マルチリンガルを目指せる女子校
地方国立(駅弁)の偏差値がどんどん下がり続けて、どんどん難化している大東亜帝国には合格できない 大東
数年前、私の高校では地方国公立を受験する場合、大東亜帝国では難しいので大東亜帝国未満の地方の私大に行く人が多かったです。
東京に行きたい場合以外は大東亜帝国の受験はあまりないですが、 大東亜帝国レベル未満の地方私大というパターンはかなりあります。
①愛媛大受験して松山大
②熊本大受験して崇城大
③新潟大受験して新潟国際情報大
④広島大受験して広島修道大
⑤金沢大受験して金沢工業大
⑥宇都宮大受験して白鴎大
⑦茨城大受験して茨城キリスト教大
⑧琉球大落ち沖縄国際大 他にもいろいろありますが。
そもそも地方の場合、大東亜帝国レベルの私立大が存在しません。
また、地方の家庭は大抵の場合、地元の大学にしか進学できないような貧困な家庭が多いです。
そのため、本来は新潟大や広島大に受かる学力があれば、大東亜帝国レベルは抑えにすることができるでしょうが、やむを得ず地元から通える大東亜帝国未満の私大というパターンがよくあります。
話はやや逸れますが、大東亜帝国レベル未満の地方私大といえど、大学の数が少なく都市部みたいに輪切りになってないので、上振れはかなり優秀だったりします。
日本の経済成長と人口増を基に作られた町と、人口減の状況が合っていないのでしょう。
国内経済の縮小と人口減は、今後も続くので、市の合併、もしかしたら県の合併も、行政サービスを維持したいなら、検討すべき案件です。
高度成長期から昭和末期にかけて右肩上がり(経済・人口とも)の社会を前提に、政治・官僚・財界・民間の精密な仕組みが構築され、それらが緻密に連携し合って「ニッポン」というシステムを回してきた。平成に入りグローバリゼーションの進行、新たなイノベーションの停滞、バブルの崩壊、終身雇用の崩壊、超少子高齢化が連続的に起こり、日本の「右肩上がり」フェーズは終了した。前提条件が崩れたにもかかわらず、政・官・財・民の精緻な「ニッポン」というシステムはほとんど変わらなかった、いや変えられなかったのだろう。ほんとうなら平成の30年間をシュリンクする時代に合わせてニッポンという仕組みを1から作り直すことに充てるべきだった。しかし政治も官僚も財界も民間も、バブルの後始末と激変する情勢とに翻弄され、抜本的な改革は手付かずのまま令和を迎えてしまった。その不作為の怠慢のツケがいま一気に回ってきている。今はまだ序の口。
なぜ大学に行くのか?
その理由は地方国立に進学することで答えられているのか?
地方から大東亜以下の私立に進学することで答えとなるのか?
自分が納得できるのなら他の人の評価は関係ないよ。大東亜でもそれ以下でも。
確かに地方の国公立大に不合格になった場合、そのような低レベル私大に行くか浪人するという発想になります。
おそらく一番の理由は「国公立信仰」です。
「トップは東大・次は地元の旧帝大、それがだめなら地元の国公立大、そこもダメなら私立」という国公立しか考えられない地方民が多いのが現実です。もっとも、教師がそうした進路指導を行い「先生が言うならその通りにすべき」という盲目的な保護者が多いのも理由です。
さらに、そうした状態に疑問を感じた生徒や保護者は首都圏の私立大を受験します。また首都圏の私大に進学したら地方に戻ることはあまりありません。田舎の閉鎖性の異常を悟り都市部に居続けます。その子どもも首都圏の学校に進学するわけですから、田舎の違和感を感じる人は首都圏に流出し、田舎にはそれを信じて疑わない人が残る形になります。
そうした状態になれば、そこそこの私立大学ができる土壌はなく、仮にそのレベルにある人は先のように低レベルに大に進学するか浪人するか、あるいは首都圏の私大に進学する形になります。
地方から早慶に進学した友人を多く知っていますが、ほとんどが「東大や地元の旧帝大不合格者」で早慶を第一志望にしている人はかなり少なく、また彼ら(早慶が第一志望者)は学校でかなり「排除」されていたようです。「国公立を諦めた裏切者」扱いだそうです。
日本は少子高齢化で、地方の平均年齢は急上昇しており、改革ができない状態です。人間でいえば筋肉(働き手)が減り脂肪(老人)が増えるばかりで、悪化するばかりです。正直、首都圏の人からすればふるさと納税制度なんかせず、自分達の住む場所で適切に税金が使われることを望んでいます。地方の老人に使われるのなんてまっぴらごめんです。国会議員の大半が田舎選出。民間・企業は改革を行いながら、地方や政治家が変われないので足を引っ張るだけ…。そうしたところにまともな私立なんてできるはずありませんよ。首都圏の税金をそれに使うなんてそれこそ御免被ります。