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【4294431】【べっぴんさん】につっこみ、ドラマの展開に好感の持てない方

投稿者: 坂西さん   (ID:47hAzoqfvx6) 投稿日時:2016年 10月 21日 14:28

べっぴんさんを見ていて あまりのご都合主義にもやっとしたとか
本スレでは、好感を持って見てらっしゃる方に失礼かしらと
書き込みを控えてらっしゃる方、自由に語りませんか?
くれぐれも荒らしさんはこないでくださいね。

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  1. 【4398860】 投稿者: 坂西さん  (ID:JC/Iocy72Ss) 投稿日時:2017年 01月 15日 19:09

    ファミかばん様の書き込みを読み、ファミかばんを検索してみました。ファミリアのバッグが神戸の女子中高生の定番品である事を初めて知りました。また思い入れや憧れも。

    それをこれ程まで汚され、卒業生、在校生はさぞかし悔しい思いをされていると推察します。

    早くあと3ヶ月過ぎるのを待つしか無いんですかね。

  2. 【4399104】 投稿者: ナンジョ  (ID:jWYuCd1Qcsg) 投稿日時:2017年 01月 15日 22:55

    ファミかばん様に質問です。

    甲南女子は一体いつ頃から今のような派手な学校に変貌して
    しまったのですか?

  3. 【4399309】 投稿者: ファミかばん  (ID:AES0NJEBkS2) 投稿日時:2017年 01月 16日 05:39

    ナンジョ様の
    甲南女子は一体いつ頃から今のような派手な学校に
    変貌して
    しまったのですか?
    というご質問。
    何とお答えしたらいいものか。
    世間に派手な学校と思われている事がとても残念です…。

    坂野惇子さんの5学年下の佐藤愛子さん。
    「甲南と言ったら、一目置かれたものでしたよ」
    と書かれていました。
    対して、お二人とは40年前後学年の違う私。
    出身校を聞かれ甲南女子と答えて、良く思われた事がありません。とても残念で悔しい思いをしています。
    どうしてこうも違ってきてしまったのか…。


    大正時代、良い環境を求めて大阪から住居を阪神間に移す財界人が多数いました。
    財界人の子弟を通わせる学校として、後に文部大臣も務めた平生鉢三郎が、まず、甲南学園甲南幼稚園・小学校を設立。次に旧制甲南中学校(後に旧制甲南高等学校も)が設立されました。
    安宅産業(総合商社 後に伊藤忠に吸収される)の創始者 安宅弥吉が平生に娘達の為に高等女学校も創ってほしいと懇願しますが、その気はない、しかし貴殿達が創ろうと謂うのであれば協力はするとの答えでした。
    安宅は、田辺製薬の田辺貞吉(後に初代理事長となる)ら、財界人達と協力し、自分達の力で、甲南高等女学校を設立しました。

    設立の経緯からして、保護者も一緒に作り上げていくといった家庭的な暖かさのある学校でした。
    昭和50年代半ばまであったバザーは特にそれを感じさせるもので、小磯良平画伯もお嬢様の在学中、毎年いらしていたそうです。
    前レスにも書きましたが、空襲で全校舎が焼失した際、校舎復旧の資金を得る為に開催されるようになりました。
    卒業生、保護者の心のこもった手作りの品々がどれだけ沢山作られたことか…。
    全焼失から2年3ヶ月後に木造第一校舎が竣工し、各所に分散授業をしていた生徒を新校舎に収容する事が出来たのです。べっぴんの力の賜物です。

    その後高度経済成長期を迎え、創立の4000坪程度の敷地に中・高・短大がひしめき合い、手狭になった為、昭和39年四年制大学設立を期に、まず短大が移転。その後、中高にも立派な設備を という事になり、昭和43年に現校地に移転しました。その2年後創立以来初めてのプールが完成しましたが、これもバザーの資金で賄われました。

    思えばその頃からだんだん歯車が噛み合わなくなってきたのかもしれません。


    所要の為、続きはまた後ほど投稿いたします。
    申し訳ございません。

  4. 【4399331】 投稿者: 興味深い  (ID:N5xLgO/aWzs) 投稿日時:2017年 01月 16日 06:24

    ファミかばん様

    なんじょについて詳しくありがとうございます。興味深く読ませて頂きました。

    お時間ある時にまた続きをお願いいたします。

  5. 【4399372】 投稿者: 残念ながら  (ID:ylDm0uqsxSY) 投稿日時:2017年 01月 16日 07:45

    今も生き続けている伝統校というのは かって崇高な理念のもと設立され、その理念のもとたくさんの人に愛され、社会貢献も果たしてきた学校でもあったはずです。
    ところが目まぐるしい時代の流れ、価値観の変遷の中で 生き残る為に姿や形を変えざるを得なかった学校もあります。
    今、エデュでももてはやされている学校でさえも、創立当時のままとは言えないですから。

    でも卒業生にとっては 受けた教育や思い出は不変のはず。
    学校が社会に残してきた功績も同じです。
    それなのに外部の人の心ない言動で 思い出さえも踏みにじられるのはねえ。
    実在だった人を描くというのは、その人と繋がる人々も描くということ。
    その人達への尊敬の念というものは 残念ながらこの作品からは感じない。
    べっぴんという言葉が虚しい。

  6. 【4399391】 投稿者: 西城くんは  (ID:dQrJOZB03bo) 投稿日時:2017年 01月 16日 08:09

    沢村一樹かと思った、、、随分フレッシュ感あったけど(笑)

  7. 【4399395】 投稿者: ゆり  (ID:Q9MWwLEakqE) 投稿日時:2017年 01月 16日 08:13

    ファミかばんさまのお気持ちが伝わってきます。神戸ではありませんが、私も伝統女子校と言われる学校の卒業生です。在学中から折にふれ、どのようにして学校が設立されるに至ったのか、どのような想いで設立されたのか、周りからどんなに助けられたかを教えられました。繰り返し学校の歴史とその理念を聞いたので、すっかり頭に入っています。その価値に気づくのは大人になってから。特に母になってからでした。

    仲良くさせていただいているお母様の中に、小学校から大学まで甲南女子出身の方が複数いらっしゃいます。どの方もきちんとした家庭のご出身であろうことが伺える方ばかりです。派手な学校というイメージがあるとしたら、バブルの頃に甲南女子大の学生さんが多くファッション誌を賑わせていたせいではないでしょうか。大学から入られた学生さんの中には、その華やかさに惹かれて入学された方もいらしたように思います。

    今日の放送を見ても、べっぴんさんというテーマはどこかにいってしまって、若者の反発や親子の諍い、子どもが絡んでの母親同士の揉め事、会社の序列を絡めた上下間の問題など、人間関係のドロドロが描きたいのでしょうね。なら、ファミリアを巻き込まなくてもいいのに。

    ネットのニュースで、グンゼの創業者家族を朝ドラに!という運動が起こっていると見ました。大同生命は成功したかもしれませんが、暮しの手帖やファミリアの例を見ても巻き込まれるだけなのに、と思ってしまいます。

    本編については、ガツガツの新人さんは課題を放り出して食事付きの接待について行きたいなんて、いいとこ取りの人にしか見えませんでした。それに部長になった人にタケちゃんはもうやめたほうが。新人も入ったのに。

  8. 【4399450】 投稿者: 昭和30年代  (ID:dQrJOZB03bo) 投稿日時:2017年 01月 16日 08:45

    「即戦力」って言葉が何回かセリフの中で出てきましたが、当時は永久雇用が一般的でしたから、そうそう使ったのかな、、、

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