アートの才能を伸ばす女子教育
私立大学出身者はエリートと言われますが、国立大だとどこまでがエリートですか? せいぜい東大一橋東京科学までですかね? 東京藝術大学や医学部もですかね?
それとも京大阪大くらいまで入りますか?
現役の私立大学教員です。
学生の減少という観点から見れば、大学数を減らす事はある程度避けて通れない事なのかも知れません。
一方で研究者の確保という点からすれば、かなり違った景色が見えてきます。優秀な研究者(私は違いますが)のタネは、博士課程修了後、当然どこかに就職する必要があります。しかし研究の分野は高度に細分化されており、ある年に自分の研究分野の人材募集がある事はむしろ稀で、仕方ないのでいわゆるポスドクで過ごすか、それも限界があるので無名の大学に赴任する事になります。
まさにそこが制度設計の問題だと思っています。博士人材はいるのに、ポストは専門分野ごとに細切れで流動性も低い。その結果、大学の数が研究者の受け皿になってしまっている。本来は大学数で吸収するのではなく、人材が研究テーマとともに流動できる仕組みを整えるべきではないでしょうか。
昭和40年 317校 入学者数 249917人
昭和60年 460校 入学者数 411993人
平成10年 604校 入学者数 590743人
平成20年 765校 入学者数 607159人
令和元年 786校 入学者数 631273人
令和6年 813校 入学者数 628766人
大学は少子化になっても増加中。
増えてるのは圧倒的に私大。
学力も能力も無くても勉強しなくても入れる私立大は潰した方が勉強しない子供は減ると思う、附属推薦や指定校推薦も廃止しないと中学や高校で勉強しない人が増えそう。
あと、国公立も私立も全て共通試験を必須にしたらよいと思う、これ何故しないのでしょうね。
大学数だけを見て「多すぎる」「私大を潰せば勉強する子が増える」というのは、原因と結果を取り違えています。
まず、大学は18歳人口を収容する箱ではありません。地域の人材育成、教員養成、医療・福祉人材の供給、産学連携、リスキリング、社会人教育、地方創生など、多面的な公共機能を担う知的インフラです。大学数だけを根拠に存廃を論じるのは、その社会的役割を見落としています。
また、「学力も能力もない私立大学を潰せば勉強する子どもが増える」という因果関係も成立していません。勉強するかどうかは、入試制度だけで決まるものではなく、家庭環境、学校教育、進路設計、労働市場など複数の要因で決まります。受け皿を減らしただけで学習意欲が高まるというエビデンスは示されていません。
附属推薦や指定校推薦を廃止し、全大学で共通テスト必須にすべきという主張も同様です。大学教育は一律の学力試験だけで評価するものではなく、総合型選抜や学校推薦型選抜は、多様な能力を評価するという制度設計に基づいています。制度への反対は自由ですが、「なぜ存在するのか」という目的を踏まえずに廃止を唱えても議論にはなりません。
さらに、「少子化だから大学を減らせ」という発想自体が短絡的です。少子化が進む局面だからこそ、大学は地域の知的基盤としての役割を一層強めています。教員養成、地域医療、自治体職員の育成、地場産業との共同研究、社会人の学び直しなど、地域を支える機能は18歳人口だけでは測れません。
実際、地方では大学を地域再編の中核として位置付ける動きもあります。大学を単なる進学先ではなく、教育・研究・産業・雇用を結ぶ拠点として再設計する構想が進む地域がある一方、大学を軽視した地域ほど若者流出と産業空洞化が進んでいます。
人口減少を理由に大学を減らせという議論は、高齢化したから病院を減らせ、地方人口が減ったから鉄道を廃止すればよいと言うのと同じです。インフラを縮小すれば地域の活力はさらに失われます。
国家が最後に競うのは、一握りのトップ人材ではありません。高度な人材へ成長できる母集団の厚みです。大学を単なる選抜装置や人数調整装置としてしか見ない発想では、その基盤そのものを弱体化させるだけでしょう。






























