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【6541559】これが旧帝大の現実

投稿者: 静岡県民   (ID:ejo0bjhV9vQ) 投稿日時:2021年 11月 05日 02:00

今年の成人式での会話

理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」

周りの人たち「ふーん」(無関心)

ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)

周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」

理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)

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  1. 【6754438】 投稿者: ちなみに  (ID:LHCPh.M/lHE) 投稿日時:2022年 04月 23日 20:32

    ある東大出身の歴史研究者によれば、東大文系のなかでもやはり法学部は傑出して権威的であったそうである。彼曰く、法学部の友人は先生の研究室を訪れる際でも、それは緊張の面持ちであったとのこと。他方で、彼の指導教授も高名な歴史学者であったが、もっとフランクであったそうな。

    それゆえにか、彼とその「姉」弟子の両名は、師と異なる学問的見解を唱えている。それを心配した私に対し、「毎年(先生から)年賀状が届くので、大丈夫」とのことであった。他方、これが東大法学部でなら大変である。『民法を学ぶ』(有斐閣)で東大出身のある先生が、師と異なる見解を有するのは自由だが、師の推薦でもって他大学で専任として職を得ることは諦めねばならない旨、記してあった。弟子らを震えさせるに十分である。

    たしかに東大の大御所の学問的後継者たる東大の現職教授らの学説は、その多くが恩師と金太郎あめのごとく酷似している。それは、大先生を筆頭とする一門のなかで、「雑巾がけ=雑務」に励んできた褒賞として「東大教授」のポストが恩賜されるのではないか、とすら疑われるほどである。あるいは、本音では師の考えに異論あるときもあろう。しかしながら、そうした「邪念」を内心奥深くまで隠してしまえる意思や忍耐力の強さこそ、-優秀な同門の研究者らをしり目に-彼をして東大法学部教授としてその任にあらせる適格性の証なのかもしれない。

  2. 【6754444】 投稿者: 確かに  (ID:ugS37xqsIFU) 投稿日時:2022年 04月 23日 20:36

    校風の違いはよく感じる。
    一方で、確かに、建学の精神はあまり聞いたことがない。少なくとも東大にはない。北大は開拓者精神、東北大は門戸開放・実学尊重などいろいろ聞いたことがあるが、もともと江戸時代の藩校を母体にしていたり、と建学の精神云々以前の気もする。
    ただ、日本で最初の大学でもあり、研究教育において世界や日本を牽引する、という意味では共通しており、大学憲章も結局そこに行きつく。なので似たり寄ったり。あと東大は国家的人材や官僚育成という役割も担っていたので法学部などの定員が多いと聞いたことがある。

  3. 【6754453】 投稿者: 思い出した  (ID:LHCPh.M/lHE) 投稿日時:2022年 04月 23日 20:47

    >東北大は門戸開放

    私事だが、高校時代の「現国」の担当は、『東北帝国大学』出身の超ベテラン女性教師であった。彼女曰く、当時女性に門戸を開く帝大は「東北」しかなかったとのこと。そして実際に入学してみたところ、たしかに女性が総勢三名しか居なく面喰ったそうである。しかし、小柄ながらも凛として、やる気を見せず出来も悪い我々にもけっして侮られることはなかった。鬼籍に入られて久しいが、思い出深い方である。

  4. 【6754501】 投稿者: とはいえ、西田哲学は難解  (ID:LHCPh.M/lHE) 投稿日時:2022年 04月 23日 21:47

    俗に「西田的シェーマ」ともいわれる西田哲学。たとえば、次のようなものがある。しかもそれは、京大における歴代左派系研究者にまで影響を及ぼしているのが印象的である。

    「直観というのは、主客の未だ分かれない、知るものと知られるものと一つである。現実その儘な、不断進行の意識である。反省というのは、この進行の外に立って之を見た意識である。(・・・)余は我々にこの二つのものの内面的関係を明らかにするものは我々の自覚であると思う。自覚に於いては、自己が自己の作用を対象として、之を反省するとともに、かく反省するということが直に自己発展の作用である。かくして無限に進むのである」西田幾多郎『自覚に於ける直感と反省』1頁。

  5. 【6754528】 投稿者: 西田は判る  (ID:ZOhswT4KWL6) 投稿日時:2022年 04月 23日 22:14

    西田は別に京大だけに影響を殘しているわけではないでしょう
    東大でも西田を讀む人は讀んでいるのが実情でしょう
    抑も西田を最初に評価したのは高山樗牛です
    それをさておき
    西田の文章をいきなり讀んだら確かに理解に苦しむでしょう
    然し手順を踏んでいけば西田の言わんとすることは見えてきます
    西田を讀む準備作業として
    井筒俊彦の「東洋哲學」關聯書物(例えば「意識と本質」など)
    鈴木大拙『神秘主義』『禪の思想』『浄土系思想論』
    この辺りを先ず讀んでおく
    次に西田は講演集から読む(幸い岩波文庫に『西田幾多郎講演集』が這入りました)
    この手順を踏んでいくと西田の核心は見えてきます

  6. 【6754675】 投稿者: なるほどね  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 04月 24日 02:27

    しかしながら、卑見の趣旨は東大法学部に比べ、過去の京大法学部系研究者の学説、しかも唯物史観に基づく研究者らにおいてさえ西田幾多郎や田辺元からの強い影響が見て取れるということである。これは東大系法学者には見受けられず、注目すべき京大の特徴だといえる。しかも同志のはずの代々木系哲学者からは、その西田は次のように酷評されているにも関わらず。

    「西田哲学は、戦前の天皇制のもとで、自由を渇望しながらそれに挫折し、天皇制の哲学的弁護をつとめた非合理主義哲学であり、とくに後期においては、ますます神秘主義へと傾斜し、主意主義的・主情主義的な観念論となっていき、生の非合理的なものの存在をみとめ宗教的色彩を濃厚にし、それをより価値あるものとしてそれに論理的表現を与えた哲学であった」山科三郎『日本型トロツキズム』75頁以下(新日本出版社、1973年)

  7. 【6754685】 投稿者: 関西人  (ID:dIfdH9VOfNQ) 投稿日時:2022年 04月 24日 05:04

    京大法学部系の人の学説に西田哲学の影響があるとは、例えば佐藤幸治の言っていることに西田幾多郎などの言説と似通ったところがあるということでしょうか?

  8. 【6754880】 投稿者: お答えする  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 04月 24日 10:53

    私は「卑見の趣旨は東大法学部に比べ、過去の京大法学部系研究者の学説、しかも唯物史観に基づく研究者らにおいてさえ西田幾多郎や田辺元からの強い影響が見て取れる」と述べた。すなわち唯物論者でありながら、そこに西田・田辺らの影響による実存的「修正」がなされている、との仮説である。いずれにせよ、佐藤幸治教授ご自身左派ではなく、その限りで対象外であるといえる。

    もっとも、私自身同教授の憲法論には昔から馴染めず、このため佐藤憲法学の内容につき詳らかではない。だが印象次元では、著書や論文でのあの説明の在り方自体、当初から東大系憲法学者とは異なった雰囲気を醸し出していた。その限りで、佐藤教授も背景にある人文科学的素養がより濃くにじみ出ているのかもしれない※

    ※刑法学ではその性質上、東大系であっても小野清一郎博士や団藤重光博士の著作に哲学的思惟の存在が色濃く感じられる。とくに小野博士については、考え方こそ異なるものの一流の教養人であったと感服している。その意味で、最近の刑法学者からは、小野・団藤両先生にみられた(法)哲学的素養を感じさせるものが少なくなったように思われる。

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