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【7004284】「文系は刺し身のツマ」に

投稿者: 文系は人数が多く供給過多   (ID:3tEjFsLZgaI) 投稿日時:2022年 11月 15日 18:58

今後は、産業ニーズと合ってるかどうかが重要。
学士と高専卒が同じ括りに。


例えば、DMG森精機

卒業・学位_____初任給__想定初任年収
大学院卒(博士課程)475,000円_6,825,000円
大学院卒(修士課程)310,000円_4,650,000円
大学・高専専攻科卒_300,000円_4,000,000円

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  1. 【7027934】 投稿者: 同②  (ID:GUeL6QcjLvs) 投稿日時:2022年 12月 07日 18:43

    (続き)

    そのうえで思うに、哲学の再評価である。周知のように、かつて学を統括したのは哲学であった。しかし、次々と真理を解明し分化を進めてきた科学の前にその王座を明け渡すことになった。しかしながら、近代科学の限界や行き詰まりが指摘される今日、現代哲学は再び自らの存在意義をかけて、自然科学の在り方を問うことになったのである。けだし、上述のように自然科学だけで現実の世界が割り切れるものではないからだ。

    すなわち、特殊科学としての自然科学は、自らが対象とした領域に関する限りの法則を把握するに留まり、存在のあらゆる領域・段階を貫く法則を統一的につかむことはできまい。ここに特殊科学の限界があり、またその限界の自覚に立ってこそ、自然科学はその科学性を発揮することができるものと思われる。

    そうした観点から哲学は、これまで自然科学が占めてきた王座に対する疑問・批判を提示し、自然科学の在り方を根拠づける視座や場所についての根源的反省を迫るものである。しかしながら、そうした見識乏しき一部のわが理系人士らは何らの反省もなく権力者の走狗となり、再び金儲けのための「原発再稼働」に狂奔する始末である。

  2. 【7027955】 投稿者: 科学哲学の役割  (ID:GUeL6QcjLvs) 投稿日時:2022年 12月 07日 18:55

    (自然)科学=分科学はそれぞれの領域につき細分化を進めた。その際、独特の言語でその領域を構築し、一般の人々の接近を拒んできた。それゆえ「学」に乏しい人々は、「学」でない生活上の経験知でその確実性を築き、上述「暮らしの理」を作り上げてきた。したがって、そうした「学」が作り上げた技術が生活に役立つ限りにおいて、自然科学の成果たる科学=理屈・理論に頼る必要はなかった。換言すれば、科学知も民族の知恵として伝承的なフォークロアを完全に凌駕することはできなかったといえる。

    そのうえで思うに、哲学の再評価である。周知のように、かつて学を統括したのは哲学であった。しかし、次々と真理を解明し分化を進めてきた科学の前にその王座を明け渡すことになった。しかしながら、近代科学の限界や行き詰まりが指摘される今日、現代哲学は再び自らの存在意義をかけて、自然科学の在り方を問うことになったのである。けだし、上述のように自然科学だけで現実の世界が割り切れるものではないからだ。

    すなわち、特殊科学としての自然科学は、自らが対象とした領域に関する限りの法則を把握するに留まり、存在のあらゆる領域・段階を貫く法則を統一的につかむことはできまい。ここに特殊科学の限界があり、またその限界の自覚に立ってこそ、自然科学はその科学性を発揮することができるものと思われる。もっとも、それゆえわれわれは忌避されやすい。

    そうした観点から哲学は、これまで自然科学が占めてきた王座に対する疑問・批判を提示し、自然科学の在り方を根拠づける視座や場所についての根源的反省を迫るものである。しかしながら、そうした見識乏しき一部のわが理系人士らは何らの反省もなく権力者の走狗となり、再び金儲けのための「原発再稼働」に狂奔する始末である。歴史に対する冒とくだと言わざるをえまい。

  3. 【7028013】 投稿者: 事実として  (ID:vBEI1/UCN.o) 投稿日時:2022年 12月 07日 19:29

    ちなみに中学数学を理解できない私文からすると京大というだけでひれ伏しているのだと思うけどw、京大と言えども不毛な哲学をやっているような連中は、地頭良くないから覚えておいてね(笑)

    ★駿台 文系高3数学偏差値
    大学 学部 数学
    東京 文一 64.1
    東京 文二 63.5
    京都 経済 61.6
    京都 法学 59.9
    一橋 経済 59.4

    --越えられない壁--

    東京 文三 58.7
    京都 文学 57.6
    大阪 経済 55.3

    https://www.sundai-kyouken.jp/advance/2021_vol2/data_file.html

  4. 【7028014】 投稿者: 初学者さん  (ID:GUeL6QcjLvs) 投稿日時:2022年 12月 07日 19:29

    にお答えしよう。やや諄くなるが、大切なことゆえご容赦願いたい。ところで、ラテン語のscientiahaは、学問を意味した。だがその後、哲学から分離独立した科学=特殊科学を意味するようになった。また英語でも、scienceはknowledgeと同様に複数形のないuncountableな名詞であったが、17世紀以降、科学の意味で複数形を持つようになった。

    その背景には、科学主義を創り上げた科学革命の進行と、科学が本来既述のように「分科の学」であったことに拠っている。たとえば、17世紀の科学革命と呼ばれる思想革命を果たしたコペルニクスやガリレオ、ニュートンらは世界観の大きな転換をもたらした。しかし、そこで留意すべきは、彼ら先達はphilosophyの変革を主張したのであって、そこでscienceとの言葉は用いていないということだ。

    そのうえで、ご指摘のクーンの「paradigmの歴史的・社会的相当性」との命題もまた、上述と同じ文脈上にあるといえる。彼の説くparadigmはギリシャ語のparadeigmaに由来し、「範型」「手本」を意味した。そしてクーンはこれを「任意の時期に、科学の専門分野の成員が、そこから自分たちの仕事の実践を学ぶような特別のモデルとなるような業績」と定義した。この科学者共同体によって共有されたparadigmは、通常科学normal scienceと呼称される研究活動を推進した。

    むろん、のちに変則事象anormaliesが見いだされれば、それがあるいは科学革命scientific revolutionというparadigmの交代によって克服されることになろう。その意味で、上述の科学革命と呼ばれる思想革命を果たしたコペルニクスやガリレオ、ニュートンらは世界観の大きな転換に見る如く、クーンの科学史感は論理実証主義的科学史感に対する批判を意味し、科学理論の歴史的・社会的な相対性の根拠として、今日の科学の発展に寄与してきたのであった。以上、お分かりかな。

  5. 【7028018】 投稿者: それ  (ID:b3gyxMIKUIo) 投稿日時:2022年 12月 07日 19:37

    それ、哲学村の狭い中でしか教祖クーンの業績なんか認められていないよ(笑)

    なぜならクーンの理論を使っている人なんか皆無だから。そもそも理論とは言えないただのお気持ちだから。やっぱり具体名を上げられないし何か実現した人なんていないでしょ?

    ニュートンは革命を起こしたかもしれないけど、真に科学が人々から信頼を得ている理由は、後続のマクスウェル、アインシュタイン、その他がニュートンをある領域では肯定しつつも、続々とニュートンを部分的に否定しているからだよ。

  6. 【7028030】 投稿者: お答えしよう  (ID:GUeL6QcjLvs) 投稿日時:2022年 12月 07日 19:45

    それだけクーンの科学史観が今日まで、説得力をもって存在感を示しているからではあるまいか。実際に、クーンのそれは哲学史や現代科学論において、百年来の課題と位置付けられてきた(勉強してほしい)。大学受験における評論文対策としての重要語にも、ほぼもれなく「パラダイム」「パラダイムの転換」との語彙が含まれていることからもそれは明らかである。
    君は、大学受験をご存じないのかな?

  7. 【7028036】 投稿者: まあ  (ID:79RCuPut0FQ) 投稿日時:2022年 12月 07日 19:53

    まあクーン信者が教祖を溺愛して業績を過大評価しちゃうバイアスがかかるのはしょうがないね。まして中学数学でギブアップの客観性の持ち主だと、その洗脳をとくのも無理でしょう。世の中を進歩させている科学者・エンジニアは世界で誰一人クーンなど気にも掛けていないけど(笑)

    脳科学が哲学の最後の箱庭の認識論を完全に代替するその日まで、せいぜい言葉遊びに興じていてくださいな。

  8. 【7028049】 投稿者: お答えしよう  (ID:GUeL6QcjLvs) 投稿日時:2022年 12月 07日 20:05

    それだけ、paradigm論は自然科学における所与の前提になっているのであろう。少なくとも、そうした科学史観を持てぬ者は技術者、技能者であっても、けっして「科学者」ではあるまい。だからこそ、人類への責任を軽んじ、凝りもせず原発再稼働推進の手先に堕するのである。ただ、目先のカネ儲けのためだけに。

    そこには戦前、ハルピンで人体実験を繰り返したあの石井部隊と似た振る舞いが見て取れる。彼らは敗戦と同時に資料を処分し、けっして口外せぬとの誓いを立て、家族に口を拭い、東大教授らに復職したのであった。彼らには医学の知識あっても、科学のもっとも根源的な自己批判たる哲学が皆無であった。

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