マルチリンガルを目指せる女子校
創立年 1868年慶應74年立教77年東大80年法政81年明治82年早稲田85年中央96年京大
1868年 慶應義塾 創立
1874年 立教大学 創立
1875年 同志社前身の官許・同志社英学校創立
1877年 東京大学 創立
1880年 法政前身の東京法学社創立
1881年 明治前身の明治法律学校創設
1882年 早稲田前身の東京専門学校創設、國學院大學前身の皇典講究所
1885年 中央大学前身の英吉利法律学校創設
1889年 関西学院 創立
1896年 京都大学 創立 関西大学前身の関西法律学校創立
1900年 立命館前身の私立京都法政学校創立
1907年 東北大学 創立
1920年 名古屋大学、一橋大学 創立
大隈重信は早稲田大学設立の際、福澤諭吉に大いに助けられています。設立に際しては、福澤諭吉は多くの慶応の優秀な人材を早稲田に送り込んでいます。
しかし肝心の早稲田大学の開校式に大隈重信は出席できません。出来ないというか敢えて出席しなかったのです。
「明治十四年の政変」で伊藤博文と対立し、明治政府の中心から追い出されたことが影響しています。当時改進党総理であった大隈重信は、対立する伊藤博文一派から早稲田が目を付けられることを慮ってのことでした。
明治14年は西暦1881年です。早稲田大学設立はその翌年1882年です。
大隈重信不在の開校式では、校長大隈英麿が「開校の詞」を朗読し、大隈重信の盟友小野梓が演説、高らかに「学問の独立」を宣言したのでした。
大隈重信は早稲田大学の開校式には出られず代わりに福澤諭吉が出席して祝辞を述べました。
慶応は、福澤諭吉が蘭学塾を開いたのが1858年。慶応の創立年はこの年とされている。
1868年は慶應義塾という名で英学塾として芝新銭座に移転した年。
流れをくんでいだけで統合されたりした別の組織とは違うでしょう。
大学の創立・源流をいつにするかは、それぞれ考え方があろうかと思います。慶應の1858年や一橋の1875年は納得できます。建学時の精神が現在も継承されているからです。東大の設立は、1877年の開成学校と医学校の合併でこれが正史ですね。阪大の懐徳堂や適塾となると「そうなのかなぁ…」と思ってしまいます。文学部の源流ですし、大阪の気風を伝えたいのかもしれませんが、初代総長の長岡半太郎に始まる「研究重視」の学風は現在も継承されているので、そこを起源としてもよいように思います。
歴史の長さで言うと文系は私大>地帝だから、就職出世で現在に至るまで影響を及ぼしている。
ちなみに早慶に関して理工は歴史の長さで30年ほど違いがあり、時価総額トップ100企業のCEOで早稲5:慶応0と大差がつく要因となっている。
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◯各大学の創設年(前身含む)
慶應 1868年
一橋 1875年
同士 1875年
北大 1876年
東大 1877年
専修 1880年
東科 1881年
明治 1881年
早稲 1882年
中央 1885年
日本 1889年
大阪 1896年
京大 1897年
神戸 1902年
東北 1907年
九州 1911年
名古 1920年
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東大経済学科 1908年
早大理工学科 1908年
慶大理工学部 1939年