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【3840042】古文漢文要らない

投稿者: 役に立たない   (ID:3TMvxx6K0DE) 投稿日時:2015年 09月 05日 13:40

大学入試の科目(東大など科目数が多いケース)

文系でも統計などで数学は使うので、最低限の数学は必要。
理系でも現代文が読めて書けなければ話にならないので、現国は必要。
グローバル社会の中で、英語はどの分野に行くにも当然必要。
文系の人でも、理科的思考はある程度経験した方がいい。
理系の人でも、世界の地理や歴史の基本的なことは、たしなみとして知らなければ恥ずかしい。

ところで、古文、漢文、大学入試にある意義はなんでしょうか?
東大なんか、理系の2次でも古文、漢文ありますが、その後の人生でほぼ何にも役に立ちません。
ここから改革してほしいです。
皆さんどう思われますか?

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  1. 【6779236】 投稿者: 再掲  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 16日 14:14

    彼ははたして「思考実験」を語っているのだろうか。私はそうとは解せなかった。今の問題を語っていたからだ。しかも、その映画も未来の姿であっても、現在の姿ではあるまい。

    ところで、この問題は、思惟と実在との関係が真の論点である。すなわち、われわれの思想はこの世界そのものにどのような関係にあるか、ということである。そして、それにつき私の答えは簡単だ。「自然科学と土台を同じくする」というものである。すなわち、物質を根源的な実体と認め、「アップロードされた意識世界」なる感覚、意識、思惟を二次的なものと認める。したがって、科学の限界が私の認識の限界とならざるをえなくなる。しかしその結果、まだ「分らぬものの」空間にそうした得体のしれぬ神秘的な空間をでっち上げるあらゆる幻想から、われわれを守ってくれることになる。

    他方で私は、科学の進歩によって、そうした「分らぬもの」「解明できぬもの」「未決定のもの」等々が、一つずつわれわれ人間のものになることも疑わない。それゆえ、現時点で「分からぬもの」については、あくまで謙虚でありたい。それを失念したとき、その「限界のかなた」は、当該「アップロードされた意識世界」の如く、たちまち野放図な妄想の巣となるからである。しかも、彼らは自然科学の世界では自制しても、こと歴史や社会、文化の世界に入ると急に羽を伸ばす。その好例が、得体のしれない似非宗教だ。

    そうした観点でもって、彼のいう「アップロードされた意識世界」なる野放図な言い分を再読してほしい。その後、どちらの態度をとるかは当然に君のご自由である。ただ、それが「経験」や「実践」の大地を離れるや否や、救いがたい混乱に陥ることは火を見るより明らかである。だからこそ、いくらその「アップロードされた意識世界」なるもので豪勢な食事や満腹を夢想しようとも、現実に口に食べ物を運ぶとの「経験」や「実践」なき限り、それは荒唐無稽な妄想に過ぎぬと私は指摘したのである。

    そうした外部の知的雑炊を何も付け加えず、まずは自然(あるいは現実)をあるがままに解釈することこそが、私の認識論的立場の前提である。

  2. 【6779239】 投稿者: 再掲  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 16日 14:17

    だが、あなたに対するお答えも、上記で以て必要にして十分であろう。また、あなたのご指摘に関して言えば、宇野弘蔵が述べた「『資本論』は唯物史観によって論証されてはならず、むしろ唯物史観が『資本論』によって論証される」との主張に私も同感するとだけ、申し添えておく※。

    ※J・K・ガルブレイスは、『アメリカ資本主義』、『ゆたかな社会』の二冊しか読んだ記憶がない。しかし、なかなかの啓蒙家であったとの印象である。

    ところで、資本主義に固執する者は、あなたのように古くからさまざまな「批判」を企ててきた。たとえば、マルクスの労働価値説や窮乏化理論等の個々の命題や理論に対して。しかし、世界でマルクス主義の炎はけっして沈下することはない。資本主義の問題点が噴出する今日、むしろ再評価されているとさえいえよう。その理由は何か。それは何よりもマルクスが唯物史観という方法で歴史全体の動向を太く力強いタッチで描き、そこにトータルな歴史の洞察力を示したからだ。そして、現に滅びつつあるものの中から、何が起こりつつあるかを的確に解明した。

    また、われわれが生み落とされる客観的な社会は、われわれの個人的な意識とは関わりなく外部に存在するものである。これが動かすことのできない根本的な土台である。そのうえで、われわれがどのように解釈を深めても、矛盾は私たちの意識とは関係なく、社会機構の中に厳存する。そうした客観的な矛盾こそ、私たちの精神の中の混乱の根源である。かくして意識が存在を決定するのではなく、人間の社会存在が意識を決定するのである。

  3. 【6779460】 投稿者: 革命がもたらしたもの  (ID:XPEeKwVN.B6) 投稿日時:2022年 05月 16日 18:00

    >また、その資本主義国でも多くの独裁者が存したことは歴史的にもあきらか(数的には、そちらの方が圧倒的に多い)。したがって、問われるべきは現象としての政治体制の優劣ではなく、いかに当該人民が豊かで、幸せに生活できているか否かにあろう。

    現在、人口比でいうと世界の七割の人口が独裁国家または半独裁国家に生きているそうです。
    この中に中国の13億とロシアの1.5億と北朝鮮の2500万は含まれます。
    一方、三割の民主主義国の人口に着目すると、旧ソ連の圧政から逃げ出した国はふくまれますが、共産主義革命からマイグレートした国は皆無です。

    共産主義革命から共産主義・社会主義国家になったところで、政権に逆らう者や逆らう可能性のある自国民を簡単に殺戮しない国はひとつも存在しません。

    例外が無い。

    この事実から目をつぶった屁理屈は聞きあきました。


    >そうした観点で見て、日本の現状は如何に。OECD加盟国中、最悪ランクの社会的、経済的格差の存在。教育分野への公的支出割合も最低(高等教育における自己負担の実質は、奨学金制度の未熟と合わせ、先進国中ダントツでビリ。韓国にも劣る)。同じくOECD加盟国中、日本のみ賃金下落。25年以上にわたるデフレ状態。労働者全体の約半数が、低賃金で雇用不安定な非正規労働者たち。その結果、ひとり親世帯3人に1人が貧困。子ども7人に1人が同じく貧困・・・ その反面、大企業には法人税減税等の優遇政策。空前の営業利益を上げ、内部留保も史上最高額に及ぶと聞く。また、富裕層にも税制上で各種優遇政策をとり、特権的世襲層はわが世の春を謳歌している。

    日本の全てがいい、わけないです。

    だから、共産主義・社会主義国やその末裔が「例外なく」自国民を大量虐殺した、あるいはしている、というじじつは消えません。

    例外なく、です。

    事実は、「マルクス・エンゲルスの指導原理な従って暴力革命で成立した国は、例外なく自国民を大量虐殺する」ということです。

    なぜか、ということ。

  4. 【6779507】 投稿者: レレレのれ   (ID:jOFXTZYn0yY) 投稿日時:2022年 05月 16日 18:55

    共産主義革命って、「お前ら狡いぞ、俺たちが権力者になって甘い汁吸ってやる」って人たちがすることですからねぇ。「万国の労働者、団結せよ」なんて綺麗事言ってるけどね。

    暴力で権力奪取した時から、自分達が打倒されるべき権力者になるって、当たり前ですよね。そりゃ、独裁政権になって、ろくな選挙もしませんわな。若者にはよく教えとかないと。

  5. 【6782100】 投稿者: さすが数弱  (ID:CgjmqiBgzlk) 投稿日時:2022年 05月 19日 06:43

    二俣川さんは、このスレで理系も教養として漢文は必要だから勉強すべきだと言っておきながら、別スレでは文系は道具として使わなければ数学は必須でなくてもよいとか言っているから、説得力ないんだよな。本当に自分の都合で主張しているにすぎない。

  6. 【6782311】 投稿者: 久し振り  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 19日 10:57

    お元気かね。
    さて、「昨日今日の間柄」でもない君にして、そうして短絡してもらっては困る。私はこのところ声高に横行する数学万能論※への違和並びに経済学部における数学の位置づけを問うているだけである。学問としての数学自体を否定するものではない。あしからず。

    ※それには、君にも応分の責任がある。

  7. 【6782328】 投稿者: 付言  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 19日 11:09

    「私の趣旨は、ここ数年顕著になった『数学万能論』如き風潮への違和である。けっして数学という学科の重要性自体を否定するものではない。もっとも、ああして『数学』『数学』と声高に騒いでいる声を仄聞すると、むしろその方々ご自身に数学コンプレックスがあるのではないかとすらの疑念を抱く。また、そこで語られる抽象的思考力や論理的思考力養成効も、必ずしも数学科固有のものではないはずだ。その点は、とくに強調したい。

    そのうえで、経済学部の配当科目には経済学説史や経済思想史の如き非数学的科目もあることからして、私学入試の場合には現行通りの地歴公民と数学との選択式でよいのではないかと思われる。それらの科目には歴史や公民科的素養が必要とされるからである。また多くの大学で行われているように、そうした新入生には1年生次でミクロ経済学等で必要な範囲での数学補習をなせばよいのではないか。蓋し、それぞれ中高時代に何らかの形で数学を修め、卒業したはずなのであるから」(以上、転載)

  8. 【6782382】 投稿者: 関西人  (ID:9tAjxe/8nTo) 投稿日時:2022年 05月 19日 11:54

    大学受験において、英語は文構造の複雑な思考力を要する題材が減り、スピード重視の題材になって帰国子女の独壇場になった、国語も思考力を要する題材を提供する学者や評論家が減って出典探しに苦労するようになった、社会は単なる暗記科目だと思われるようになった、以上の要因が二俣川さんの考える数学万能論的な発想につながっているものと思われます。個人的に、数学は文化資本が低くても努力で点数を伸ばせるので比較的受験生にとって公平な科目だと考えています。

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