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【5801948】NHK 朝ドラ 「エール」

投稿者: グリーン   (ID:7eYSTeFTxAM) 投稿日時:2020年 03月 20日 09:54

2020年3月30日 放送開始の朝ドラ「エール」

今朝 「もうすぐ!エール」を観て 楽しみになりました。

主役 窪田正孝さん、ヒロイン 二階堂ふみさん。
作曲家 古関裕而さんをモデルにした物語。

主題歌はGReeeN だそうで、これも とても楽しみです。

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  1. 【6105464】 投稿者: ひとこと  (ID:KBjLjibHTrM) 投稿日時:2020年 11月 27日 22:58

    松井玲奈さんも一応歌手でしたよね。

  2. 【6105484】 投稿者: コンクールは無かった  (ID:gvyY5wlIGpk) 投稿日時:2020年 11月 27日 23:32

    幻の楽曲「竹取物語」の譜面を探し、その全貌を明らかにしたい。そう考えた人たちがいたのは自然の成り行きでしょう。しかしながら、取材の中で、意外な事実が明らかになります。コンクールの主催者といわれたチェスター社は、コンクールの開催そのものを否定。入賞を客観的に証明するものが、一切残っていないことがわかりました(入賞を伝える新聞記事は、古関からの手紙を受け取った人物から情報が漏れて書かれたものなので、入賞の証拠にはなりません)。

    国分らは、どうやら古関は国際現代音楽協会のコンペに応募したものだと推定し、その結果も「入賞」ではなく、「入賞漏れ」だったと結論つけています(去年、今年と相次いで出版された、刑部芳則、辻田真佐憲の古関裕而本も、この結論に疑義を挟んでおらず、なにより、古関裕而の口述によって作成された自伝に、この入賞についての記述が一切存在しないのです)。

    国際現代音楽協会(ISCM)は、年に1度、「世界音楽の日々」という音楽祭を開催。これは現代にも続くもので、初回からの開催記録も残っています。協会は各国に支部があり、この支部が推薦した楽曲を5人程度の審査員がふるいにかけ、音楽祭期間中に演奏される作品を選びます。要するに、音楽祭中に演奏された作品が「入選曲」なのです(稀に、演奏があまりに難しい等の理由で、入選するも演奏されない、ということがあります)。

    国分・ギボンズの推定と、私のISCMについての知識を組み合わせてみますと、古関の「竹取物語」は、イギリスの支部推薦にとどまった可能性が高いと考えられます(音楽祭の演奏曲目から考えるに、このときのイギリス支部の一押しは、ウォルトン【当時28歳】の「ヴィオラ協奏曲」だったでしょう)。古関は、支部推薦の知らせを入賞と誤解してしまったのではないでしょうか?1930年のISCMの音楽祭は、9月1日から8日にかけて開催されました(古関夫妻が1930年の初夏くらいまでは本気で渡欧を計画していたのは、音楽祭入選の可能性に賭けていたのではないのでしょうか?)。当時、日本には支部がなく、新興作曲家連盟がISCMの支部になるのが1935年。日本で最初の入選者である外山道子は、パリ在住でフランス支部の推薦で入選してますから、古関がイギリス支部を通じてISCMへと出品した可能性は、十分にあり得るものと考えられます。

    さて、この入賞が幻だったとすると、クラシック音楽の作曲家としての古関裕而の位置づけが変わります。「日本人として、世界のクラシック音楽の最高の栄誉に近づいた」新進ではなく、まだまだ発展途上の21歳だった、というイメージです(上京後に菅原明朗に師事し、在野の芸術音楽作曲家団体:新興作曲家連盟に加入するもここでは自作を発表せず、主に事務仕事をしていることもこのイメージを補強します。古関は、1937年までこの新興作曲家連盟の一会員であり続けました)。山田耕筰との関係も違った見方ができます。古関裕而は、高校時代より山田耕筰と文通をし、時には自作の譜面を送って批評を仰いでます。山田は、地方在住の無名の若者の手紙に丁寧に答え、職業作曲家としての実績がほぼゼロの古関を、手紙での交流のみから見出してコロムビアレコードに紹介した、大恩人ということになるわけです。

    古関裕而は、基本的には堅物でしたから(基本的には、と書いたのは、文通相手のもとへと現れて、いきなり婚前旅行に連れていくような、思い切った行動をみせる人でもあったからです)、山田耕筰の乱れた女性関係に憤ったりもしていました。こと女性関係においては、山田耕筰は本当にしょうもない人だったのです。パトロンに呆れられて大切なチャンスを棒に振ったりもしています。閑話休題。でも、古関は作曲家としての山田耕筰に対しては尊敬の念を持ち続けていたことは間違いない。何より、上京後の古関のジレンマは、山田のそれと共通するところがあったはずなのです。

    山田耕筰(山田耕筰が名前に「耕筰」の字を使うのは、1930年の12月以降なので、本来は「耕作」と書くべきですが、本稿では耕筰で通すことにします)は、姉がイギリス人宣教師と結婚したために、当時(1886年生まれ)としては破格な西洋音楽の教養を身につけられた人でした。山田耕筰がいなかったとしたら、日本の洋楽受容の歴史は20年遅れていたでしょう。山田の姉の夫:エドワード・ガントレットは、宣教師であると同時にオルガン技術者でもあり、山口県の秋芳洞の地質研究で歴史に名を遺した人でありました。山田は作曲家になるべく、東京音楽学校(今の東京芸術大学音楽学部)に進学しますが、当時は本科に作曲専攻はなく、声楽科へ入学しています。ここでの師匠の一人が、二歳年長の三浦環(三浦は再婚後の姓なので、当時は藤井、あるいは柴田環)でした。自転車で颯爽と学校へ通う三浦は、山田の悪戯の恰好の標的ともなり、山田は悪友らと徒党を組んでその進路を塞ぎ、自転車ごと三浦を上野精養軒脇の溝に落としてしまったこともあるのです。

    その後、1910年から3年間ドイツに学び、その間に日本人の手になる最初の管弦楽曲と交響曲とを作曲。ただ、帰国しても日本にはまだマトモなオーケストラすらありませんでした(帰国後の1914年に、何とかオーケストラを参集して自作の発表会開催に漕ぎつけますが、ハープを借りてきたものの弾ける人がおらず、弦に印をつけ友達(素人)に弾いてもらうなど、三谷幸喜脚本喜劇のような滅茶苦茶をやってます)。

    ドレミファソラシド、長調、短調という今では誰もが普通に感じている音感覚が、当時は自明のものではありませんでした。ラジオ放送の開始が1925年、日本初の本格的トーキー映画「マダムと女房」の公開が1931 年という歴史を参照するに、当時の日本人大衆の音感覚が現代人と同じと考えるのは間違いなのです(ちなみに古関裕而の戦前最大のヒット曲「露営の歌」は、日本の伝統的旋法である都節音階で書かれています。また、古関があと5年遅く生まれていたら、たとえば早坂文雄のように、映画のトーキー化によって必要になる映画音楽の仕事をしながらクラシックの楽曲を書いたかも知れません。映画音楽は、クラシック志向の強い古関にとって、歌謡曲の作曲より向いた仕事だったはずです。このように、生まれ年が5年違うだけで、周囲の状況がガラリと変わるのがこの世代の作曲家研究の面白く、難しいところです)。

    そうした中、さまざまな啓蒙書を書き、西洋の音律に不慣れな人にも歌いやすい単純な唱歌を作曲し、時には地方の無名の青年との文通もして洋楽の普及に努めたのが山田耕筰で、その困難はクラシックの素養をベースに流行歌の世界に身を投じた古関にとって極めて身近なものであったはずです。むしろ、プロとして活動し始めていたからこそ、そのことに気付き得たのではないでしょうか?(もし「スラムダンク」をご存知の方は、桜木がシュートの打ち込み練習を繰り返したことで、流川のシュートの凄さに気付く「眼」を身に付けられたことを思い出してください。私は、この部分を読んだ際、マンガでここまで「学習」の本質に迫る作家が現れたかと、正直驚きました)。

    だからこそ、古関裕而は「福島行進曲」に続いてリリースした、「平右衛門」(1931)の作曲を山田耕筰から褒められたとき、「頰は紅潮し、涙があふれそうに」なるほど感激するわけです。古関は1933年6月、山田がロシアへの演奏旅行から帰ったあと、新宿で開かれた帰朝報告会にも駆けつけています。

  3. 【6105485】 投稿者: コンクールは無かった  (ID:gvyY5wlIGpk) 投稿日時:2020年 11月 27日 23:34

    さて、「船頭可愛や」を、双浦環ならぬ三浦環が吹き込み、コロムビアの青レーベルからリリースしたのは本当です。それに山田が嫉妬から反対したかといえば、こちらは完全に創作です。そもそも、三浦歌唱の「船頭可愛や」のレコードが出たのは、1939年の3月。音丸によるオリジナル版が出た4年も後のことなのです。

    「船頭可愛や」は売れなかったのではなく、売れたから、三浦環によるいわゆるカヴァー盤も出たのです。しかも古関は、1936年には「大阪タイガースの歌(六甲おろし)」、37年には古関の戦前最大のヒット作「露営の歌」を発表。それを受けての三浦版のリリースだったわけです。加えて、山田耕筰は、1941年の三浦環の音楽会のために、「船頭可愛や」の管弦楽伴奏編曲もしています。これらを考えるなら、今週「エール」で行われているのは、山田耕筰にも、古関裕而にも、そして志村けんにも、ちょっと許しがたいほどの歴史改変だと思います。

    全てを事実通りに放送しろ、とは言いません。現在再放送中の「はね駒」で沢田研二が演じる松浪毅のモデルは、明治期のキリスト教伝道者で教育者の押川方義で、松浪は作中で主人公(斉藤由貴)と同い年くらいの子供を喪ったと言ってます。だが、史実では子供はちゃんと育っていて、それが後に天狗倶楽部メンバーとなる押川春浪。ここで、「押川春浪を殺してしまいケシカラン」とは私は言いません。

    ただ、「エール」の場合は、そういう実在の人物に取材した純然たるフィクションとは言い切れない部分があり、作中で古関が作曲した作品を、「福島行進曲」でも「船頭可愛や」でも、そのまま使っているわけです。フィクションといいつつ、モデルが明らかな形で各登場人物が配置され、ドラマとタイアップした音楽番組が制作され、各種メディア記事が書かれ、事実とフィクションが相互浸潤しています。これをやるなら、事実の取り扱いにはもう少し謙虚であってほしいと思うのです。

  4. 【6105595】 投稿者: 長すぎ  (ID:sGRbLkB3sdg) 投稿日時:2020年 11月 28日 06:14

    読む気がなくなりました。

  5. 【6105968】 投稿者: 紅白  (ID:Kru84qKGpeU) 投稿日時:2020年 11月 28日 13:30

    紅白でエール枠の企画があるみたいですね!
    最終回のコンサートをもっとみたいとの声がSNSで多かったとか。
    今から楽しみです!

  6. 【6106172】 投稿者: いいですね!  (ID:8lB9hX3TQtM) 投稿日時:2020年 11月 28日 16:01

    紅白で見ることができるの、いいですね。

    でもきっと駆け足で、もっとたっぷり見たかったと思ってしまうと今から予想できます。

    裏の様子も交えてNHKスペシャル枠あたりでやってくれないかなー。いつまでもひっぱるとおちょやんに悪いけど。

  7. 【6106846】 投稿者: やった!  (ID:yey.egSyuPU) 投稿日時:2020年 11月 29日 09:15

    土曜日の日村はおちょやんでは出ないそうです。

    語りの吉弥さんが土曜日も担当するそう。

    よかった~~
    朝ドラに縁もゆかりもない日村を見させられるのは苦痛でした。

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