年の青雲ラリーで当時の高3(26回生)が水筒に酒を入れて参加。勇敢な中学生の内部告発によって発覚し、当事者は後に退学したらしい。当事者は中学生に嫌われるほど中学生への接し方が良くなかったんだろうな。この事件により、その学年の雰囲気がかなり悪くなってしまい、そのせいかどうかは分からないが、26回生は浪人含めて東大合格者数17名と、20名の大台から脱落した。また、青雲ラリーの廃止が決定したが、やりたいとの生徒側の声により存続することとなった。

    B棟4階、礼儀なき戦い
    望山寮B棟は、1~3階に中3が、4階に中2の一部が居住している。中2の当時の消灯時間は午後11時10分(現在は11時)で、中3は12時なので中2が寝ている時に中3がうるさい(一部の生徒だけだが)。2003年初夏、当時の中2(31回生)の生徒が、毎夜、消灯後に「中3、うっせー!!」と叫んでいた。これに便乗した他の生徒が中3の特定の生徒を中傷するビラを中3区画においたりしたせいもあって、中3(30回生)の一部がキレた。消灯後に中3が十数名4階までつめかけ、叫んでいた中2は彼の部屋の鍵を閉めて引きこもった。この時は何とか収まったものの、後に発覚。彼は訓戒になるところだったが、当時の寮監長の特赦により免れた。この生徒は後に中3と和解したものの、別の不祥事(具体的に言うと部屋の鍵をコピーしたんだけどね)で退学し、その後勉強しまくってラサール高校に合格した。この事件により31回生の評判はガタ落ちし、生活態度の悪さもあって史上最悪の学年と揶揄されるに至った。また、この事件以降30回生と31回生は全体的に仲が悪くなった。

    愛の駆け落ち事件
    2006年の3月定期考査期間中、当時の高1(31回生)の男女一組が突然失踪した。先生や生徒の保護者で探し回ることとなった。同級生に来たメールによると、二人で駆け落ちして大阪までいったらしい。後に発見され、両者とも退学した。男子生徒の方の兄も青雲にかつており、中学校で学年を荒らしまくって退学した後、高校でまた入学し、またもや学年を荒らしまくった後退学したらしい。遺伝なのかな?

    S学園の校長はホモなんです事件
    前校長時代の話。あるラジオ番組で、「○○さんからの投稿です。長崎県私立S学園の校長はホモなんです!」という放送が流れた。それを青雲関係者が聞いていたらしく発覚し、投稿した生徒はたっぷりとかわいがられた。勿論、校長はホモなんかではない。それにしても番組の関係者もなんでこんな内容を放送したんだろう。世の中にはやっていいこととやってはいけないことがある。青雲生とて例外ではない。

    和敬寮持ち物検査強行事件
    和敬寮は個室のため部屋数が多く、持ち物検査はない、というのが鉄則だった。しかし、2006年12月、当時の高3(30回生)で突然持ち物検査が強行され、酒や煙草が摘発されて処分者が多数でた。インターネット掲示板に「○○が寮で煙草を吸っています」等の書き込みがあり、それを見た保護者から学校に問い合わせがあり、強行せざるをえなくなったというのが真相だった。この事件の影響で受験前の高3がかなり乱れ、それが原因かどうかは知らないが進学実績は余り振るわなかった。

    ファミリーマート事件
    2004年冬、当時の中3(30回生)の生徒数名が消灯後に寮を抜け出し、青雲のテニスコートの近くにあるファミリーマートに酒を買いに行ったところ、ファミリーマートにいた私服警官に見つかった。逃げて車の下に隠れる等したが結局捕まり、彼らに酒の購入を依頼した生徒とともに処分をうけた。

    賭博麻雀事件
    2000年頃、当時の中3(27回生)の寮生数名が消灯後に麻雀をしていた。そのうちに金銭を賭けるようになり、段々と賭ける金額が大きくなっていった。そして、30万円ほど負債を負った生徒が他の生徒に支払いを要求され、保護者に泣きついて発覚。芋づる式に関係者が多数処分された。

    C棟洗濯物返却室放火事件
    2004年秋の平日の朝、C棟洗濯物返却室の洗濯機横の籠にあった洗濯物から出火した。寮監や先生が素早く消火したため延焼の難を逃れたものの、洗濯物や籠、洗濯機の一部が焼け、C棟洗濯物返却室にあった洗濯物の一部がすすで汚れた。原因は生徒による放火しか考えられない。学校では厳戒態勢がしかれ、一時間目を潰して緊急持ち物検査が学校や寮で実施された。しかし、結局犯人は分からずじまい。謎の多い事件である。諸君も、放火だけは絶対にしないように。

    長崎再発見で不良達にからまれて
    中1の10月に、1日をかけて長崎の原爆資料館などの施設を班で周る、長崎再発見という行事がある。一般的に言うと、社会見学である。2002年10月のこの行事で、当時の中1(31回生)のある班が、他の学校の修学旅行生の不良達に制服のボタン交換を持ちかけられ、拒否したところ、からまれた。班員は逃走し、近くの交番に逃げ込んだ。それを見た不良達は逃走。しかし、実際のところその交番には誰も居らず、隣のスーパーのおばちゃんに警察に通報してもらった。班員が不良達の制服から知った学校名を覚えており、その不良達は発見され、警察官にひどく怒られ、地元に強制送還されたらしい。

    カラオケ大会告白事件
    2002年夏のカラオケ大会で歌った高校生が、ステージ上で、「○○(女子の名前)、好きだ!」といったような告白をした。カラオケ大会は寮監も参加しているので、その発言によりその生徒の交際が発覚し、教頭訓戒をくらったらしい。

  2. 【1066722】 投稿者: 31th  (ID:ivAUD.LgBSE) 投稿日時:2008年 10月 23日 13:55

    第七部
    大学受験~青雲生の宿命
    ● ここでは、大学受験全般について述べる。大学受験をよく知らない人でも大学受験について分かるように解説していく。


    △ 国公立大学の入学試験
    大学によって名称が異なる場合があるが、大体次の3通りである。
    ・ 一般入試
    国公立大学の生徒募集の大多数を占めるのがこの入試での募集である。いわゆる、学力試験である。ほぼ全ての国公立大学の一般入試は、全国一斉に行われるセンター試験(正式名称:大学入学者選抜大学入試センター試験。一次試験とも言う)と、各大学が独自に行う個別学力検査(二次試験)の両方を考慮して合否が決定される。

    ・ 推薦入試
    学校からの推薦は受けるが、どの高校の生徒も出願可能な公募推薦と、大学側が特定の高校に進学枠を振り分け、その高校の校長が公式に生徒を推薦する指定校推薦の二種類がある。国公立大学の入試では推薦入試の入学者枠はやや少ない。特に、指定校推薦はほとんどない。ちなみに難関大学・学部の場合は公募推薦入試よりも一般入試で合格する方が通常簡単である。指定校推薦の場合、推薦されればまず合格する。しかし、高校の成績である程度の成績を満たすことが指定校推薦枠に入るための最低条件である。一方、公募推薦の成績基準はやや軽いが合格しにくい。両推薦入試とも、学力試験の他に小論文や面接が受験者に課される。学力試験とはやや異なる能力が求められる。また、センター試験の成績が考慮される場合もある。推薦入試は第一志望ということで受けることが原則なので、基本的に合格したら必ず進学しなければならない。合否は一般入試よりも早く決まる。

    ・ AO入試
    えーおーにゅうし、と読む。AOとはアドミッションズオフィス、日本語訳すると入学課、とでも言おうか。大学の入学課が、各大学のアドミッションポリシー(学生受入方針、要するに大学の求める学生像)に合う学生を、志望理由書や面接により多面的に評価して選抜していく。センター試験の成績が考慮される場合もある。推薦入試と違い、出身高校の学校長の推薦はいらない。欧米では盛んに行われているそうで、日本では1990年に慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパスが初めて採用し、国公立大学でもAO入試枠が拡大する傾向にある。
    推薦入試との違いが微妙だが、あえて区別すると推薦入試は学校から推薦してもらうのに対し、AO入試は生徒自身が自分を推薦する、とでも言えばよいだろうか。
    AO入試も難関大学・学部の場合は通常一般入試で合格する方が簡単である。第一志望が原則なので、AO入試合格者は原則として入学しなければならない。合否は一般入試よりも早く決まる。

    推薦入試やAO入試合格は大抵の場合早めに決まり、入学前に入学前教育が行われることが多い。実際に大学で教育を行ったり、通信教育を行ったりしている。

    国公立大学一般入試までの流れ
    ここでは国公立大学一般入試までの流れについて述べる。
    センター試験は毎年、1月の20日前後の土日を利用して2日間行われる。このセンター試験を受験するためには前年の10月半ばの指定期日までにセンター試験の願書を提出しなければならない。青雲の高3の場合は、学校で一括して手続きをするので特に留意する必要はない。
    センター試験では問題冊子は受験者が持ち帰ることになっているので、答案に記した解答を問題冊子に書いておく。この際、マークミスに注意。自己採点が正確でなかったならば大変なことになる場合がある。
    センター試験を終えると、該当科目を受験した日の翌日の新聞の朝刊に解答と配点が掲載される。ホームページでも公表される。生徒はこれと自分の問題冊子に記しておいた自分の解答をもとに、自分のセンター試験での点数を自己採点で割り出す。青雲ではセンター試験の翌日の自己採点の日に学校で全科目の解答が配られるので留意しなくて良い。
    自己採点結果は自己採点した日に、青雲の場合は学校で専用の用紙が配られるので、それに自己採点結果を記入し、志望校等を書いて、学校で一括して河合塾、駿台予備学校&ベネッセ、代々木ゼミナール、そして北九州予備校に送る。センターリサーチという無料サービスで、各機関が、送られてきた結果を独自に集計し、平均点や今年の難易度、そして受験生の志望動向などを割り出すのである。河合塾、駿台予備学校&ベネッセ、代々木ゼミナールのセンターリサーチは全センター試験受験者の7割以上が参加しているのでその情報は結構頼れる。
    提出から5日以内に全センターリサーチの結果が返ってくる。各志望校における、センター試験の自己採点の点数で比べた場合の全志望者中の自分の順位や合格判定、そして各科目の平均点等が書かれた、模試の成績表のような紙が来る。
    国公立大学の出願は1月下旬から2月上旬までである。受験生はこのリサーチや自己採点結果をもとに国公立大学の最終的な出願校を決め出願する。ただ、センターリサーチで公表される第一段階選抜の合否ラインとなる点数の予想はあまりあてにしない方がよい。センター試験の成績開示は4月なので、自己採点以外に自分の点数を知る術はない。
    国公立大学の2次試験は前期日程試験、中期日程試験、後期日程試験の3日程がある。中期日程を設けるのは一部の公立大学だけであり、ほとんどの国公立大学は前期と後期の2日程でのみ入試を行っている。中には、京都大学のように一部の学部を除いて後期試験は実施せず、前期試験のみで募集する大学もある。出願は前期、中期、後期のなかから一つずつ出願でき、大学や学部はばらばらでよい。勿論、出願しない日程があってもよい。
    例えば、
    前期 九州大学工学部  中期 大阪府立大学工学部  後期 長崎大学工学部

    前期 九州大学医学部  後期 九州大学医学部
    というのも可能だし、極端な例を出せば
    後期 東京大学全科類  のみ
    というのも可能である。
    ただし、前期で東京大学の理科Ⅰ類と九州大学の工学部の両方に出願しておき、東京大学が第一段階選抜で不合格になったから前期は九州大学を受ける、なんていうことは勿論できない。出願できるのは各日程一つずつである。
    国公立大学では出願後にセンター試験の点数により第一段階選抜を行う場合がある。これは出願が多すぎて大学の受験生席が足りなくなる等の事態を避けるためである。これは出願終了後に行われ、各募集単位毎に個別に行われる。
    例えば募集人数200名の学部で第一段階選抜の予告倍率が3倍であったとしよう。これは、要するに二次試験での倍率を3倍以下にする、ということである。200(名)×3=600(名)である。この学部の出願者が500人だった場合は、倍率は2.5倍であり、3倍以下なので出願者全員が二次試験を受けられる。しかし、出願者が1000人だった場合は倍率が5倍となり3倍よりも大きくなる。この場合は第一段階選抜が行われる。この選抜はこの学部がセンター試験で指定した配点に従って受験者のセンター試験の得点を換算した点数をもとに行われ、点数の多い出願者から順に、上位600人まで二次試験受験資格が与えられる。逆に言えば、601位以下の400名は二次試験を受けることができない。この場合、2月10日頃に第一段階選抜合格者には二次試験受験票と受験者心得が、第一段階選抜不合格者には不合格通知及び納付済みの二次試験検定料17000円のうち13000円を受け取るための手続き書類が送られてくる。この時点で不合格者は他大学の前期日程試験も受験できない。だから、センター試験の自己採点と出願は慎重に行わなければならない。この第一段階選抜は東京大学や京都大学などの人気の高い大学では毎年実施されている。
    前期は2月下旬に、中期は3月初旬に、後期は3月中旬に行われる。中期はあまり知らないが、前期は学力重視の試験が、後期は小論文や面接等の、前期とは違う能力を見る試験が行われる場合が多い。多様な能力をもった学生を取りたいのだと。どのような形式の試験を実施するかは各大学の募集要項に書いてある。最も、元々前期の募集人員の数が後期にくらべて多かったが、近年はその傾向がますます強まってきており、後期は前期の敗者復活戦の色合いを強めている。

    国公立大学一般入試の受験科目
    国公立大学一般入試の受験科目は基本的に次の通りである。センター試験の詳細は第八部で述べる。
    ・ 文系
    センター試験
    外国語 国語 数学 地理歴史 公民 理科  
    * 数学のみⅠAとⅡBの2科目。他は1科目ずつ
    二次試験
    英語 国語 数学
    *地方大学では数学を課さないことも多い。

    ・ 理系
    センター試験
    外国語 国語 数学 地理歴史公民 理科
    * 数学はⅠAとⅡBの2科目。理科も2科目。地理歴史公民は地理歴史公民から1科目
    二次試験
    英語 数学 理科
    * 理科は2科目

    東京大学や京都大学、一橋大学などの一部の大学では、文系は二次試験に社会2科目が、理系では国語が追加して課される。また、上記の例は一般例であり、大学によって様々である。

    国公立大学入試の仕組み
    国公立大学の推薦入試とAO入試合格者は、その合格による入学を辞退しない限り、国公立大学の一般入試の合格者となることはできない。そのような人は、私立大学はいくらでも受験、合格できる。但し、国公立大学への入学を辞退しない限り私立大学への進学はできない。
    国公立大学の一般入試の前期日程での合格者は、合格したところに入学手続きをした場合は、国公立大学の中期と後期の試験を受験することはできるものの、合格できない。同じく、中期日程の合格者は後期日程の試験を受験することはできるものの、合格はできない。国公立大学一般入試の入学手続きには、各人が、それぞれ1枚だけしか持っていないセンター試験の受験票が必要である。入学手続きをすると、その受験票に手続き完了の印が押され、他の入学手続きは不能となる。また、誰がどの大学の前期で合格し、入学手続きをした、というような情報が国公立大学のネットワークで共有されているらしい。
    勿論、前期で合格しても入学手続きをしなかった場合は後期を受験してその合格者となることができる。前期を第一志望にするからそんなことをする人はいないと思うけど。東京大学は、東京大学前期合格者で東京大学後期に出願している者は、入学手続きの如何に関わらず自動的に後期の合格対象から外す(他大学の後期試験に出願している場合はこの特例は適用されない)など、一部大学で特例が見られる場合があるので注意。募集要項をよく読むように。この件に関しては、皆さんには関係ないとは思うけどね。
    私立大学に入学手続きをすると国公立大学の合格対象にはならない、なんていうことは断じてないのでご安心を。国公立大学に合格したが、私立大学に行く、なんていうことも勿論できる。まあ期限までに私立大学の入学手続きをしていればの話ですけどね。国公立大学グループ内のみの特例である。

    △私立大学の入試制度
    大学によって呼び方がまちまちであるが、大枠は次の3通りである。
    ・ 一般入試
    私立大学の一般入試は次の3通りある。
    ア、一般入試
    ここで言う一般入試とは、各私立大学の独自の試験だけで合否が決まる入試である。早い所は1月から、遅い所は3月まで入試をしている。
    イ、 センター併用入試
    センター試験と各私立大学の個別試験の両方の成績で合格者を決める入試である。仕組みは国公立大学の一般入試と同じである。しかし、国公立大学と違い何校でも、何学部でも受験できる。
    ウ、 センター利用入試
    センター試験の成績だけで合格者を決める入試である。受験生側としては、私立大学対策をせずに、センター試験と国公立二次試験の対策をすればよい、という利点がある。また、センター試験だけで決まるので現地に受験しに行く必要がなく、経済的にも体力的にも負担が軽減される。センター試験は全国で行われるので、いわば、私立大学の出張試験とでも言おうか。1年ほど前に、大阪の私立高校が、センター試験で優秀な成績を取った生徒に金を払ってこの方式の入試を50学部ほど受験させ、合格実績を上げていたことが問題になった。

    ・ 推薦入試
    基本的に国公立大学の場合と同様である。合格したら原則として進学しなければならない。
    ちなみに、青雲には早稲田大学の商学部、政治経済学部や文学部、そして理工学部の指定校推薦枠が1名ずつある。指定校推薦というのは大学と指定高校の信頼の問題だから、指定校推薦で大学に入学した生徒が中退や留年をしたり、その他不祥事を起こしたりすると推薦枠がその高校に回ってこなくなる。現に、青雲の指定校推薦で慶応義塾大学の法学部に進学した生徒が留年したため、以降は青雲に慶應義塾大学法学部の進学枠が来なくなった。そういうわけで、高校側も指定校推薦で推薦する生徒はかなり吟味して選ぶ。合否は一般入試よりも早く決まる。青雲は聖マリアンナ医科大学などの準指定校推薦指定校であるが、この準指定校推薦入試は公募推薦入試と同様と考えて差し障りない。

    ・AO入試
    基本的に国公立大学の場合と同様である。合格したら原則として進学しなければならない。合否は一般入試よりも早く決まる。

    私立大学の中には定員確保の手段として、推薦入試やAO入試で早めに入学確約をつけておく大学がある。なかには定員の半分以上をそれらの入試で出す場合もある。そのような所は大抵の場合、推薦入試やAO入試で簡単に合格を出すので、そのような入試で合格した学生の学力の低さが問題になっている。
    また、私立大学にはこの他にもユニークな入試制度を採用している所もある。
    ほとんどの私立大学は、国公立大学の合格発表前に入学手続きを締め切ってしまうので、私立大学を滑り止めにしたい人は、約30万円の入学金を払い込まなければならない。前学期分の授業料も入学手続き時に払い込むが、ほとんどの大学では入学を辞退するとその授業料は返還してもらえる。但し、入学金はほとんどの場合返ってこない。

    私立大学の入試科目
    一般入試では英語が必須で他に2、3科目を課す場合が多い。また、数学と小論文から1つ選択など、全く分野の違う科目から選択できる場合もある。
    センター併用入試では、センター試験の科目が2、3科目と個別試験の科目が2、3科目課される場合が多い。個別試験が小論文、なんていう場合もある。
    センター利用入試では、センター試験で2、3科目を課す場合が多い。早稲田大学などの難関大学では英語、数学、国語、理科、社会の全科目を課す場合がある。


    私立大学の出願
    国公立大学と私立大学の願書はテレメールで申し込むのが一番簡単かつ便利である。青雲の高三は秋に学校でテレメールの願書請求用の申し込み書が配られる。このサービスは郵便局やインターネットで利用でき、大学案内等も取り寄せることができる。さて、私立大学の出願期間は大学によってまちまちであるが、センター併用方式とセンター利用方式はほとんどがセンター試験前の出願となる。早稲田大学は珍しいことに、これらの入試をセンター試験後に出願できる(来年以降は変わる場合があるので注意)。ほとんどの私立大学は、一枚の願書でその大学の全ての入試方式を一括して出願できる。例えば、2008年の早稲田大学の願書の場合だと、表面に個人情報を書く欄があり、裏面に全入試方式がそれぞれマーク欄とともに記載されており、自分の受験する方式をマークしていく。
    私立大学にとっては、受験料収入は重要な収入であるので、各学部が日程をずらすなどして、金と意思と時間さえあれば全学部受験できるようになっている場合が多い。また、同じ大学の複数の入試方式に出願した場合に受験料が割引となる場合もある。個別試験は基本的に各大学のキャンパスで行われるが、大学によっては地方入試会場を設ける場合がある。もっとも、長崎に設けられることはほとんどなく、九州では福岡に設けられるのが普通である。
    話題がそれるが、大学によっては経済学部なのに数学を入試科目で課さない場合がある。これは、数学を入試科目に入れると志願者が減り(数学は好き嫌いの差が激しいからね)、受験料が減ってしまうから数学は入試科目に入れない、という裏事情があったりもするらしい。入学後の数学教育が大変らしいが。


    受験の経済学
    センター試験の受験料は3教科以上が1万8000円。成績開示希望は800円追加。
    国公立大学2次試験は1回1万7000円
    私立大学の医学部以外の一般入試は1回約3万5000円。
    私立のセンターのみで判定する入試は1回約20000円。
    私立医学部は1回約50000円。
    受験には金がかかる。

    医学部のグループ分け
    医師免許さえ取れれば医学部なんてどこでもいい、なんていうのは嘘だ。医学部は次のようなグループに分けられ、結構学閥があるのだ。一般に、私立大学の医学部は開業医の後継者の養成、国公立大学の医学部は研究者の養成、の色合いが強い。親が開業医で、親の病院を継ぐ、という人は医師免許が取れればよいので医学部はどこでも良いが、それ以外の人はなるべく国公立大学の有力な医学部に進学されることを勧める。まあ、純粋に人を助けたいだけで、患者さえいれば、自分の地位や名誉はどうでもいい、という人はどこの医学部でもいいだろうが。また、各地方では基本的にその地方の医学部が強いので、例えば大分出身なので大分で勤務したい、という人は大分大学医学部に行かれるのがよい。あくまで一般に、であり、特定の医療分野に無茶苦茶強かったり(例えば、長崎大学の医学部は原爆治療の関係で放射線系が強い)するので、各自で志望校について調べておくように。

    出典:駿台予備学校2006進学講演会資料 より
    国公立大学の医学部
    ・ 旧帝国大学
    東京 京都 大阪 九州 東北 北海道 名古屋
    ・ 旧制医科大学
    千葉 新潟 金沢 岡山 長崎 熊本 京都府立医科
    ・ 旧制医学専門学校
    札幌医科 弘前 福島県立医科 群馬 東京医科歯科 信州 横浜市立 名古屋市立 岐阜 三重 神戸 大阪市立 奈良県医科 和歌山県医科 徳島 鳥取 広島 山口 鹿児島
    ・ 新設医学部
    旭川医科 秋田 山形 筑波 山梨 浜松医科 富山医科薬科 福井 滋賀医科 香川 愛媛 高知 島根 佐賀 大分 宮崎 琉球 防衛医科大学校

    私立大学の医学部
    ・ 旧制医科大学
    慶応義塾 東京慈恵会医科 日本医
    ・ 旧制医学専門学校
    岩手医科 順天堂 昭和 東京医科 東京女子医科 東邦 日本 大阪医科 関西医科 久留米
    ・ 新設医学部
    自治医科 獨協医科 埼玉医科 杏林 帝京 北里 東海 聖マリアンナ医科 金沢医科 愛知医科 藤田保健衛生 近畿 兵庫医科 川崎医科 産業医科 福岡


    公な制度として学歴による優遇があるわけでは勿論ない。大学在学中に同級生を始め、教授や先輩、後輩との強いコネクションができ、卒業後も勤務先紹介などにこのコネクションが絶大な効果を発揮し、開業する際にも協力なバックアップが得られるそうだ。医学部についてのとある本によれば、医者からしてみれば、子供が医者になるならば、旧帝国大学か旧制医科大学に進学して欲しい、らしい。偏差値が低いから、と山陰地方の某大学の医学部に進学した場合、間違えれば一生を山陰地方で過ごすことになることもあるそうだ。これは駿台予備学校の人が言っていたこと。まあ価値観は人それぞれだから、田舎でのんびりと過ごしたい、という人はその大学に進学すれば良いだろう。


    受験生へ
    最後に、受験は君だけでやっているものではない、ということを考えておいてもらいたい。
    航空機はパイロットだけで飛ばしているのではない。確かに、実際の操縦を行い、一番目立つのはパイロットだが、航空機は客室乗務員、整備士、空港スタッフ、運行管理者、航空管制官、そして乗客、さらには航空機製造会社の人間や航空券販売代理店のスタッフ、石油会社の人間など、挙げればきりが無い多種多様な人間がいてこそ、航空機は大空へと安全に羽ばたくのだ。
    例が無茶苦茶になったが、受験に関しても同様である。
    受験生本人が主人公であるが、同級生、先生、家族、先輩後輩、そして食堂の人々、事務の人々、さらには、各模擬試験実施に関係する人々、大学側の人々など、挙げればきりが無い多種多様な人々が働いてこそ、受験は成り立つのだ。
    だからこそ、周りの人々に対する感謝の気持ちというものを常に忘れないでいただきたい。
    受験を自分だけの問題と捉えて周囲に傲慢に振舞ったとこで、大した結果は出ないね。
    受験生諸君の健闘を祈る。      GOOD LUCK!!

  3. 【1066724】 投稿者: 31th  (ID:ivAUD.LgBSE) 投稿日時:2008年 10月 23日 13:57

    第八部
    平成20年度大学入学者選抜大学入試センター試験実況リポート
    ● センター試験についての実況リポートである。


    センター試験とは
    正式名称は大学入学者選抜大学入試センター試験である。独立行政法人大学入試センターによって毎年、1月20日前後の土日の2日間を用いて行われる。平成21年度以降は、1月13日以降の最初の土曜日及び翌日の日曜日に行うよう文部科学省から通達があった。国公立大学に進学したい場合はほんの一部の例外を除いてこの試験を受験しなければならない。全問マークシート形式である。基本的な問題ばかりであるが、解答量が多い。各予備校の実施する模擬試験で感覚をつかんでおくと良い。
    例えば、
    植物の成長を促進する物質は次の①~④の中の[10]である。
    ① インドール酢酸
    ② 気合い
    ③ 愛
    ④ ペプシコーラ
    という問題があるとする(こんなふざけた選択肢はありえないが問題形式はこんな感じである)。答えが①だと思ったならば、解答用紙の解答欄の[10]の①を鉛筆で丁寧に塗りつぶす。
    数学もマークシートだが、他の科目とは一味違い、例えば
    3×12=[ウエ]
    とあれば(こんな簡単な問題はありえないが問題形式はこんな感じである)、解答用紙の解答欄のウの③と、エの⑥を鉛筆で黒く塗りつぶす。数学の問題はほとんどこんな感じである。
    国公立大学の場合は、センター試験がマークシート形式なので、二次試験では記述をさせまくる場合が多い。
    私立大学の入試でもセンター試験はかなり利用されている。


    センター試験の歴史
    元々は、個別に入学試験をおこなっていた国公立大学であるが、たまに余りにも専門性が高く受験生向けではない問題が出題されていたため、そのような出題を減らそう、と1979年から大学入試共通第一次学力試験(共通一次)が実施され、さらに各大学別の個別試験を課すようになった。この共通一次は制度がころころと変わっており、東京大学と京都大学の両方に合格して、行きたい方を選べる、という現在では考えられないことができた年もあった。共通一次は国公立大学だけしか参加できなかったが、1990年から、現在のセンター試験となり、私立大学も参加できるようになった。保護者で共通一次を受験した世代の方は、センター試験を共通一次とお呼びになることがあるが、厳密に言えばセンター試験は共通一次ではない。もっと詳しくセンター試験の歴史を知りたい方は、インターネットのフリー百科事典のウィキペディアの「大学入試センター試験」の項を御覧頂きたい。Googleで「センター試験」で検索すると3件目位に出るはずだ。

    センター試験願書
    青雲祭の午後、高三は教室でセンター試験の願書の下書きを鉛筆でする。これ以外に時間がないらしい。センター試験の受験案内は、堅苦しいかと思いきや、表紙はオレンジで意外とカジュアル。センター試験はマークシート方式だが、願書は名前を始め、全て記述式でマークする欄がなかった。下書きは回収され、担任の先生が、誤記入がないかチェックする。ちなみに国公立大学の願書の下書きは全て、私立大学の願書は希望者はチェックしてくださる。後の火曜日のロングホームルームの時間で清書をする。現役生の場合、受験料は学校に納め、学校が一括して納入、出願する。


    平成20年度センター試験日程
    平成20年
    1月19日(土)
    ・公民(現代社会、倫理、政治・経済から1つ)
    入室    9:10まで
    試験開始  9:30
    試験終了  10:30

    ・ 地理歴史(世界史A、世界史B、日本史A、日本史B、地理A、地理Bから1つ)
    入室    11:00まで
    試験開始  11:15
    試験終了  12:15

    ・ 国語
    入室    13:20まで
    試験開始  13:30
    試験終了  14:50

    ・ 外国語
    筆記(英語、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国語から1つ)
    入室    15:25まで
    試験開始  15:35
    試験終了  16:55

    リスニング(英語の筆記試験の受験者のみ)
    入室    17:30まで
    試験開始  17:35
    試験終了  18:35

    1月20日(日)
    ・ 理科①(理科総合B、生物Ⅰから1つ)
    入室    9:10まで
    試験開始  9:30
    試験終了  10:30

    ・ 数学①(数学Ⅰ、数学Ⅰ・数学Aから1つ)
    入室    11:00まで
    試験開始  11:15
    試験終了  12:15

    ・ 数学②(数学Ⅱ、数学Ⅱ・数学B、工業数理基礎、簿記・会計、情報関係基礎)
    入室    13:20まで
    試験開始  13:30
    試験終了  14:30

    ・ 理科②(理科総合A、化学Ⅰから1つ)
    入室    15:05まで
    試験開始  15:15
    試験終了  16:15

    ・ 理科③(物理Ⅰ、地学Ⅰ)
    入室    16:50まで
    試験開始  17:00
    試験終了  18:00


    センター試験受験票等
    青雲の高三はセンター試験前日に受験票等が学校で配布される。横長の紙が一枚で、受験票の他に、成績開示変更届や成績請求票がついている。受験票は切り離し、試験に持っていく。他は保存しておく。成績請求票というのは、国公立大学個別試験や私立大学のセンター試験に絡む入試等を出願する際に願書に貼り付けるものであり、各大学はこの請求票をもとに、各受験生のセンター試験での成績を大学入試センターに照会してもらう。ちなみにセンター試験の受験票は国公立大学の入学手続きで必要なので、センター試験が終わったからといって捨てないように。特に卒業前後で寮生が部屋を片付ける際に捨てるケースが結構ある。


    センター試験前日
    通常は午後11時半まで自習して12時ちょうどに消灯だが、この日は10時40分自習終了、11時ちょうど消灯であった。翌日の起床は確か、通常通り午前6時40分だった。

    平成20年度大学入学者選抜大学入試センター試験1日目(1月19日)
    31回生は全員センター試験を受験した。31回生のセンター試験会場は全員が長崎大学文教キャンパス(長崎大学本部があり、住吉の近くにある)であった。学校から貸切バスで行くか、通学生の場合は現地集合もできた。
    貸切バスで長崎大学文教キャンパスに乗り込み、入り口入ってすぐの中部講堂前で下車。他校の生徒もほとんど貸切バスで来ていた。
    この中部講堂前が青雲の集合場所であった。
    と、その時、31回生の英雄であるO楠先生がいらっしゃったのだ。彼は2003年度だけ31回生を担当なさり、2004年3月に青雲を退職なさった。その後すぐに、諫早にある長崎日本大学中学・高等学校の教頭としてヘッドハンティングされ、現在は副校長をなさっており、その高校の引率で長大にいらっしゃったそうだ。結構お年だが、精神年齢は真っ盛りの青年に近く、非常に若々しい方だ。31回生の熱烈な歓迎を受けていらっしゃった。
    ここで各生徒は各自で自分の受験教室に向かう。センター試験では、各受験会場ごとに、学校に関係なくその会場の全ての受験者をあいうえお順にして受験番号が割り振られている。ということは、自分の席の前後が同じ苗字の人であることがかなりある。
    私の受験した試験室は、長崎大学工学部第3講義室であった。青雲の教室よりやや広いかな、という感じの部屋で、この部屋で受験したのは40人だった。席は受験番号順に並んでおり、全試験同じ席で受ける。青雲の同級生は、私以外に5人いたが、席は勿論ばらばらだった。試験官は常に3名だった。しかし、1日目と2日目で試験官が異なっていた。机は水平な長机で、広さは十分。椅子は座面がやわらかいタイプだった。他の試験室では、傾いている机だった人もいるらしい。エアコンは作動していなかったが、個人的には適温であった。ちなみに長崎大学文教キャンパスで受験した生徒は総計2813名だった。大学入試センター側で全国の各地区がブロック分けされており、出願者の住所の所属するブロック内の試験会場を大学入試センターが指定してくる。指定された試験会場以外での受験はできない。

    一科目目、公民
    9時10分、定刻通り試験室のドアが閉められた。
    「これから、公民の試験を始めます」
    と試験官が言う。
    試験官の発言は一字一句マニュアルに規定されており、試験官はマニュアルを見ながら発言し、発言が完了した部分にはチェックを入れていっている。試験官独自のアドリブ発言はない。全国の数千(数万?)の会場で一律かつ一斉にこのような動作が行われているのだろう。
    大学入試センターの発表した平成20年度センター試験の資料によると、
    志願者数 543385人
    ・ 高等学校等卒業見込者の志願者数/高等学校等卒業見込者数 39.2%
    ・ 高等学校等卒業見込者の志願者数/志願者数 78.8%

    受験者数 504387人
    平均受験科目数 5.81科目
    ※ 英語(筆記,リスニング)は1科目として集計(いずれか一方の受験の場合も1科目)。

    センター試験利用大学数 777大学(国立82,公立73,私立466,公私立短大156)

    もっと詳しく知りたい人は大学入試センターの公式ホームページを御覧いただきたい。


    さて、試験に戻るが、入室完了の時点で勉強道具等を片付けるよう指示されるので、入室完了時刻以降は試験終了まで参考書なんかは見れない。荷物は椅子の下に置くように指示される。次に、試験に必要な道具及び受験票及び写真票を机の上に置くよう指示される。ちなみに、センター試験ではシャープペンシルは使用できない。使えるのは黒鉛筆(H、F、HBのいずれか)、プラスチック製消しゴム、鉛筆削り(電動式を除く)と時計(時計機能だけのもの)だけである。ちなみに、ほとんどの国公立大学の2次試験ではシャープペンシルを使用できる。そして、試験官が写真シールなるモノを配る。これは受験票の写真と署名を覆うように貼り付ける、透明で正方形なシールで、これを貼り付けることで写真の張替えが不能になる。要するに替え玉受験防止策である。各科目毎に試験官が、回収した写真票を元に本人確認を行うので、替え玉受験はまず無理。
    センター試験では、受験料を2科目以下と3科目以上で区分している。これはどうなっているかというと、受験生は受験する科目の時間に、試験室の自分の席に座っていれば良い訳だ。願書を書く時に、受験科目を書く欄があるが、これは大学入試センター側が必要な問題冊子のおおよその部数を調べるためのものであり、試験本番では申告した科目以外の科目を受験してもよい。例えば、公民は受験する気が無かったけど、試験当日になって気が向いたから受ける、ということも可能である。もちろん、規定された受験料に対する科目の範囲内ならば、追加料金はない。要するに、3科目以上受験で申し込んでいる場合は全試験科目受け放題のフリーパス状態である。勿論、同じ試験時間帯の複数の科目の解答を同時に提出することはできない。例えば、公民の試験時間にある現代社会、倫理、政治・経済の3科目は、受験者は試験時間内に全科目を解くのは問題ないが、現代社会と倫理の両方の解答を提出することはできない。提出できるのは、各試験時間毎に1科目ずつだけである。また、2科目以下受験者は3科目以上受験した場合、最初に受験した科目と最初から2番目に受験した科目の計2科目のみが有効となる。
    また、選択のある試験科目では、試験本番で自分の受験したい科目を選べる。問題冊子には、事前申告が必要な特殊科目以外は全科目同じ冊子に綴じてある。例えば、公民の問題冊子には、現代社会と倫理と政治・経済の3科目の問題が綴じてある。解答用紙は各試験科目でそれぞれ共通であり、その解答科目欄の自分の解答科目の部分をマークするようになっている。例えば、公民で現代社会を受験する予定だったが、試験中に倫理の問題を見てみたところ、現代社会よりも簡単そうなので、倫理の解答を提出する、というのも可能である。但し、解答科目欄のマークミスに注意。倫理の解答なのに、現代社会を解答科目としてマークしたら、その解答用紙は現代社会の解答用紙として採点される。コンピューターによる一瞬の採点であり、容赦はない。しかし、試験時間前後に超丁寧に何度も名前や受験番号や解答科目マークの確認があるので、普通に注意事項を聞いて確認していれば、間違えるほうがおかしい。
    さて、科目によっては、大学側が有効としていない科目がある。たとえば、数学②で、数学Ⅱ・数学Bより数学Ⅱの方が簡単だったので、そちらを解いて解答用紙を提出した、となると、大学によっては数学Ⅱ・数学Bを必須化目としているので、その大学に出願しても、指定した科目を解答していないので受験資格なし、とされる。受験者は注意するように。
    さて、この受験生にオイシイ制度であるが、大学入試センターでは、早ければ平成22年度の試験から、出願時に申請した科目しか解答させないようにする方針を固めた。現行の制度では、複数の科目の問題が1つの冊子に閉じてあるため無駄が多く、時には大量の余剰問題冊子が生じ(200万部余った年もあるらしい)、時には問題冊子が足りなくなったりするためだそうだ。要するに、この制度の恩恵を確実に受けられるのは32回生の諸君だけ、ということになる。

    話がだいぶそれたが、公民の試験に話を戻すと、解答用紙と問題冊子が配られ、名前や選択科目や受験番号を書くように超丁寧な指示があった。解答用紙は、センター模試では全科目が1まとまりとなっているが、センター試験本番では各科目毎に試験官が一枚ずつ配る。まず、解答科目をマークするように言われ、マークすると、次は名前と受験番号を書け、と一つ一つ丁寧に指示される。ここでは指示を聞き、余計な動作はしないのが無難。余計な動作をして、不正行為と言われても文句は言えない。
    9時30分定刻に試験が開始された。
    倫理で問題訂正があった。
    写真票は試験時間中に試験官が回収していく。最初に受験する科目が公民よりも後の科目である場合は、その、最初に受験する科目の時にシールを貼り付け、写真票が回収される。
    公民や地理歴史は開始から40分以内で解き終わると思う。後は、問題の見直しをしたり、解答用紙のマークに間違いがないかを確認すると良い。もちろん、問題冊子に自分の解答を記しておくのも忘れずに。後から見直していると、結構間違えを見つけたりする。解答用紙は、公民、地理歴史、国語、英語は通し番号で解答欄があるから解答を一つずつずらしたりしないように注意。
    各試験科目、終了10分前にその旨のアナウンスがある。
    10時30分、試験終了。解答科目、氏名、受験番号の確認が2回ずつある。ここまで確認しておいて間違える方がおかしい。間違えがあった場合は、勝手に書き直してはいけない。即不正行為で全科目無効になる。解答そのものを書き換えることもできるからだ。間違えがあった時は、手を高く上げ、試験官の指示を仰がなけらばならない。
    回収は試験管が各席を周って行う。各科目、受験生が自由になるのは試験終了から約5分後となる。

    二科目目、地理歴史
    公民と要領は変わらない。Bの方を必須としている大学が多いので、間違えてAを解答しないように注意。AとBで一部分同じ問題があるからややこしい(勿論AとBは問題冊子の別々の部分に印刷されている)。問題冊子の表紙に各科目の掲載されているページが印刷されているので、よく読んでおくように。

    昼休み
    寮生は寮の食堂の弁当が出発時に配られている。二日目も同様。食べ過ぎると試験に支障をきたす場合があるので、ほどほどに食べておこう。弁当は試験室で食べても、外で食べてもよい。ちなみに、受験生待合室である中部講堂内では食べられなかった。

    三科目目、国語
    要領は選択科目欄がないことを除けば公民と同じである。
    試験開始後は、まず全問題をさらっと見回した後、解き易そうな問題からといていくとよい。国語は全問題を解答するには、試験時間ぎりぎりまでかかると思うので、ペース配分に気をつけるように。

    四科目目、外国語
    ・筆記
    ちゃっかり、解答科目マーク欄があるので注意。去年、出題傾向が大幅に変わり、今年もやはり出題傾向を大幅に変えてきた。ということは、来年も出題傾向が変わる可能性が高いので、32回生の諸君は試験が始まったら、まず全問題を軽く見回し、ペース配分を考えておくように。ちなみに、傾向が変わっても必要とされる能力はさほど変わらないから特に問題はない。
    ・ 英語リスニング
    試験時間は1時間だが、最初の30分は説明であり、実質の試験時間は30分である。説明は超丁寧なので、普通に聞いていれば戸惑うことはない。試験で各受験生に1台ずつ配られるICプレーヤーは音量調節可能。ちなみに、お持ち帰り可能。1台約2000円らしい。

    一日目終了
    もう6時半を過ぎており、辺りは真っ暗である。青雲生は中部講堂前にいってバスに乗り込む。樹木にはイルミネーションが輝いており、美しい。学校に着いたのは19時40分だった。

    平成20年度大学入学者選抜大学入試センター試験2日目(1月20日)
    1日目と同様に寮生は弁当を受け取り、バスに乗り込んで試験会場に向かう。天候は雨だった。1日目の試験の解答は新聞の朝刊に載るが、自己採点しない方がよい。少なくともプラスになることはほとんどない。

    五科目目、理科①
    他の科目と要領は同じである。試験時間が多少余ると思うので、見直しをしっかりと。理科と数学は各大問ごとに解答欄が分かれており、小問も各大問毎に問題番号が割り振られているため、解答を書き易い。理科総合Bで問題訂正があった。

    六科目目、数学①
    他の科目と要領は同じである。数学Ⅰと数学Ⅰ・数学Aをくれぐれも間違えないように。数学Ⅰ・数学Aはこの形式に慣れてくれば試験時間が余ると思うから、見直しをしっかりと。私個人の見解だが、必要条件や十分条件等を答える問題は後で見直してみれば勘違いをしていた、ということが多い。

    七科目目、数学②
    他の科目と要領は同じである。解答科目に注意。数学Ⅱ・数学Bは計算量が多く、試験時間ぎりぎりになると思う。分からない問題は飛ばせ。時間の無駄だ。後から戻ってきて解いてみれば解ける、なんていうことが結構ある。全ての問題を解かなければならないのではない。標準的な問題を完全に解いて、最大限に得点することが、受験者諸君がやらなければならないことである。数学Ⅱ・数学Bは満点が取れるに越したことはないが、難関大学を目指す人でも目標点は90点ぐらいで設定しておくと良いと思う。満点で設定すると、全部解かないと気が済まなくなり、3、4点ほどの配点しかない難しい問題に無駄な時間を費やし、結局点数があまり取れなかった、ということになりかねない。

    八科目目、理科②
    私はこの科目は受験しなかったので、受験生待合室の中部行動で待機。試験室と違って、暖房が効いていた。受験しない科目の試験時間帯は、受験生は試験室から出なければならない。

    九科目目、理科③
    他の科目と要領は同じである。

    2日目終了、センター試験終了
    1日目と同様にしてバスに乗り込み、学校に戻った。翌日は自己採点である。

  4. 【1066730】 投稿者: 31th  (ID:ivAUD.LgBSE) 投稿日時:2008年 10月 23日 14:02

    第九部
    平成20年度東京大学第二次学力試験前期実況リポート
    ●平成20年度東京大学前期試験の実況リポートである。実用的な部分と、どうでもいい部分がありますが、お気になさらずに。


    東京大学出願
    センター試験が終わるとまもなく各国公立大学の出願となる。国公立大学は前期、中期、後期で各一回受験できる。ちなみに東大を含むほとんどの国公立大学は前期試験と後期試験だけである。国公立大学では出願後にセンター試験の点数により第一段階選抜を行う場合がある。これは出願が多すぎて大学の受験生席が足りなくなる等の事態を避けるためである。東京大学は人気が高く、毎年この選抜が行われている。例えば文科Ⅲ類の前期第一段階選抜の予告倍率は定員の3倍である。要するに、定員が469名であるから、その3倍の1407名までセンター試験の成績順に受験を認めるということである。逆に言えば、センターの成績が出願者中1408番以下の者は出願しても受験できない(一般に足切りと言う)ということである。2月10日頃に第一段階選抜の結果が来る。合格者には受験票が、不合格者には納付済みの受験料17000円の内13000円を返還してもらうための手続き書類が送られてくる。前期は一校しか出せないので不合格者はこの時点で他国公立大学の前期試験も受験不能になる。各人はセンター試験の自己採点と、予備校が予想した足切り点数を元に出願するわけだが、自己採点にミスがあって実際の点はもっと低かったりすると大変なことになるし、予備校の予想もあてにならないのだ。代々木ゼミナールは今年(2008年)の文科Ⅲ類の足切り予想点を734点としたが、実際は748点だった。

    東大の入試制度
    東大は法学部、工学部などの学部別募集ではなく文科Ⅰ類、理科Ⅰ類などの区別で募集を行っている。これは東大独特の制度である進学振り分け制度と深く関わっている。この制度は、例えば理科Ⅰ類は主に工学系進学コースであるが、工学何名、理学何名、さらには法学何名等の進学枠があり、大学2年前期までの教養課程の成績の上位者から希望にしたがって後の専門課程の各学部に進学できるという制度である。ちなみに24回生の方に実際に理科一類から法学部に進学なさった方もいらっしゃる。
    さて、今年は東大の入試制度が大幅に改編された。後期が文科各類、理科Ⅰ・Ⅱ類の100名一括募集となり、この試験の合格者は理科三類(医学系)を除く全類に希望通り進学できるというものである。例えば高校で理系だった合格者が文科Ⅱ類に進学することもできる。ちなみに前期は後期定員を減らした分定員が増えてはいるものの従来と同様に各類分割募集である。理科三類は前期試験しか行わない。ちなみに理科Ⅲ類の面接は今年は無くなった。東大入試についてもっと知りたい方は、東大塾(河合塾系列)のホームページを御覧ください。

    東大受験ツアー
    一月下旬に青雲現役生用東大受験団体旅行パック(東大以外の受験者も参加できるようだが31回生では一人もいなかった)の申し込みが開始される。2008年度の担当代理店は31回生がスキー合宿でお世話になったトップツアー(旧東急観光)であった。そのプラン(前期日程用)の概要をお見せしよう。ちなみに前期試験は2月25・26日であった。

     出典:トップツアーの案内書

     青雲高校 東京受験パック旅行
    2008年2月23~27日
    日程
    23日
    10:00 長崎空港一階ANAカウンター集合
    11:05 長崎空港発(ANA664便羽田行き、当日はB767-300型機が割り当てられた)
    12:35 羽田空港着
    14:00 貸切バスでホテル着

    24日 大学下見(後述)

    25日 前期試験一日目(後述)

    26日 前期試験二日目(後述)

    27日 
    8:30 ホテルから羽田空港に貸し切りバスで出発
    10:45 羽田空港発(ANA663便長崎空港行き、当日の機種はまたもやB767-300)
    12:45 長崎空港着、解散

    旅行代金 夕食・朝食各4回付き 89000円
         朝食4回付き 78500円
    (要するに夕食は一食2625円)

    旅行代金に含まれるもの
    1、長崎~羽田間往復航空券(修学旅行等で利用される学校研修割引運賃を適用したものと思われる。私が勝手に計算したところ、片道約13000円)
    2、羽田~ホテル間往復バス料金
    3、都市センターホテル4泊と朝食・夕食各4回、または朝食4回(一泊朝食付き11340円、一泊朝食・夕食付き13965円)
    4、25・26日用の弁当2回(並々の幕の内弁当、一食千円。いらない場合は旅費から減額)
    5、旅行傷害保険
    6、添乗員経費(一名が集合から解散まで同行)

    このプランはある程度自由にカスタマイズでき、例えば帰りは福岡に直行したいという人は7000円追加(受験生割引運賃を適用。搭乗日の一ヶ月前以降の予約可能運賃では最安値であり羽田福岡間約2万円、但し搭乗日当日空港で空席がある場合に利用できるスカイメイトの片道約17000円や、搭乗日の1ヶ月前まで購入できる旅割や先得割引の14000円~15000円台の方が安い。但し便変更不可等の条件も厳しいので注意。スカイマークやスカイネットアジア、スターフライヤーはもっと安かったりする)で可能で、東京に家があるので2泊分の宿泊だけ申し込みたいというのも可能である。

    東大へ出願
    大学の願書はテレメール(郵便局や電話、インターネットで申し込みできる)を使うのが一番簡単である。ちなみに受験シーズンになると学校でもテレメール申込書が配布される。
    さて、国公立大学の一般入学試験はセンター試験(一次試験)と各大学が独自に行う二次試験の合計点数によって合否が決まる(一部例外あり)。大学によって必要科目や配点が違う。国公立大学の願書提出はセンター試験後である。センター試験後に自己採点し、各予備校の発表等も参考にしてこの点数ならいける、と思った奴が東大に出願することになる。東大入試の配点比率はセンター試験:二次試験=1:4なので、二次試験さえ受験できれば逆転は十分可能である。逆に大抵の国公立大学医学部の配点はセンター試験の比重が重く、センターで失敗したらほぼ浪人確定(だからといって最後まで諦めてはいけない。二次で大逆転して受かる人が毎年数人いる)なので、センターで失敗した人は卒業まで少々気を抜いたり、センターで成功した人を妬んだりする(勿論一部の人間だけであって全部では断じてない)。東大受験コースの人でも点数的に第一段階選抜で落とされると判断した人は他大学(大体九州大学)に志望を下げる。そのような人々は東大コースから抜け行くわけであるが、今まで一緒に頑張ってきた仲間が抜けていき、東大を受けられる私としてはなんとも申し訳ないような気分がした。出願は調査書やら受験料納付書を貼り付けた入学志願書やらを入れた専用封筒を郵便局に持って行き指定された通り書留郵便速達で送る。料金が800円以上したから驚いた。

    第一段階選抜
    2月10日、前述の第一段階選抜の結果がきた。31回生(今年の現役生)では文系約30人、理系約20人の計約50人が東大に出願したが、この選抜で文系6名(理系は0名)が不合格となった。合格者のもとには東大の受験票と受験案内が送られてくる。志願票と同じ写真を受験票に貼り付ける。受験票はうすねずみ色で横長であり、私個人としては少々期待はずれだった(期待する方が間違っているのか?)。

    そして卒業へ
    センター試験後の高3では特別授業が組まれる。月~金曜5時限、土曜4時限である。東大受験生は必要科目が多く全時限にわたり授業を受けることになるが、例えば4時限目の数学は二次試験でいらないという生徒はその時間は大教室Aで自習することになる。出席に入るので授業を受けない場合でも必ず自習しなけらばならない。月~金の放課後には東大英語リスニング講座や小論文対策講座等の講座が設置され、東大受験生は大抵午後4時まで帰れない。
    私立大学は2月初旬から試験が始まるので受験旅行で抜ける生徒がでてくる。ちなみに受験旅行の場合は欠席ではなく出席扱いとなる。私立大学のセンター試験利用入試で受かる人もでてくる。しかし、例年それで気が抜けて本命の国公立二次試験で落ちる奴がいるので受かった人は「勝って兜の緒を締めよ」の精神で最後まで気を抜かずに行こう。まあ私は早稲田に受かりたかっただけで、入学金約30万円は納めていないんですけどね。ほぼ全ての私立大学の入学金納付期限は国公立大学の合格発表前なのですべりどめにしたいならば約30万円の入学金を払い込まねばなりません。ちなみに成績上位層の東大受験者は私立大学なぞに興味はないらしく、出願すらしていない。しかも31回生の東大前期志願者約50名のうちの約半数にあたる約25名が東大後期にも出願している。私にはそのような度胸はない。

    2月21日(卒業式前日)
    この日は卒業式予行があり、その後高三と教師と数名の9回生の方々で同窓会入会式が行われた。進行は9回生の方である。つまり、各年で40歳にあたる世代の卒業生が運営を担当するのである。青雲高校同窓会は2年に一度総会を開催している。今年(2008年)は総会開催の年にあたり、8月16日に長崎市の稲佐山観光ホテルで行われる(参加なさる方はちゃんと日程をご確認ください)。総会案内は全卒業生に送るらしい。ちなみに関東青雲会というのもある。こちらは関東圏在住の青雲卒業生の組織であり、結束が強く、年に一度関東で飲み会をしているそうだ。ちなみにこの飲み会には関西圏在住者も数名参加しており、この前の飲み会では理事長先生がゲストで呼ばれ、実際に参加なさったそうだ(和やかな雰囲気で非常によかったとおっしゃっていた)。あと医学部進学者専用の同窓会もある。青雲は医学部進学者が多く(長崎県内の主な病院の全てに少なくとも一人は青雲卒の医者がいると言われている)、これまでの卒業生数に対するこれまでに国公立大学医学部に進学した人(勿論浪人含む)の数の比は4対1。つまり、青雲卒業生の少なくとも4人に1人(私立大学を入れると数はもっと増えるからね)が最終的には医者になっている計算になる(ちなみに最終的に東大に行くのは12人に1人)。ここでは結構医者同士のコネクションができ、実用性に長けているらしい。
    ちなみにこの日に卒業アルバムが配られた。部活のお別れ会もこの日にある。

    卒業前夜の寮
    卒業前夜の寮は打ち上げ等の阻止(そんなもん合格してからやればいい)のために厳戒態勢がしかれ、計6名の教師が夜の寮を見張った(お疲れ様です)。そのため目立った夜遊び等はほとんどなかった。

    ついに卒業
    青雲高校の卒業式は毎年2月22日に行われる。受験後にやればいいではないかという意見も毎年出るそうだが、この式は出陣式としての色合いもあり、この日に行われている。高三は式前は記念館1階で並んで待機させられ、そして一列で体育の先生の適切な指示により式場に入る。6年前の入学式を思い出したね。さて、式は順調に進んで行く(生徒総代等の重要任務を任される生徒は成績超優秀者である)。卒業証書は手渡しではないが(239名いるから時間がかかり過ぎる)、各クラスの担任が生徒の名前を一人ひとり呼び、呼ばれた生徒は返事をして立ち上がる。卒業式でいないのは大抵早稲田大学受験者だ(この時期に試験がある学部がある)。来賓は時津町副町長や親和銀行のお偉いさん、さらには時津教育委員会委員長や時津警察署長まで豪華であった。そしていよいよ卒業生退場。また順番に従って一列に出て行く。本気で泣いている人(それだけ充実していたのだろう)や大学受験が心配で不安な面持ちの人、いつもと変わらない人、さらには私のようにやっと青雲刑務所(??)から出所できると満面の笑みを浮かべている不届き者(でも青雲は好きですよ)まで多種多様。式場を出ると教室に行き、卒業記念品の自分の苗字の印鑑(同窓会より)や昨日高2がついてくれた紅白餅などが配られ、生徒一人ひとりが一言言う。担任の先生方からも一言ずつ。そして最後の挨拶。気をつけ、礼。ありがとうございました。これで31回生の青雲生活は完結した。

    残寮、そして出陣へ
    寮生の東大受験生は卒業式の日は寮に残り(前期試験まで残寮可能だそうで、長崎大学受験者も残った。もちろん追加料金はなし)、翌日の2月23日に各自長崎空港に向かい、そこで集合して先生(文系担当と理系担当各2名ずつの計4名)や添乗員、通学生、下宿生の東大受験生と合流したそうだ。ちなみに卒業式の日に他県の実家に戻ってからこの日に羽田に集合という人もいた。一旦当日は関東が超強風で午前の便だったから何とか羽田まで飛べたそうだ。それでも1時間遅れだったそうで、午後の羽田便はほぼ全て欠航(東北新幹線も止まっていました。ということは風速20メートル以上)した。なぜ「~だそうだ」と他人事みたいに言っているかというと、私だけ残寮生の長崎発なのに別日程をとったからである。まさか東大受験パックなるものがあるとは考えていなかった私は、パック発表前に行きはJALの先得割引、帰りはANAの旅割で航空券を取得していたのだ。キャンセルしたらキャンセル料だけで購入金額の50%、更に払い戻し料金420円がかかるので財政上日程変更するわけにはいかない。しかも、コストカットのため(私は31回生の中でのケチ度はトップ3に入る自信がありますよ)試験前日の2月24日に羽田に向かい、試験終了日の2月26日の羽田発福岡行きの最終便で帰るという2泊3日(通常は4泊5日)の超強行スケジュールをとったのである。
    2月23日は寮で夕食をとった。食堂の席には各学年の縄張りというのが暗黙の了解で存在し(私はそんなもんどうでもいいだろ、と思うのだが)、西側テレビ前の旧31回生の縄張りは32回生が早速確保していた。31回生はこれまで32回生の食堂の領土(?)に結構侵入、占領していたので、これでいいのだ。最後の夕食はチキンのグリルハーブ焼き。結構うまい。入学当初では想像もできなかったメニューだ。現代フードサービス(食堂の運営会社)のたゆまぬ努力によって近年の寮の食事は大幅に改善されている。
    部屋に帰って、卒業前と同様に夜の自習をしていたところ、すでに引率で東京にいらっしゃる担任の先生から寮の私あてに電話があり、強風で明日の交通機関が乱れうる旨をおっしゃっていた。食堂ではニュースを見ておらず、初めて関東の強風について知った。もし航空機が駄目だったら新幹線、新幹線が駄目だったら大阪まで行き、寝台特急サンライズ出雲・瀬戸または夜行急行銀河(銀河はまもなく廃止になるそうです)さらには夜行高速バス(夜行の場合試験1日目の早朝に着き、試験には間に合う)とバックアップはいくらでもあるので大して心配はしなかったけどね。まさか二日間ずっと全ての交通機関が運休になるほどの強風が吹くことは日本ではないだろう。逆に、「ほほう、神風か。面白くなってきたやないか」と少々興奮気味で就寝したのだった。

    いざ、戦地へ
    2月24日、早めに起床して準備し(受験に必要なもの以外は発送したり卒業式の日に親に持って帰ってもらっていた。あと部屋のネームプレートは私は持って帰ったが、取り忘れている人が多かった)、食堂で最後の寮食をとったのだった。パンだった。そして、寮事務室に出立の挨拶をし、時津の空港行き高速船乗り場へと行った。船乗り場のおじさんが「受験だね、学校はどこなの?」と聞いてきたので「そこにある青雲というところです」と答えた(青雲生は勉強はできるが良識にかけるという評価を長崎では結構されており、私は学校名を名乗るのはあまり好きではないのだが)ところ、「青雲なら大丈夫ばい。頑張ってね!」と声をかけていただいた。長崎はいい人ばかりだ。たまに市長を射殺したりスポーツジムを銃撃したりする[削除しました]もいるけど。8時発の船で空港に向かった。高速船は海面を滑るように疾走し、8時25分に空港に定刻到着した。下船したときにも操縦士のおじさん(さっきの人とは別人)が「頑張ってね!」とおっしゃってくださった。嬉しい。本当に長崎はいい人ばかりだ。ご声援ありがとうございます。
    JALのチェックインカウンターの表示板を見たところ、航空機の欠航どころか遅れも全くなし。そのままチェックインし、手荷物を預け、搭乗待合室へ向かったのだった。しばらくすると羽田からきたJALのA300-600R型機(旧JAS機)が悠然と滑走路に降り立ち、堂々とした風体でスポット(航空機駐機場)に入ってきてとまった。これが折り返し、私が乗る10時25分長崎発羽田行きJAL1842便となるのである。10時10分、搭乗が開始され、定刻25分、ほぼ満席で300名以上を載せたこの巨鳥は動き始め、滑走路で一気に加速し、東の都へと飛び立った。フライトは順調に進行し(あまり揺れなかった)、ほぼ定刻の12時、羽田に降り立ったのだった。

    2月24日、東京にて
    羽田第一ターミナル(ほぼJAL専用。ちなみにほぼANA専用は第二ターミナル)に着いた私は手荷物を受け取った後、即ホテルへ直行する訳でもなく、30分ほど空港のJALやANA系の店を見てまわり、4725円の金属製の本格派のANAのB747-400の模型を買った。受験前なのにアホか!、とお思いになるかもしれないがあれは私の受験時のモチベーション維持のためには必要不可欠なのであった。そして第二ターミナルにいって屋上の展望デッキに行き、大空へと離陸していく航空機達をウォッチングしていたのであった。当日の東京は、一部の鉄道が運転を見合わせるほどの強風で、その風速10メートル以上の強風と格闘しながらの見物である。青雲で培った気合いがあっての芸当だ。羽田は乗降客数世界第4位の空港であるから、便数が多く機種も豊富で飽きない。予定では1時間見物する予定だったが、途中で鼻水が出始め、さすがに風邪をひいたらいけないので45分で切り上げた。B747-400を5機(しかもポケモンジェット1機を含む)、B777-300を3機見れたのでよしとするか。この時脳裏に刻み込んだ離陸のイメージは試験時の集中力発揮(一気にフルパワーで急加速し離陸していくイメージは、試験開始と同時に一気に集中力を引き上げるイメージに非常に近いのだ)に絶大な効果を発揮することになる。
    さて、地下に降りて東京モノレールの区間快速浜松町行きに乗る。勿論運転席の真後ろだ。羽田空港では地下を走行するのだが、そのときの先頭の車窓はSF映画の秘密基地のようでカッコイイ。浜松町につくと山手線に乗り換え(大都市の初めての駅での乗り換えは鉄道ヲタク以外は結構手間取るので時間には余裕をもつように。案内板は必ずあるので会社、路線、行き先等を正確に確認していけば絶対に迷わない)て、秋葉原に行き散策(オイオイ)。時間と金が無かったので憧れ(?)のメイドカフェには入らなかったが、メイドはしっかり見た。ちなみに秋葉原はオタクのイメージが強いが、日本を代表する電器店街であり、有名な電器屋が多数ひしめいている。東京の街は複雑で迷いやすいから必ず案内板や降りた駅の方角を覚えていくように。まあくもの巣のように交通機関が発達しているから迷っても適当に歩いていれば必ずどこかの駅に行き着くんだけどね。
    散策を終えると上野方面に歩き(迷いやすいからなるべく鉄道等を利用することを勧める)、まずは学問の神様の湯島天神に参詣。みんな受かれよ、俺は落としてもいいから、とお願いした後におみくじをひいた。小吉。「学業 先に見込みあり」だって。こりゃいけるわ。天神様、励ましのお言葉をありがとうございます。当日は祭りをやっていたらしく、結構混んでいた。

    次はちょっと歩いて東京大学本郷キャンパスに行った。東大の前期試験は、理系が本郷キャンパス(専門課程用。東大本部があり、大都会にある)、文系が駒場キャンパス(教養課程用。渋谷から少し郊外にある)で行われる。私は文系だから駒場で試験がある。ということは肝心の本郷が見れないので今日見ておいたと言う訳だ。そっちのほうがモチベーションも上がるし、ちゃんとキャンパスの下見をしているのだから問題ない。もう卒業してるし(卒業証書は3月1日付けだけどね)。ちなみに他の31回生は朝9時に先生方と共に各受験キャンパスの下見に行ったそうだ。南東の懐徳門から入り、散策。ちなみに試験室内は入れない。医学部や薬学部の近代的な建物が並ぶ。すごい。さすが日本で一番金のかかっている大学だ。一見、SF漫画の未来都市に来たかのような錯覚に陥った。購買部(というか中身は大規模コンビニエンスストア)が開いていたので入ってみた。電化製品から文房具、食料品、さらには東大グッズまで品揃え豊富である(金無かったから何も買わなかったけどね)。ローソンやスターバックスまで構内にある。あと宿泊施設さえあれば完全に一つの街でっせ。ちなみに、2008年度の試験当日は本郷キャンパスは全24店舗のうち12店舗(食堂も含まれている)が営業するそうだ。ちなみに駒場キャンパスは全店休業。まあ混むだろうから昼食の現地調達を企んでいる人は早めに買うか、ホテル近くのコンビニで調達することを勧める。店の営業案内等の情報は試験当日(25・26日)にキャンパス入り口付近で東京大学新聞社の方々が無料配布している臨時増刊受験生応援号を見れば分かる。他にも合格後のスケジュールやハチャメチャな合格体験記やキャンパスライフ紹介等の興味深い特集があるので、受験なさる方は是非ともGETしていただきたい。さて、ついに東大のシンボル、安田講堂に到達。意外とこじんまりとしており個人的には期待外れだった。高度経済成長期の全共闘による安田講堂バリケード封鎖&立てこもり事件によってかなり損傷し、1989年に修復されるまでの20年余りは物置となっていたらしいし。有名な赤門も個人的には大したことないし(名所と知らなければただの小さい門で片付いてしまう)。余談だが名所として有名な札幌農学校の時計台も行って見ると期待外れらしい。しかし、近代的な建物はすごい。惚れ惚れする。
    もう4時半になったので東大を出て、東京メトロ南北線東大前駅から地下鉄でホテルのある永田町へ直行。約25分で確か230円。
    永田町で降りて、改札から10分ほど歩く(改札から地上にでるまでが出口がいくつもあり複雑で長い。迷いやすいから駅の地図で出口はどこなのかを確認して出よう。確かホテルに近いのは4・5番出口だったと思う)と、宿泊地の都市センターホテルに着いた。20数階建ての近代的な高層ホテルで、下層部には会議場等があり、上層部には客室がある。ホテル内に売店は無いが、道路を挟んで反対側にファミリーマートがあり、31回生の皆様はそこで菓子や夜食を調達していた。チェックインして客室に向かう。男子には20階が、女子には19階が割り当てられていた。ちなみに学校側の規則上他室訪問禁止。しかし、規則は破るためにあると言わんばかりに私を含め数名はやっていた。但し、相手の勉学の邪魔にならないよう、時間帯等は十分配慮しなければならない。ホテルからは東京タワーや国会議事堂、そして林立する高層ビル群を一望でき、首都に来たことを実感させる。特に夜景は非常に美しいので受験なさる方は楽しみにしておいてください。私は夕食は24日だけ頼んだ(本当は全部コンビニ弁当で済ませるつもりだったが友人と一食だけは一緒にホテルで食べようと誘ってきたのでこうなった)。6時にレストランに集合。今日は和食(23日から26日までの夕食は順に洋食、和食、洋食、和食)の懐石料理で、値段に比べてまずまずの味、量だった。4人席に座ったが私の他に文系2名、理系1名(このお方は学校の式典で壇上に上られたことのある天才で、その優秀な頭脳に相応しい人格を備えていらっしゃる)で結構盛り上がった。

    さて、夕食を終えて8時には6階の会議室でミーティングである(滞在期間中毎日行われ、諸連絡がある)。この日は青雲卒で東大に進学なさった先輩方5名(全員30回生だったと思う)が来てくださいまして、受験時のアドバイスをしていただきました。ありがとうございました。結構皆さん髪を伸ばされてますね。あの合格体験記を書いたのはあの先輩か、優しそうやな、とかちょっと想像と違うなとか色々考えていた。
    ミーティング終了後は外出禁止である。部屋に帰って、風呂に入り、早速勉強をするかと思いきや、他の人ならともかく私はそんなにすばらしい生徒ではないので9時からの「行列のできる法律相談所」をみて笑っていた(現実逃避?)。しかし、長年にわたり培われた思考力が求められる難関大学の二次試験の直前に小手先の知識を詰め込んでも大した効果は上がらない(覚えていて当たり前の基礎知識を覚えていないなら別だが)と思う。過去の東大入試のリスニングで、人間は緊張したら記憶が飛ぶので、試験直前はリラックスしておくのがよいという旨の内容があった。だから試験直前に参考書を見てあれも覚えていないこれも覚えていないと焦って緊張するよりは何もせずその時を待つのがいいのではないか。東大公認論(?)だぜ(だって入学試験のリスニングで流したんだから)。航空機だって出発前は駐機場でエンジンを止めてフルパワーでの離陸に備えて羽を休めているではないか。関係ないですね。そして、10時半に消灯。朝6時頃起床なのでちょうどよい。この日は歩き回って疲れていたのでよく寝れた。

  5. 【1066731】 投稿者: 31th  (ID:ivAUD.LgBSE) 投稿日時:2008年 10月 23日 14:02

    平成20年度東京大学第2次学力試験第一日目(2月25日)
    2月25日。ついに決戦の日が来た。なんてカッコいいこと言っといて私は起床後、部屋の机の上にある昨日買った模型を見てニヤニヤしていた訳だが。6時に部屋の目覚ましで起きた。起きたらまずその旨を班長(3人一組で編成される。下見や受験会場への移動はこの班を単位として行われる。班長資格は携帯電話を持っていることである。ちなみに受験の際は特例で携帯所持が許可される)そして班長は班員全員の起床を確認後先生に報告。6時45分に朝食。全日、和洋食バイキングであるが、飲食しすぎると試験に影響が出るから注意。あと個人的に余りくどい物もたべないほうがいい。試験まで後味が残ってしまう。という訳で私はパン3つと紅茶1杯とコーヒー2杯をとった(紅茶とコーヒーは好物なのだ)。そして部屋に戻り、準備(必需品はセンター試験受験票、二次試験受験票、筆記用具(シャープペンシル可)、はさみ、そして気合い)して文系は7時40分、理系は7時50分にロビーに集合して先生のチェックを受け、弁当注文者は弁当を受けとって出発(大部分が弁当、そしてホテルでの夕・朝食を頼んでいた)。班別行動である。先生は基本的に同行しない(二日目は文系の方には同行していらっしゃったが)。言い忘れていたがこの記事は2008年度東大前期入試についてのものであり、ルールが今後変更される可能性も十分にありうる(現に今年から問題用紙を持ち帰るようになった)ので、受ける方は受ける年度の注意事項を熟読してください。
    さて、ここで二日分の試験日程を書いておこう。

    平成20年度東京大学第2次学力試験(前期日程)文科各類試験日程
    平成20年2月25日(月)
    駒場キャンパス正門開門時間 8:20~9:30及び試験終了退室時から16:15(この時間以外は閉門するとか受験者心得には書いてあるが昼休みも普通に外に出られた。但し、二次試験受験票がないと中に入れないので出るさいは受験票を忘れないように)
    国語 入室終了 9:00まで  試験時間 9:30~12:00(150分)
    数学 入室終了 13:40まで  試験時間 14:00~15:40(100分)

    平成20年2月26日(火)
    駒場キャンパス正門開門時間 8:30~9:30及び試験終了退室時から16:45(二日目も一日目と同様に昼休みも外に出られた)
    地理歴史 入室終了 9:10まで 試験時間9:30~12:00(150分)
    外国語 入室終了 13:40まで 試験時間14:00~16:00(120分)

    さて、ホテルを出て東京メトロ永田町駅へ行き、地下鉄で渋谷まで。渋谷から京王電鉄井の頭線に乗り換え(建物が離れており地上に出なければならず結構時間がかかる)て二駅で東大駒場前(各駅停車しか止まらないから注意)に。駅の目の前にキャンパスがある。到着したら各班長は直ちにそのことを携帯で先生に報告。永田町から50分もあれば普通着く。通勤ラッシュのピークは8:30~9:30なので、この時間帯を避けて早めに移動しておきたい。京王の自動改札機で、私はPASUMO(IC乗車券の一種)専用改札に、普通の切符は使えないとは気づかず進行し、引っかかってしまった。気をつけよう。
    キャンパスに着くと開門後間もないようで受験生でごった返していた。門の前では小型カイロの入っている下宿案内や各部活の案内の入ったティッシュ、東京大学新聞(無料)など色々なものをもらえるので是非とももらっておきたい(朝以外はほとんど配っていないので注意。二日目も同様)。さらには東大コーラス隊が応援歌を歌っていた。
    私が二日間でGETしたものを紹介しよう
    学生下宿年鑑首都圏版3部(うち2部には9.0cm×5.5cmの小型カイロ(ぬくっ子)が一個ずつ付属)
    資格学校の案内つきポケットティッシュ1つ
    部活・サークル案内つきティッシュ5つ
    東大応援部案内(青いクリアファイルつき2部)
    その他何もついてない案内数部
    東京大学新聞1部

    門には多数の東大当局関係者がいて、2次試験受験票を見せ、中に入る。受験生と当局関係者しか中にはいれない。つまり、保護者や引率の教師も中に入れない。
    構内に入ると各自試験室に向かう(地図は受験票とともにくる受験者心得に入っている)。受験番号は基本的に各類ごとにあいうえお順で割り振られているようだ。
    私の試験室は11号館6号室(試験室名1106)である。高さは目測4メートル、縦幅、横幅は共に青雲の大教室Aより少々広い。前方は水平に、後方は段々になっており、机はその構造にしたがって配置されていて、横長である。椅子は後ろの机にくっついている折りたたみ式で、机はこちら側に傾いている。机の横幅は十分あるが縦幅は約40cmと少々狭い。更に私が椅子に深く腰掛けても腹と机の間が20cm位しかない。暖房が作動しており、設定温度は24℃。昼休みに他の教室を偵察に行ったところ、どうやら全て24℃の設定らしい。私が受けた教室で受けたのは135名。試験官は5名。ちなみに1日目と2日目で試験官メンバーが異なる。

    一科目目、国語
    9時ちょうど、「これから、国語の試験を始めます」と試験官が言った。そして参考書等は片付けるよう指示される。机の上に置ける物等の注意などがあり、机の上にセンター試験受験票と2次試験受験票を置くよう言われる。荷物は自分の席の足元に置く。ちなみに試験官の発言はマイクで行い一字一句マニュアルで定められているようである。頑張りましょう等のアドリブは無い。完全に公平なのだ。さて、試験官が2枚の受験票の写真を照合し、透明なシールを配る。このシールは受験票の上に、写真を覆うように貼る。こうすることで受験票の写真は別人の物と取替えれなくなる。以降の試験は2次受験票だけを机の上に置けばよい。毎時間試験官が顔写真を照合するので替え玉受験は不可能。そして、試験問題が配られる。裏返してはいけない。次に、解答用紙が配られる。そして、受験番号、科類(私は文科Ⅲ類。文科各類試験問題は同じ)、氏名を記入するよう指示される。受験番号は両面に書かなければならないため解答用紙を一覧でき、国語と英語は解答用紙から設問様式がある程度予想できる。まあ今年は去年とは余り変わらなかったけどね。国語の解答用紙は縦長の一枚で第一面に第一問(評論)、第二問(古文)そして第三問(漢文)の解答欄が、第二面に第四問(随筆系)の解答欄があったと思う。各大問の配点は第一問から順に40、30、30、20点(予備校の予測だが正確なようだ)で計120点満点。そして、9時30分定刻、戦時中の空襲警報のようなサイレンが外から聞こえてきた。これが試験開始の合図らしく、試験官が「解答始め」と言って、試験が始まった。
    東大の国語は、比較的時間に余裕がある(その分答案は良く考えて書けということだろう)。まず全問題をチラッと見た後、漢文、古文、論説文、随筆系の順にそれぞれ25分、25分、55分、40分を目標時間とし、解いていった。漢文、古文は目標時間内でといたが、評論文で少々てこずり、最後の随筆系はぎりぎりで書き上げた。ちなみに各試験とも終了15分前にその旨のアナウンスがある。12時ちょうど、例のサイレンが鳴り、「解答やめ」と試験官が言う。一つの机に3人が座っており、左の人に回し、上から受験番号が若い順になるようにする。5分ほどで解答用紙回収が完了し、試験官が枚数を確認した後、二つの紙袋に入れ、それぞれを一人の試験官が持ち、退出していった。ここで開放されると思いきや、12時20分まで試験室から出ることはできない。「退室の指示があるまでゆっくりしておいてください」と試験官が言う。要するに全ての解答用紙の試験本部への搬入が完了するまで受験生は外に出さないということである。この時間帯は参考書を読んだりお茶を飲んだりできる。食事も取れる(周辺の人は結構お茶は飲んでいたが食事はしておらず少々抵抗があったが、二日目にこの時間に食事をしても試験官に何も注意されなかったので良いのだろう)。ちなみにトイレに行きたい場合は手を高くあげ、試験官の指示を仰ぐ。後のニュースで見たが航空機欠航でこの試験に間に合わなかった受験生2名に、東大は試験時間1時間繰り下げの措置をとったらしい。受験者心得によると遅刻限度は試験開始後30分となっているが、特別は事情に関しては寛容である。
    12時20分、例のサイレンが鳴り、「これで国語の試験を終わります」と試験官が言う。そして昼休み。国語では実質3時間20分、他の科目でも試験時間プラス約40分拘束されるので試験前にトイレは済ませておく。人間は緊張すると生理的にトイレが早まるので、試験前に飲み物を飲み過ぎないように注意。

    一日目昼休み
    実質12時20分から13時40分までの80分である。まずトイレに行ったが、結構並んでいた(というか、私は試験場内のトイレを使用した時は全回並んだ)。駒場で試験を受けたのは約3700人だが、それに対して受験生用のトイレは男性小便用55個、男性大便用44個、女性用83個、身障者用2個の計184個(単純に計算するとトイレの倍率は約20倍!それに比べると東大の入試倍率なんて大したことない)。試験前もトイレは結構並ぶので注意。そして食事(試験室内で取ることができる。私は前日にコンビニで調達したパンとポカリスエットを飲み食いした)をし、キャンパス内を散策。他の校舎の試験室を覗いてみると、40名ほどのこじんまりとした部屋もあったりした。しかも机は水平で、椅子はクッションつきだった。まあそれぐらいの違いで受験結果に差が出るような人間は要らん、という東大の思し召しだと勝手に解釈して納得しておこう。文Ⅰの試験室のある一号館の入り口の階段では31回生の皆さんが十数名弁当を食べながら楽しそうに談笑していた。緊張をほぐすには最適な方法ではないだろうか。構内の、北東に結構進んだ所には自販機が数台設置されていた。

    二科目目、数学
    文科の数学は80点満点で大問が4つ、各20点の配点である。例年難しい問題と易しい問題が各一問ずつ、難易度が並々の問題が2問の構成である。並びは難易度順ではなくランダムである。東大は理科Ⅲ類を除けば二次試験で50%強(文Ⅰだけはちょっと微妙だけど)得点すればまず受かる。要するに二次の問題は完全に解答することは求められていないのだ(理科Ⅲ類は神の領域なのでここでは言及しない)。解答用紙は横長一枚で第一面に第一問と第二問、第二面に第三問と第四問の解答欄があった。実施要領は国語と同様(勿論シール貼り付けは無い)。試験時間は100分である。なんとしてでも全部書き上げるか、それとも2問を完璧に仕留めるか、それともその他の戦略を採るかは実際に受験する君の判断だ。私はざっと見て数列に関する証明の第四問は難しそうだったので捨てることにし、易しそうな、積分計算の第一問と並々の、軌跡を求める第三問を全部解き(一般に完答という。ちなみに半分解くことを半答という)、並々の、確率の第二問は(1)だけ解き(2)は捨てることにした。第三問は完璧に書いたものの論拠がイマイチで終わってしまった。最後に5分余ったので第二問の(2)もちょっとだけ書いてみた。数学の記述試験は最後の答えが合っていなかったり出せていなかったりしても指針が合っており論理的な答案であれば結構良い点数が多々もらえる。さらにはちょっと書いただけでも1、2点もらえたりする。最後まで諦めずに問題に喰らいつくように。そして試験終了。退出許可は終了20分後の16時ちょうど。余談になるが、受験においては学力だけでなく、本番での自己制御力や戦略作成力なども重要である。解けない問題があっても気にせずに飛ばし、前の科目で失敗しても焦らず今向き合っている問題を全力で解く。さらには効率的に点数が稼げるように戦略を立てる。非常に重要なことである。学校のテストでいつも満点近くを取る優等生に多いことだが、解けない問題があっても解けないと気がすまないので飛ばさずに取り組み、結局解けず時間を大幅にロスし、他の問題に取り掛かっていればもっと得点できたのに、ということがある。注意しよう。

    一日目終了、ホテルへ
    ホテルへの帰りは班で集合するのは難しいため(だって3700人が一気に帰るんだぜ)、各個人でホテルに帰り、ホテルのロビーで先生に到着チェックを受けることになる。私は帰りにホテル前のコンビニで今日の夕食と明日の昼食を調達しておいた。そして、部屋で夕食のカップヌードルを食べようとしていたところ、友人から電話があり(ホテル内内線は無料)、一緒に外に食べに行くこととなった。6時頃で、外はすっかり夜だったが、二人で夜の永田町に繰り出したのだった。いかにも高級官僚や政治家が宴会をしていそうな高級料亭からおなじみのフャーストフード店まで様々な店がある。さすが日本の中枢、永田町だ。牛丼チェーンの松屋に入った。カルビキムチ丼定食(並盛り)490円を注文。まもなく料理がきた。どんぶりと味噌汁のセットだ。食べてみるとこれが非常にうまい。490円じゃ安すぎると言いたくなったほどだ。そして大満足で店をでて、モスバーガーで夜食のモスバーガーを買ってホテルに戻った。夜の林立する高層ビル群は、航空機衝突防止のために随所についている赤色灯が点滅し、非常に幻想的だ。そのまま友人の部屋に行き、半年ぶりに名探偵コナンを見た。8時からミーティングがあり、終了後はまたもや友人の部屋に滑り込み、新番組の、人生が変わる1分間の深イイ話を見ていた。10時に部屋に戻り、風呂に入りチェックアウトの準備をして11時就寝。しかし、なぜか寝付けず、部屋の電気をけして東京の夜景を30分ほど眺めていた。超大都市の夜景は幻想的でいくら見ても飽きない。東京の夜景もあと数年は見ることも無いだろう。しっかりと脳裏に焼き付けておいた。その後ベットに横になるがやはり寝られず、結局3時間半しか寝ていない。

    平成20年度東京大学第2次学力試験第二日目(2月26日)
    一日目と同じように起床し、朝食を取り、試験終了後はそのまま帰るのでロビー集合前にチェックアウト手続きをしておいた。そして試験会場へと向かったのだった。ちなみに今日の昼に引率の先生(4名)は全員長崎に帰る。これ以降解散までは旅行会社の添乗員が生徒を管轄することになる。

    三科目目、地理歴史
    9時ちょうど、四科目目の英語のリスニングの放送機器テスト。正常に聞こえるならば試験官はそれを本部へ報告する。この時に二系統の独立した放送系統を用いてそれぞれ一回ずつ、計2回英語音声が流れる。音声の聞こえ具合はこんな感じか、と把握しておくと良い。私の受けた試験室は前方の壁に4基、天井の随所に多分計6基のスピーカーがついていた。地理歴史の試験は9時10分開始。さて、地理歴史は地理、日本史、世界史の中から2科目を出願時に選択しておく(科目変更不可)。各科目60点で計120点満点。150分で二科目あわせて解くので片方の科目を100分で、もう片方を50分で解くという極端なケースも可能である。解答用紙は各科目同じもので一枚ずつ計2枚あり、両面印刷で第一面に(イ)欄と(ロ)欄、第二面に(ハ)欄と(二)欄がある。その解答用紙で解答する科目を書き、解答用紙上側の淵にある、解答科目の書かれた三角の部分をはさみで切り取る。夏と秋に3回ずつある東大模試の解答用紙もそのような仕組みになっているので慣れる。受験者心得には大学側は忘れ物をした場合の代用品の貸し出しはしないと書いてあったがはさみを忘れた人が数名いて、ちゃんと貸し出していた。しかし、なるべく忘れないようにしよう。貸し出しはさみはわざわざ試験官が席までもってこなければならず、時間がかかるから。
    9時半試験開始。私は地理と日本史を選択していた。ちなみに問題冊子は3科目が一冊に綴じてある。問題冊子を軽く見回し、得意な地理から解くことにした。解答目標時間は地理と日本史それぞれ70分ずつで設定した。前日は3時間半しか寝てないわけだが、集中力に影響はなく(人間は本番に強いものだ)、逆に少々意識がもうろうとして邪念が入らず集中力UPに貢献。だから、試験本番の前日に余り寝られなかった人も別に心配しないでよい。まあよく寝れることに越したことはないけど。地理歴史は解答欄を自分で作成しなければならない。第一問は(イ)欄に、設問別に改行して解答しなさい等と書いてある。イロハニの各欄はマス目だけが印刷してあって、それに設問A(1)などど問題番号をかかなければならない。これも東大模試を受けているうちに慣れる。ちなみに各欄は30字×20行である。草稿用紙が問題冊子に付いているが草案を書いていると時間が無いので私はそのまま解答用紙に書いた。東大模試は記述が多いのでかなり嫌いだったが、本試験ではいつの間にか問題に没頭していた。人間は本番は普段以上の力が出せるものですから皆さんも心配しなくていいです。久しぶりに頭脳を高速回転させた。日本史なんかは第三問の課題文の内の一つが何を意味しているか最初はちんぷんかんぷんだったが、考えているうちに、これは囲い米を意味しているんや、と分かった時の快感はたまらなかった。東大を受ける君は、東大入試を受かる・落ちるの次元では考えずに、日本最強を誇る東大の頭脳が結集されて作られた、日本最高峰の問題を堪能して、頭脳を高速回転させる快感を味わってほしい。まあ受かるための戦略はしっかりと練っておきましょう。さて、地理歴史は12時終了、12時20分退室許可。

    二日目の昼休み
    食事を解放前の時間に取ったこと以外は一日目とほぼ同じように行動した。結構受験生は外に出てリフレッシュしている。さて、試験前の教室で受験生を観察してみると、お茶を飲んだり菓子を食べたりしている奴、参考書を見たり電子辞書をいじくったりしている奴、携帯電話をいじくっている奴、寝てる奴、私のように帰りの航空機のことで頭がいっぱいの変人まで多種多様な方々がいる。

    四科目目、外国語
    私を含め、大半の受験生の受験科目は英語なので、ここでは英語について述べる。ちなみに英語以外の言語を選択した受験生は特別な受験番号が割り振られ、全科目について試験室が違う。13時30分ごろ、再度確認の音声が流れるが、これは日本語なので余り練習にならない。試験開始前に解答用紙を見れるから必ず解答欄を一覧しておこう。例えば第一問の設問Aの要約問題は何字で書けばいいか分かるし、第二問の英作文はそれぞれ何字程度なのか解答欄の行数で見当がつく。あとは余り見当はつかないが、第3問がリスニング、第四問が文法と英文和訳、第五問が総合読解というのが近年の傾向。今年もその形式だった。解答用紙は縦長の両面印刷が一枚で、第一面に第一問、第二問、第三問の解答欄が、第二面に第四問、第五問の解答欄があった。14時、試験開始。リスニングは試験開始の45分後に約30分流れる。ちなみに各放送文の間には一分間の空白がある。リスニングはその開始の5分前から設問を予め見ておけば、事前に放送文の主な内容がほぼ掴め、何を聞き分ければよいかも分かる。見ているのと見ていないのでは格段の差があるのだ。また、間にリスニングがあるため戦略が超重要である。例えば読解総合問題を解いている途中でリスニングが始まったら読解した内容をリスニング終了後にはかなり忘れてしまっているということもありうる。個人的にはリスニング開始直前は各問いの関連性が余り無い第四問の文法問題を解く時間に充てるのが良いと思う。私は第五問、第四問、第三問、第二問、第一問の順で解いていった。個人的に、リスニングは一般に言われているほどは音質は悪くは無い。29回生の方で、リスニングは放送を聞かずに選択肢だけを読んで解答し、あまった時間を他の問題に費やしたという強者がいらっしゃった(文科Ⅲ類に現役合格なさった)。大胆であるがそれも戦略のひとつである。リスニングは放送英文書き取り等の記述式も数問あるが、基本的に4つの答えから一つを選ぶ記号問題。リスニングの配点は一問2点×15問の30点であるから、適当に選択肢を選んでも運が悪くなければ7点はとれる計算になる。ちなみに解答用紙には地理歴史と同様に選択科目(英語、フランス語、ドイツ語等)の三角欄があり、試験開始前ではなく試験中に切り取らなければならない。私を含めて試験開始前にはさみを出し忘れる人が多かったので注意(後で許可されたけどね)。試験終了後に欄切り取りの確認があるが、切り取り忘れた人が全体の4分の1以上いた。そういう時は手を高く上げて試験官の指示に従って切り取らなければならない。勝手に切り取ったら不正行為とされても文句は言えない。16時、試験終了。開放感が試験室内に満ち溢れた。開放は例外的にこの時間だけ他より5分遅く、16時25分。開放までの間に全員に合格後の諸手続きについての冊子が配られる。合格発表から入学手続きまでの期間が短いためこのように予め配っておくんだって。

    帰還
    構内入り口付近の案内板付近で今日中に家に戻る友人と待ち合わせ(他の人より一足早く、試験終了日に家に帰るのは私と彼を含めて4名)、東大駒場駅から京王線に乗り(ホームの前の方は受験生でごった返しているが後ろの方は空いている)渋谷へ。渋谷からは山手線で品川へ。品川駅は改札内に立派なレストランやコンビニ、さらには本屋などの店が多数あって(改札外ではなく改札内だぜ)圧巻された。さすが東の都。田舎者の私を最後まで楽しませてくれた。ここで、友人とはお別れ。品川からは京浜急行電鉄の羽田空港行き急行に乗り換え。勿論運転席の真後ろに陣取り、首都の景色を堪能したのだった。そして羽田着。早々と搭乗ラウンジへ入った。しかし、新千歳(北海道)が大雪のため一時封鎖され、かなりの便に遅れが出ていた。新千歳便が遅れても福岡便には影響は無いだろうとお思いになるかもしれないが、実はもろに影響がある。航空機は日本中を飛び回っているわけだから、新千歳から羽田に来た機体が引き続き羽田発福岡行きになるということもざらにある(私が搭乗予定のANAのB747-400D型機もそのような運用が組まれていた)ので、新千歳でその機体が足止めをくらうともろに福岡行きに影響が出るのである。他の行き先の便にしても同様で、その日の航空ダイヤはかなりの路線で乱れまくっていた。要するに、一箇所が乱れれば(特に新千歳のような便数の多い大空港が乱れれば)日本中の航空便のダイヤが乱れまくるといっても過言ではない。ANA271便羽田発福岡行きとなるはずのB747-400D型機は出発予定時刻の20時05分になってもまだ姿を見せない。55分遅れで出発は21時だそうだ。まあその分できて数年しか経過していない超未来的な羽田空港第二ターミナルビルを見て周れたし、通常はありえない22時以降の福岡空港への着陸(騒音の都合上、通常は22時までしか着陸してはいけない)、さらに気流が乱れまくっているからかなり揺れるとのこと。ほかの乗客(東大受験者と思われる人も結構いた)はため息を漏らしていたが、私としては嬉しいことこの上ない。受験のご褒美なのだ、と勝手に解釈した。20時25分、ようやく機体が姿を現した。二階席と四基のジェットエンジンという独特なスタイルで有名なジャンボ機である。ちなみに新品は一機約200億円する。私は希望して2階席に乗った。椅子は3人掛けで、隣同士となった私と出張帰りのキャリアウーマンと東京観光から帰る私より一つ年上の好青年盛り上がりまくり、楽しいフライトだった。親には夜遅くなるからネットカフェにでも宿泊して翌朝に帰ると連絡したにも関わらず夜11時に空港まで迎えに来ていた。ネットカフェにどういうイメージを抱いているのであろうか。私に言わせれば夜間は格安の宿泊施設なのだが。まあこうして私の超過密スケジュールの東大受験は完了した。さて、正常な人間ならば、試験の二日前に現地に行き、試験翌日に帰るという余裕のある日程を組みましょう。私のような変人以外は、超過密スケジュールは受験にもろに響きますから。


    合格者発表
    東大前期入試で、幸運にして合格した方には、レタックス(電子郵便)で合格通知が3月10日に届くそうですよ。6年前に久留米大学附設中学校の不合格通知を運んできたのがレタックスなので私はレタックスは嫌いなんですけどね。
    運悪く不合格となった方には、数日遅れて速達で2次試験の科目別得点、総得点及び判定(不合格Aや不合格B等)が来るそうですよ。
    合格した方は、入学後に、東大の入試センターに受験票と身分証明書をもっていけば入試での点数を教えてもらえるそうですよ。
    え?私はどうなったかって。そんなもんどうでもいいでしょ。
    大切なのは君が合格することだ。
    明確な未来像、国をリードする意志、熱い情熱をもつ君には是非とも東大を勧める。
    東大は私のような人間が行く大学ではないんでね。
    プレッシャーなんかに負けんなよ。私の感覚では、生まれてから今まで、問題を解いてきた中で、東大の本番で問題を解いている時が一番頭を使ったし、一番面白かった。
    日本最高峰の問題を楽しめ。東大受験生の諸君よ。
    Boys Be Ambitious!Boys Be Ambitious!!
    コラッ、ソフトバンクごっこは止めなさい!


    第十部
    入試統計資料
    ● 平成20年度入試で国公立大学の推薦、AO、そして前期入試に合格した31回生(平成20年度卒業生)の生徒を統計した。浪人は含まない。


    この統計には国公立大学後期試験や私立大学の合格者は含んでいない。が、どの試験も学力を測るものであるから、各種別の相対的な割合はこの資料とほぼ同じであろう。後期は前期よりもやや募集人数が少ないため、前期ほどは受からない。通常、国公立大学を第一志望とするので、合格者数は進学者数と考えていただいて差し障りない。各割合は、各集団における割合(百分率)である。
    旧高は旧高、新高は新高男子、女子は女子を示す。割合は、百分率で、小数第1位を四捨五入したものである。

    青雲高等学校31回生卒業生数 
    239名(旧高138名、新高52名、女子49名)

    東京大学 15名
    旧高 7名(5%) 新高 4名(8%) 女子 4名(8%)

    九州大学 9名
    旧高 3名(2%) 女子 6名(12%)

    国公立大学医学部 11名
    旧高 4名(3%) 新高 2名(4%) 女子 5名(10%)
     
    国公立大学合計 52名(22%)
    内訳 旧高 26名(19%) 新高 11名(21%) 女子 15名(31%)

    文理別(31回生文系84名、理系155名)・国公立大学
    文系 21名(25%) 理系 31名(20%)

    男子(計190名)寮生通学生別・国公立大学
    寮生 21名(16%) 通学生 16名 (27%)

    男子寮生通学生別・東京大学
    寮生 5名(4%) 通学生 6名(10%)

    男子寮生通学生別・国公立大学医学部
    寮生 4名(3%) 通学生 2名 (3%)


    統計の数値を挙げた。私個人の解説はしない。この統計をどう解釈なさるかは貴方次第である。





    お知らせ 卒業後の各種書類の請求について
    例年、規定外の方法で請求があり、手間がかかっているそうなので、卒業後の各種書類の請求方法をお知らせします。

    ○ 調査書
    12月になってから請求すること。日付の古いものは使用できない。
    ・必ず本人が依頼すること。
    ・すぐにはできないので、必ず事前に電話などで連絡しておく。
    ・その場合、出願大学名・学部・学科などを報告する。
    ・来校して、調査書を受け取るとき、代金を支払う。1通300円。

    止むを得ず、郵便で依頼する場合
    高三時の担任の先生宛に、
    ・ 返信用封筒(住所・宛名明記、切手貼付(調査書2通まで120円切手、3~6通まで140円切手、7通以上200円切手)、調査書が入る大きめの封筒=角3形の封筒にする)
    ・ 出願大学名、学部、学科の報告(近況報告もお忘れなく)
    ・ 代金 1通につき300円。郵便局で小為替を作成してもらって同封。
    の3つを送る。
    数日間のゆとりを見て依頼すること。(郵送日数を考える)
    入手したら、その旨、はがきなどで折り返し連絡すること。


    ○ 卒業証明書など
    ・ 本人が直接来校する場合
    事前に連絡して、事務室受付にて請求。(1通100円)
    ・ 郵便で依頼する場合
    事務室宛に、使用目的・卒業年次・回生・組・氏名・高三時の担任の先生名を明記の上、返信用封筒(住所・宛名明記、切手貼付)と代金(1通100円。郵便局で小為替を作成してもらって同封)を添えて依頼。なお、返信用封筒がない場合は、請求に応じられない。

  6. 【1102113】 投稿者: 31th  (ID:ivAUD.LgBSE) 投稿日時:2008年 11月 25日 20:57

    補足 青雲中学校は2009年に行われる入試にて、従来の男子のみ150名募集を改め、男子120名、女子30名の募集とし、青雲中学校は共学化されます。

  7. 【1118294】 投稿者: 卒業生  (ID:ivAUD.LgBSE) 投稿日時:2008年 12月 11日 14:16

    不朽の名作”青雲な日々”も転載しておこう。大先輩がお書きになられたものだ。


    青雲な日々

    最終更新日:1996年09月01日

    * 説教をしていた体育教師Kが、聞いていなかった中学生たちに怒鳴った。
    「そこの中3!お前ら何年か!!」


    * 持久走をやってると、一人の生徒が苦しそうに腹をおさえ、Kに訴えた。
     「先生、ミトコンドリアが痛かとですが、休んでよかですか」
     おぉ休め、と彼は快く承知した。


    * 柔道の畳上げのとき。監督していたKはあごを撫で、言った。
     「一人一枚じゃあ効率が悪いな、二人で二枚運べ!」


    * 「先生、今日もエンプティーヘッドがキマってますね」
     とある生徒に言われ、Kは、そうかワッハッハと笑っていたが、後で意味がバレ、 犯人は呼び出され百烈ビンタを食らった。


    * ウチの学校では数学はαとβに分かれていた。
    数学αの担当をしている頭の涼しげな先生は、アルファゲと呼ばれ、親しまれていた。


    * 体育教師Tは、「万物は気合いだ!」と名言を吐いた。


    * さらに今度は、体育教師 O。
    「何だ、このぉー。いいかげんな態度ですんな、このぉー。そういう態度をなんていうか、知っとるんかぁ?んー?」
    「............」
    「い・い・か・げ・ん っていうんだよ!」
    ......そのまんまだろ。


    * 漢文を教えていた温厚なYは、大変心地よく寝られる授業で評判だった。
    そして、若かりし頃生徒に教卓を投げつけたという神話を残したまま、
    僕らの代で退職した。さようなら、Y。


    * 再びK。雨天のため格技場をぐるぐる走らされる生徒たちに、彼は叫んだ!
    「もっと四角い円をかいて走れ!」


    * 夏場、教室に冷房が入る。
    それはいいが、ものの限度を知らない我校では凍死しそうな冷気が局部的に停滞し循環しないため、
    窓際の熱帯から空調直下の寒帯まで揃った、気候分布図が生徒たちを苦しめる。
    なお、温帯はない。


    * 青雲学園校歌3番の出だし:

            ♪輝くひとみ 振る腕(←腕は「かいな」と読むらしい)
             騰がる雄叫び 激る胸 ...

     ......一体、何をしているのだ。


    * 学校の寮は四人部屋で、二階立てベッドだった。
    幸い、ホモはほとんどいなかったようだ。


    * ある柔道部員は睡眠中、二階のベッドから転落、受身を取り、 そのまま床で寝ていたらしい。


    * あまつさえ彼は寝ぼけて下のベッドにもぐり込んだため、 下の住人は忘れられない朝を迎えることとなった。


    * 数学教師 Iは、自習監督と称して教卓で居眠り。ふと目を覚ますと、一喝。
    「誰か、そこで寝とるのは!」
    ...あんただよ。


    * 「催眠術師」の異名をもつ Nは、ラリホーを使う恐るべき教師だ。


    * かなりの高齢である理事長が、卒業式で長々とスピーチ。
    「えー、ですから、先ほど申しました孔子の言葉にもあるように...」
    孔子の話など誰もしてないぞ。しっかりしろ、理事長。


    * 寮の四階の窓からパイプをつたって降りてきて、「逆も可能」と言い残し、再び登っていった奴がいた。


    * 元自衛隊機甲部隊隊長の化学教師 Mは、兵器の話をしだすととまらない。


    * どうしても世界史の時間寝てしまうT(私ではない)は、テープレコーダーを持ち込むことにした。
    が、しかし、授業は録音されておらず、入っていたのは一声、
    「起きんかタ@カァーーーーーーーッ!!」


    * Tは、授業中横揺れ最大角度150°というその豪快な眠りっぷりから、またの名を 戦艦大和と呼ばれていた。


    * 類は友を呼ぶというか、あるクラスでは廊下側の奥の一角では居眠り常習者が固まっており、
    古文の時間などはそこだけ 地盤沈下を起こしていた。 大和を筆頭に彼らを、人は 無敵艦隊と呼んだ。


    * 校長室の掃除当番は、「ここだけ立派で腹が立つ」と、 毎回その敷き詰めてあるぶ厚い絨毯をむしっていくのを欠かさない。


    * 青雲高校空手部。冬のあいだ、主な活動はカバディ。


    * 四限目が終わると、学食に向かって生徒の大移動が始まる。
    津波の如く廊下を駆けていくので、新入生がうかつに教室を出るとひき殺される。


    * 夜中に寮の廊下を走り回っていた Eは、消火器を蹴り倒してしまい、消火器は大破。
    Eはシカトを決め込んで部屋に戻り、寝てしまった。
    ...翌朝、寝ボケた寮生達は廊下で「雪だ!」と騒いでいたらしい。


    * 教室の掃除が終わったら、ゴミを体育館裏の焼却炉に捨ててくることになっているのだが、
    どこの世にもうつけ者はいるもので、時々クラスのゴミ箱が焦げている。


    * それならまだしも、翌日ゴミ箱がなかったことがあるらしい。
    当番の奴に聞くと、「燃えた」そうだ。


    * 文部省のカリキュラム変更により、家庭科が導入されることになった。
    「家庭科室」と名を変えたのは、元第二化学実験室だった。


    * 僕らの代では、時間割に「家庭科」と書いてある時間に代数幾何をやっていた。
    文部省が恐くないのか、この学校。


    * "ゴーバック"なるトレーニングの説明をする、我らがK。
    「いいか、笛を吹いたら走っていって、もう一度吹いたらこう、90°回転して...」
    と言って彼は180°くるりと反転し、「そしてまた笛を吹いたら、また90°回って...」
    とやはり180°回り、混乱する僕らをしり目に走り続けた。


    * 桃屋のコマーシャルに出てるメガネの人に似ている N、愛称は「ごはんですよ」。
    一度、バレーの試合中背番号5を付けた彼に「5番ですよ!」とエールを送ったら、キレた。


    * センター模試の自己採点中、クラスメートTは言った。
    「あ、なんかやけに合っとると思ったら、ひとつズレとる」


    * 四択問題であるセンター模試で25点を割った生徒に、担任のIはこう助言した。
    「よかか、お前が合ってると思う答えは除いて、残った三択でどれか選べ」
    ......適切なアドバイスだった、と生徒は振り返る。


    * 突然ある日、Kは体育館の横にあるグラウンド(バレー用)に芝を植え出した。
    「一面緑の芝の上で、ウェイトトレーニングでもやったら、最高だろが。思わんか」
    ...思わない。


    * 「今日の体育は、芝を植える!」 ......なぜ、オレたちが?!
    「地面が固いので、まず掘り返すぞ!!」と、Kが僕らに配った道具... それは、クワ。
    そして僕らは受験生。


    * 「先生、道具が足りません」「じゃあこれを使え!」
    戻ってきた生徒はこうつぶやいたと言う。
    「......どがんしてツルハシで土ば掘るとか?」


    1996年12月22日更新


    * 寮の省エネについて語るK。
    「いいか、早めに電気を消して、一日5000円節約できるとしたら、一週間で、
    ......えー、25000円か!」
    週末は電気使わないのか。


    * 自習時間に部屋の見回りをしていた Kは、とある3人部屋で全員が寝ているのを発見し、激怒。
    「おい起きろ!3人合わせて腕立て百回しろ!」
    「…一人何回ですか?」
    「25回に決まっとるだろう!!」
    もちろん誰も異存はなかった。


    * 同じ九州でも、実は出身県によるカースト制が存在する。
    中でも、福岡の植民地、属国、農業県などと言われる佐賀県出身者に対する迫害は凄まじいものがある。
    「今年はどう?豊作?」
    「やっぱ通学にはトラクターだよな」
    「お前は田植えしてろ」
    ......佐賀に生まれなくてよかった。


    * さらに、体育でソフトボールがあると、黒板に
    「ホームラン競争: ○△ ‥ 15本」などと書いてあるのが、佐賀県民だけ
    「田植え: ○△ ‥ 15本」と書き換えられるという、陰湿な攻撃も行なわれる。


    * 七夕のシーズンになると、青雲では「一日6時間自習!」といった、やたら夢のない短冊が飾られるようになる。


    * ある朝の校内放送:
    「昨日、焼肉をして寮の火災報知機を鳴らしたのは私です、すみませんでした」
    寮監の声だった。


    1997年01月08日更新


    * 「今回の数学のテスト、最高得点は97点だった」
    そう教師が告げると、クラス中からえ〜何だよ、誰だそいつ、といった声が洩れる。
    中でも Nは頑張って、「ふざけんな、誰だコラ出てこい!!」と大声を出す。
    教師は言った。「お前だ」
    Nは、クラス中から蹴りの洗礼を浴びた。


    * 青雲の寮に設置してあるジュースの自販機は、県で二番目の売り上げを誇る。


    * 体育教師 K、3連発!!
    まずは「そこの黄色い白線に並べ!」


    * さらに「A、B、C、Dの三班に分かれろ!!」


    * そして、「雑巾をふくときは、もっとタイルをしぼらんか!!!」


    * 学校の中庭に、1000万かけて人工芝をはり替えたとき。
    翌日できた注意書き:「摩擦の起こる運動、禁止」


    1997年01月21日更新


    * ある日の6時のトップニュース:
    「長崎県私立青雲高校が、来年より女子の編入を認めることになりました...」
    ちょっとまて。


    * それにしても、長崎は平和だ。


    * 青雲では、毎日の学習時間を「学習記録」なるものに記入しなければならない。
    青雲生たるもの、水増し申告は必須テクニック。


    * 学習記録には「一日の反省」欄があるのだが、皆だいたい白紙で提出する。
    たまに何か書いても、「眠い」、「だるい」、「茶がうまい」など、実に人間臭い反省が書き込まれている。


    * 学習記録は週の始めに集めるので、月曜の朝は必死に一週間分の「勉強したつもり時間」を創作する生徒があちこちで見られる。
    「国語4時間...っと.....んー、ちょっとウソくさいなぁ」
    「すげえ、見ろ、オレ昨日数学5時間も勉強したのか」
    「日曜に英語8時間!!うわ、これはきつい!」
    青雲生は想像力豊かだが、遠慮というものを知らない。


    * 月曜の朝、学習記録を見つめるクラスメートに声をかける。
    「どうした、時間数が少ないならとりあえず2倍しとけ」
    彼は一瞬遠い目をすると、言った。
    「何倍したって、ゼロはゼロ......さ」


    * じゃあ足しとけ。


    1997年02月18日更新


    * 寮にて。
    ある夜、柔道部員Tは「腕立て、100回〜」と寝言を言うと、
    ふいにはね起き、二、三度腕立てをすると、「よし」と満足げにうなずき、 再び寝てしまった。
    ...翌朝、彼は何も覚えていなかった。


    _* 真夜中に、ふいに武田鉄矢の「送る言葉」が大音量で寮部屋で流れ出した。
    何事かと飛び起きると、音楽は柔道部員Tのベッドから。
    「タ×××、武田鉄矢、鳴ってるよ」
    「......ああ、分かった分かった」
    「........」
    「タ、タ×××さ」
    「ん?」
    「止めんね、武田鉄矢」
    「ああ、止める止める」
    「.........」(バックで、「送る〜ことばぁ〜♪」と流れ続ける)
    「タ×××、流れとるよまだ」
    「ん?」
    「いや、武田鉄矢がさ、まだ流れとるって」
    「ああ、悪い、ゴメンゴメン」
    「.........」(バックで、「♪送る〜ことばぁ〜」)
    「なあ」
    「ん?」
    .............こうして不毛な押し問答が続けられ、いつしか武田鉄矢は止んだ。
    ...翌朝、やはり彼は何も覚えていなかった。


    * 卒業するとき、「卒業の一言」みたいなものを書く。
    制限字数は22字。にもかかわらず、毎年大量の発禁処分が出る。


    * 数学教師Kは、Jリーグふりかけの袋を机に順位順に並べることを日課としていたが、
    学年主任Iに「アホ」と片付けられた。


    * 弟の担任は、来たるべき「世界の終わり」に備え、毎日自転車で通勤しているという。
    が、世界の終わりに自転車で何をするつもりなのだろう...。


    * 「ちょっと来んか」と英語教師Iに廊下でいきなり呼び止められた。
    「○△ばよう見てみろ。イチローによう似とるじゃろうが」
    「は、はあ」
    いえ、ていうかそいつのアダ名は「モンモン」です...とはちょっと言えなかった。


    * ビンタを食らうとき、首をねじって勢いを殺すという高等テクがある。
    が、素人がやろうとすると、ときどき逆にひねってカウンターを食い、ダメージ2倍。
    ...なあ、Hよ。


    1997年05月20日更新


    * 帰省ついでに東京に来た某青雲生。彼はたまたまスーツを着て、
    実家へ帰るために深夜タクシーで空港に向かった。すると、運転手は言った。
    「お客さん、出張ですか?大変ですねぇ」
    当時中学生だった彼は、ひどく傷ついた。


    * 現国の時間。やっていた問題はヨーロッパ絵画についての小論だった。
    「じゃあF、読んで」
    ゴリラに似ているとの評判があったFが「ゴッホ」と発音するたび、教室は爆笑の渦に巻き込まれた。


    * センター模試の数学で、「12分の5ルート3」という解を勘だけで当てた奴がいた。
    大学入試センターの教育方針は絶対間違ってると思った。


    * センターの、英語の試験のとき。試験官が突然こんな注意を出した。
    「えー、発音の問題だからといって、声に出さないように」
    そんな奴いるか!と思ったが、いた。
    やはり青雲生だった。


    1997年06月13日更新


    * ある年の、先輩の卒業の一言: 「青雲やめますか、それとも青春やめますか」


    1997年08月18日更新


    * 青雲の誇る4つの寮、A、B、C、D棟。
    呼び方は、「アルファ」「ブラボー」「チャーリー」「デルタ」。
    ・・・なんて統一性がないんだ・・・
    誰だよ、チャーリーって。


    ──近況報告:青雲'97──


    * 最近、青雲柔道部ではやってるもの。それはプリクラ。


    * 最近、柔道部主将が眉を剃りすぎて大変なことになってるらしい。


    * 最近、寮監の顔ぶれが一新されたそうだ。
    新しい寮監は、自衛隊上がりのじいさんぞろい。
    しかも、陸・海・空そろった豪華キャスト。
    「頭が堅い」「つかえない」「存在感がない」と、生徒の評判は上々・・・というのはホントですか?


    * 最近、第5の寮(個室)が誕生した。
    8階立て、エレベーター完備のこのうすっぺらな建物の名は、E棟。 人呼んで、エコー棟。
    アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ、エコー。
    ・・・今、思い出した。これ、旧日本軍の呼び方だ。


    * エコー棟は、先日の地震により早くもヒビが入っており、
    雨漏りも報告され、エレベーターは止まり、部屋によっては戸が歪んで閉まらないらしい。
    どうにかしろE棟。


    * この前、寮では朝の起床の音楽に結婚行進曲が流れたそうだ。


    * その前はインディアンの戦いの音頭だったらしい。


    * 青雲では、出張してくる床屋を利用すれば、ヘアスタイルにこだわらないなら大変安く散髪してもらえる。
    が、職員室に赴けば、なんとタダで坊主にしてもらえるのだ。
    しかし、この「バーバー職員室」を愛用するという話は、あまり聞かない。


    * ある寮監Hは、自習時間に居眠りする生徒を発見、激怒。
    が、怒鳴りつけても相手は起きない。
    キレたHは教卓に飛び乗り、そこから生徒目がけて飛び蹴り!!
    しかし勢い余って的を外し、彼は床に転落した。
    生徒は、何事もなかったかのように(なかったのだが)、寝息をたてていた。
    この見苦しい出来事を、生徒たちは「ライダーキック事件」として後世に語り継いでいる。


    1997年09月09日更新


    * 県下一の受験校として知られる青雲学園。
    入学してまずやったのは、数学でも英語でもなく行進だった。


    * だまされた、と思った。


    * そして新入生の心を必ず奪っていくのは応援団の奇っ怪な振り付け。
    あれを見て、笑いを堪えられた男を私は知らない。


    * そして一年後、応援団員が各クラスから徴集されるものと知り、皆に戦慄が走る。


    * さらに、徴兵に引っかかった者で、踊るのが病み付きになってしまった連中が、正規応援団員として入部する。


    * 現在、青雲高校はいちおう共学になったはず。
    そこで弟に、まだ行進や応援団はやってるのか聞いてみた。
    「もちろん」
    どうやら、私が甘かったようだ。


    1998年04月10日更新


    * 新寮E棟には、エレベーターが付いているが、何故か一階、五階、八階しか止まらない。


    * また、みんなボタンを殴るため、ベコベコで操作が困難らしい。


    * よって、他の階で降りたい寮生は、その階周辺で扉をこじ開けて停止させる。


    * 当然、中途半端に止まるので、入り口が上半分、もしくは下半分しか開いていない。
    その壁を跨いだりくぐったりするのが、最近の流行り。


    * 研究の結果、タックルをすると一階まで降りる(落ちる)ことが判明。


    * ついに、エレベーター会社から苦情がきたらしい。
    「いくらなんでも、壊れすぎです!」


    1998年4月23日更新


    * 数学教師I。
    「まったく、お前ら勉強せんから救ってやれる気がせんぞ。
                つまり、I can't help studyingだ」
    ‥‥‥それは「勉強せずにはいられない」じゃ‥‥‥


    * 県大会前日、緊張して寝られない選手に向かって体育教師T。
    「気合い入れて寝んか!」


    * フォークダンスの練習のとき、小太鼓でリズムをとるのはやめてほしい。


    * 最近入った情報によると、このページ校長が見てるらしい。


    1998年05月22日更新


    * とうに定年を越え、僕らの代で確かに引退したはずの超ベテラン漢文教師Y。
    最近の情報では、彼はどうやらまだ現役らしい。


    * 最近、同じ話しかしなくなって、周囲をヒヤヒヤさせているそうだ。


    * 馬跳びをやらせる体育教師K。
    が、生徒の気合いはイマイチ。Kは激怒し、怒鳴った。
    「コラァ!!もっと気合い入れてやらんかァ!  馬跳びとは、『馬が飛ぶこと』だろーが!!」


    1998年09月01日更新


    * 成績が安定しない生徒に向かって、体育教師K:
    「何だ、おまえの成績はのぼったりあがったりのぼったりあがったり」
    ‥‥‥それなら全然問題ないってば。


    * 生徒に気合いを入れようとするK。
    「頑張れば5分間走だって5分切るんだ!」
    ‥‥‥5分切ったら5分間走にならない。


    * 数学主任のOは、吠えるのが趣味。
    現在では声帯を痛めてしまい、拡声器を持って授業をしている。


    * そのため、今では隣のクラスからでも授業が鮮明に聞こえるようになり、さらに迷惑度指数上昇。

  8. 【1118300】 投稿者: 卒業生  (ID:ivAUD.LgBSE) 投稿日時:2008年 12月 11日 14:22

    こちらは別の大先輩がお書きになられた”青雲な日々2000!!”である。



    更新日:2004年04月21日


    2003/11/02日更新


    * 過去にあった、ミトコンドリア事件。あまりに沢山、ミトコンドリアが痛いと言って授業を休む生徒が出てきたので、体育教師Kは職員会議の場で、「え〜、最近ミトコンドリアが流行っているそうなので注意して...」と言ったらしい。


    * Kは職員全員から馬鹿にされた。


    * が、いろいろあって、結局ミトコンドリアはバレてしまった。犯人は、恥をかいてしまったという怨みもこめて、ダメージ3倍の百烈ビンタを食らうこととなった。


    * 夜間に、約42キロを歩行する、青雲名物・青雲ラリー。もっぱら付近の住宅からは深夜にうるさいとの苦情が絶えない。


    * 体育教師Kが青雲ラリーのテクニックを教える。「休憩ポイントでは、お互いにマッサージをしてあげてください!これをするかしないかで、うんだんの差がでるんです!」
    生徒。「……雲泥の差?」


    * Kも、生徒のためを思って言ってくれているので、悪く言ってはいけない。


    * 数学主任のO。「ですから、やっぱり将来を考えたら、医学部の中でも薬学部ですよ!」
    違う……なんか違う!!!


    2004/03/04日更新


    * 第2学年の修学旅行。飛行機に乗っていて酔ってしまった、体育教師K。
    スチュワーデスさんに一言。「すいません、窓開けてもらえます?」


    * 古典教師Hはテスト前にいつもノートを集める。
    ノートをとっていなかった生徒Tは生徒Hにノートを見せてもらってなんとか提出。
    次の授業の時、教師H、「T!お前のノート、内容がスカスカじゃないか!ちゃんと授業のノートとってるのか!それに比べて、Hのノートを見ろ!綺麗で内容もしっかりまとめているぞ。こんな風にノートはとるんだよ!!」
    ......あの...その、内容だけはいっしょなんですけど......とは生徒Tは怖くて言えなかった。


    * 現在(2004/03/04)、青雲には、「写真部」「化学部」などの部が廃部寸前にまで追いやられている。


    * 伝統ある応援団部も、廃部の危機が迫ってきているらしい。
    応援の型を覚えている人がもう5人くらいしかいないそうだ。


    2004/04/10日更新


    * 元自衛隊機甲部隊隊長の化学教師M。テスト時の見回りの時。
    「え〜。時間が少なくて大変かも知れないが、とにかく、わからない問題からやっていけ!」
    「!!」


    * 残念ながら現在の校長は ホ○ ではない。


    2004/04/11日更新


    * スキー合宿。ボーゲンでゆっくり、今にも転びそうな様子で滑る身長150cm代の古文教師H。
    授業の時の威厳はまるでなく女子生徒から『ホビット族』と可愛がられていた。


    * 名士講演会でどんなお偉いさんが来ても変わらず寝ている数学教師Kだが、 レクで女子が『セーラー服を脱がさないで』をやっていた時はありえない程、目が見開いていた。


    * 司会 「次は男子柔道部によるモーニング娘 ラブ・マシーンです!!」
    Kはラリホーにかかった。


    2004/04/21日更新


    *体育の時間にて。体育教師K。
    「いいかー、お前らに足りないのは・・・・・甘えだ!」


    *さらにKの説教は続く・・・。
    「なんだー、お前らはー、俺に言われなきゃ出来ないのか〜? お前は俺の飼い主じゃないん (!?) だぞ!!」


    2004/09/22日更新


    *1500mの計測前に気取った口調で話を始めるK。
    「人間は100%の力を出すと死にマース。
     だから80%でもいいから満足する走りをしてください。」
    いつになく知的でやさしい発言。empty卒業かと思った。
    しかし、計測時には……。
    「お前らぁ!!!200パーセントださんかぁぁ!!!!」
    ……二回[削除しました]ます。



    *古文教師Hの迷言。兄弟の話をしていた途中…。
    「いやぁ、先生にはね、上に姉と弟がいるんですよ。」
    へぇ…上に弟がねぇ……。


    *今、英語教師Sはこの学校に4人もいるので、書き分けるのが大変だ。


    *元自衛隊の科学教師M。
    夏休みの最後、予備役(非常時に駆けつける予備軍隊)として数日間旅立った。
    …もとい、現役自衛隊の科学教師M。


    *そのおみやげとして、
    爆風ゴフレット・自衛隊クッキー・自衛隊 瓦せんべいが送りとどけられた。
    …その裏に含まれているメッセージに生徒たちは震撼した。

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