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投稿者: 灘希望 (ID:UfXhong.g06) 投稿日時:2011年 02月 09日 10:08
灘に合格されたお子様を持つ方に質問です。
やはり灘に受かる子は、持って生まれた能力が違うのでしょうか?
私のイメージは、努力だけでは行けない学校=灘中です。
もともと能力の高い子がさらに学習してやっと受かるところだと思っています。
この『能力が高い』とは、優秀ではなく天才に近い能力のことです。
優秀児は学習によって作られるけれど、天才児は持って生まれたものが大きい。
灘の保護者様、そこのところを正直に教えてください。
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【2020508】 投稿者: マシュマロ (ID:upBZeCQ5wpo) 投稿日時:2011年 02月 14日 14:32
灘希望さん、努力しても越えられない壁があるかどうかは、努力した人にしかわからないと思います。努力する前に壁を見極めるのは難しいと思います。たとえ壁にぶち当たることがあったとしても、そこまで努力で来たことはすばらしいし、後悔することはないと思います。チャレンジする前から考えすぎるのはもったいないと思います。
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【2020515】 投稿者: T (ID:u4Zd9T0R8nc) 投稿日時:2011年 02月 14日 14:40
能力分布って2つあるんだよね。
天才と凡才が形成する分布。
これを一色たん(偏差値分布など)で表すから勘違いがでてくる。
天才でも努力しないと左へ。
凡才でも努力によって右へ。
互いの分布の乗り換えは生じない。
天才か凡才かはみりゃ分かるでしょ。
個人間の能力差は文字通り、
凡人間にあえて「壁」を使う必要はどこにある?
灘の定員が5人なら「壁」と言えるけど、
そうじゃないから「壁」はない。 -
【2021482】 投稿者: KK (ID:jR0NvgKXwJI) 投稿日時:2011年 02月 15日 02:25
能力差さんのコメント! まさにその通り!
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【2022654】 投稿者: 皆が努力するから (ID:BQ7rpKTMHUE) 投稿日時:2011年 02月 15日 20:32
能力の低い子が能力の高い子の数倍努力すれば、追いつき、追い越すことは可能です。しかし、現実には能力のある子も大手塾で精一杯努力していますから、その数倍の努力をするのは不可能です。努力が重要で、必要なことは確かですが、皆が努力するから結果は能力差をかなり反映したものになるのです。
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【2023218】 投稿者: T (ID:Nqi0pt97lN6) 投稿日時:2011年 02月 16日 08:39
>その数倍の努力をするのは不可能です。
たぶんね。天才くんたちは努力することを苦痛に感じないし、努力してるっていう感覚もないからね。 -
【2023247】 投稿者: 算数の神 (ID:.3pGaBQJfJE) 投稿日時:2011年 02月 16日 08:59
数学は努力で何とかなりますが
算数は・・
算数の難問は、努力の先の何かがないと無理な気がします。
算数得意なお子さんでも、日によっては信じられない点を取ったりします。
また、信じられない高得点もあり
それは「算数の神の降臨」であり(マラソンの時のランナーズハイのようなもの)
降臨したときが嬉しくて、また算数が好きになり努力し(マラソンランナーと同じような心理)
「算数の神の降臨」の回数が増えていく・・
そして「算数の神の降臨」がコンスタントにある状態になったお子さんが
灘に合格するのでしょう。
「算数の神の降臨」・・磨かれた脳からのプレゼントなのかな? -
【2028619】 投稿者: クリフ (ID:4igodkVq3zA) 投稿日時:2011年 02月 19日 20:50
灘の算数は神様が降りて来なくても解けます。問題を見れば分かりますが、普通の小学生でも訓練次第で解ける範囲です。
入試というのは、成績の良い順に入学を許可する者を決める為のもので、天才を篩に掛ける為のものではありません。灘の入試も同様です。もし天才しか入学が許可されないのなら、灘中の入学者は毎年殆どゼロでしょう。
結果としての不合格を「壁」と呼ぶなら、誰にでもどの学校にでも「壁」はあるのでしょうが、生まれ持った天賦の才能を要求されるかという意味での「壁」は無いと思います。
常識的に考えて同世代の一地域に百人単位で天才がいる筈もなく、他人より頭の回転が速いとか、記憶力が良いとか、与えられた問題を素早く解けるとかは、凡人の中の差異に過ぎないでしょう。 -
【2028644】 投稿者: 集中力 (ID:4y.si5aI9sk) 投稿日時:2011年 02月 19日 21:19
神が下りてくるかどうかはわかりませんが、わが子は残り10分を切ると、難しい問題でも突然解き方の筋道が見えてくることがあると言っていました。
あと10分という時間が焦りになるのではなく、集中力に置き換わるのだと思います。
昔、アメリカンフットボールで「神」と言われたQBのジョー・モンタナが、残り数分になると、どんなにスタジアムが熱狂していても、自分だけは冷静になって、後ろから迫ってくる敵のディフェンス選手の足音がはっきり聞こえると言っていました。彼は、それでモンタナ・マジックと呼ばれる奇跡の逆転劇を演じ続けました。
それも集中力のなせる業なのでしょう。
ただし、モンタナは偉大でしたが、残り数分にならないとその集中力は出ないの?と思ったことがあります。
わが子にも、残り10分にならないと集中できないの?と言ったことがあります。
凡人の発想なのだと思います。
おそらく、ずっと驚異の集中力が続くなんてことはないのでしょうね。