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【7122527】地頭って

投稿者: とある教師のつぶやき   (ID:VkEU/H7AiaM) 投稿日時:2023年 02月 20日 17:13

地頭の良さ=思考力
てすよね。
選抜されて入学してきた子供たちでも
本格的に勉強が始まると出来ない子が出てくる
小学校受験は考えるよりテクニック
中学年では上位と下位の差が激しい。
たとえテストの点がまあ良くても暗記に頼っている
思考力は鍛えられるのか。それとも生まれつきだからある程度でまでしか伸びないのか。
簡単な問題でも理解できない子はどうなる?

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  1. 【7122573】 投稿者: なかなかね  (ID:EijgudwcRnE) 投稿日時:2023年 02月 20日 17:42

    地頭が良いと一言で言っても能力には多種あると思います。
    記憶力、理解力、思考力、文章読解力、処理能力、コミュニケーション能力、応用力、維持力…思いつくだけでも色々あります。
    思考力がそれほど備わっていなくても、他の能力が秀でていればそこを探して伸ばせば思考力をカバーできる場合もあるのではないですか?
    周りの大人が諦めてしまうと子供それぞれの能力を見出だせずにレッテルを貼ってしまい、子供もそうかと諦めてしまいます。できれば親が能力に気がついて働きかける事が重要ですが、教師が長年の感で気がつく事もあるでしょうから、そこを誉めて伸ばせばその子供が光ると思います。

  2. 【7122630】 投稿者: 頭の良さ=未知のものに対する処理能力  (ID:gsK6rxZjRA2) 投稿日時:2023年 02月 20日 18:32

    スレ主さんは、
    >地頭の良さ=思考力
    とおっしゃっていますが、私は
    地頭の良さ=潜在能力の高さ、
    頭の良さ=未知のものに対する処理能力、
    と考えます。
    教師だから、成績の話になってしまっているけど、
    頭がいい人って、社会人になって活躍できる人ではないかしら。
    地頭が良くても、メンタルが残念だと使えない東大生みたいになるイメージです。

  3. 【7122648】 投稿者: 雑感  (ID:cQDKHINT2WQ) 投稿日時:2023年 02月 20日 18:53

    小学校受験は、その子に合わせて対応すれば、子ども本人の能力テストはクリア出来ると思います。
    親のタイプをどれだけ加味するかは学校次第。家庭環境、学校への理解と姿勢、経歴など評価基準も小学校それぞれ。

    中学年以上で躓くのは、幼稚園で特別にできると言われたタイプの印象です。特に幼稚園でずっと1番出来る子で過ごすと、頑張っても標準的存在であることでも気持ちが苦しくなるように思います。
    学業は、子ども本人が意欲的な時に伸びます。人と比べて褒められることに喜びを感じるなら、選抜された子だけの環境でない方が頑張れそうです。親も、結果を他の子と比べて優れていることを望む場合、家庭の雰囲気も悪くなるでしょう。

    地頭は、思考力、理解力、判断力、集中力、発想力、応用力など色々ですよね。集団で学ぶ時、教師は伸ばす役割よりも潰さないことが重要と思います。子ども本人が能動的に学べるようにサポートすることが大事と、私立小ママは知っている人が多い印象です。

  4. 【7122650】 投稿者: 到達可能点  (ID:3OjANVthBdQ) 投稿日時:2023年 02月 20日 18:54

    地頭とは、個々の人間の学力等の到達可能点だと思っています。
    人間には勉強だけでなく、スポーツや芸術など、いろいろな能力がありますが、それぞれにその人固有の到達可能点があるでしょう。
    別の言葉を使えば「限界」ですね。

    到達可能点が高いものを見つけ出せるのは幸運だと思います。
    例えば、サッカーの到達可能点が高いのに、到達可能点が少し低い野球をずっと訓練していても、それほど良い選手にはなれないかもしれません。
    勉強でも同じことでしょう。

    そして、その到達可能点に近づくには訓練が必須です。
    インプットがなければ、可能性は可能性のままで終わってしまいますから。

    ところで、到達可能点が遠い間は、非常に速いスピードでそこに近づいていくものでしょう。
    一方で、限界が近づいてくると、どんなに努力してもなかなか到達しないものだと思います。

    つまり伸び悩みが見られることは限界に近いことを示していると思います。
    努力を続ければ必ず伸びる、という言葉は呪いのようなものですね。別の方面で努力すれば、到達可能点がさらに高く、楽して高見に上ることができるかもしれないのに、限界が低いことで無理するのは残念な結果になるでしょう。

    林修さんの言葉で、「大切なのはやりたいことではなく、できること」というのがあります。
    これは到達可能点の話に置き換えると、「仮にやりたいことでなくても、到達可能点が高いことをやれば成功しやすい」という意味でしょう。

    勉強でもスポーツでも、「こうなったらいいな」は必ずあると思いますが、成功するためにはそんなことは全く無視して「得意な分野だけで勝負する」のが肝要でしょう。

    幕末の長州藩に、大村益次郎という人物がいます。
    この人は代々医師で、その道で生きていきたいと考えていました。
    しかし、明治維新の時代の流れの中で、なぜか戦場に担ぎ出され、数々の武勲を立て、新政府の中で最も優秀な戦闘指揮官として戊辰戦争終結などに大きな功績を残した人です。

    おそらく、大村益次郎の戦闘指揮官としての到達可能点は非常に高かったのでしょう。
    一方で、明治維新後の政治家としての手腕には、疑問符もつきます。
    やりたいことだったかどうかはわかりませんが、少なくとも得意なことではなかったように思います。
    それ故、暗殺されてしまったとも考えられます。

  5. 【7122680】 投稿者: ですね  (ID:yNIwJ/iTiS6) 投稿日時:2023年 02月 20日 19:17

    >記憶力、理解力、思考力、文章読解力、処理能力、コミュニケーション能力、応用力、維持力…思いつくだけでも色々あります。

    コミュニケーション能力は別として、数々ある能力を包括した論理力を測るには「数学」ですね。小学生でも上記能力が秀でているなら「算数」はできるはずだし中学以降も。小学校受験問題でそこまでの能力はわからないでしょうが、論理的な文章問題(A、B、Cのうち、AはCより大きく....一番小さいのはどれ?みたいな問題)が解けていれば地頭はいいはずです。

    「数」にコンプレックスを持っている教師(論理武装したがる)は、依怙贔屓する傾向大で同僚、保護者からクレームが多数ありです(苦笑

  6. 【7122726】 投稿者: なかなかね  (ID:EijgudwcRnE) 投稿日時:2023年 02月 20日 20:04

    確かに算数一教科受験を実施する学校が出てきたり、大学受験でも数学が重要視されるようになっていますから、述べられた意味合いも含んでいるのでしょうね。
    それ以外でもわからない点を積極的に聞きに行くコミュニケーション能力や、教師に取り入る(甘え上手)能力などと言った器用さも思考力理解力の無さをカバーする、いわゆる地頭の良さに関係してくるのではないかなと思います。
    偏差値の壁はなかなか越えられないでしょうが、社会に出てからは強いです。

  7. 【7123525】 投稿者: 横ですが  (ID:/QYmjGjY4zU) 投稿日時:2023年 02月 21日 12:00

    なんか嬉しいです。
    私ごとですが、数学だけは良くできましたが、記憶力が劣ります。
    到底、数学だけでは偏差値はカバーできなかったです。

    でも、なぜか子どもの時から、そして子育てママ時代を終えた今でも頭が良いよねと褒められることが多くて、不思議だったのです。お世辞だとしても…。
    特段偏差値の高い大学を卒業したわけではないけど。
    記憶力がないということは、知識が圧倒的に少ないし、語彙も多くない。
    ただいろんな事に対して分析をしたり、論理的に考えたり、人に伝えたりする能力は人よりあるかも。

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