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【4373260】オレンジ計画を知っていますか?

投稿者: 大門   (ID:0QsktA8MV6E) 投稿日時:2016年 12月 24日 11:01

著書『アメリカの「オレンジ計画」と大正天皇』で、アメリカは、太平洋制覇を狙って、 日露戦争の7年前、つまり太平洋戦争の44年も前に、軍事作戦として「オレンジ計画」を策定し、日本占領を狙っていたという。
フランクリン・ルーズベルト大統領が、ついに昭和16年に「オレンジ計画」を発動し、日米は太平洋戦争に突入したといいます。
この間、大正天皇の支持を得た大隈重信内閣が、日英同盟に基づいて、アメリカの友軍として第一次世界大戦に参戦、 「オレンジ計画」を一旦空洞化させたのです。

「オレンジ計画」とはいったいどういうものなのか?

戦死者88000人、戦傷者38万人という日露戦争の傷跡に苦しむ日本
その時アメリカの新聞は「日系ハワイ移民排斥論」
ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は「黄禍論」で日本人を圧迫していきます。

オレンジ計画はセオドア・ルーズベルト海軍次官が、ハワイ併合の前年に策定
「太平洋制覇のための19世紀的日本征服計画」です。

その後、甥であるフランクリン・ルーズベルト大統領が、「開戦の口実」を
得て、1941年に発動したでした。

日本の参戦は「アングロ・サクソン至上主義の帝国主義的侵略者」の手の平に泳がされるシナリオがオレンジ計画野結果なのです。

ルーズベルトの片腕として海軍大学二代校長フルフレッド・マハン海軍大佐は、軍艦「イロコイ号」で1987年12月に長崎へ来航しています。彼が数ヶ月の滞在で見聞したものは、幕末の「ええじゃないか騒ぎ」と「神戸事件」と「堺事件」と「イギリス公使パークス暗殺未遂事件」という 大混乱の日本の様子だったです。
混乱の日本をみたマハンは、「日本に対する軽蔑」と「イギリスに対する尊敬」を感じて、「日本人排斥の黄禍論」と「アメリカの太平洋制覇」の強硬な主張者となります。


1890年にマハン少佐が発表した『歴史に及ぼす海軍力の影響』は、共和・民主両党の超党派的共感を呼び、「鋼鉄製・蒸気推進」の軍艦が建造されて、米西戦争(1898年)に勝っています。アメリカ海軍は、1898年は世界第6位だったが、1904年には、イギリスに次ぎ、世界第2位となったのです。

1906年日露戦争直後に計画された「オレンジ計画」 強大なロシア陸軍をアメリカは怖れていたのですが、そのロシア陸軍を、日本陸軍が、遼陽会戦・奉天会戦で打ち破ったことをセオドア・ルーズベルト大統領は、「喜びに堪えない」と率直な喜びを表明していますが、すぐに日露講和を調停乗り出します。理由は日露戦争が長引きロシアが大敗して日本が「アジアの盟主」になっても困るのです。
この日露戦争によってアメリカは日本の「補給面の弱さ」を垣間見たのです。

1913年頃からアメリカで吹き荒れた『黄禍論』により、日本人を侮辱し激昂させ挑発したうえ、アメリカ海軍荘懐疑が、1914年、「日本は、アメリカを西太平洋から駆逐する意図を有する。 日本人は貪欲かつ好戦的で自負心が強く、アメリカの力を軽蔑しているので、開戦の確立が高い」とのシナリオを計画し 「オレンジ作戦」の研究を続行させたていきます。

「オレンジ計画」を目論む人たちの野望は、日本を征服して「太平洋の覇権」を確立し、アメリカが「イギリスと並ぶ超大国」になること。

マハンは、1907年、日本人移民問題についてイギリス海軍クラーク大佐に、「私は日本人移民を排除すべきと考えます。日本人移民を認めるくらいなら、私は明日にでも『日本との戦争』を選びます。しかし、その場合、『日英同盟』があるので、アメリカは貴国イギリスと敵対関係になります。『日英同盟』は、英米アングロ・サクソンの協調にとって有害です」と書簡を送っているのです。

アメリカ海軍は、太平洋の日本領諸島を残らず攻略して日本を孤立させ、日本を取り囲む全海域を制圧し、 日本を『海上封鎖』する。アメリカ艦隊は、迅速に進撃して日本艦隊を東シナ海から追い払い、日本と台湾を結ぶ通商路を断ち、 日本とインド洋・マレーシアなど資源地帯を結ぶ『大動脈=シーレーン』を破断すること。

リチャードソンは、自伝『パール・ハーバーへの道』において、 「フランクリン・ルーズベルト大統領こそ、アメリカを太平洋戦争に誘い込んだ張本人である」 と厳しく告発しています。

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