マルチリンガルを目指せる女子校
古文漢文要らない
大学入試の科目(東大など科目数が多いケース)
文系でも統計などで数学は使うので、最低限の数学は必要。
理系でも現代文が読めて書けなければ話にならないので、現国は必要。
グローバル社会の中で、英語はどの分野に行くにも当然必要。
文系の人でも、理科的思考はある程度経験した方がいい。
理系の人でも、世界の地理や歴史の基本的なことは、たしなみとして知らなければ恥ずかしい。
ところで、古文、漢文、大学入試にある意義はなんでしょうか?
東大なんか、理系の2次でも古文、漢文ありますが、その後の人生でほぼ何にも役に立ちません。
ここから改革してほしいです。
皆さんどう思われますか?
古文同様にすでに日本化された固有の文化である。すなわち日本人は古来から、中国文明の基盤や根底を理解することなく、ただその成果の部分のみを摂取してきた。あるいはそれが、当初から日本人の目的に沿った態度であったともいえる。財界人らも、自己の経済的行動の正当化のために、単に字面のみを功利的に利用したに過ぎまい。したがって、もし漢文が「外国思想」ゆえに古文と差別化されるのなら、それは沿革的にも失当なものだと言わざるを得ないのである。
日本語の源流は、太古からの日本独自の言葉、後に大陸から伝来した言葉、の大きく2つがあると認識していますが、ひらがな カタカタ 漢字 訓読み 音読み 更に 人名漢字と読み 地名漢字と読み と自国語の勉強だけで複層的に膨大な学習が必要です。これに古典漢文が上乗せされ、かなり無駄な労力が費やされていると思います。
漢字を廃止した韓国のやり方が良いのかは議論があるでしょうが、人名地名を含めて使用して良い漢字の制限と読み仮名の制限は必要と思っています。中国の略字を一部採用しても良いでしょう。まあ、キラキラネームの規制にさえ及び腰の政府には捨てる判断は難しいのかな?
古典漢文は、必要な学部では大学教養課程で教えても良いでしょう。そして受験科目としては地方国公立の理系から順次古典漢文を外せば良いと思いますが、共通テストでは国語セットになっているので国語まるごと外すしかありません。バラして各大学に委ねるべきだと思います。
漢文は日本語の源流であっても扱っている文章が中国の古典であるため、中国の古い文化を学んでいるようでどうも違和感があるのですよね。中国文明の基盤や根底まで遡って理解するのは文系だけでいいんじゃないですか。逆に文系は数3Cをやらず数学の本質的なところに触れないのだから。
米作、仏教、漢字、政治制度等を受容したが、中国の精神やその歴史そのものをはたしてどこまで受け入れてきたのであろうか。蓋し文明とは、必要に応じて着たり脱いだりできる着物ではなく、それを着た人の体や魂にまで強い影響力及ぼす性質のものであると思われる。しかし、われわれの祖先はあたかも春夏秋冬に合わせる如く、都合よくそれを着脱してきた。仏教やキリスト教の如く、確乎とした経典さえ存しない神道のありようにそれが象徴される。
そこに中国や欧米の如くにおける他民族国家ゆえに自己主張し、黒白もつけねばならぬ峻烈な在り方はなく、島国内であえて境界をぼかし、妥協し、論理的な議論を回避し、官や権威・権力に甘え迎合する甘ったれた気風が醸成された。そこでは外国文化も、ただ必要に応じて輸入した高性能の機械の如く、都合に応じて便利に稼働させるものでしかない(用済みとなれば、より「高性能なもの」に簡単に乗り換える。敗戦により、天皇からマッカーサーへ「万歳」の対象を変えた如く)。
したがって、昔も今もこの国には真に他国の文化を本気で受け入れるだけの精神的な土壌が培われているのか、大いに疑わしい。率直に言えば、日ごろ西洋の学問に接するこの私自身もその都度、常にどこか余所行きの服を身に付けているような違和を覚えている。そのうえで、敗戦による日帝崩壊後77年経ってなお「旧帝」「旧帝」などと時代遅れの権威主義にいまだ盲目的に迎合できる人々に、それはどれだけ気分が楽なものかと羨望さえ覚える。