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【6230247】東北大、筑波大、都立大、千葉大、横国大どこがこれからいいですか?  (GMARCH併願)

投稿者: 地元   (ID:5eapzINeSGk) 投稿日時:2021年 02月 24日 13:41

首都圏に在住の場合、どのような選択になりますか?
人口が首都圏に集中しているので首都圏の都立大、横国大、千葉大やGMARCHも伸びていくのでしょうか?
理系なら一人暮らししてでも東北大(または筑波大)でしょうか?

各大学の強みと弱み、特徴を教えてください。

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  1. 【6785187】 投稿者: 岡目八目  (ID:/oLQFRCTV/6) 投稿日時:2022年 05月 21日 17:44

    >資本主義とは常に前進することなしには存立しえない本質有すると思われるのである。まさに自転車のように、常に走り続けねば倒れてしまう。

    この見方には全く同感です。
    サルトルが言うように、無を分泌しながら「対自pour soiそれがあらぬ所のもの」に向かっていく運動です。
    斎藤幸平が言うように、まずは資源を蕩尽し、環境を破壊し尽くす。次には、人間の内面に秘められたあやゆる欲望を顕在化させ、社会的関係性を希薄にさせていく。
    限りなく、無に向かって突き進む運動体だ。
    恐らく、社会主義革命もそれを止めることはできない。
    なぜなら、それは止まった瞬間に、そこに倒れて、世界は終焉するからだ。

  2. 【6785228】 投稿者: 関西人  (ID:W6/NbVlD5t6) 投稿日時:2022年 05月 21日 18:23

    スレタイの大学は、千葉大学を除いて皆マルクス経済学が教えられてきた痕跡があり、千葉大学もマル経こそあまり無さそうだけれども、マルクス主義哲学の研究がなされてきた感じはあるので、やはりどの大学もマルクスと縁が無い訳ではないようだ。

  3. 【6785241】 投稿者: 通りすがり  (ID:r39d/5vPUSc) 投稿日時:2022年 05月 21日 18:39

    マルサス流にいえば、格差こそ社会の原動力ですが、私はそうは思いません。行き過ぎた格差は社会を不安定にしますので是正すべきですし、おっしゃる通り、いまの日本には是正すべき格差があります。しかしそれは階級(Class society)とは違います。貧しい人でも株式を買えば企業の所有者になれます(禁じられていてるわけではない)。海外旅行に行く人にも相応の苦労はあるのに、それを顧みないで「あの人たちはわれわれとは違う」という羨望・怨望は、福澤諭吉やヒュームが社会が警戒すべきhuman natureであり、マルクスの「もつもの・もたざるもの」観が羨望・怨望を原動力にするならば、欲望を原動力とする資本主義と同根といってよいと思うわけです。いずれにしても「お答えする」さんが提示された社会正義には賛成ですし、その実現を望んでいます。

  4. 【6785245】 投稿者: 通りすがり  (ID:r39d/5vPUSc) 投稿日時:2022年 05月 21日 18:45

    関西人さん、的確な方向修正・意味づけをありがとうございます。ここで議論しているような話は、ひと昔前なら東北大学(マル経強かった)、いまなら社会政策・社会保障など学際的に学べる千葉大学もよいかもですね。筑波は国際系や人文系が強く、経済は社会工学という感じですね。

  5. 【6785249】 投稿者: 関西人  (ID:W6/NbVlD5t6) 投稿日時:2022年 05月 21日 18:50

    人間が社会で疎外された恨みつらみで革命を志して共産主義社会を目指すという考え方は、マルクス主義哲学者の廣松渉に否定されたし、かといって廣松のマルクスの読みが正しいという訳でもないし、我々はかなり多くを先達に負っているものの、自分自身でどう考えていくかがかなり大変だと思います。学力レベルで言えば、スレタイの大学にぎりぎり入ることが出来る人で、尚且つ指導者に適切に教えてもらえる人が社会でそういうことを積極的に生かせる下限なのかなと思ったり。もちろんもっと学力的に下の大学のレベルでも可能かとは思いますが、それこそ手取り足取り教えてもらわないと苦しいかな。

  6. 【6785279】 投稿者: 仰せの通り  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 21日 19:23

    むしろ国公立大学経済学者こそ「マル経」であったのではないかと思われるのである。実際に私の頃には受験雑誌等で、どこの経済学部にも「マル経」「近経」との分類が行われていた。ただ早稲田の政経学部は例外で、ここは「近経」の牙城であったと思われる。その伝統は今も続いているようだ。したがって、それを出身母体とする現在の総長がこのところ反動性を強めつつあるのも、いわば当然のことなのかもしれない。他方で、意外なのが慶應経済。こちらには福田徳三らの大学者がおり、従来「マル経」の研究者が多かったように思う。また、非マルクス主義者であっても、理論的にマルクス主義を批判する学究が多かったように思われる。

    また、周知のように『資本論』第3巻では「銀行」に関わる説明もある。そうした背景もあり、あるいは慶應の卒業生らが金融関係に多く進出していったとも思われるのである(もっとも、それ以上の根拠なし)。まして「マル経」といっても、宇野弘蔵のように「学問(経済学)」と「イデオロギー(主義)」を分別し、純粋な経済学として『資本論』を構成し、資本主義の内部構造と運動法則を明らかにしようとの有力学派もある。そうした研究世界の事情を知悉していた当時の銀行業界の人々も、今のように「マルクス=過激派」の如き幼稚な短絡に陥ってはいなかったのかもしれない。

    もっとも当時の東北大学学生の採用における思想信条差別の是非が争点になった『三菱樹脂事件』の存在を考えると、それはあまりに甘すぎようか。

  7. 【6785369】 投稿者: シュンぺーター  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 21日 21:05

    >恐らく、社会主義革命もそれを止めることはできない。
    なぜなら、それは止まった瞬間に、そこに倒れて、世界は終焉するからだ。

    マルクス批判者でありながら、資本主義はその成功ゆえに滅び、社会主義への移行の必然性を説くシュンぺーター。彼は「静態的な封建経済はなお封建経済であり、静態的な社会主義もなお社会主義経済であるだろう。しかし静態的な資本主義は名辞矛盾に外ならない」と述べたという(伊東光晴他『シュンペーター』岩波新書)。成長なくしての停滞は没落を必然とする、資本主義の在り方を象徴した言である。

    しかし、社会主義はどうであろうか。あるいはシュンペーターが指摘する如く、停滞することが可能なのではないか。資本主義のように常に企業が生産性を向上させる必要がないからだ。実際にスターリン主義国家であった旧ソ連は、末期のマイナス成長時であっても失業者は存在せず、低水準ながら国民は生活できていたという(既述のように、旧ソ連であったアゼルバイジャン共和国も同様であったらしい)。たしかに政治上の表現の自由は制約されても、政治上で異議申し立てさえしなければ、最低限の生活は保障されていたらしい(貧しかったが、みな平等であった)。(続く)

  8. 【6785370】 投稿者: 同②  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 21日 21:05

    (続き)そうすると、日本の今の如く、不当にも有期労働契約を打ち切られ、寮からも追い出されたような方々にとってみれば、ー語弊あるが-カネなきゆえの無意味な自由よりも、最低限の生活が保障される旧ソ連型社会主義の方がまだマシだ、ということにはなるまいか。すなわち、世界が衰退期にはいったときこそ、マルクス主義の出番であり、もっとも頼りにされる可能性があると思われるのである。

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