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【6786047】やはり結局は地頭なのか?教育論

投稿者: 努力とは   (ID:bpFn6qfQLW6) 投稿日時:2022年 05月 22日 13:09

よく
「努力に勝る天才なし」
「努力は必ず報われる」と言いますが、私的には

「天才の努力に勝る努力家なし」
「天才は少しの努力で報われる」だと思います。

今中2ですが、やはりめちゃくちゃ頑張っても学年2桁の人や、少し勉強しただけで学年1桁の人に分かれます。

やはり地頭の良さ悪さが必ず影響してくるのでは?と思います。

またタブーかもしれませんが
「カエルの子はカエル」とも言いますし。

よく塾の広告で
「偏差値どん底から東大に」なんて言いますが、問題なのはそれが何人中何人なのかだと思いますか。それが100人中50人なら努力が一番ですが、100人中2〜3人だとそれはダメですよね。

皆さんは努力派?地頭派?

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  1. 【6786872】 投稿者: 例えば  (ID:3Iswz6DrZv6) 投稿日時:2022年 05月 23日 01:16

    勉学の面で天才と秀才を定義付けるのであれば、
    前者はコツコツと努力を積み重ねることで能力を高みに持ち上げる事が出来た者であり、基本的に秀才は個人の力のみで高みに到達する事は難しく、それをバックアップする優れた環境があってこそ形成されるものであろうと思います。
    それに対して後者は、記憶力と集中力、処理能力が生まれながらに明らかに異常で、思考は小学生にして恐らくは成人以上。
    その為、なるべく幼い頃にその能力を見出し、正しく教育を受ければ、最小限の勉強(基本的に1-2度教科書を読んだだけで丸暗記出来るが、その内容を理解する事とは別。つまり、数式の解法等は正しく理解する必要がある)のみで、塾でもクラスでも成績は常にトップクラスの人間に勝手に成長していくと思います。
    但し、ここで正しく教育を受ければと記述したのは、こういった子は、記憶力が余りにも良いが為、一度誤った情報を吹き込まれるとなかなか修正が出来なくなり、何度教え直しても誤った記憶を正しい知識に置き換える事が難しくなります。
    よく天才と○○は紙一重と言いますが、正にそれです。

    これは勉強ばかりか、スポーツだろうがその他の事であろうが、同じものであろうと思います。
    幼い頃に早期に才能を見出し、開花させてあげる事が出来れば、天才は正しくその方向へ勝手に成長していきますが、才能を見出せず、誤った環境でいい加減な教育を施されると、普通の能力の者以上に誤った情報を詰め込んでしまい、修正が難しい状況に陥ってしまいます。

    勉強面でいうと、小学校3年までには他の子との明らかな能力差が現れますが、田舎ではお受験や中学受験とは縁遠い環境にある為、親にも気付かれず、粗悪な教育の下、大衆に埋もれていってしまうケースが多いのではないでしょうか。

  2. 【6786904】 投稿者: 向き不向き  (ID:93sk4NU26MM) 投稿日時:2022年 05月 23日 04:12

    日本の学力試験なら向き不向きでかなり決まってしまうと思います。

    その昔の国家公務員1種試験。参考書を立ち読みしたところ、
    「あ、これならいけるな」と思いました。全く準備なしで
    1位ではなかったものの、受験者の上位1%以内で合格しました。
    当時、一年勉強して受からない人もいました。

    私は全ての試験が得意な訳ではないですが、
    どんな試験でもある程度対策すれば必ず高スコアを叩き出せる人もいます。
    逆に試験が苦手でも絵や工作、スポーツなどがめっぽう得意な人もいますね。

    しかし、仕事は才能だけではダメで相応の計画性、決断力、努力、体力、
    人間性など総合力の勝負になってきます。

    子供の頃は試験が苦手だと辛いと思いますが、
    長い目で見て考えると良いと思います。

  3. 【6786952】 投稿者: 要は  (ID:3AZbImjJGyk) 投稿日時:2022年 05月 23日 07:47

    「天才とは努力する凡才である」ということ

  4. 【6786954】 投稿者: 難しい  (ID:3AZbImjJGyk) 投稿日時:2022年 05月 23日 07:48

    天才と秀才と凡才を定義付けるのは難しいようですね

  5. 【6787017】 投稿者: とおりすがり  (ID:nBDFzs./Hzk) 投稿日時:2022年 05月 23日 09:02

    標準的な学業、業務能力で、天才的な努力の継続能力を持つ人を、そのように呼ぶことはできるでしょう。いかなる分野であれ、天才は凡才と見る景色が違う、と私は思っております。

    中国の故事、名伯楽と名馬の関係を思わせる書き込み、が要はさんでない方になされていますね。「育てる」、かなり重要なポイントのようにも思います。何もなくて頭角を現す天才の存在を否定はしませんが、人との関わりで触発されたとは思えない人で、見ていたテレビによる刺激が関係していたのでは?と思われるような事例を知っています。環境から受ける刺激、は必須なのではないかなあと思います。

  6. 【6787051】 投稿者: 深い  (ID:bpFn6qfQLW6) 投稿日時:2022年 05月 23日 09:49

    天才は深いね

  7. 【6787617】 投稿者: 漢文はまとも  (ID:VKv1EwtiJ5Y) 投稿日時:2022年 05月 23日 18:39

    >中国の故事、名伯楽と名馬の関係を思わせる書き込み、

    これは、「世に伯楽あり。しかる後に千里の馬あり」でしたか。
    「千里の馬は常にありども、伯楽は常にはあらず」と続きます。
    伯楽は千里を走る名馬を見分ける名人で、そういう名人があってこそ、千里の馬が能力を発揮できる、という話だったと記憶します。

    注目すべきは、千里を走る馬は常にいるということ。
    しかし、その能力を見出す名人がいなければ、その馬は使用人に粗末に扱われ、ほかの馬と一緒に死んでしまって、千里の馬と称えられることもありません。

    また、千里を走る馬は一度に粟一石を食べつくすが、馬を養う者はそれが千里の馬とわかってない。だから、千里を走る馬でもお腹いっぱいに食べなければ、力を発揮できない、と続きます。

    そこでもう一つ、注目すべきは、

    ほかの馬と同じようにしようと思っても、それもできない。

    ...というあたりです。

    MENSAの会員でも、上位2%で50人に1人なので、意外と多い。
    だから、千里の馬は常にいるというのは間違いじゃないと思います。
    でも、それを伸ばす環境をきちんと与えられるかがとても大事じゃないでしょうか?
    そして、能力を持って生まれた子は、普通に振舞うこともできないとあり、生き辛さを感じさせます。

    >やはり結局は地頭なのか?教育論

    この答えですが、「子供の地頭」と「親の努力」だと思います。
    そして、親が努力をしてくれないと、そういう子供は生き辛いということです。

  8. 【6787689】 投稿者: とおりすがり  (ID:nBDFzs./Hzk) 投稿日時:2022年 05月 23日 20:11

    能力があることを自身も知らないうちに、駄馬扱いされて死んでいく・・・

    そのくだりで涙がこみ上げてきました。
    授業中だったので、泣くまではしないよう頑張りましたが。

    By 文転組

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