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【2477682】女子にとって丁度良い大学

投稿者: ほのぼの   (ID:tv2exlsKKEk) 投稿日時:2012年 03月 20日 19:20

レベル高すぎて男や仕事に対して理想が高くなりすぎるのも困る、低すぎて縁談や就職で不利になるのも避けたい。
女子にとって理想の丁度良い大学はどこだと思いますか?

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  1. 【6323361】 投稿者: このようなことにも  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 03日 22:42

    興味がある。こちらの方には賛同者もある。

    以下、転載。

    シェークスピアの『マクベス』の冒頭部分に「Fair is foul ,and foul is fair(きれいは汚い。汚いはきれい)」とある。

    ケインズはこの弁証法的な言葉に依拠して、「不正なものは有用であり、公平なものは有用ではないからである。貪欲や高利や警戒心は、いましばらくわれわれの神でなければならない」といっている(『ケインズ全集』第9巻)399頁。

    そして実際に、ケインズ自身は株取引で大儲けしていた。そんな貪欲や不正こそが発展に不可欠だとする資本主義において、彼は「私悪」は必要であっても「正義」はー資本主義の発展にはー不向きだと見抜いていたのであった。そうした「原罪」において、新自由主義もケインズ主義も本質的に差異はないと考えられるのである。

    たしかにケインズ型資本主義は19世紀とはまた別の意味で、資本主義の安定的モデルを提起した。だがそれは資本主義の普遍的モデルなどではけっしてなかった。換言すればケインズ的政策が有効なときがあれば、他方で新自由主義的な政策が有効な歴史的段階もあると相対的に考えるべきであり、それが資本主義肯定論者のあるべき姿勢のはずだ。その意味で、キミご指摘の現象は、それぞれの歴史段階ごとにおいて採用された手段の相違を指すものに過ぎない、といえるのである。

    いずれにせよ、人間の「貪欲」との私悪が経済を発展させるとの本質的原罪は、資本主義の理論家たちの共通理解のはずである。それが証拠にケインズは頑固な反共リベラリストであり、しかも公然と「自分は光栄あるブルジョアの側につく」と述べている。上述の観点から言えば、大恐慌下という歴史段階において、いかに社会主義化から資本主義を救い出し守り抜くかが、ライトモチーフになっていたのであった。そのための方途・手段として、資本主義を“上から修正”したのである。

  2. 【6323389】 投稿者: スレッドを女性に返そう  (ID:bAnF5VxX3oQ) 投稿日時:2021年 05月 03日 23:04

    真心からアドバイスさせていただきますが、温故知新は大切な姿勢とはいえ、温故に軸足が置かれ過ぎていて、現在を生きる私を含む掲示板閲覧者には関心を持ちにくい無駄な長文に映るように思います。現代社会の解析や洞察をベースに古典においてもこう言われていると結ぶ方が興味を持ってもらえると思います。

  3. 【6323412】 投稿者: ご忠言は謙虚に受け賜ろう  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 03日 23:16

    だが他方で、先の君による「ふざけんなよ」との乱暴な暴言も未だ記憶に新しい。
    またご覧の通り、私の学問傾向は学史的要素が強い。かといって、それを思い付きの如く粗雑に現在の事象(話題)と短絡的に結びつけて語る―週刊誌のようなーざまもご披露したくないとの思いも濃厚。したがって、分に応じた方途とるしかあるまい。お目汚し、乞うご容赦。

  4. 【6323669】 投稿者: ベーシックインカム  (ID:Sfgl8BUeGSQ) 投稿日時:2021年 05月 04日 06:02

    >ベーシックインカムが可能なのは、プラトン的な貴族制か、国家社会主義か、あるいは、(実際にBIをトライアルしている)シリコンバレー的な文化なのでしょうね。ただ、その実現は困難なので、一庶民ができることは、金融資産などを通して自分も資本の所有者となるか、無償労働(ボランティア)や非金銭的動機に基づく副業など、搾取される有償労働以外の働き方も併せ持つことで、疎外・搾取の構造にある労働を相対化する視点をもつ、ということくらいでしょうか…。


    ベーシックインカムは維新の会の公約だし、他国ですでに導入されているので日本でも現実問題

  5. 【6323855】 投稿者: 「維新」の主張に疑念有り  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 04日 10:32

    大阪でのコロナ禍に関わる惨状の原因の一つに、橋下時代から続く大阪維新勢力による「効率性」を口実にした公立保健所、病院等の医療・公衆衛生分野での強引な縮小・削減があったと指摘されている。それが吉村の迷走として表れている。そうした新自由主義路線は、感染病研究の中心を担うべき『国立感染症研究所』の研究予算や人員の削減による研究、実働体制の弱体にもみられたところである。不幸なことに、それはこのコロナ・パンデミックでも暴露された。

    その観点で見ると、彼等の主張する「ベーシックインカム」なるものも、国民にわずかなはした金を支給する代償に、社会福祉・社会保障分野での公的扶助削減を画策している疑いが濃厚である。それにより、富裕層のさらなる税負担軽減=累進課税の形骸化をもくろんでいるのではあるまいか。結局それは、自由放任の資本主義の促進であり、大量の失業や不況を現出させるだけである。さらに加えて、今般のコロナ・パンデミックに対してもその無能ぶりを遺憾なく露呈した。

    たしかに資本主義経済の発達に伴い多数の経済的弱者が恒常的に存在することが明らかになるに従い、国家は恩恵的施策として、さらに搾取すべき剰余利益を生み出す労働力の最低限の保全・培養とのもくろみによって、各種の社会政策を採用した。だがそれが資本主義体制を前提とする以上当然に限界を有し、最大限好意的に解釈しても単なる体制内改良の域に留まるものに過ぎないと指摘せざるを得ないのである。

    それが証拠に、この国の自公政権も国民各自に10万円とマスク2枚の支給でもって、あたかも国家としての務めを果たしたといわんばかり。他方で、スポンサーたる大企業優遇ならびにーその利益保全の範囲内に限りー関係する下請け企業に一定の支援を行うとのスタンスは微動もせず堅持。そうした不合理の横行こそ、長い間継続的になされてきた支配層とその利益代表者たる反動政権による「国民一億総白痴化のためのイデオロギー操作」への彼等の自信の表明なのである。

  6. 【6324303】 投稿者: こんなことも考えている  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 04日 16:10

    可能なら内容につき、ご感想を乞う。

    以下、転載。

    研究者に近年引用されることの多いマンデヴィルの『蜂の寓話』に、サブタイトルとして「私悪=公益」とのサブタイトルがついている。資本主義はこの貪欲という「私悪」が社会全体を豊かにし、「公益」をもたらすとの意図からだ。当然にアダム・スミスの有名な「見えざる手」もその影響を受けているものと思われる。

    したがって、そうした利己心や金銭欲が必要悪な動機であるとの考えは前述の如き、ケインズやシュンペーター(創造的破壊)、ドラッカー(産業主義)、ガルブレイス(平衡力)、トリフィン(ドル危機)、ロストウ(近代化論)、カップ(社会的費用)、フロム(自由からの闘争)、ストレイチー(ケインズ派社会主義)、そして新古典派経済学の祖の一人であるワルラス(一般均衡理論)といった資本主義の理論家たちに共通な理解であったはずなのである。

    だからこそ私は、そうした経済学をして総括的に「本質認識」ないし「全体認識」の面から歴史科学的にとらえ、経済学説や経済思想とはそれぞれの歴史舞台の事情や在り方に応じ相対的に変容するだけであり、それぞれ論者が変わっても資本主義の本質自体に対する考え方は同一のはずだと思料するのである。

    その意味でケインズも、レセフェール(Laissez-faire)から介入主義(Interventionism)へと”上からの修正”を行うことで、当時の資本主義の不安定さに対抗し、大恐慌下の資本主義を社会主義化から救ったのであった。したがって、君ご指摘の彼の財政政策(fiscal policy)も、そうした観点から資本主義を救うためのその時点での選択肢の一つであったに過ぎないと思われるのである。

  7. 【6324315】 投稿者: お答えしよう  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 04日 16:15

    君の言う「左寄り」とは何を指すのか不明であるが、たとえば英国・労働党やドイツ社民党といったような資本主義体制内での改良を唱える社民主義=修正資本主義の論者たち。

    もっとも、私見ではかれらを「左」と位置付けるものではない。

  8. 【6324861】 投稿者: 新自由主義は破産した  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 05日 00:01

    以下、転載。

    なぜなら、私は教育や研究、あるいは医療や社会保障の分野につき、資本主義的な利益本位の思想を持ち込むべきではないと考えるからだ。それが証拠に今般のコロナ・パンデミックにおいても、利益や効率性重視の新自由主義的な「市場万能論」や「自己責任論」、「小さな政府論」などは見事に破産した。スガ首相や吉村府知事らの右往左往するそのありさまが、そのことを証明する。

    むしろ、国民の生命や生活、財産を守るために国はどのような働きをするかが問われることになったのである。換言すれば、主権者たる国民は社会正義を表現するものとして、国家の積極的行為を要求することの重要性をあらためて再確認した。語弊あるが、その意味で怪我の功名であったともいえる。

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