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【5003808】実父の死の恐怖

投稿者: 辛い   (ID:iEjMvpVxbLA) 投稿日時:2018年 05月 24日 00:25

10年前から肺がんを患った父、御年80歳。
幸い早期発見で3度の再発があるも、これまでは元気に過ごして
おりましたが、今、4度目の再発の疑いで検査中です。

悩みというより、私自身の気持ち落ち込みに悩んでおります。
自分の家族の世話もままならない位の、落ち込み
大好きな父のこととはいえ、気持ちの弱さに悩んでいます。

皆さま実親の病気の時、生死に拘る病の時
日常生活は普通に送れていますか?

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  1. 【5003825】 投稿者: 私事ですが  (ID:OyXkRx5WRzI) 投稿日時:2018年 05月 24日 01:11

    もう20年も前の事ですが。
    私の父親は膀胱がんで67歳で亡くなりました。
    癌が発覚してから、1年後です。
    姉二人は嫁いでおりましたので、私と母で看病しました。
    母は体が弱かったので、私が仕事と看病の両立していました。
    日常生活、普通に送らざるを得なかったですね。

    お辛い気持ちは分かりますが、気持ちをしっかり持って下さいね。

  2. 【5003856】 投稿者: 私の場合  (ID:MLFUizN2rvE) 投稿日時:2018年 05月 24日 04:04

    父は64歳で心筋梗塞、突然の別れで、お礼も感謝も言えなかったです。しばらく辛い日々でしたが、孫の顔を見せられたし恐らく苦しまなかった事だけが救いでした。
    スレ主さんは、病気で弱っていく姿、苦しむ姿に寄り添わなくてはならない辛さがありますけど、時間が少しありますね。お別れする時間もあります。
    これこそ人生。愛別離苦。
    どのようにお父様が人生を全うするのか、しっかりと見つめて下さい。
    泣きたい時は泣いて良いと思います。

  3. 【5003883】 投稿者: 人間は弱い  (ID:epqHP89R89k) 投稿日時:2018年 05月 24日 07:00

    スレ主さま

    お父様の病気のことはお辛いですね。
    人間は弱いものです。
    悩み右往左往するお気持ちで良いと思います。
    子どもたちやご主人にもその姿を見せて、甘えても良いのではないですか?

    喜びは分かち合うと2倍3倍になり、悲しみ苦しみは分かち合うことで1/2、1/3に減ります。

    老いること、病気、終末を迎え旅立つことは誰にでも避けては通れません。
    御釈迦様の4つの門の3つ。
    家族と共に考えておいても良いと思います。

  4. 【5003901】 投稿者: スレ主です  (ID:cwWSQp2aIqc) 投稿日時:2018年 05月 24日 07:36

    皆様のお優しいお言葉に、涙が止まりません。
    ありがとうございます。
    まだ気持ちの立て直しが出来ず、改めて
    お礼を申し上げます。

  5. 【5004030】 投稿者: うんうん  (ID:E42vdkhHytE) 投稿日時:2018年 05月 24日 09:49

    誰にもいつかは訪れる試練です。「私だけじゃないんだ」と思うと
    少しは気持ちも楽になるのでは。
    皆ある程度の年齢になると大切な人を亡くす悲しい経験をします。
    それでも何とか頑張って毎日を生きています。
    当時落ち込んでいた私も、街を行き交う極々普通の人々を見ながら、
    「あぁこの人もあの人も…みんな悲しい思いを背負いつつ生きているんだ」
    と、心から尊敬の念を抱きました。

  6. 【5004064】 投稿者: 辛かったこと  (ID:mDp.YCWocl2) 投稿日時:2018年 05月 24日 10:12

    もう15年前のことになります。
    父が肺がんを患い1年半の闘病でした。
    もちろん私は結婚して別に暮らしておりました。

    毎日の生活は子供の塾や学校の役員、地域の役員、毎日がてんてこ舞いでした。
    幸いにも一時間ほどで行ける距離でしたので、頻繁に行くことが出来ましたが、日常生活はやはり優先してせざるを得ません。

    父より7つ下の母もそのころは若かったので、私が直接手出しするような看病はしていません。すべて母がつきっきりで看病しました。

    娘は私一人ですので、私にできることは精神的に支えることが一番だったように思います。同時にむさぼるように本を読んだ記憶もあります。
    知識がなさ過ぎたからです。

    治療があるうちはまだよかったです。
    戦い励ますことが出来たから。

    担当医から兄妹だけが呼ばれ、有効な治療がなくなり余命を話されたその日、私は失語症になりました。
    声が出ないのです。心配した両親には風邪だと嘘をついてごまかしましたが。

    その後治療が無くなり、退院してからが一番つらかったです。
    戦いや励ましができないのです。
    何も聞かずに静かに受け入れている父を見るのが辛かったです。
    でも、そのまま父の毎日が続くのです。
    母の希望が続くのです。

    会話のしようがなかったのを覚えています。

    こうやっていろいろなことを乗り越えて、その度にたくさんの勉強をして歳を重ねていくんだと思います。
    父からの最後の教育なのかもしれませんね。

  7. 【5004133】 投稿者: うーん  (ID:AdNXC5qQmME) 投稿日時:2018年 05月 24日 11:34

    お辛いですね。
    私は25の時父を肺がんで亡くしました。
    父親に可愛いがられて育ちましたので、自宅での通夜の席でパニック発作を起こし救急車で運ばれました。
    明け方病院を出て告別式には出られましたが、一年はもう辛くて辛くて眠ってるのに夢で泣いて目が醒める日が続きました。
    もう、四半世紀前の話ですが。
    でも今も元気に生きてます。
    できるだけ側に居て普通に接して差し上げることです。
    泣く時はお風呂で思い切り。
    人間不思議と泣き続けることはできないようになっています。
    あまりにお辛いようでしたら心療内科でお薬をもらうのもありですよ。

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