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【6461628】2032年18歳人口東北減少率20%以上、近畿減少数最大 東京沖縄のみ増加で大学入学者数減らすべき?

投稿者: 大卒の価値   (ID:jX.0zuUQsFQ) 投稿日時:2021年 08月 29日 04:13

2020年に比べて2032年18歳人口は116.7万人から102.4万人へと14.3万人減少

都道府県別では
減少率25%以上
青森 28.3%減少 秋田 27.9%減少
減少率20%以上25%未満
岩手、山形、福島、群馬、山梨、長野、富山、奈良、和歌山、高知
減少率15%以上20%未満
北海道、茨城、栃木、新潟、福井、岐阜、三重、京都、大阪、山口、徳島、愛媛、佐賀
減少率10%以上15%未満
宮城、石川、静岡、兵庫、鳥取、島根、岡山、香川、長崎、大分
減少率10%未満
埼玉、千葉、神奈川、愛知、滋賀、広島、福岡、熊本、宮崎、鹿児島

増加
東京、沖縄

「大卒」という学歴を担保するには大学入学者数減らす必要?
18歳人口減少率が高い都道府県ほど大学入学者数減らす必要?

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  1. 【6497934】 投稿者: 似非科学  (ID:LvDX8lQ3BT2) 投稿日時:2021年 09月 27日 00:56

    >したがって、それらがいずれも抜き差しならない最高度の矛盾に至るまでしかるべく歴史的時間の経過を要することは当然の理なのである。

    そのしかるべく歴史的時間の経過が見積れず、500年とか1000年を要する可能性があるのなら、現代人には実質無縁の理論であり、ほとんど机上の空論なのではないですか。
    およそ科学と呼べるものは反証可能性を備えているものです。自説にとってどのように不都合な現象が起ころうとも「それはまだしかるべき時間が経過していないだけだ」と議論を退けられるような構造になっている理論は似非科学と言えます。

  2. 【6497950】 投稿者: お答えする  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 09月 27日 02:20

    すべての存在はそれ自身のうちに対立する二つの側面を有し、この対立するものの統一として存在する。しかし、その対立は今までの統一物のなかで両立しえない関係にまで対立する。この関係によって古い対立は崩壊し、新しい統一がそこから生まれてくる。

    しかし、それは自然現象のようにある日突然に訪れるものではない。一定の歴史的社会における歴史的主体による実践行動によってそうした歴史的必然をはてしなく自由たらしめ、目的的行動乃至社会的実践を遂行することより(旧支配層と革命主体との階級闘争)歴史は進歩していく。またそうしたなかで、自らを検証しつつ、マルクスの実践的唯物論を主体化せしめ、内容的・思想的に自分自身を新しい歴史の主体へと高めて(=自己脱皮)いくことになる。

    しかしながら、歴史的革命主体たる労働者もまた資本主義社会における存在として、それ自身に矛盾と疎外を内在化する。この内なる矛盾、内なる疎外の克服が困難な状況のもとにあって彼らを苦闘させる。しかし、人類の残した尊い遺産を正しく継承する者がproletarian階級であり、われら学問に関わる不生産的労働者はそれらの知能になってのみ正しい知識を育み、社会的実践足り得る立場に立つのである。したがって、私の拙い学問もそうした歴史的大事業の片隅にあるとの光栄になる。

  3. 【6498257】 投稿者: さらに  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 09月 27日 12:02

    >およそ科学と呼べるものは反証可能性を備えているものです。

    「神が地球を創った」と新約聖書の冒頭で宣い、その観念論ぶりを臆面もなく全開にする「キリスト教学」の場合はどうかね? 古くから、神学のテキストは「聖書」であったと聞く。その反証可能性なるものはいかに。どうやって「神さま」に確認し、文献史料でそれを裏付けるのだろうか。

    もっとも、そうであるからこそキミたちもあの旧ソ連・東欧型のスターリニズム型「社会主義」につき、失敗だと論うのだろう。だがそれは、そうした彼等の体制維持に不可欠な情報統制に失敗した結果だと考えられる。本質的に相矛盾する情報革命の波がそれを崩壊させたものであった。

    しかしながら、さらにポスト資本主義を考えたとき、前述の唯物史観によらずともその情報革命が社会主義に結びつく可能性も残されているのではないか、と私は考えている。その理由については、長くなるのでまたあらためて。

  4. 【6498307】 投稿者: 残念  (ID:6YIJY7DWGlg) 投稿日時:2021年 09月 27日 13:00

    ご回答ありがとうございます。長文を書いて色々教えてくださるのは勉強になり嬉しいのですが、今回も私がお尋ねしたこと1,2に直接お答えくださっていません。「ぼかさず、そらさず、わかりやすく」と念を押しておいたはずなのですが、大変残念です。

    貴殿が信奉されているものーそれがどのようなものか未だによくわかってはおりませんがーはおよそ科学が備えている反証可能性など持たないのではないのですか?
    と問うたのです。それに対する答えはYesかNoのはずです。
    それに対して「キリスト教神学はどうか?」と質問で返すのははぐらかしです。
    キリスト教神学を科学とは呼べないでしょう。もちろん、キリスト教神学も学問の一分野としての存在価値はあるでしょうが、それは私が貴殿に質問したこととは関係ありません。もし「私がやっている学問はキリスト教神学、あるいは信仰のようなものだ」とおっしゃりたいのならばわかりました。以後そのように理解させていただきます。

    「1.そのしかるべく歴史的時間の経過が見積れず、500年とか1000年を要する可能性があるのなら、現代人には実質無縁の理論であり、ほとんど机上の空論なのではないですか。
    2.およそ科学と呼べるものは反証可能性を備えているものです。自説にとってどのように不都合な現象が起ころうとも「それはまだしかるべき時間が経過していないだけだ」と議論を退けられるような構造になっている理論は似非科学と言えます。 」

  5. 【6498344】 投稿者: きちんとお答えしている  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 09月 27日 13:28

    しかしながら、あいにく私は、そうして軽率にYes・Noでもって即答するような訓練は受けてきていない(クイズ番組ではないのだから)。だが、普通にご覧になれば私の意図するところは十分に読み取って頂けるはずである。また、私の拙い論文でもご覧になれば、その意図するところをご理解頂けたであろう。

    他方で、この私もキミに対して「Yes・Noで即答する」ごとき愚かな真似をしていないことにもご留意願いたい。人間の思惟とは、そのような機械論的形式論理で割りきれるものではないからだ。それは人間につき物理的存在の如く、あたかも一定の力をインプットすれば一定のアウトプットをもたらす粒子と同質の存在と見做すことにもなりかねない。たしかに環境が人間の意識を決定するが、それは機械的な模写とは異なるものだということでもある。

  6. 【6498355】 投稿者: さらに  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 09月 27日 13:36

    >キリスト教神学を科学とは呼べないでしょう。

    私は「キリスト教神学」などと申した覚えはない。言葉は正確に願いたい。また、それに関わる学界(学問の世界)がこの国にも成立し、全国の大学にも「キリスト教学科」が存在している(キミの暴論に対する反証)。したがって、私はそれも立派な科学の一分野だと評価する。その存在まで否定するほど、傲慢ではないからだ。

  7. 【6498370】 投稿者: falsifiabilityとは  (ID:6YIJY7DWGlg) 投稿日時:2021年 09月 27日 13:50

    >しかしながら、あいにく私は、そうして軽率にYes・Noでもって即答するような訓練は受けてきていない(クイズ番組ではないのだから)。

    それは詭弁です。YesかNoで答えられる問に上記のようにお答えになるのは単なるはぐらかしです。
    キリスト教神学の例を持ち出すことからして、貴殿は「反証可能性」という用語の意味を全く理解されていらっしゃらないように思います。Wikipediaでもお読みになってみてください。

    > 古くから、神学のテキストは「聖書」であったと聞く。その反証可能性なるものはいかに。どうやって「神さま」に確認し、文献史料でそれを裏付けるのだろうか。

    あなたがお書きのようにまさに神学は「反証可能になっていない」=科学としての基本要件を満たしていない と言えるのです。

  8. 【6498399】 投稿者: 「Wikipedia」?  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 09月 27日 14:41

    あいにく内容に過誤が散見され、しかも執筆者名すら明らかでないそれを参照したり引用したりすることは、多くの大学でのご法度になっているものと思われる。したがって、せっかくだが私がそれを参考にする意思は毛頭ない。

    ところで、そうしたキミとのやり取りが枝葉末節との陥穽に陥っていることを惜しむ。そもそもキミが私たちの学問を「似非科学」と酷評したことから端を発したことだ。そこで、あらためてその暴言に対して私からしてした下記私見につき、具体的なご意見を頂きたいと願う。「似非科学」とまでのべるキミには、それに応じて頂く責務あると思われるからだ。(以下、再掲)

    「すべての存在はそれ自身のうちに対立する二つの側面を有し、この対立するものの統一として存在する。しかし、その対立は今までの統一物のなかで両立しえない関係にまで対立する。この関係によって古い対立は崩壊し、新しい統一がそこから生まれてくる。/しかし、それは自然現象のようにある日突然に訪れるものではない。一定の歴史的社会における歴史的主体による実践行動によってそうした歴史的必然をはてしなく自由たらしめ、目的的行動乃至社会的実践を遂行することより(旧支配層と革命主体との階級闘争)歴史は進歩していく。またそうしたなかで、自らを検証しつつ、マルクスの実践的唯物論を主体化せしめ、内容的・思想的に自分自身を新しい歴史の主体へと高めて(=自己脱皮)いくことになる。/しかしながら、歴史的革命主体たる労働者もまた資本主義社会における存在として、それ自身に矛盾と疎外を内在化する。この内なる矛盾、内なる疎外の克服が困難な状況のもとにあって彼らを苦闘させる。しかし、人類の残した尊い遺産を正しく継承する者がproletarian階級であり、われら学問に関わる不生産的労働者はそれらの知能になってのみ正しい知識を育み、社会的実践足り得る立場に立つのである。したがって、私の拙い学問もそうした歴史的大事業の片隅にあるとの光栄になる」

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