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名大病院の闇「JCI認証が機能していた」と本気で言えるのか?肺がん見見逃し事例が示す「制度の空洞化」
「名古屋大学医学部附属病院はJCI認証を受けているから安心」
この「国際認証バイアス」に、私たちは無自覚すぎたのではないか?
2016年に撮影されたCT画像に明確な肺がんの所見があったにもかかわらず、診断は2019年。既にステージ4。
この3年の放置の間、患者は何度も通院していた。
問題は見逃しの一回ではない。
・所見の報告はされていたのに無視されたこと
・再検の推奨はあったのに徹底されなかったこと
・JCI認証取得後も、3年前の重大所見に誰も気づけなかったこと
これらすべて、「体制が整っている」ことが認められたJCIの真っ只中で起きている。整っていたが機能していなかったという「事実」。
これを「制度とは関係ないヒューマンエラー」と一蹴するなら、JCI認証そのものが「何を守る仕組みなのか」が問われる。
JCIとは、「ルールが紙の上に存在していれば合格」というだけの飾りだったのか?
現場で有効に作用しなければ、そんな制度には何の意味もない。
しかも、病院側が遺族に謝罪したのは2024年。
見落としがあったと分かってから、さらに数年が経過していた。
どこに誠意があるのか。
どこに是正のシステムが働いていたのか。
すべて「JCI認証があっても起きた」ではなく「JCI認証があったからこそ起きた盲信」である可能性を、私たちは直視すべきではないか?
今後、名大病院だけでなく、いわゆる「認証病院」という肩書に疑問を持たないと、同じことは繰り返される。
これは一施設の問題ではない。制度そのものの空洞化の象徴だ。
さて、あなたはこの一連の出来事をどう受け止めますか?
エデュでは、一時、この名大病院をJCI故に擁護する書き込みで溢れていました。
そんな論調を主張するのは病院関係者か、世迷い人か。
「制度はあったが運用されなかった」この事例は、果たして「例外」なのか?
否、「構造的な限界」を示す氷山の一角であろう。
ぜひ、あなた自身の目で事実を見つめ、考えてみてください。
制度や認証があるからといって、すべてが自動的に守られるわけではない——
その現実に、私たちはどう向き合うべきなのでしょうか。
皆様のご意見をお聞かせください。