最終更新:

1439
Comment

【5019016】早稲田政経、数学必須へ。

投稿者: 良い   (ID:DlJw7AfQkrM) 投稿日時:2018年 06月 07日 22:18

受験生は激減するかもしれないが、私大トップの矜持を感じる。これで初めて難関国立と肩を並べるかもしれない。
私大文系専願に数学必須はキツイ。
ますます、難関国立落ちの受け皿になるのを危惧するが、英断。
私立文系専願が回避するから、倍率かなり下がるが、全く狙い目にはならない。
私大の中では孤高の存在になりそう。
慶應どうする?

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【6424584】 投稿者: 昔話  (ID:.GwFe3gJs/A) 投稿日時:2021年 07月 25日 02:25

    >早稲田の「政経学部」という名称は、「political economy」とは「経済学」のことなのに、馬鹿田大学の[削除しました]たちが、「政治経済学」と誤訳したことに起因するんだよね。

    違うと思いますが…。
    東大のように、政治学を法学と結びつけて法学部の中に政治学科を位置づけるのではなく、政治学を経済学と結びつけて理解するために、政治学科を法学部から切り離して経済学科と同じ学部に位置づけた結果、政治経済学部という名称が生まれたのだと聞きました。

  2. 【6424611】 投稿者: 昔話  (ID:rZKm6pdXsFE) 投稿日時:2021年 07月 25日 06:24

    日本で最初の経済学部は、慶應の理財学部が源流です。
     政治や権力とは距離を置いてあくまで、財界に人材を輩出して来ました。明治時代から、三田の理財は、帝大を凌ぐと
    言われてきたため慶應経済は、東大にも早稲田に対しても日本のトップは、慶應であるという自負が伝統として残っています。
     今でも筑駒や開成などが現役で進学するのは、
    慶應経済や早稲田政経には毎年コンスタントに入学します。

  3. 【6424924】 投稿者: お答えしよう①  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 07月 25日 12:53

    >現象分析する人と本質認識や全体認識をする人ばかりで、そこを取り持つ人が少ないだよ。何なるデータか机上の空論のどちらかだから研究成果といえども使いものにならないのさ。

    既述のように、もともと日本の経済学研究はその二つの分野に大別される。かつてはマルクス主義の影響もあり、資本主義経済の本質認識を探る研究が多かったが、この30年以上は精緻な分析でもって現象分析をする研究者が激増している。実際にQuantitative Approach for Political EconomyやBehavioral Economicsさらにindustrial Ecology Econometricsといったような基礎分野の発展ぶりが著しい。これらはかつて旧経企庁等の「官庁エコノミスト」といわれる人々の独壇場であったと思われる。

    むろん、両者を機械的に分けるのは正確ではない。すぐれた経済学者ほど両面を備えているはずだ。   

      

  4. 【6425182】 投稿者: さすが数弱  (ID:7j00TcAS9HE) 投稿日時:2021年 07月 25日 17:10

    > そこでは、たとえ必修科目であろうがなかろうが、単位に関係しようがしまいが、各学生が自主的判断で以て授業を選択し聴講している。

    じゃあ、単位として認められなくても、自らの関心のもと自主的に聴講している学生はどのくらいいるんだい?何人の学生が平均何コマ取っているのか数字で出してもらいたいね。仕組みとしては悪くないが、実際に聴講している人が少なければ効果的じゃないよ。

  5. 【6425201】 投稿者: さすが数弱  (ID:7j00TcAS9HE) 投稿日時:2021年 07月 25日 17:27

    みんなが知りたいのは、資本主義経済の本質認識でも現象分析ではない。それらを踏まえて、この先どうなるか、それはなぜ起こるのか、今後どうしていくべきかだよ。そこに十分な量と質の案を出せていないから経済学の研究成果が使い物にならないと言われるのさ。

  6. 【6425733】 投稿者: それは私にはわからない  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 07月 26日 06:56

    具体的な数字は、事務部門に聞きなさい。
    ただキミのように単位修得の有無だけで科目選択するような価値観は、早稲田では伝統的に希薄だということだ。そもそも、必修科目でさえ興味関心薄ければ教室に足さえ運ばないのであるから(その代わり、興味あれば学部を越えて積極的に聴講する)。

    むしろ、なぜ学生たちが主専攻での必修科目以外に関心を示さないというのか、そのキミの主張の根拠をまず示すべきだろう。それはキミの母校たる地方国立大学固有の現象ではないのか。失礼だが、そうしたキミのチープな価値観に象徴されるスケールの小ささが、卒業生における社会的貢献での彼我の差となって現象化しているとはいえまいか※。

    ※たとえば先の五輪開会式での日本選手団旗手は、早稲田4年生の須崎 優衣さんであった。祖父や父、姉のいずれも早稲田校友という早稲田一家である(大学HPによる)。

  7. 【6425752】 投稿者: 研究者は予言者ではない  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 07月 26日 07:43

    街の占い師のように、簡単に明日を予測することなどできまいよ。キミは学問というものにつき、勘違いをしていまいか。

    ところで、資本主義の命運について論じた代表的な二大思想としてマルクスとケインズがいる。そこでは、資本主義体制の自己崩壊と社会主義体制への転化がマルクスのビジョンであった。他方で、自由資本主義の行き詰まりと管理資本主義への移行、これがケインズのビジョンであった。

    ところが、かのシュンペーターはいう。その両者ともに「革命」か「修正」かで結論は違うようだが、共通する面を有していると。それは、いずれも資本主義はその経済的失敗のゆえに行き詰まるとの認識だ。

    だがシュンペーターはそうではない、と説く。資本主義はむしろ、その輝かしい成功のゆえに自己解体の条件を創り出し、やがて社会主義にしずかに移行していくと。それは一見すると、マルクスの唯物史観のいう「資本主義から社会主義へ」と似ている。しかし、その原因と形は異なる。資本主義崩壊は「革命」ではなく、その「老熟と衰滅」にあるとするからだ。

    それはまた、資本主義の永遠不変性を否定してその変容を強調する点で、ケインズのビジョンとも似ている。だがシュンペーターはケインズのように資本主義の動脈硬化による長期停滞は否定する。そして、資本主義のダイナミックな発展力-それがたとえ利己心や損得勘定といった性悪説によるものであったにしても-への信頼を変えないのであった。しかし、それでもシュンペーターは資本主義のエンジンの限界を指摘する。その答えは、彼の資本主義本質論にあるといえるのである。そして絶頂期にあった米国資本主義においても、すでに衰滅の傾向の影あることを見抜き、それが加速度的に濃度を増していくことをわれわれに教示したのであった。

    そうしたトータルな現代経済観の形成に問題を投げかけること。また、学生個々がそうした経済思想が提起する問題を確かめ、学生自身の立場で自ら考えてみること。それが大学という場であり、学生放任と揶揄された早稲田の学生文化の大きな特質でもあったと考えられるのである。田中愛治総長もそれを高く評価している。

  8. 【6425819】 投稿者: さすが数弱  (ID:m8vq057x5iI) 投稿日時:2021年 07月 26日 09:18

    資本主義は限界に近づいており、社会民主主義に移行すべきとの声は欧米からも出ているよ。今さら研究テーマとして資本主義の本質を追及するのは周回遅れだね。学者に求められているのは次の社会を見通すことなんじゃないのか?法制度を含めてね。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す