マルチリンガルを目指せる女子校
東大は悠仁様の受け入れを表明して混乱を収束させるべき
東大は、一刻も早く悠仁様の受け入れを表明して、混乱を収束させるべきではないですか?
>「国民統合の象徴」に高い道徳性や倫理性が必要とされることが皇室典範に明記されていない以上、それを強制的に求めることはできない
それに関し、宮澤俊義東大名誉教授は次のように述べている。
「ここにいう『日本国』と『日本国民統合』とは、日本という国を意味する点においては、同じ意味を有すると見るべきである。ただ、『日本国』という言葉は、日本国家の領土そのほかの物的要素に着目しての言葉であるのに反し、『日本国民統合』という言葉は、日本人の統合という日本国家の人的要素に着目しての言葉である点において、ニュアンスの違いはある。だから、『日本国の象徴』とは、いわば物的に考えられた日本国家の象徴を意味し、『日本国民統合の象徴』とは、いわば人的に考えられた日本国家の象徴を意味する」(日本国憲法52頁)。
そうであるならば日本国民統合の象徴として、そこにわれわれ国民は天皇にその地位に応じた道徳性や倫理性を求めるのが自然ではあるまいか。まして史実に残る歴代天皇らもそうした道義的優位性(事実はともかく)で以て、武家政権に対峙してきたはずである。それは「現人神」を自称した昭和天皇において極限化し、今日に至るまでの天皇像の外形になってきた(悠仁君の「トンボ」ならびに彼の両親それぞれの表見的な『研究』云々も、同様)。
英国のジャーナリズムも自国の王室のゴシップネタやパパラッチで飯のタネにして来ていますけどね。王室が観光資源にもなっている関係もあるといいますか、思い出したのが英国王室はDNA鑑定を実施し公開しているのです、そして故フィリップ王配殿下の軍服姿の30代の写真とヘンリー王子が瓜二つというか「横顔がそっくり」を並べた新聞で、世界中の人々が様々な過去の出来事を思い出したのです。
まあ遠からず、日本も皇室の覆いを剝ぎ取られ世界を驚かせるかもしれません。
君の「社会通念」への理解が未熟がゆえに、ご指摘申し上げただけ。
初学者が手に取る法学入門的な次元の問題である。
繰り返すが、社会規範は「法」のみではない。社会通念も、われわれの意思決定や行動を律する規範の一つである。したがって、捜査機関が動かないので問題なしなど、大いなる誤解である。むしろ、法に抵触以前にまず、「高貴な者」「特権階級」ほどより厳しくわが身を律することが必要だ。それがここでの社会通念であると思われる。その観点からして、文仁氏一家はおよそ合格点に達していないというのも、ほぼ一致した社会通念でもあるようだ。われわれの血税を浪費する問題児らだともいえよう。
> そこにわれわれ国民は天皇にその地位に応じた道徳性や倫理性を求めるのが自然ではあるまいか。
地位に応じた道徳性や倫理性というはどこまでのレベルを言っているのか?蚊を一匹でも殺してはいけないのか?求めるレベルは無限に高くできるのだから、今の自分とのギャップか大きければ、それに苛まされて精神が崩壊するぞ。だから、規定が必要になる。
まあ、天皇は人を超越した神だというのなら、いくらでも求めてもかまわないけどね。
> 「高貴な者」「特権階級」ほどより厳しくわが身を律することが必要だ。
それは一般人と同じ基本的人権を有している場合だ。制限されている場合は違った観点があるべき。基本的人権が制限されることの対価として特権が許されるという考えはありうる。ただ、その特権がどこまで許されるかは明確な規定はなく、個々が異なる基準を主張しているに過ぎない。通念、規範を含めて何が正しいか明確な答えは現状出ていない。
専門家による議論が必要と考えるが、後づけで戻すのは混乱をきたすだけなので、今はこのまま進めるのが適当と考える。
基本的人権が制限されることの対価として特権が許されるという考えはありうる。ただ、その特権がどこまで許されるかは明確な規定はなく、個々が異なる基準を主張しているに過ぎない。
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皇室にも皇族にも特権など与えられてはいませんが。
いつからどの様な特権が与えられる様になったのでしょうか?
もう一度、前の大戦のこと、本来はどにような審判が下されていたのか、どうして今があるのか、しっかりと歴史を振り返ってどうあるべきか、再度、見つめ直す必要がありそうだ。
君の様な勘違い野郎がいるから、もう皇族も宮内庁もいらなくね、の方向に国民感情は高まりつつあるし。
パリオリンピックの開会式で日本でやったら絶対アウトといわれるものがあったけど、あれって全世界の暴君(政治家等も含め)に対するメッセージだよね。
まあ、このままいったら暴君が誕生するよ。日本にも。