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投稿者: こまこま (ID:OcxGZJeKm7.) 投稿日時:2009年 12月 29日 00:11
どの板に投稿すべきか迷いましたが、板違いでしたらお許し下さい。
この秋に父を亡くしました。
いわゆる、後期高齢者の仲間入りをしたところでした。
自分がファザコンだと思ったことも、他人から言われたこともなかった私ですが、亡くなってしまった父の存在の大きさに自分でも驚いています。
その日から3か月が経とうとしていますが、心に空いた穴は日々大きくなり、泣いても泣いても涙があふれます。
四六時中、父のことを考えて悲しくて寂しくて、どうしようもなくなります。
どうしてもっと親孝行できなかったのか、頻繁に孫の顔を見せに行かなかったのか、最期に間に合わなかったのか・・・。
子どものころの楽しかった思い出、思春期に反抗ばかりしていた苦い思い出、孫たちをとても可愛がり愛してくれた思い出。
毎日、この現実が嘘であってほしいと、夢なら覚めて欲しいと思いながら過ごしています。
クリスマスの華やかさも、年末の慌ただしさも、遠い世界のことのようです。
・・・子供たちのお世話はもちろんしていますが。
父は交通事故で亡くなり、加害者がいます。
加害者を憎む気持ちは、ずっと心にありますが、人をこれほどまでに恨む・憎むといった感情は、心身ともに疲れ果てます。
そして虚しくなるので、もうやめようと思うこともあるのですが、やはり許す気持ちにはなれず、また振り出しにもどり、その繰り返しです。
実家は離れていて、告別式や法要などでこの3か月は週末ごとに帰省、受験を控えた息子を主人まかせにして申し訳ない気持ちと、実家で葬儀からすべてを取り仕切ってくれている兄たちを戦力になって支えることが出来ず申し訳ない気持ちでいっぱいです。
来年、金婚式のお祝いに私たち兄弟とその家族20人ほどで、旅行に行く計画をとても楽しみにして、嬉しそうに日程を組んでいた父。そして急に伴侶を亡くしひとりになってしまった母。本当に残念です。父もとても無念だったと思います。
ご身内を亡くされた経験のある皆様、どのようにつらい時期を過ごされましたか。
もし、ご自身のつらい思い出をよみがえらせてしまいましたら、本当にすみません。
大変読みづらい投稿で申し訳ありません。
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【1558171】 投稿者: 母が他界した時 (ID:m8kf7hm635k) 投稿日時:2009年 12月 29日 00:57
親族を亡くした時の(特に自分の親)悲しさは辛いですよね。
2年前、私も母を亡くしました。もうすぐ命日です。
ちょうど上の子が受験で、正月特訓にでかけた元旦早々、姉からの
知らせで母が意識のない状態で運ばれたと・・・私一人、一番早く
取れる飛行機で帰りました。
○○が来たよと兄が母に呼びかけて、一瞬目を開いて私を見た母。
それが母が目を開けた最期でした。
医師から、もう目を開ける事はありません。徐々に呼吸が停止して
行くでしょう。と死の宣告をされた時は、どこをどう歩いたのかも
覚えていないくらい、動揺してしまいました。
受験生を抱えていたこともあり、帰らなければならず、危篤状態の
母を残して家に帰るのが一番つらかったです。
翌日、母は・・・ほかの家族に見守られて父のもとに行きました。
しばらくの間、泣いてましたね。
夜中にふと目を覚ますと、天井に母の顔が見える気がしました。
父にも母にも親不幸はたくさんしてきたと思います。
親孝行ってほとんどしてないと思います。
末っ子だったので、一番甘えて育ったから後悔だらけ。。。
兄がいたんですが小さい頃他界しており、母が昔こう言ってました。
「順番ってのがある。親より先に逝くことが一番の親不幸」
と...慰めにならないかもしれませんが、
人の命、あすはどうなるかわかりません。
お父様を送って差し上げられたことだけでも良かったと、
考えてみるのもいいかもしれません。 -
【1558182】 投稿者: 空 (ID:OCX9VGOvcD2) 投稿日時:2009年 12月 29日 01:31
同じ年齢の父がいます。
母は、13年前に亡くなりました。やはり突然の出来事でした。
私自身、3人の幼い子供たちの育児に明け暮れている頃で、
まさか母がそんなに速く逝くとは、微塵も思っていなかったので、
親孝行どころか、自分の子供の事ばかり・・の時期でした。
長女の誕生日が母の命日です。
私が日にちを忘れない様に、母がそうしてくれたと思いました。
母の肉体はないけれど、時々自分の中に、母を感じます。
自分のことにしても、子供達のことにしても、
事が上手く進んだり、大きな決断をする時は、凄いエネルギーが出るんです。
だから私は、母と一緒に生きていると思えるのです。
残された父に親孝行しているかというと・・全然です。
相変わらず、私は、大きくなった子供達の世話に明け暮れています。
それでも父は楽しそうに生活しています。それも、母が見守っているからだと、
思えるのです。思いたいのかもしれませんが。
スレ主様の涙は、まだ逝くつもりのなかったお父様の涙でもあるんですね。
少し落ち着いてくれば、きっとお父様が大きな力となって、支えて下さるに
違いありませんよ。泣きたいだけ泣いていいのでは・・今は。 -
【1558185】 投稿者: 辛いですね (ID:VkpU3NRv0wo) 投稿日時:2009年 12月 29日 01:33
お父様を亡くされたとのこと・・・
お辛かったでしょう、交通事故なんて。
私自身、父親を亡くしたのは学生時代、まだ21歳の頃。
突然倒れて救急車で病院に運ばれたと連絡が入り、
そこから一週間後、意識が戻ることなく亡くなりました。
経済的な不安、男親を亡くしたこと、残された妹二人は
それぞれ高校生、中学生。
そして専業主婦の母。
大学は奨学金がすぐおりて、中退は免れたものの、バイトばかりしてました。奨学金の手続きをしに学生部に行ったら、そこの部長さん(かなり年配だったと記憶してます)が、幼い頃にお母さんを亡くされたときの悲しみを、切々と語ってました。人を亡くすことの悲しみは、こんなに年をとった人でも、何年経っても何十年経っても同じなんだなとそのとき思いました。そして、学業を中断しないように、励まされました。
父親とは仲がよかったので、文字通り泣き暮らしてました。
立ち直るまで、何年かかったことか。
突然いなくなって、その人の大切さが、身にしみました。
大学を卒業したら、父親に御礼をちゃんと言おうかな、なんて思っていたのですが、それも叶わぬ夢となりました。
就職してからも、父親の話をする同期や先輩方を目にするたび、
「ああ、自分にはもう父親はいないんだ」
と思って、よく落ち込んでました。
そして、黙ってました。父親のことを話そうとすると、涙が出てしまうからです。
泣かなくなるまで、大げさではなく、十年くらいかかりました。
映画とかで人が亡くなるシーンが出てくると、ほんと、ぼろぼろでした。妹たちもそうでした。
こんな私でしたが、今では結婚し、子どももいます。
家族ができて、自分自身気持ちが落ち着いたと感じています。
今は、悲しいかも知れない。
でも、大好きだったから、悲しいんですよね。
泣きそうになったら、お父さんのこと、思い出してあげてください。そして、泣きたいときには、思いっきり泣いちゃってください。悲しいとき、我慢することは、よくないです。不思議なことに、とことん泣くと、すっきりします。
時間はかかると思いますが、少しずつ、少しずつ、
泣かなくなりますよ。
いつもお父さんが見守ってくれてると思って、がんばらずに、
少しずつでいいので、日々の生活に戻っていってください。
無理はせずに。
こまこまさんの心が、少しでも穏やかになれますよう。
(私も久々に父を思い出しました・・・ありがとう) -
-
【1558192】 投稿者: みかん (ID:.EineU1rBfc) 投稿日時:2009年 12月 29日 01:58
こまこま様のお辛いお気持ちよくわかりますよ。
私は若い時に父を亡くしました。
毎日毎日夜になると思い出しては泣いていました。
その後、今の主人と出会ったのですが、父が引き合わせてくれたのだと思いました。
亡くなってから夢に出てくることはないのですが、一度だけ「花嫁姿を見たかった・・」
という父の夢を見ました。
花嫁姿もお孫さんも見せてあげることができただけでも、こまこま様は幸せですよ。
私は良く忘れ物をするのですが、いつもマンションのエレベーターの近くに来ると、
忘れている物を思い出すのです。あ、また父が教えてくれたと思います。
身体は見えないですが、お父様はいつもこまこま様の事を見守ってくださって
いると思いますよ。これは絶対です。元気を出してくださいね。 -
【1558221】 投稿者: 赤 (ID:AFryMJY7emk) 投稿日時:2009年 12月 29日 04:52
父が亡くなった時、母が生きてることで、まるで帰りを待っているかのような錯覚、起こしていました。ところが続いて母を亡くしてみると。
デパートで、真っ赤なカーネーションがフロア一杯、飾られていました。それ以来、赤が血の色に見えて、仕方ありません。普通の感覚に戻るのに、何年もかかりました。 -
【1558241】 投稿者: たまなぎ (ID:aVoSW3Eif1Y) 投稿日時:2009年 12月 29日 07:32
今年の春に、父を癌で亡くしました。
人はいつかは死ぬものだと知っているはずなのに、不思議なもので、自分の親が死ぬことがまったく想像できませんでした。
スレ主さまは、交通事故でお父様をなくされたとの事で、あまりに突然なのですよね。
私の父は、半年前に癌と診断され、手術では摘出できず抗がん剤を投与されて自宅で療養していましたが、とても元気で、最後の入院の直前まで車を運転して自分で病院に通っているくらいでした。
でも、最期の日から2週間前に見舞ったときの父は、明らかに弱っており、この時初めて「もうだめかもしれない。」と思い、病室を出たところで涙が止まりませんでした。
そんな私の背中をなでてくれたのが長男であり、手をつないでくれたのが次男でした。
葬儀の時も、私以上に息子が悲しんでくれたのを見て、私にはこの子たちがいるんだと思いました。
うちも次男が6年生で受験です。
次男には「おじいちゃんが見守ってくれている。」と言っています。そして私にも父がついていてくれると思っています。
私は、母も20年前にやはり癌で亡くしています。
母の時のほうが立ち直るのに時間がかかったと記憶しています。
今でも親戚が集まって母の話が出ると、涙がでてしまいます。
でも、やはり時が解決してくれるのだと思います。
スレ主さん、無理をせずに自分の気持ちを大事にされたほうがいいです。
こう書いている私も、桜が咲く季節になれば父を思い出すでしょう。そしれ「もう、実家に帰っても父がいないんだ。」と思うでしょう。
それでいいのだと思います。 -
【1558259】 投稿者: 21年 (ID:9bTU7ieAEzY) 投稿日時:2009年 12月 29日 08:33
お父様を事故で亡くされたこと、お辛いでしょうね。
色んな形で(病気など)、肉親を亡くされた方が多くいます。
私も、21年前に父を癌で亡くしました。
まだ、私は学生でした。
大学入学したばかりの、弟もいて・・・
4年生大学を中退し、仕事に就き母、弟を支えました。
バイトしてた病院で、父の癌を家族の誰より早く知りました。
医療関係でバイトしてたので、父のことも客観的に見れた部分、
母や弟を思うと、私がしっかりせねばと思いました。
泣いてる暇もなければ、悲しみに浸る時間なんて皆無でした。
最期を看取り、父や母の親戚へ連絡し、父の会社へも私が
連絡しました。
親がいつか亡くなることは、わかってたけど・・・・
まさか、こんなに早いなんて・・・・考えてもなかったです。
結婚もまだだったし、孫なんて全然。
今、花嫁姿を見せれた人や孫を見せれる人が羨ましいです。
無理して、立ち直るなんて思わなくていいと思います。
悲しいときは、悲しいんです。
正直、21年経った今でも悲しみは癒えてません。
が、やはり子供の受験や日々の生活で悲しんでる暇ありません。
心にいつも、父はいます。
空の星を見ては、父へ語りかけてます。
娘が、父に似てるんですよ・・・・
ちゃんと、父は側にいてくれてるんだなーって思います。
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