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投稿者: つばさ (ID:9ziMd89f/Zg) 投稿日時:2009年 08月 28日 19:15
私は先生が先生を先生と呼ぶことに違和感を感じます。これは教師にかぎったことではなく、先生と呼ばれる職業の方全般です。カテ違いでしたら申し訳ございません。
教師にしろ医師にしろ政治家にしろお互いに先生と呼び合っている人が多いですよね。どうもひっかかるんです。おかしくないですか?同じ立場の人なのに。肩書きならいいんです。社長、部長のように、院長、校長、大臣等なら。
また病院の受付で患者さんに「今日は〇〇先生はお休みなんですよ。」って、おかしくないですか?普通の会社ならたとえ社長だろうと敬称は付けませんよね。受付の人や看護士さんが医師を先生と呼ぶのは問題ないと思いますが、皆さんはどのように思いますか?
私がおかしいのかなあ。
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【1937591】 投稿者: ちょっと違う・・ (ID:yzCYzTEasUk) 投稿日時:2010年 11月 30日 18:50
上の方の書き込みで○○義塾用語うんぬんのくだりがありますが、
福沢諭吉門下生である私から少々訂正させていただくと・・。
以下引用
「
ちなみ○○義塾という大学では、先生は福沢先生しかいないので、教授の休講や連絡は、○○君と書いてありましたが、学生は教授を直接○○君なんて呼ぶことはないようです。
友達同士は○○君今年厳しいよな・・とかあるようですが。
○○君の「君」も「教授」の意味で使っている言葉だと思います。
こういう使い方は一般的ではないので、○○義塾における特別な語用でしょう。 」
とありますが、
この「福沢諭吉だけが先生」という精神はおもに大学より下の付属の学校に強く受け継がれていると思います。
実際、中等部では、昔も今も、教師は生徒から「○○さん」と呼ばれています。
また、大学生が教授を「○○くん」と呼ばないのは当然です。
「さん」は敬称ですが、「君」は敬称ではありませんから。
大学側が教授であろうとも「君」と呼ぶという事です。
大学が教師に敬称を使う必要もないですから。
ちなみに慶應大学生も「○○先生」と呼ぶのが普通だと思います。
それは外部からの学生が大多数を占めることと、大学生という「大人」について、学校側がどう呼ぶかをあれこれ言う必要もないからで、皆自分の好きなように呼んでいるとそうなったという事だと思います。
ついでにこのスレッドのテーマに関してですが、
呼び名がある程度便宜上使われるという事はその通りですが、
「先生」というものと意味までさかのぼった時、
疑問を抱くのは当然のことだと私は思います。
人により、場面により、立場により、関係性により、呼び名というのが変わるのが日本語の特徴ですので、
どこでも「先生」とよんで無難に済ませてしまう人よりも、
同僚同士は「○○さん」でも「○○くん」でも、
また生徒の前では「○○先生」、保護者の前では「○○」と呼びすて、というふうに使い分けられることこそ、感性・教養豊かな教育者と言えると思います。
それと弁護士や、政治家を、先生と呼ぶというのもおかしな話だと常々おもっています。
「教師」と「医者」以外で先生とつけるのは、私の感性では疑問です。
まあそれぞれの慣習は否定しませんが、同僚同士で先生はやはり変ですよ。 -
【1937675】 投稿者: 何を「先生」という言葉に荷重させているのか (ID:xXZdShA8idk) 投稿日時:2010年 11月 30日 20:17
私も福澤先生門下生ですが、あなたの考え方は柔軟性に欠き、おかしいと思いますね。
同僚でも先生同士で「先生」と呼びあうのは普通です。
それだけ尊敬を互いに払うということです。
結局、一方が貶して、もう一方も貶すことで組織がダメになり、お互いがダメになるのですから。
それを同一組織内、協働組織ではやらない方が良いという趣旨ですね。
「先生」という言葉にこだわる人って何を先生という言葉に込めているのでしょうか?
①完全無欠な人を指すのでしょうか?
②自分の都合の良いように万事動いてくれる人?(自分中心主義者に全て合わせてくれる)
③単に社会的に立場が高い人
④単に先に生まれた人
⑤自分を教えて導いてくれる人(この場合は、自分は謙虚であることが要求される)
⑥その分野においては、完璧でなくても、かなりの専門性をもっている
他にも、色々考えられるので、何とも言えません。
しかし、福澤諭吉先生は、その時代では卓越した思考能力を持った人だったのでしょう。
>それと弁護士や、政治家を、先生と呼ぶというのもおかしな話だと常々おもっています。
>「教師」と「医者」以外で先生とつけるのは、私の感性では疑問です。
>まあそれぞれの慣習は否定しませんが、同僚同士で先生はやはり変ですよ。
あなたがそう思うのは勝手ですが(しかし、自由ではありませんと考えます)、弁護士も、政治家も、個人的な感情を、世に認められるある程度、収斂された、昇華された、理論的にも受容される形まで変形させて、国家機関に持っていくというところでは、専門性やその地位、その社会で行われている言語慣用にもっていおく、理論とイデオロギーに纏め上げるということでは、「先生」ですね。この場合、敵となる主張をする相手を「先生」と呼びたくない感覚は容易に想像できるのですが、それではあまりに子供です。大人の思考ならば、全体観を通して、それはそれで「先生」で良いと思います。カッコ悪ければ先生というのは子供の発想です。私は「先生」という言葉にはバイアスを敢えてかけない主義なので、社会的なシステムやコミュニティーによる発想で、そう呼んでいるだけだと思うので、正直どうでも良い問題です。だからこそ、そこに目くじらを立てる心理に少し興味があります。かなりの確率で同意できないでしょうけど。問題は「先生」と呼ばれている人の思考形態、内面形態に着目するので。その人の週刊誌的なゴシップは関係ありません。例えば、マルクスはとんでもない人でしたが、その思考形態にはなるいほど・・・先生だなと思うので。反対にJSミルが、マルクスと同じように女性関係とかなんとかという部分があっても、その思考形態はなるほどと思うので、やはり先生です。 -
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【1937706】 投稿者: 訂正&・・・ (ID:xXZdShA8idk) 投稿日時:2010年 11月 30日 20:51
あなたがそう思うのは勝手ですが(しかし、自由ではありませんと考えます)、弁護士も、政治家も、個人的な感情を、世に認められるある程度、収斂された、昇華された、理論的にも受容される形まで変形させて、国家機関に持っていくというところでは、専門性やその地位、その社会で行われている言語慣用にもっていく、理論とイデオロギーに纏め上げるということでは、「先生」ですね。
この場合、敵となる主張をする相手を「先生」と呼びたくない感覚は容易に想像できるのですが、それではあまりに子供です。
大人の思考ならば、全体観を通して、それはそれで「先生」で良いと思います。
カッコ悪ければ先生というのは子供の発想です。
私は「先生」という言葉にはバイアスを敢えてかけない主義なので、社会的なシステムやコミュニティーによる発想で、そう呼んでいるだけだと思うので、正直どうでも良い問題です。
だからこそ、そこに目くじらを立てる心理に少し興味があります。
かなりの確率で同意できないでしょうけど。
問題は「先生」と呼ばれている人の思考形態、内面形態に着目するので。
その人の週刊誌的なゴシップは関係ありません。
例えば、マルクスは女性関係では、とんでもない人でしたが、その思考形態にはなるほどと思える
・・・先生だなと思うので。
反対に自由論のJ.S.ミルが、マルクスと同じように女性関係とかなんとかという部分があっても、その思考形態はなるほどと思うので、やはり先生です。
そのあたりの抽象的な内面的な思考において、なるほど先生というか、単なる利害関係で、具体的な利(その場での利)を得られなければ先生ではないのかという点が、相違点ではないかと思うのですが?
あなたは抽象的なものを悪として、具体的に利益を得られるものを善としてませんか?
大学は抽象的なものをしっかり勉強して、具体的なものへ変形していくスタートラインに立つ場でしょ?
抽象性が理解できなならば、一生、物質的生活に追い込まれていくので、大学を出なくても高卒でも十分到達可能なラインでしょ?
先生を先生と呼びたくないならば、そういう生活ばかりで神経をすり減らすことが好きなのでしょうから、そうしたらいいでしょう。
先生は、直接的な利益を得る存在ではないということを強く主張します。 -
【1937810】 投稿者: 大いに違う… (ID:yzCYzTEasUk) 投稿日時:2010年 11月 30日 22:14
先程「ちょっと違う・・」で書き込みをしましたが、
何かとんでもない方を相手にしたようで申し訳ありません。
まずお書きになっている日本語が良く理解できなくて申し訳ありません。
「先生」に込める意味が人それぞれで違う、という事をおっしゃっているとしたらそこには同意します。
ただ、だれが「先生」と呼ばれるにふさわしいかという問題と、
そういう人物同士が「先生」と呼び合う場合の適切さの問題とは違うと思いますよ。
そうですね、誰をいつ「先生」と呼ぶべきかという事については、
私は政治家や弁護士のお世話になったことが今までないのですが
今後あったとしても、
お会いしたときに「・先生」と呼ぶのには抵抗を感じると思います。
「○○弁護士」・「○○議員」とよぶでしょうね。
教職にあるかたを「○○教授」「○○先生」と呼ぶのも同じようなことです。
ようするに肩書として使っているわけです。
肩書きを使うかどうかは、その関係が公のものか、私的なものかに依存します。
私的な場では「弁護士の○○さん」「○○議員の○○さん」がよりふさわしい呼び方だと思います。
逆にあくまで私的な関係になりたくないという時にはあえて肩書きで呼ぶという事を私たちはよくします。
所詮、人の肩書などというものは、それ以上でもそれ以下でもない。
自分が個人的に尊敬する人に対しては、「○○さん」でも十分伝わるのです。
肩書で人を呼ぶのは一種の公的マナーに沿った配慮であって、
そのマナーを発揮すべきときには使えばいいというだけのことだと思います。
確かに同僚同士でも肩書として「○○先生」「○○議員」と呼ぶのがありかと言えばありかもしれませんね。
でも私的な場では洗練されたマナーとは言えない気はします。
なぜなら、「先生」という言葉には
肩書という意味と、上下関係を伴う「敬称」の意味が含まれているからです。
福沢以外を「先生」と呼ばないというのは、その両方の意味からであり、
同僚同士が呼び合うのがおかしいという時には後者の意味を重視するからでしょう。
私が政治家を「先生」と呼べないというのも、後者の意味において、上下関係があると思っていないからです。
政治家と国民は対等だと思っていますので。
弁護士もしかり。
医者に関してはやはり「仁術」という意味を重視しているので特別です。
そもそも「聖職」と言われたのは、教師と医者だけですからね。 -
【4902938】 投稿者: kalki (ID:JStZVnw1gBU) 投稿日時:2018年 02月 26日 07:33
元々、医師を先生と呼ぶこと時点から
間違っているんです、
呼びやすいからと言って使われた場合、誤解を生まないとは限らないですよね。
学校の先生が入院した場合等、見舞いに来た生徒などにこの呼び方せれた時
え?どっちなんてことにならないのかな?
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