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【2477682】女子にとって丁度良い大学

投稿者: ほのぼの   (ID:tv2exlsKKEk) 投稿日時:2012年 03月 20日 19:20

レベル高すぎて男や仕事に対して理想が高くなりすぎるのも困る、低すぎて縁談や就職で不利になるのも避けたい。
女子にとって理想の丁度良い大学はどこだと思いますか?

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  1. 【6320733】 投稿者: そうお感じになる理由はいかに?  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 01日 20:11

    公衆便所の落書き次元では、reactionしようがない。
    せめてその根拠くらい添えてほしい。小学生ではないのだから。

  2. 【6320882】 投稿者: スレッドを女性に返そう  (ID:gyrEJEUzuHI) 投稿日時:2021年 05月 01日 22:25

    普通に読んだらそう感じますよね。

    自分で家事をやらないで、家事労働は喜びだって、ふざけてんじゃないよ。
    女性枠を設けるべきと言いながら、法経など自分に近い分野の女性枠はNO、下らない長文でごまかしきれない差別的かつ自分本位の思想の持ち主だと感じます。

  3. 【6320883】 投稿者: スレッドを女性に返そう  (ID:gyrEJEUzuHI) 投稿日時:2021年 05月 01日 22:26

    そうお感じになる理由はいかに? へのレスでした。

  4. 【6321007】 投稿者: どうかしているのではないか  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 02日 01:07

    >自分で家事をやらないで、家事労働は喜びだって、ふざけてんじゃないよ。
    >女性枠を設けるべきと言いながら、法経など自分に近い分野の女性枠はNO


    「ふざけてんじゃないよ」とは、一面識もなき相手に対しては、ずいぶんアクセント強い物言いだ。君はいつもその調子なのか。相手にするのも不愉快だが、念のためお答えしておこう。

    1.上記の二点、一度としてそのようなことを述べた覚えはない。いったい、何の妄想であろうか。意図的なでっち上げなら、悪質と言わざるをえまい。私自身が家事をしないと述べたことはない。また、まずは医学部における女性枠導入を唱えただけである。

    2.(繰り返すが)資本主義社会における労働の在り方自体につき述べたものであり、そのような卑近な個別次元が論点ではない。批判は歓迎だが、それは論理で願う。意味不明な感情論での中傷は慎んでほしい。

  5. 【6321013】 投稿者: これのどこを「普通に読んだらそう思う」  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 02日 01:29

    のか、具体的に論理で明確にしてほしい。そこまで悪罵するのなら、君にはそれをすべき責任があると思う。以下、転載。

    労働者にとっていわゆる家事労働は、けっして苦痛ではない。むしろ、性別を超えて労働力の再生産および生産のために不可欠な意義深いものだ。したがって、労働者個々にとって自己の良心的再生産のための必要事であり、楽しみであり喜びであるはずである。

    しかしながら、炊事・洗濯・掃除などが問題とされるのは、日本の資本制社会の単位としての家族(家庭)が天皇を家父と擬制した家父長制的に疎外されているからであると考えられる。すなわち、それは家族との存在が資本制的な社会経済諸関係に包摂されていることに加えて、そうした日本の伝統的な封建的慣習や文化、生活様式に規定されているからだと考えられる(歴代天皇には、その「模範例」を演じることが要請されてきた)。

    その意味で、たしかに家事労働は「労働」であっても、夫と妻が互いに家事サービスの対価を支払うとの関係には立たない。なぜなら、実質的にパートナー(法律婚、事実婚問わず)同士の関係にある男性・女性が、自己の労働力をそれぞれ他者に商品として販売して家事労働するものではないからだ。換言すれば、それは夫または妻の賃金所得内の家族内での配分であるに過ぎない。

    まして現在では、炊事や洗濯、掃除等の家事労働はサービス業のブルジョア的発展により、代替が可能になった。さらに「性行為における分業=性役割分担」すらが「代理母」ードイツでは、憲法で保障する人間の尊厳にかかわる問題として深い議論になっているーとのサービス購入によって置き換えられるというほど、すべての行為が商品化されるというありさまだ。

    したがって、家事労働や性行為における分業=性役割分担等を「差別」として観念することは、そうした家族、家庭、家計へのブルジョア的既成観念ともいえ、上述の歴史的および社会的条件といった環境に決定されたものであると思われるのである。その意味で、一般の「フェミニズム」や「ウーマンリブ」運動には、それが資本制的観念を所与の前提にするものである限り、弥縫的な体制内的改革の域に留まるような限界性を有するのではあるまいか。

    よって、いわゆる専業主婦における家事労働をして商品の如く賃金での報酬ととらえることには、いささか疑義を覚える。それは上述のような家事労働の有する尊い意義や価値を経済的利益追求行為と見做し、サービス商品として金銭で以て評価することに外ならないからである。だが、はたして家族構成員は、尊い愛情からでなく、単に金儲けのために家事を行うのであろうか。もしそうであるならば、そうした「労働」はたしかに苦痛であるに相違あるまい。資本主義の害毒が、家庭内にも蔓延した証左である。

  6. 【6321014】 投稿者: 同②  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 02日 01:31

    労働者にとって労働とは本来、社会の進歩・発展に貢献する喜びであるべきはずのものである。だが、資本主義社会においては実際、生産手段をもたない労働者はその所有者である使用者に労働力を販売し、その対価である賃金でのみ生活を維持せざるを得ない。このため、労働とは生活を守り、生きていくための必要悪的苦行に堕している。

    なぜなら、本来労働の成果である果実が労働者自身に帰属せねばならないはずのところ、労働力の供給が豊富になればなるほど逆に労働者自身にとって不本意な結果を招来するからである(労働の生産物が、直接にそれを生産した者から疎外される)。資本主義社会が利潤追求の社会であり、その利潤は労働力の搾取によって生み出されることにそれは起因する。

    その意味で、資本主義体制下におけるそうした疎外された労働とは、自己活動の否定として他人ー使用者や家庭でのパートナーらーに奉仕するための労働に、他人の支配下にある強制労働に外ならないのである(現行の家事労働の現実を見よ)。

  7. 【6321092】 投稿者: 雑談  (ID:M4z9L3xrFNk) 投稿日時:2021年 05月 02日 07:48

    興味深い文章ですが、70年代のマルクス主義フェミニズムと、当時の専業主婦からの反発(家事は尊い行為であり労働ではない)を述べただけで、家制度が崩壊し、男女共働きの現状を踏まえた今日的な議論だとは思えないですね。それに、労働に価値をおき過ぎることは、仕事のためにする仕事のような無意味な労働ですら肯定する危険性を含みます(グレーバー『ブルシットジョブ』)。

    「本来労働の成果である果実が労働者自身に帰属せねばならない」という考えがを疑うべきではないでしょうか。労働の所有・成果、それに対する報酬という関係が生み出す、疎外と搾取の構造を解体するには、労働と報酬を切り離して考えるベーシックインカムの部分的導入も一つの選択肢ではないでしょうか。今日では、多くの人は、労働の所有と成果の関係の虚構・幻想に気づいているでしょうから。

    さて、本題ですが、優れた女子大だと、お茶の水女子、奈良女子、津田塾、東京女子、日本女子がありますね。女子大に進むなら、そこでしか学べない学問があることが重要だと思います。それがなぜ女子大に?に対する答えになりますから。男女の枠にこだわらないなら共学の大学やキリスト教系などの女子大の方がよいと思いますね。

  8. 【6321243】 投稿者: お答えする  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 05月 02日 10:51

    たしかにマルクスの指摘する「不生産的労働者」たる私に、生産現場での「労働」そのものや歴史的革命主体たる「労働者階級」一般に対する憧憬とそれと裏腹に存するある種の引け目を有していることは、率直に認めざるをえまい。しかしながら、それでも生産的労働が人間を人間として創造し、それにより人間が目的意識性を獲得できたとの弁証法の意義は揺るがないと考えている。また、法の規範的意味構造そのものが階級闘争を媒介としつつその存在構造に規定されるものである以上、そうした私と言えどもつねに階級対立の場で態度決定を迫られるものと覚悟してきた。

    さらに「家制度が崩壊し、男女共働きの現状を踏まえた今日的な議論だとは思えない」とのことであるが、本件拙文における主位的論点は必ずしもそこではなかったということである。天皇制と「家制度」に関連する一連の卑見は、それに関連する他スレでしばしば記してきたところである。

    なお、ご指摘の「労働と報酬を切り離して考えるベーシックインカムの部分的導入」も一つの考え方であろうとは思う。だが、生産へ反作用するものとしての分配関係が常に支配層によって生産関係の所有関係として法制化される資本主義社会において、ベーシックインカムとこの生産された生産物がその生産者によって直接に所有されないというブルジョア市民法における欺瞞的命題につき、それがどう関わるのか、私にはよくわからない。

    まして、労働者らが真に「労働の所有と成果の関係の虚構・幻想に気づいている」か否かにつき、私はいささか懐疑的である。もっとも、かつて指導教授から「君は偉いねえ。まだ革命を、労働者を信じているのか。私はとっくに諦めた」と言われた経緯ある私なのではあるけれども。

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